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2.縁結びの神

 


「人の個人情報を勝手に詮索しないでよね」


 その一声で、俺と星蘭さんはハッと息を呑んだ。


 声のした方を見ると、いつのまにか部屋の入口に雲水が立っていた。

 制服は濡れてしまったので、今は俺と同じ浴衣姿になっている。


「雲水、お前……白雪姫症候群の原因を知っていたのか?」

「知ってたら何?」


 俺の質問に、雲水は明らかに気分を害した様子で返した。


「何って……。原因を知っているのなら、その解決法も、お前は知っているんじゃないのか?」

「だから、知ってたら何だっていうのさ?」


 否定しないところを見ると、これは肯定と取って良いのだろう。


「決まってるだろ。解決法があるのなら……あいつを助けることができる」


 その可能性に、胸が高鳴るのを感じた。

 病を治す方法があるのなら、月花を助けることができる。


 しかしここで彼女の名を口にすることはできない。

 隣には星蘭さんがいる。

 月花が白雪姫であることを勝手にバラすわけにはいかない。


「残念だけど、ボクは解決法なんて知らないよ」


 雲水はそう、どこか小馬鹿にするように笑って言った。


「知らない……?」

「当たり前でしょ。それを知ってるなら、ボクはとっくに病気を治してるはずだし」

「それは……」


 確かにそうだ。

 自身も白雪姫である雲水が、今もまだ病を克服していないとなると、やはり解決法は見つかっていないのかもしれない。


「なら、調べようとは思わなかったのか? 白雪姫になる原因が本当にこの神社にあるのなら、その解決法だって探せば見つかるかもしれない。それこそ星蘭さんに憑りついている神様ってやつに聞けば――」


「なんでわざわざボクがそんなことしなきゃいけないのさ?」


 俺の声を遮るようにして、雲水は言った。


「別にそこまでして病気を治さなくても、ボクは困らないよ。ボクはいつだってキスをすることができるんだから。女の子には不自由しないしね」


 そう言って彼は口の端を吊り上げ、いつものいやらしい笑みを浮かべた。


 確かに雲水ほど見てくれが良ければ、寄ってくる女の子は多いだろう。


 けれど、そう言った彼の態度に、俺は違和感を覚えた。


 困らない、と言い張る彼の姿は余裕があるというよりも、どこか意地を張っているようにも見える。


「そんなに解決法が知りたければ自分で探しなよ。ボクはそんなものがなくたって生きていけるんだから」


「雲水」


 今度は星蘭さんが口を開き、諭すような声で言った。


「あなたたちの間で一体何があったのか、わたしは知らない。でも聞いて、雲水。もしも旭君が白雪姫のことで悩んでいるのだとしたら、どうか、あなたも旭君の力になってほしいの。これはわたしからのお願いよ」


