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4.キスの相手

 


 星蘭さんは俺たちとかなりの差をつけると、今度は校舎の中へ入った。


 数十秒の遅れを取って、俺たちもその後に続く。

 すると下駄箱の辺りにはすでに誰もいなかった。


 彼女の姿を見失ったことで、それまで『鬼ごっこ』だったはずの戦いは、ほぼ『かくれんぼ』へと様変わりした。






       ◯






 俺たちは手分けして校舎の中を駆け回った。


 時折「廊下を走るな」と教師に注意されたり、星蘭さんだと思って声を掛けたら全くの別人だったり、誤って女子が着替え中の教室を覗いてしまったりと(断じて故意ではない)ハプニングが続いたものの、最終的には食堂で呑気にお菓子を食べていた星蘭さんを俺が発見した。


 すぐさま逃げ出そうとする彼女を、たまたま鉢合わせた雲水と俺とで挟み撃ちにする。


「もう逃げ場はありませんよ、星蘭さん」


 そう言ってじりじりと壁に追い詰めていくと、なんだかこっちが悪役になった気さえした。


 といっても真剣にやっているのは俺だけで、雲水は隣で片手間にスマホをいじっているのだが。


「うーっ、やだやだ! まだ捕まらないもん!」


 そう駄々をこねるように地団駄を踏む星蘭さん。

 すると彼女は、今度は奥の手といわんばかりに自らの胸の谷間へと右手を突っ込んだ。


「なっ……」


 この光景は前にも見たことがある。

 以前見たときは確か、そこから『しきがみ君』を取り出して――。


「まずい。式神だ」


 雲水が言った。


「式神? って、『しきがみ君』のことか? ……って、早!!」


 俺が聞き返したときにはすでに、雲水は近くのテーブルの下へと身を隠していた。


「気をつけた方がいいよ、旭。式神はけっこう強いから」

「強いったって……あんなのただの紙だろ?」


 一体何に気をつけろというのか。


 首を傾げる俺の前で、星蘭さんは谷間から右手を引き抜いた。


 その指先には、例の小さな紙――ではなく、全長二メートルはあろうかという巨大な人型の白い紙が握られていた。

 一体どこに仕舞い込んでいたのかは不明だが。


「いっけえ、しきがみ君! 旭ちゃんを抱きしめちゃえっ!」

「えっ……えええっ!?」


 星蘭さんが『しきがみ君』を放り投げると、それは勢いよく俺の方へと迫った。


 一体どういう仕組みで動いているのかはわからないが、目の前まで迫ったそれは全身をしならせ、彼女の言った通り俺の身体にがっちりとしがみつく。


 そして、


「いっ……でえええええぇぇッ!!」


 痛みのあまり、俺は叫んだ。


 みしみし、と骨の軋むような音がする。


 しきがみ君――もとい『式神』は、その見た目の大きさ通り、大の大人が誇るような力強さで俺の全身を締め付けた。


「にゃははっ。ごめんね旭ちゃん。あたしは先に退散させてもらうよん」

「ひっ……卑怯ですよ、星蘭さん……!」


 ぎりぎりと全身を締め上げられ、息が詰まる。


「えー。別に卑怯なんかじゃないよ? だって、しきがみ君はあたしの分身だもん」

「分、身……?」

「そう、分身。つまり、あたしにとっては第二の身体ってこと! あたしの身体がゲームに影響を与えても、別にルール違反にはならないよねっ」


 この無機質な白い紙が自分の身体の一部であると、彼女は主張する。


 確かに、以前に見た『しきがみ君』も、まるで生きているかのようにひとりでに動いていたように思う。


 これが神様の力ってやつなのか?


