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栽培

作者: 山田さん

死刑問題を漠然と考えていた時に思いついた話です。

 ドアをノックする乾いた音が響いた。看守は無表情にドアを開け、入ってきた女性と目で挨拶を交わした。何度も繰り返された光景。

 また面会の時間だ。

「いい加減、一気にケリをつけてもらえるかな?」と囚人がその女性に話しかける。

「まだよ。あんたにはもっともっと苦しんで欲しいの」

 女性の名前は順子。十二年前に夫と一粒種の幼い娘を殺されている。

「俺はもう、充分に苦しんでいるよ。さっさとやっちまったらどうだ」

 囚人の名前は片桐。順子の夫と娘を殺した男。


 片桐の犯行はこうだった。夕刻五時頃、順子が買い物に出た隙を見て片桐は家に盗みに入った。夜九時を回らなければ夫は帰宅してこない。

 家に残っているのは、泣くことしか出来ない赤ん坊と、その赤ん坊を子守りする年老いた順子の母親だけ。事前に下見をして得た情報だ。

 順子の母親に対しては最初から刃物で脅すつもりでいた。赤ん坊は無視すればいい。

 片桐は右手に刃渡り十センチ程の包丁を握りしめ、大胆にも表玄関から家に入り、土足のまま廊下を進んだ。最初に襖から顔を覗かせるのは順子の母親のはずだった。ところがその日に限り、夫は微熱のために会社を早退していた。順子の母親は所用で実家に戻っており、残されていたのは赤ん坊と微熱で虚ろになっている夫であった。片桐の計算はこの時点で狂った。咄嗟に握り締めていた包丁で、不審に思い近づいてくる夫の腹部を刺した。

 自分の計算違いが気に入らなかったのだろうか。片桐は何度も何度も包丁を突き刺した。奥で赤ん坊が泣き始めた。耳の奥に突き刺さるその赤ん坊の泣き声が片桐を更に苛立たせた。

「うるせぇんだよ。くそガキ」と片桐は呟くと、自分に倒れ掛かってくる血まみれの夫を邪魔だとばかりに廊下に投げ捨て、半分開いた襖を乱暴に押し開け部屋の奥に進み、ベビー・ベットで泣き喚いている小さな肉塊に包丁を突き刺した。

 物音に気がついた隣人が、廊下で真っ赤になって倒れている夫を見て、悲鳴を上げた。片桐はその部屋の窓から庭に降り、垣根を夢中で飛び越え逃亡を図った。しかし、その日の夜九時少し過ぎ、本来ならば夫が帰宅する時刻にはパトカーの中にいた。複雑さを増す犯罪の中において、この事件は「平凡な殺人事件」としてマスコミを多いに賑わせた。

 一時間程の買い物を済ませ、帰宅した順子を待っていたのは、数台のパトカー、救急車、そして順子を伏目がちに見つめる隣人達であった。

 何が起きたのか全く判らない順子に、事の真相を告げたのは彼女の母であった。警察からの連絡で血相を変えて順子の家についた母は、変わり果てた二つの肉塊を見て、言葉を失った。母が順子に起きてしまった事を告げても、順子には何がなんだか判らなかった。救急車へと運ばれる二つの真っ赤な肉塊を見てようやく事の真相が理解出来たところで、順子は腰から崩れるように母に向かって倒れ、気を失った。母は順子の体を支えることに集中した。

 そうすればこの忌まわしい出来事が忘れられると信じているかのように。そんな母も三年前に病死した。


「なぁ、よく見てくれよ。俺はほら、この通り身動き出来ない状態でもう二年になるんだぜ」

 片桐の体は首から上を残して、土に埋められている。科学合成されたその土は片桐の体を腐敗から守るばかりか、暑さ、寒さ、湿気、乾燥、そして殆どの細菌類の侵入をもシャット・アウトしている。三畳程の小さいスペースのほぼ中央に片桐の頭がある。四方は白い壁に囲まれ、天井には蛍光灯、そして小さな机と椅子。それ以外には看守と順子、そして理髪屋が出入りするドアのみがある。

 七年前に片桐に言い渡された判決は死刑だった。しかし、その前年に死刑となった囚人が、実は誤認逮捕だったことが発覚。世論はあっという間に「死刑廃止」に傾いた。その風は政府をも動かし、今から四年前、片桐に判決が言い渡された三年後に死刑は廃止となった。

 その時点で無期懲役が最も重い刑となったが、今度は「死刑容認派」が騒ぎ出した。片桐の起こした「平凡な殺人事件」を取り上げ、被害者の受けた精神的、肉体的苦痛、死に対する恐怖心、残された遺族の悲しみを加害者にも与えるべきだ、という世論が吹き荒れた。片桐はあっという間に、この世で最も憎むべき犯罪者の烙印を押された。混迷した政府はひとつの「プロトタイプ」を作り上げ、その場を凌ぐことにした。ただし、この刑罰に関する詳細の発表は控えた。発表すれば世論が再度混乱することは明らかだった。

「一つのプロトタイプを実施します」というアナウンスのみがあり、その内容については極秘という名の元に伏せられた。マスコミはこぞってその真相を探ろうとしたが、半年もすると誰も話題にしなくなった。