「星蘭さん……」


「どういうこと、姉さん」


 雲水の顔から、すっと笑みが消えた。


「病が発症するのは、わたしの身体を使った例の人格が原因よ。つまり、このわたしが取った行動によって被害が拡大しているの」


「そんな。星蘭さんは関係ないじゃないですか。意識を乗っ取られているのなら、星蘭さんだって被害者のはずだ」


 もちろん、それは神様とやらが本当に存在するのなら、という話だが。


「ありがとう、旭君。でも……身体を乗っ取られてしまうのは他でもないわたしの落ち度よ」


 やはり根が真面目な人なのだろう。

 彼女は頑なに自分が加害者であることを主張する。


「だからわたしは……できることなら、その被害に遭った人たちの手助けをしたいの。でも、わたしの意識は例の人格と接触することができない。だから――」


「代わりに、ボクを利用するってわけ? 虫がよすぎない?」


 星蘭さんの訴えも空しく、雲水は了承しない。


「だいたいさあ、白雪姫だからって何? キスさえすればそれで発作は治まるんだよ? 何も問題はないでしょ。被害だとか、そんなの大袈裟だよ」


 軽々しく発せられたその言葉に、俺は同意できなかった。


「確かに、お前にとってはそうかもしれない。でも、そんな風に簡単には済ませられない奴だっているんだよ」


「ふうん、そう。まあボクには関係ないけどね」


「ああ、そうだな。別にお前に手伝ってもらわなくたっていいさ。俺は必ず解決法を見つけ出してみせる。その神様ってやつに聞けば教えてくれるかもしれないし」


 俺がそう言い終えるのとほぼ同時に、ゴトリ、と嫌な音がした。


 見ると、星蘭さんが手元の湯呑をひっくり返していた。

 零れたお茶が卓袱台の上を伝い、さらには畳の上へぽたぽたと滴を垂らしている。


 項垂れたまま、彼女は動かない。


「星蘭さん?」


 俺が声を掛けても、彼女は反応しなかった。

 倒れた湯呑もそのままに、首をだらりと前に倒している。

 俯いた顔はよく見えない。


「姉さん……?」


 さすがの雲水も、彼女の異様さに意識を向ける。


 と、そのとき。


 星蘭さんの白衣の胸元から、ぴょこりと小さいものが飛び出した。


「! これは……」


 見覚えのある紙だった。


 変わった形に切り取られた白い紙。

 それは漢字の『大』という文字のようでもあり、あるいは人間が手足を広げたときのような形にも見える。


 あの日――月花と星蘭さんと三人で裏山に登ったときにも見た覚えがある。

 確かあのとき、星蘭さんはこれを『しきがみ君』と呼んでいた。


 その不思議な形をした紙は、一体どういう仕掛けで動いているのかわからないが、まるで二足歩行をするような動きでぴょこぴょこと星蘭さんの胸を駆け降り、ついには卓袱台の上の真ん中までやってきた。

 それから体操でもするように全身をねじったり伸ばしたりする。


 そして、


「……にゃは」


 呆気に取られていた俺の前で、項垂れたままの星蘭さんが笑った。


「残念だけど、そう簡単には教えてあげないよ。旭ちゃん」


 その声は普段の落ち着いた星蘭さんのものではなく、子どもっぽい、明らかに別人のものだった。


「星蘭、さん……」


 人格が、入れ替わった。


 それぞれの性格が正反対のため、一目でわかる。


「あたし抜きで話を進めないでよ。今日は写真のことでここに来ただけでしょ? 白雪姫のことなんて聞いてないよ?」


 そう言って顔を上げた星蘭さんは、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 にひひ、と笑った口元からは可愛らしい八重歯が覗いている。


 以前なら、ただ幼い仕草だと思って眺めていたそれ。

 しかし事情を知った今となっては、そういう無邪気な姿さえすべて演技なのではと思えてくる。


「星蘭さん――いや、何て呼んだらいいのかわからないけど……あなたは、白雪姫症候群を発症させた張本人、なのですか?」


 無理やり丁寧な言葉を遣おうとしたせいで、かえって不躾な物言いになったかもしれない。

 けれど遠回しに言っても仕方がない。

 俺は単刀直入に聞いた。


「えー、そっちの話がメインになっちゃうの? まあ、確かに雲水ちゃんたちを白雪姫にしたのはあたしだよ。今まで何人やったかはわかんないけど」


 あっさりと肯定されて、俺は面食らった。


「どうして……そんなことをしたんですか?」


「どうしてって、そうした方が良かったからだよ」


 まるで当たり前のことを話すように、彼女は言った。


「あたしは縁結びの神だもん。恋愛に悩んでいる人がいたら、ついつい手を貸したくなっちゃうんだよねえ」


「縁結び? ……手を貸す、だって?」


「うん、そうそう!」


 まるで悪びれる様子はどこにもなかった。

 どころか、むしろ彼女は良かれと思って行動した風に見える。


「時々いるでしょ? 恋に悩んで、うじうじしてる人。そういう人は悩んでるだけじゃ前に進めないんだから、いっそキスをしなきゃいけない! っていう状況を作ってあげた方がいいんだよ。キッカケを作ってあげる、っていうのかな」


