8.第一章(漂流)---赤鬼1.
7.第一章(漂流)――― 赤鬼1.
彦太郎たち日本人漂流民を救ったのは、中国からサンフランシスコへの帰国途上にあるアメリカ商船オークランド号であった。
黒船では彦太郎たちは丁重に扱われた。異人赤鬼伝説を信じていた彼等には薄気味悪い程の歓待振りであった。彼等は救われたことと救ってくれた相手が人食い人種でないらしいこととの二つの幸運を喜んだ。代わるがわる跪いたり、手を合わせたりして感謝の意をあらわした。
彦太郎たちが謝意をあらわしていると、船長とおぼしき男が、それを遮るようにして、手真似で何かを訴え始めた。栄力丸に引き返して積み荷の一部を持ち帰る算段のようであった。
三人の異国人船員が栄力丸の艀で漕ぎ出した、ところが、和式艀の櫓の操作方法になれなかったため、計画はすぐに取りやめになった。代わりに艀から板や櫓など、取外しのきく部品が回収された。艀は捨てられた。オークランド号はまもなく帆をあげ進路を東に向けた。
再び船長らしい男が手真似で食事がしたいかと尋ねた。しかし彼らは興奮のあまり空腹は感じなかった。彦太郎は喉が乾いていたので、湯飲みで水を飲む仕種をした。すぐに通じて全員に水が配られた。
「ああ、うめぇ。体が生き返るぞ」
「ほんまにのう、こんなに美味ぇ水は生まれてはじめてじゃ」
彼らは異国の水を心行くまで味わった。二杯三杯お代りをするものもいた。
彦太郎はのどを潤しながら異人を監察した。みな立派な口髭を生やしていた。身にまとっている衣服は下が黒色の股引きで、肩から紐で吊し、上は赤や黄の派手な色の衣類を着ていた。
上着は体や腕にぴたりとくっつき一枚ものであった。首には黒色あるいは赤色の布を巻いていた。
彼らの中心に立っている薄茶色の髪の男は一段と見事な髭をたくわえていた。先ほどから、周囲のものに何か言いつけたり目配せしたりして、指示を与えているところから判断すると船頭のようだった。年は四十歳ぐらいであった。
彼は他の乗組員とちがって、先端から煙を立ちのぼらせる棒を口にくわえ、脛辺りまで届く長靴を履いていた。彼はキャプテンと呼ばれた。日本の船頭に相当する言葉らしかった。名前はジェニングスといった。
キャプテンは大きくうなずきながら、謝意をあらわす万蔵の手を握り、手を二度三度と上下に振った。髭の奥には笑みも見えた。手を握り合うことは友情を分かち合うしるしのようだった。
副船長と思われる男は髪の毛は黒く、髭はなく、六尺(1・8m)を超える程の身の丈があった。また色白で唇が赤く、女性のようであった。短靴をはいている以外は、船長と同じ服装で、何やら口に含み時折唾を吐いた。噛み煙草を噛んでいたのだった。
副航海長と見える人物は五尺三寸(1・6m)ほどしかなく、頭は金髪で顎鬚と口髭は褐色を呈していた。動作がてきぱきとしてよく気が利いた。しかし、すこぶる饒舌であった。
また暗色の髪に瞳を美しく澄ませた十七八の若者は、髭は生やさず娘のような容貌をしていた。彼は股引きを履いてはいたが、素足だった。動きは敏捷だった。
彦太郎は大柄なキャプテンの陰に、小柄な男を見つけてどきりとした。目鼻口など顔の造作が他の異人のものとは違って、自分たち日本人と似ていた。仲間たちも一瞬息を呑んだようだった。
「唐人じゃぞ。あいつの頭を見てみぃ」
しばらくして誰かが言った。
この異人は身なりも他の乗組員とは全く異なり、長袖濶跨を着ていた。頭が大層奇妙であった。周囲を剃髪して、頂上だけに残した髪を異常に長く伸ばし、組紐のように編んで後ろにたらしていた。これは弁髪と呼ばれた髪型で、当時清帝国が中国人一般に強制していた。
唐人はキャプテンの指示で墨と筆を持ってくると、一枚の紙に何かをさらさらと書き、こちらに差し出した。「日本」と書かれていた。唐人は紙を万蔵に手渡したあとで、万蔵の背後に控える彦太郎たちを指さした。みな日本人かと問うているのであった。万蔵は大きく頷いた。
次に船長が舳先のほうを指さし叫んだとき、唐人は新しい紙に「金山」、さらに次に「亜米利加」と書いた。行く先を示しているようであったが、それが地名とも思われなかった。
広い日本にはそういう名前の場所はあるにちがいないが、この黒船がそこを目指しているはずがない。日本で異国の船が入れるのは長崎だけのはずである。船名だと言うものもいたが、漢字で名付けることは考えられなかった。
「カナヤマ」でなければ「キンザン」しかなかった。そして日本に向かっていないとすると、どこか金採掘の行われている地域を指しているに違いなかった。
彦太郎たちが首をひねり囁き合っていると、キャプテンが手招きし始めた。船室へ案内されるらしかった。彼らは恐る恐る後に従った。