「く、そ……っ」


 かろうじて動く左手を伸ばし、式神の端を指で抓む。

 そうして何とか引っ張ろうとしてみるが、びくともしない。


 さすがにこんな微弱な力では何の意味も成さないのか――なんて思っていた矢先。


「ひゃうっ……!」


 突如、星蘭さんが高い声で鳴いた。


「! 星蘭さん……?」


 彼女が声を上げたのと同時に、式神の力がふっと弱まった。


 星蘭さんは全身を硬直させたように固まっている。

 その様子はまるで、見えない力に不意打ちをくらったかのようだった。


 俺が式神に刺激を与えた瞬間に、この反応。


 これは、もしかして。


「まさか、この分身……星蘭さんの身体と連動してるのか?」


 試しに、今度はちょっと強めに同じ部分を抓んでみると、


「にゃあんッ!」


 さらに甲高い声で星蘭さんは鳴き、びくびくびくっと全身を震わせた。


 何かに耐えるようにきゅっと閉じられた瞳の奥から、じわりと涙の粒が溢れる。


 スカートの下に伸びる長い足は、もじもじと膝を擦り合わせて揺れていた。


 どうやら本当に連動しているらしい。

 続けて他の部位にも刺激を与えてみると、その度に星蘭さんは身を捩って鳴き続けた。


 そのうち式神はくたりと脱力し、ただの紙と同然になる。


 たまらずその場に倒れた星蘭さんは、仰向けになったまま赤い顔をして、はあはあと息を荒げていた。


「あうぅ……。ひどいよぉ、旭ちゃん……」


 弱々しく言った彼女の口元からは、一筋の涎が垂れていた。


 その光景に、俺はごくりと喉を鳴らした。

 これは、かなり目の毒だ。


「ちょっと、旭!」


 俺が呆然と立ち尽くしていると、いきなり雲水が俺の胸倉に掴みかかってきた。


「やりすぎでしょ。ボクの姉さんに何てことするのさ!」


「あ、いや、別に悪気は――」


 そう弁解しようとして、俺は固まった。


 目の前に迫った雲水の顔は、いつになく真剣だった。


 普段のチャラチャラとした雰囲気はどこにもない。

 怒っている、と一目でわかる。


 自分の姉を弄ばれた、と考えれば無理もないかもしれない。


 けれど、あの雲水がここまで感情的になるというのはちょっと意外だった。


 思えば以前から、星蘭さんのことが絡むと彼は彼らしからぬ行動を取ることが多かった。

 普段は自分以外のことなんて何とも思っていなさそうなのに、星蘭さんのこととなると途端に言動が荒くなる。


 それだけ星蘭さんのことを大切に思っているのかもしれない。


 けれどそれは、血の繋がった姉弟だから――という理由だけで片付けるには、少し反応が過剰に感じられる気もするのだが。


「雲水くん、何してるの!?」


 と、そこへタイミング悪く日和の声が届いた。


「旭さん、大丈夫ですか……!?」


 月花の声もする。


 見ると、二人の少女は食堂の入口で怯えるようにしてこちらを見つめていた。


 たったいま到着した彼女たちからすれば、この場の状況を理解するのは難しいだろう。


 標的である星蘭さんを目の前にして、なぜか俺と雲水は揉めているのだから。


「……にゃは。やってくれるねえ、旭ちゃん。こっちも仕返しだよっ!」


 そんな星蘭さんの楽しげな声が、足元から聞こえた。


 瞬間。

 俺の胸倉を掴んでいた雲水の手が不意に力を失って、ゆるゆると離れていった。


「……う」


 雲水は苦しげな吐息を漏らすと、そのまま崩れるようにして床へ膝をついた。


「雲水?」


 様子がおかしい。

 その場に座り込んだ彼の顔を覗き込もうとすると、


「月花さん!」


 入口の方から、日和の焦ったような声が聞こえた。


 何事かとそちらへ目をやると、心配そうに見守る日和の隣で、月花もまた同じように、ぺたりとその場へ座り込んでいた。

 苦しそうに肩で息をしながら、俯いた顔を真っ赤にさせている。


 再び雲水を見ると、こちらも同じような状態だった。

 額から汗を流し、明らかに熱を孕んだ目は虚ろになっている。


「これは、病のせいか? なんで今急に……」

「にゃはっ。心配しなくても、キスをすればそれで落ち着くよん。今はちょっと症状を強めにしただけ!」

「なっ……」


 その隙に、星蘭さんは月花たちの横を通り過ぎて廊下に出る。


「ほらほら、早くしないとあたしが逃げちゃうよん!」


 そう言って、彼女は楽しそうにスキップをしながら階段の方へと駆けていった。


 その背中を見送って、俺は歯がゆい思いに苛まれる。


 早く、とは言われても。

 それはつまり、早くここでキスをしろということだ。


 とにかく俺と日和はお互いの位置を交代するように、俺は月花のもとへ、日和は雲水のもとへと走り寄った。