「!」


 その例え話は、俺にとってはまるで他人事とは思えなかった。


 失恋して落ち込んでいたとき、前に進むためのキッカケを求めていたのは俺も同じだから。


「雲水ちゃんだってそうだったよ。雲水ちゃんってば小さい頃からずっと星蘭のこと――」


「ちょっ……やめてよ!」


 突然大きな声を出して、雲水が止めに入った。


「ボクのことは関係ないでしょ。旭は病気の治し方を聞いてるだけじゃないか。さっさとそれだけ教えて、あんたは早く姉さんの身体から出てってよね」


「むー。雲水ちゃんってば冷たあい!」


 それから二人は口論を始めた。

 普段からこういうやり取りを家で繰り返しているのだろうか。


 話の内容を聞く限り、どうやら雲水は白雪姫症候群に対してそれほど深刻には考えていないらしい。

 それよりも、星蘭さんの身体に他の人格が入り込んでしまうことの方を問題視しているように見える。


 対する星蘭さん(別人格)は相変わらずの調子で、受け答えもすべて遊び半分でやっているような印象があった。


 放っておくといつまでも続けそうだったので、俺はコホンと一つ咳払いをしてやった。


 二人がそれに気づいて俺の方へ視線をやったとき、俺は畳の上に指をついて、深々と頭を下げた。


「お願いです、縁結びの神様。どうか……白雪姫症候群の治し方を教えてください」


 しん、とその場は静寂に包まれる。


「……旭ちゃん。そんなに白雪姫が嫌なの?」


 心なしか、元気をなくしたような星蘭さんの声。


 俺は恐る恐る彼女の顔色を窺った。


「いや、俺がっていうか……俺の友達で、困ってる奴がいるんです。だから治してやりたくて」


「うーん……もったいないと思うけどなあ」


 おそらく納得していないのだろう。

 大きな胸の前で腕をこまねきながら、星蘭さんは不満げな声を漏らす。


「お願いです。本当に困ってるんです」


「まあ、そこまで言うなら治し方を教えてあげてもいいけどねー」


「本当ですか!?」


 意外とあっさり受け入れてくれたことに、俺は目を輝かせた。


 しかし、


「うん。でもタダってわけにはいかないかなあ」


「え?」


「鬼ごっこであたしに勝ったら、教えてあげてもいいよん」


「……鬼ごっこ?」


 唐突に、彼女の口から飛び出した『鬼ごっこ』。


 まさかの交換条件に、俺は間抜けな顔で固まった。


「そう、鬼ごっこ! スタートは明日の放課後。あたしが鬼で、参加人数は無制限だよ。誰か一人でもあたしを捕まえてキスすることができたら、教えてあげるっ」


「なっ……キス!?」


 さらりと難易度の高い条件が放り込まれる。


「ちょっと待ってよ!」


 星蘭さんの無茶ぶりに、待ったをかけたのは意外にも雲水だった。


「キスができたらって、簡単に言うけど……その身体は姉さんのものだよ? 勝手なこと言わないでよ。鬼ごっこなんて、あんたが勝手にやりたいだけでしょ?」


「えへへー。もしかして妬いてるの? 雲水ちゃん」


「なっ……」


 星蘭さんが茶化すように言って、雲水は言葉に詰まった。


「そんなにお姉さんのことが好きなら、明日は雲水ちゃんがあたしにキスをすればいいんだよ。だから雲水ちゃんも、鬼ごっこには必ず参加してね!」


「ちょっ、何言って」


「それじゃね。あたしはもう眠るから。また明日、放課後にねっ」


「待ってよ。おい、このガキっ……!」


 雲水は咄嗟に星蘭さんの肩に掴みかかったが、意味はなかった。


 彼女はふらりと脱力し、雲水の手の中に崩れ落ちる。

 そうして数秒と経たないうちに意識を取り戻すも、


「あら? わたし……」


 そこにいたのは本来の星蘭さんだった。


