2-1 『順風の兆し』
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「ちょっとフェス。タオルが洗われてなかったわよ。代えのタオルもそんな多くないんだから急いでおいて」
「す、すみませんシェリーさん! すぐに行きます!」
昼下がりの旅館に忙しない会話が飛び交っている。
家族連れを温泉に招待してから一週間。
彼らからの評判は私が思っていた以上に良く、それを聞いた町中の人々から「自分も入ってみたい」という興味の声が多く届いてきていた。
想像以上の成果だ。
「これはチャンスだわ。注目が集まってるこの機会を逃しちゃ駄目よ」
そう意気込んだ私を筆頭に、旅館の面々はそれぞれに活動を活発化させた。
まず始めに、宿泊客の未だ少ない間の繋ぎの策として温泉を一般に開放した。個室や食事はないが、格安料金で施設を利用できるというものだ。
手の空いた従業員達によって町の中心部で宣伝もされ、この旅館の知名度は徐々に高まりつつあった。
日中に旅館を訪れる人も日に日に増え、今では客足がゼロということはなくなっている。
「怖いねーちゃん! 今日も来たぜー」
「ん?」
「ひえっ。いや、優しいねーちゃん」
「はい、いらっしゃいませ」
子供達も度々足を運んでは、軽口を叩いて私に睨まれながらも温泉を楽しんでいた。
すっかり町の公衆浴場といった雰囲気になりつつある。値段的に儲けがそれほどあるわけではないが、活気づくのはなによりいいことだ。飲み物などの副産物もよく売れている。
しかし日帰り客だけを見ていては売り上げに繋がらないのも事実だ。
「特典を作るわ」
「特典?」
「そうよ、ロロ。宿泊者限定の特典。温泉だけ入ったら満足して宿泊する意味がなくなったら本末転倒よ。だから明確な特典を作るの」
ある程度の評判を得られたなら上々。後はこれからも通ってくれる上客を得ることが大切だ。
知名度こそ上がっても、儲けのでない安商売だけをしていても仕方がない。
「そこで、宿泊者のみが入れる温泉を用意するわ」
獣人宿舎の内装などの工事も完全に終了し、大工達には次に旅館の補修や張り替えなどに従事してもらっている。床板が古く軋んでいた場所も、あっという間に新品の光沢ある廊下に変貌していた。
最低限の見劣りしない程度の景観を確保し、その次に私が取りかからせたのは、裏山の敷地を使っての新しいお風呂建設だった。
「女将さんとも相談して、新規に楽しめるお風呂を作ることにしたわ。湯の番をしてるグリッドに知恵を借りて、構想が決まったのは二つ。岩をくり抜いて作る洞窟風呂。そしてもう一つは、低温でのんびりと浸かれる一人用の壷湯よ」
「湯量にはまだ十分余裕がありそうだからなー。人が増えるならもう少し増やしてもいいくらいかも」とグリッドがへらへら調子に付け加え、従業員達に説明してくれた。
「これらを宿泊者のみの利用とするわ。日帰りの客にもしっかり宣伝して、一泊してみようかと思わせるのが大事よ。それと、料理も大事ね。日帰りのプランに昼食、もしくは夕食を少しつけたものを作るわ。うちの板前の料理が美味しいってことを知らせて、ぜひとも常連に引き入れたいわね」
更には旅館のお風呂も数日ごとに女湯と男湯を入れ替えることにし、一度来館しただけでは満喫しきれないように営業体制も改変した。
「し、シェリーさん凄いです。やることがいっぱいですね!」とフェスが興奮気味に褒めてくれるが、これくらいは大したことはない。問題は、それで本当に客が呼び込めるかどうかだ。
どれだけ素晴らしいものを用意して最善を尽くしたところで、見向きされずに廃れる店を、私はお父様の近くで何度か見たことがある。
商売ごとには運も大切だ。
努力というのは、その運にあやかれる確率を少しでも上げるための試行錯誤にすぎない。
「まだまだ油断はできないわ。頑張っていきましょう」
私の発破の声に、従業員達は威勢良くうなずいて応えてくれていた。
私の旅館改革計画はまだまだこれからだ。やらなければならないことはいっぱいある。
まだまだ先の見えない未来に思いを馳せながら、私は目の前の事を着実に進ませていった。