 死刑は行わない。終身刑は採用しない。その代わり、囚人の身辺の自由を全て奪い、その囚人の生死を遺族に委ねる。遺族はその囚人の命を奪うことが許される。勿論、殺人罪は適応しない。三十年経過しても囚人が存命していた場合のみ、囚人に自由の身を与える。その「プロトタイプ」が実行されたのが今から二年前、片桐に死刑判決が言い渡された五年後。その「プロトタイプ」に選ばれたのが片桐であり、遺族の順子であった。片桐は頭のみを地上に残し、首から下は特殊な土の中に埋まっている。息を吸い、食物を食べ、水を飲み、そして話すことは出来る。それ以外の自由は土によって阻まれている。

 特殊なパイプが片桐の性器、及び肛門に取り付けられ、排泄はそのパイプを通して行われる。定期的に理髪屋がやってきて、片桐の髪を坊主にし、不精髭を丁寧に剃っていく。食事、飲み物等は、大抵は順子が持参する。順子が自らスプーンや箸、ストロー等を片桐の口元に運んでやる。

 余程の用事が無い限り彼女は毎日ここに通い詰めている。その間の彼女の生活費等は、全て政府から支給される。つまり税金である。

 彼女は、片桐に夫と愛娘を殺された被害者であるばかりでなく、片桐の命を「管理」する「公務員」的な存在でもある訳だ。

 片桐を殺す方法は三通り許されている。一つは餓死。看守には水分のみを与えることが許可されている。順子が食事を与えなければ一ヶ月程で片桐の呼吸は止まる。もう一つは薬物投与。致死量に足りる青酸カリを飲み物に混ぜて与える。片桐は泡を吹きながら一瞬にしてその生命を絶たれる。

 最後の一つが電動ノコギリ。片桐の首の周りに出血を最小限に留める薬品を塗り、悲鳴を上げないように口には猿轡をし、目が飛び出さないようにしっかりとまぶたをテープで固定する。その状態で頭からすっぽりと布を被せる。後は布に縫い付けられた「切り取り線」に沿って電動ノコギリの刃を進めていけば終了する。


「なあ、奥さんよ。もういいだろう」片桐は順子に哀願するように訴える。「もう充分じゃないのかい?」

「だめよ。充分じゃないわ」順子は低い声で冷たく言葉を続ける。「もっと苦しんで欲しいの」

 順子には判っている。片桐は死にたがっていることを。以前、五日程面会に来られない日があり、六日目に食事を持って片桐の前に現れた時に順子は目を疑った。顔色は土に近く、目は閉じきったまま。口をだらしなく開け、呼吸をする音のみが聞こえる。「このままじゃ死んじゃう」と順子は焦った。

 一週間程、栄養の付く食事、栄養剤、薬等を与え、ようやく元の片桐に戻った時、順子は安堵した。しかし、片桐は絶望した。何の変化もない毎日。

 体を動かすことも出来ず、会話を交わせる人物は看守、理髪屋、そして順子の三人のみ。性器にパイプを装着された時の羞恥心や、土を被せられて行く時のあの嫌な重みの感触は消える事がない。他の人間と同じように、呼吸し、食べ物を食べ、飲み物を飲み、髪の毛は伸び続ける。土に埋まった手や足の爪もきっと伸びているはずだ。そして他の人間と同じように物を考える事が出来る。片桐にとって一番嫌だったのは、思考の停止を自分の手で制御出来ないことだった。むしろ、思考のみを司る頭だけがこの世に存在し、残りの肉体は無いに等しい。いつ殺されるかも知れない、という恐怖心は早い時期に、この状態がいつまで続くのか、といった恐怖心にとって代わった。

 勿論、順子は片桐を殺したくてうずうずしている。面会に来なければ片桐は自然と死んでいくことを理解していた。幾度となく、手渡された青酸カリを飲み物に混入しようとした。看守に、電動ノコギリを用意して欲しいと何度も頼もうと思った。しかし、出来なかった。殺された夫や娘の事を思うと、今すぐにでも片桐を殺してやりたかった。あの時、そう片桐の顔が土色に変わり、あと数週間放置しておけば餓死させる事が出来たはずなのに。

 何故、助けたのだろう。片桐の顔色が戻った時に何故安堵したのだろう。順子は自問自答した。が、どんなに考えてみても答えは一つだった。

 順子は片桐を「生きる望み」を抱いたまま殺してやりたかった。初めて父となり、昇進も決まりかけ、毎日を生き生きと暮らしていた彼女の夫。

 その夫が殺された時と同じ無念を片桐に思い知って欲しかった。あるいは初めてこの世で呼吸をし、これから人生の喜びを味わうはずだった娘と同じ無念を片桐に思い知って欲しかった。今の片桐は死を望んでいる。一度だけはっきりと「殺してくれ」と絶叫されたことがある。片桐が望むものなら、例えそれがどんなものであろうとも、順子は与えたくなかった。そしてそれ以上に順子には片桐を殺せない理由があった。決心さえ付けばいつでも殺すことは出来る。刑罰もそこで終わる。じゃ、その後に何が残る? 順子には判っていた。何も残らないと。

 その三畳程のスペースのほぼ中央にある片桐の頭。その頭のみが順子の「生きる望み」。

「殺してくれ」と絶叫された時に、順子の決心は固まっていた。

「このままずっと栽培してやるわ」。

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