 別人格の消失に連動するようにして、卓袱台の真ん中に立っていた『しきがみ君』も、ぱたりと力尽きたように倒れた。






       ◯






「……そう、ですか。それで鬼ごっこを」


 翌日の昼休み。


 弁当箱を膝に乗せたまま、月花は唸るように言った。


「頼む、月花。一緒に星蘭さんを捕まえてくれ!」


 ぱんっ、と俺は顔の前で手を合わせ、必死に頭を下げた。


「は、はひっ……!」


 びくっと彼女の肩が跳ねる。

 俺の勢いにびっくりしたのか、彼女は手にしたクッキーを落っことしてしまった。


「も、もちろんですよ。だってその鬼ごっこは……私のために用意してくれたのでしょう?」


 そう言って、ほんのりと照れたように笑う。


 久々に見る彼女のやわらかい表情に、俺は胸の辺りが温かくなるのを感じた。


 数日ぶりの、二人そろってのランチだった。


 その日は幸運にも雨は降っていなかった。

 晴れとはまではいかないが、空に広がった雲は所々に隙間がある。

 この分だと放課後も雨の心配はなさそうだ。


「でも……」


 と、月花は少しだけ何かを気にする素振りを見せた。


「どうした? 月花」

「いえ、その……」


 どこか言いにくそうに躊躇してから、彼女はおずおずと口を開いた。


「もしも病が治ったら……こうして、一緒にお弁当を食べる必要もなくなってしまいますね」


 そう指摘されて初めて、俺は気づいた。


 もしも月花が白雪姫でなくなれば、彼女はもう誰ともキスをする必要がない。

 それはつまり、俺とこうして昼休みに会う必要がなくなるということだ。


 病が治れば、彼女はもう俺には会ってくれないかもしれない。

 俺たちの今の関係を繋いでいるのは、他でもない病の存在なのだから。


「……そっか。そうだよな。俺たちって、キスをするためだけにここにいるんだもんな」


 月花は何も答えない。

 黙ったまま、やや低い位置へと視線を落としている。


 そんな俺たちを急かすようにして、校内には予鈴の音が響き渡った。


「時間、ですね」

「ああ……」


 それを合図に、俺たちはお互いの顔を見つめ合った。


 月花の垂れ目がちで大きな瞳が、まっすぐに俺の目を射抜く。


「それじゃあ、月花……目を閉じて」


 俺が言うと、彼女はこくりと一つ頷いて、ゆっくりと瞼を下ろした。


 これで最後になるかもしれないキス。

 そう考えると、途端に寂しい気持ちになった。


(……いや、これでいいんだ。月花のためにも、必ず病を治さないといけないんだから)


 俺が寂しいからといって、これ以上この関係を続けるわけにはいかない。

 俺の身勝手な感情のために、月花を束縛するわけにはいかないのだ。


 瞳を閉じたまま待っている彼女の両肩に、俺はそっと手を乗せた。


 すると、ぴくりと彼女の肩が小さく跳ねる。


(これが、最後の……)


 そのままゆっくりと顔を近づけ、彼女の唇に優しく口づける。


 ふわりと触れた、やわらかい感触。


 蜂蜜の味、なんて言う奴もいるけれど。

 俺にはキスの味なんてわからない。


 でも、この瞬間のキスだけは、特別な『甘さ』を感じた。


 できることなら明日も、明後日も、こうやって彼女とキスがしたい、なんて思ってしまう。


 いや、キスなんかしなくてもいい。


 ただ、彼女に会いたい。


 会って、話をするだけでもいい。


 たとえ彼女が白雪姫ではなくなってしまっても、俺は、どこかで彼女と繋がっていたい。


 そう願ってしまうのは、俺のわがままなのだろうか……。


 

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