 だが、


「…………」


 お互いの目がある前で、キスをするのには躊躇いがあった。


 俺は月花の上半身を抱き起こしたところで、思わず動きを止めた。


 日和も、雲水の傍へしゃがみこんだまま同じような状態になる。


 しばしの沈黙。


 やがて痺れを切らしたのか、雲水が弱々しい声で言った。


「日和ちゃん……そんなにボクとキスをするのが嫌?」


 その声にはどこか嘲笑めいたものが滲んでいた。


「え、えっと……」


 日和は口をもごもごとさせ、また黙り込む。


 何も答えない彼女の代わりに、雲水はくすくすと喉の奥で笑いながら言った。


「だよねえ……。日和ちゃんは旭のことが好きなんだもんね」


 その事実が告げられたとき、俺の手の中で、月花の身体がわずかに震えた気がした。


「ねえ、旭」


 すると今度は、雲水は不意に俺の方へと視線を向けて、


「交換しようよ。日和ちゃんと、月花ちゃん」


 そんな突拍子もないことを言いだした。


「な、なに言って……」

「旭と日和ちゃんってさあ、両想いなんでしょ? お互い好きでもない相手とキスをするなんて不毛じゃないか。なら、ボクと月花ちゃんがキスをすればいいんだよ。お互い白雪姫なんだからさあ、それで丸く収まると思わない……?」


 そう言った彼の口元には例のいやらしい笑みが浮かんでいたが、額には大量の脂汗が滲んでいた。

 熱のせいで冷静な判断ができなくなっているのかもしれない。


 けれど、彼の言うことは実際のところ理に適っている。


 白雪姫の二人がキスをすれば、俺と日和は解放されるのだから。


 でも、


「いきなり何を言い出すんだよ」


 俺は認められなかった。


「雲水。お前はそれでいいのかもしれないけど、月花は違うだろ。月花はお前と違って、キスをする相手が誰でもいいだなんて思っていないんだから」

「ウソ言わないでよ」


 間髪入れず否定されて、俺は一瞬怯んだ。


「旭だって、月花ちゃんとは付き合ってないんでしょ。彼氏でもない男とキスをするのは月花ちゃんだって同じじゃないか。ボクと何が違うのさ?」


 その声には段々と苛立ちの色が目立ち始めていた。


「言っとくけどさあ、旭だってボクと同じだからね。付き合ってるわけでもない女の子と毎日キスをしてるんだよ。それも、好きでもない女の子と。旭、お前は日和ちゃんのことが好きなんでしょ? なんで日和ちゃん以外の女の子とそんな風にキスができるのさ?」


 雲水はどんどん饒舌になり、俺と月花との関係を非難する。

 病による高熱が、彼の激情に拍車をかけているのかもしれない。


「ほんと言うとさ、ボクが日和ちゃんをキスの相手に選んだのは、旭……お前のその態度がムカつくからなんだよ」


 その発言に、俺は水を浴びせられたような気がした。


「なん、だって……?」


「月花ちゃんのためだとか言って、善人ぶってキスをして、それで結局、自分自身が傷ついてさ。ほんと、バカみたい。見ていてイライラしたよ。だから焚きつけてやりたくなったんだ。旭、お前が本当に好きなのは日和ちゃんなんだろって」


「そんな……そんな理由で、日和を巻き込んだのか?」


 思いがけない暴露に、俺は喉の奥がカラカラに乾いていくような感覚を覚えた。


 そして、疑問に思った。


 なぜ、雲水がここまで俺の行動に対して感情的になるのだろう?


「文句ある? まあどちらにしろ、ボクが日和ちゃんに手を出すのは決まってたけどね。こんな可愛い子をボクが放っておくわけないしさっ……」


 言い終えるのと同時に、雲水は激しく咳き込んだ。


 病の症状を一時的に強めた、と星蘭さんは言っていた。

 ただでさえ高熱を出して倒れるような病なのに、その症状が酷くなった上、こうして無理に話そうとするのは相当の苦痛だろう。


 けれど俺は、そんな雲水の身体を労わってやれるほどの余裕がなかった。


 そのときの俺の頭にあったのは、月花を擁護する言葉でも、日和を利用した雲水への叱責でもなかった。


 ただ、気になっていた。

 目の前で苦しそうに咳き込んでいる雲水の、心の底にある葛藤。


 ――付き合ってるわけでもない女の子と毎日キスをしてるんだよ。それも、好きでもない女の子と。


 雲水がここまで感情的になる原因の、正体。

 その片鱗を今、見つけたような気がした。


「なら、お前はどうなんだよ。雲水、お前は――」


 確信があったわけじゃない。

 けれどカマをかけるようにして、俺は言った。


「星蘭さんのことが好きなんじゃないのか?」


 瞬間。


 雲水の表情が、明らかに強張った。


 

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