ハガキキ
ハガキを洗うのが好きだった。
まな板を洗っているときよりも、私はハガキを洗っているほうが好きだ。
つらい昔を思い出す。
今日も、白い精神病院は、ランプの光で、うっすらと赤く明るくきれいに光る。
だから、私はハガキをあらう。一本一本丁寧に、じっとりと洗っていく。
4年前のハガキも洗う。いつくしみのように、じわじわと洗っていく。
泡は、ハガキを明確に洗っている。
ハガキに対しては、泡はやさしく、みやみやと、緑みたいに洗っていく。
私の指と泡と、ハガキの組み合わせは、木で出来ているみたいに、
精巧に組み合わさっていて、ときどき、指を動かせないぐらい、じんじんしてしまうことがある。
ハガキの角は、少し、臆病にリンとしていて、
それがいやで、でも、私はとくにその部分には触れない。
空気のように、ハガキと泡の間に、空気がある。
そして、私は疲れ、ハガキを地面に置く。しゅわしゅわと泡がハガキを纏っている。
玄関の印象がある。
本当に、大事な玄関だ。
だから、私は見る。しかし、急にその白さがいやになってくる。
私は意図的に目を逸らしてやるのだ。
私は、もう一枚ハガキを手に取り、ハガキに切手を貼って、しまう。
紙が好きだ。
だから、私はそのとき、私の指の肌色が、切手のようにハガキに貼られてしまう気がしてくる。
だから、私はいやになってくる。でも、ハガキはきれいだ。
だから、私はハガキから逃れるために、赤色を見るようにしていたりしている。
赤色は、飲んでいるように、赤色をあくまでも赤色アピールしていた。
どうせ、と思う。
でも、そのあたりで、私はあまり考えるのをやめてみる。
ベットに横になって、目を閉じる。
ハガキは消える。
翌朝も、ハガキに会う。
だから、私はメガネを、かけるのがいやだ。
だから、私はメガネを、かけるのがいやで、だから、ハガキは今日も、白い。
月も白い。でも、ハガキはもっと白い。
白さが目に光る。壁は白い。鉄格子も白い。キラッ。としている。
きらきらきらきらと明白に光っているその白い光は、すこしずつ、目にひびいてくるような感じだ。
でも、そんなとき、私は少し落ち着くので、大丈夫だ。
医者が来る。医者も白い。わたしは、医者の手が赤くなっているのを見て、
少しいらいらしてしまう。そして、医者の手、首、のあたりを見ると、
ジン、と白さがあるので、そして、やぶさかながらその手首から腕をたどると、
じつは白さは続いていて、医者は白い。
白が化け物のように動いているのだ。それは、化け物らしさを凛冽に白さを
表していて、化け物のように白い。
白さが、飲んでいるように白いのだ。白はうまみを白くしているみたいで、
医者は今日もカルテを持って、そのカルテは青で書かれているのにちがいない。
私は敏感だ。 白 青 赤。
赤赤赤赤赤赤。
つまり、私は急に、構成しているものがあるような気がしてくるけど、それはタンパク質の
作用にちがいない。この世は淡泊質によって、あわめられているので、
赤は貴重なのだ。だから、私は医者の赤が好きだ。
医者は、食べる。グレープフルーツを食べている。
きっと、どこでも泡目てるにちがいない。
だから、グレープフルーツはあわめない。
だから、カルテは青で書かれている。
だから、グレープフルーツはあわめられていない。
そこまで考えて、わたしは急に赤を作りたくなる。赤だけの果実を食べさせたくなる。
そうすれば、医者の白が、真っ赤に染まって、血のようにその医者も
カルテを高速で書くに違いないのだ。
そして、病院は経営される。
ハガキはやぶれない。だから、私はシーツを破る。
びりびりと破る。
しかし、手に白さが残るばかりで、なぜか、私はシーツを破っているように、
どんどんシーツを破っていく。
泡のように、手は白くなっていく。
そして、思い切ってハガキも破ると、手が血で染まる。
どうやら、ハガキのなかには、血がたっぷりと入っていたらしい。
だから、私は笑う。
でも、手は血で染まっていくけど、それを見ても、私はあまり何も思わない。
だから、私は手でハガキを破る。
そして、ハガキは息をしているように、びりびりと破れていく。
その姿がおいしそうだ。
でも、私はいらいらする。そして、ふと可哀そうになる。
そのハガキは、白さを保っていたのに、私は赤くしてしまった。
血はおいしい。私の口に、血はゆらゆらと付く。
そして、私は手を食べる。すると、爪が欠けていく。
そして、シーツを破る。すると、白さが目につく。手を、食べる。
爪が割れる。そこで、私はハガキのことを忘れる。
でも、ハガキはどこかで私を見ている。だから、私は破る。
シーツは8等分も9等分もされていて、
私はいらだつ。
白さは、病院を凛冽に照らし出している。
血は、手に残った。