2.奔放な来訪者
ロープウェイのゴンドラに乗り込んだとき、俺たちの他に客の姿はなかった。
二人で壁際の椅子に腰掛けると、ちょうど発車時刻となったらしく、それを報せるアナウンスが流れ始めた。
いいタイミングだなと呑気に考えていると、不意に月花が、
「なんだか、デートみたいですね」
なんてことを言った。
そこで軽く笑い飛ばせばよかったのに、『デート』という慣れない単語につい過剰反応した俺は、
「えっ……」
と、言葉を詰まらせてしまった。
そして、暫しの沈黙が流れる。
(しまった……)
妙な間を作ってしまった。
それまでは隣で微笑んでいた月花も、その場の異様な空気を感じ取ったのか、次第に緊張した面持ちになり、やがて顔全体を赤くさせて視線を逸らしてしまった。
何とも言えない、微妙な空気が流れる。
やってしまった。
後悔の念で胸がいっぱいになったところで、どこからともなくやってきた係員が無慈悲にもゴンドラのドアを閉め、俺たち二人だけの完全な密室を作り上げる。
気まずい、というよりも、気恥しい。
そんな居心地の悪い貸切状態のゴンドラがまさに出発しようとした、そのとき。
「ちょっと待ったああああッ!!」
ガッ、と何かが激しくぶつかる音がした。
そうして、一度は閉められたゴンドラのドアを無理やりこじ開けて、一人の少女が飛び込んできた。
ダイナミックな駆け込み乗車を目の当たりにして、係員と俺たちは息を呑む。
強引に乗り込んできたのは、見慣れた高校の制服を着た女子生徒だった。
白いカッターシャツに、赤いチェック柄のスカート。
月花がいつも学校で身に着けているのと同じものだ。
ただ一点だけ違うのは、その胸元――リボンを押し上げる胸の膨らみが、月花の何倍もあろうかということだった。
ボタンは今にも弾け飛んでしまいそうなほど窮屈そうにしている。
月花にはない、豊満なバストだった。
否が応でも目がいってしまうような、とてつもないバスト。
「はあ、間に合ったあ……」
少女は大きく息を吐くと、
「あ、どうぞどうぞ。出発しちゃってくださーい」
そう悪びれる様子もなく、笑顔でひらひらと手を振った。
係員は言葉を失ったまま、言われたとおりにゴンドラを出発させた。
そうして動き出したゴンドラの隅っこで、俺と月花は固まっていた。
ぽかんと口を開けっぱなしにして、目の前の少女を見上げる。
高い伸長に、抜群のプロポーション。
ぴんと伸びた背筋に沿って、長いポニーテールが垂れ下がっている。
どこか、見覚えがあった。
「ふーっ、危なかったぁ……って、おやおや? お邪魔しちゃったね、お二人さん。せっかく二人きりだったのに」
少女はこちらの視線に気づくと、にひひ、と楽しそうに笑って言った。
邪気のない、それでいて悪戯っぽい猫を思わせるアーモンド型の瞳。
人懐こそうに弧を描いた口元からは八重歯が覗いている。
なかなかの美人だ。
しかしそれ以上に、胸の膨らみに絶大なる魔力を秘めている。
「あ、いや。お構いなく……」
目のやり場に困った俺は、彼女の首から下を極力見ないように、戸惑いながらも顔だけを見つめた。
そして、おや、と思う。
(この顔、もしかして……)
心当たりがあった。
長身で、ほんのりと吊り上がった美しい目元に、長いポニーテール。
そうだ、この人は。
先日の生徒会選挙で、演説をしていた人だ。
確か生徒会長に立候補していたはず。
けれど、そのことを口にしようとして、俺は躊躇した。
あの後の投票で、彼女は落選したのだ。
見事選挙を勝ち抜いたのは、対抗馬である男子生徒の方だった。
残念な結果に終わってしまったので、彼女は傷心しているかもしれない。
選挙からそう日も経っていないし、今はまだあまり掘り返さない方がいいだろう――そう判断した俺に対し、彼女は、
「いやあーそれにしてもお二人さん、昼間っから熱いねえ。今日はデート?」
まるで泥酔した親父みたいに、うざい絡み方をしてくる。
選挙の演説のときは比較的真面目そうな印象を受けたが、こうして見ると第一印象なんて当てにならないものだ。
「いや、別にデートとかそういうんじゃなくて……」
俺がやんわりと否定しようとすると、
「ま、ま。何も遠慮は要りませんので。あたしに構わず、ここでちゅーとかしてくれちゃっても結構なんで」
「! ちゅっ、ちゅーだなんて、そんな……!」
そう慌てて言ったのは月花だった。
はわわわ、と口元を震わせながら、涙目で少女を見上げている。
俺との関係を誤解されたくなかったのか。
それとも単に恥ずかしくなっただけか。
その顔は湯気が出そうなほど真っ赤になっていた。
これで普段は俺と毎日のようにキスをしているのだから、人間わからないものだ。
「わ、私たちは別に、そんな関係じゃないんですっ。今日はただ、白いタンポポを探しに来ただけで……!」
「偶然っ!」
パンッ、と胸の前で手を合わせ、少女は目を輝かせた。
「実はあたしも探しに来たんだよー、白いタンポポ!」
「「ええっ!?」」
俺と月花のリアクションがシンクロした。
こんな偶然があるだろうか。
今どき誰も見向きもしなさそうな、タンポポにまつわるマイナーな迷信。
そんなものが目的で、まさか同じ日にここを訪れる人間が、自分たちの他にもいるとは夢にも思わなかった。
「よかったらあたしも仲間に入れてよ。みんなで一緒に探した方がきっと早く見つかるよっ」
名案、とばかりに少女が言った。
それを聞いた俺と月花は、無言のまま顔を見合わせた。
断る口実は見つからない。
それに、少しでも人数が多い方が効率が良いのは確かだ。
「じゃ、決まりってことで!」
俺たちの沈黙を肯定と取ったのか、少女は高いテンションのまま楽しそうに言った。
そうして成り行きのまま……いや、半ば強引に、俺たちは三人でのタンポポ探しを始めることになった。
◯
彼女の名前は星蘭さんといった。
年は俺たちよりも一つ上で、現在高校二年生。
纏っている制服からもわかる通り、やはり彼女も俺たちと同じ高校に通う生徒だった。
「でも、なんで制服を着てるんですか? 今日は日曜だし、授業はありませんよね」
ゴンドラに揺られながら俺が聞くと、
「よっくぞ聞いてくれましたあ!」
と、星蘭さんは嬉しそうに言った。
そこで俺はちょっと後悔した。
なんだか面倒くさいことになりそうな気がする。
すると彼女はあろうことか、自らのシャツの胸元に躊躇いもなく片手を突っ込んだ。
「「えっ!?」」
ギョッとして、俺と月花はまたしてもシンクロした。
星蘭さんが手を引き抜くと、その長い指先には白い紙のようなものが抓まれていた。
「じゃっじゃーん!」
彼女はこれ見よがしに、俺たちの鼻先へその紙を突きつけた。
特殊な形に切られた、何の変哲もない薄い紙だった。
それは漢字の『大』のような形をしていて、見方によっては人間の身体の形にも見える。
「何ですかこれ?」
「ご存知、『しきがみ君』でーっす!」
「えっと……?」
しきがみ君と名付けられたそれの用途は、俺には見当もつかなかった。
というか、なんで胸の谷間に忍ばせてあるんだ。
「これで占いをするとね、すっごくよく当たるんだよ!」
「占い?」
「うん。あたし、オカ研に所属してるんだあ」
「おかけん……?」
そう聞き返したのは月花の方だった。
オカ研とは、オカルト研究部の略だ。
その名の通り、オカルトに関する事柄を研究する部活動のことである。
「今日の占いではね、ラッキーアイテムが白いタンポポなんだよ!」
「ああ、それでタンポポを探しに来て、……だから今は部活動中で……それで制服を着てるんですね?」
「そうそう。その通り!」
理解できるまで、長い道のりだった。
たかが制服を着ている理由を問うだけで、ここまで体力を使うとは。
「あっ、ちなみに部員は今絶賛募集中だからね。興味があればぜひ!」
そう爽やかに宣伝されるも、現在の部員は星蘭さんのみ、ということだった。
◯
完全に彼女のペースに乗せられるうちに、俺たちを乗せたゴンドラは山上へと辿り着いた。
外に出て空を仰ぐと、頭上には灰色がかった雲の層が一面に広がっていた。
予報通りなら今週中には梅雨入りする予定で、じめじめとした空気が肌に纏わりつく。
「おっほん。それではこれより、白いタンポポ探しの始まり始まりーっ!」
星蘭さんは片方の拳を振り上げ、高らかに宣言した。
その際、反動でバストが大いに揺れたのが、白いカッターシャツ越しにもよくわかった。
なんとなく気まずくなった俺は、見てません、とばかりに即座に視線を逸らした。
しかし隣にいた月花はまじまじとその様子を凝視してしまったようで、その視線に気付いた星蘭さんが「んっ?」と彼女を見返した。
「おやおや? あたしの胸に何か付いてるかにゃ?」
そりゃもう爆弾をぶら下げているようなものですが。
月花には少々刺激が強すぎる質問かもしれない……と思いきや、
「あっ、いえ……胸が大きいなあと思って」
まさかの直球で答える月花。
さすがは天然娘。
この反応には星蘭さんも予想外だったようで、「なななんとっ!」と大袈裟に後ずさってみせる。
「そんな純潔無垢っぽい顔をしながら、まさかそんな下心を持ってあたしの胸を見つめるとはっ! そんなスケベな輩には、こうじゃ――っ!!」
「!? ひゃああっ!?」
妙な解釈を入れつつ、星蘭さんはまるで獣のように月花の背後から襲いかかった。
そうして両脇の下から手を回し、月花の白いワンピースに隠れたささやかすぎる胸の膨らみをしっかりと掴む。
「んにゃははははっ!」
軽快な笑い声とともに、彼女は月花の小さな胸を揉みしだき始めた。
「! っ……ひゃっ、やめっ、やあ……っ」
嗜虐心を煽るような声で、甘い悲鳴を上げる月花。
華奢なその身体を揺する度、月花のツインテールと星蘭さんのポニーテールとが右へ左へと艶めかしく揺れる。
男子禁制のエデンとでも言うべきか。
俺は目のやり場に困りつつも、その異様な光景の行く末を黙って見届けるしかない。
……しかしこうして改めて並べてみると、二人の身体の発育の違いは一目瞭然だった。
生まれた年が一つ違うとはいえ、それを差し引いたとしても、ここまで差が出るものなのか――としみじみ考えていると、不意に涙目の月花がキッとこちらを睨み、
「い、いま……ひどいことを考えていませんでしたかっ!?」
「えっ!?」
彼女には珍しく、眉尻が怒ったように吊り上がっていた。
まるで俺の心を見透かしているかのようだった。
女の子ってのは、どうしてこう勘が働くのだろう。
俺は否定することも肯定することもできず、その場で石化したように沈黙を決め込んだ。




