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79.終章(相模灘の彼方の富士の峰)---故郷(2)

79.終章(相模灘の彼方の富士の峰)−−−故郷(2)


沿道に人々の気配がしてヒコはわれに返った。ヒコは、帰郷については事前に村に知らせておくとの伊藤知事の言葉を思い出した。両側に人が立ってこちらを見てお辞儀などしている。どうやら浜田の村人が出迎えてくれているらしい。ところが村の入り口近くまできても、誰もヒコたちに声をかけない。親類縁者がいれば出てきて話しかけてくれるはずである。


午後四時ごろ空に雲ひとつない炎天のもとヒコたちは故郷の村に入った。道々出迎えた村人がヒコたちの後ろを付いてきた。ヒコは駕籠から降り村のたたずまいを眼にしたとき眼を疑った。彦太郎時代に見慣れた茅葺と瓦屋根の美しい家並みがことごとく消え、落ちかけた屋根瓦の隙間からぺんぺん草が伸び、家が傾き朽ちかけていている。何より驚いたのは、当時六十二軒あった家が半分近くに減っていたことである。


ヒコは自分たちを取り囲む村人たちの中に義兄の宇之松を探した。しかしいなかった。やがて一人の年老いた女性が恐る恐る声をヒコに歩み寄った。


「あんたァ、本間に、彦ドンかいのう」彼女は眼を瞬かせながらヒコを見上げた「ワシャあ、松浦の家のモンじゃ。…ほれ、あんたのお袋さんが、この浜田村に彦ドン、アンタを連れて嫁に来やったとき、仲人をしてやった松浦の家の…」


 ヒコがまだ乳飲み子であった時分のこととて、記憶にはまったくない。

彼女の話では宇之松も叔母もすでに亡くなっていた。宇之松は子供を三人もうけていたが、まだ幼く、再婚する母に連れられ村を去っていた。


その夜ヒコたちは松浦家に滞在した。護衛役人たちは他の家の世話になった。

夕食前、ヒコが汗を流すため風呂に入っているとき、外に人の気配がしたかと思うと見知らぬ若者が不意に覗き込んだ。

「毛唐ちゅうのは、どんな(つら)しとるんや?」

「たまげたのう。ワシらとおんなじ顔立ち、体つきしとるわい」

入れ替わり立ち代り覗き見た。


帰国して以来十年、好奇の眼で見られるのには慣れていたが、故郷の村人からまで見世物扱いにされるとは思わなかった。温かく迎えてくれることを期待していた。


 夕食が如何にもみすぼらしかった。飯はさすがに白米で茶碗に山盛りよそおってあったが、副食が質素だった。魚と野菜の煮物だけだった。もっともこれは松浦家としては精一杯の馳走であったに違いなく、数奇な運命とは言いながら欧米の華やかな世界を生きてきたヒコの一方的な見方だったと言えるだろう。


ただ一つ満足したのは酒である。わざわざにヒコたちのために用意してくれたのだろう、横浜や長崎で飲んでいる酒に劣らず美味い味がした。


「…少なくとも、日本の酒は世界に立派に通用しますよ、ジョセフ殿」

 アメリカ人の友人も酒の美味さだけは認めたようであった。

 もっとも酣酔した彼が厠から戻ってきたときはつくづく閉口したように言ったときヒコは彼の心情が理解できた。

「臭い、何とかならないかな。臭くて、臭くて鼻が曲がりそうだよ!」


 男子の立ち小便のところなら、それほど臭いは激しくないのにと思って尋ねると、彼は身長が高すぎて小便容器から外れたため、大便所のところに入り、しゃがんで用を足したのだった。


 翌日自分の家があったところに行ってみた。松浦の家で告げられていたとおり跡形もなかった。昔よく登った柿木もすっかり朽ち果て、太い幹だけが立ち枯れのように残っている。昔をしのびつつ村の中を歩いても、かつて立派な家が立っていたところに、今は雑草が丈高く生い茂っている。村人はやはりぞろぞろ付き従った。


 ヒコは予定していた滞在期間を早く切り上げ翌朝早く浜田の村を離れる。

 早朝の涼しさの残る浜辺沿いの松並木の道を行きながら、ヒコは時の隔たり以上に故郷を離れていたことを知った。そしてこの隔たりが如何ともしがたいほどの距離であるとも思った。


 長崎に帰着せよとの報を受けたヒコは十三日神戸をコスタリカ号で発ち、十五日の晩長崎に帰る。当地もお盆のさなか、両岸および前面の山々は麓から頂まで提灯で美しく彩られている。


 この月の末、大村公の長崎県令、井上聞多氏の副県令が赴任してくる。ヒコは二人を訪問し祝福の意を表する。


 明けて69(明治二)年一月、グラバー商会の世話した船が、大阪より肥後公の弟左京之亮公と兵士八百人を乗せて到着する。航海中に刀剣、毛布、提灯など物資が紛失したため、ヒコに捜査の援助を依頼する。兵士を降ろしてからでないと捜査は難しいのでヒコは目的地の肥後まで同船に乗ってゆく。


 結局、目的地の雄島で雇われの中国人たちの仕業と判明したが、すでに長崎で下船しており行方知れず。ヒコはついでだからと、先に下船して八代に滞在していた左京之亮公が本陣の米屋にヒコを招いた。


 床の間付き十畳の部屋に半分毛氈を敷き詰めたところに座した、藩主の弟長岡左京亮護美は、右側に座らせたヒコに向かって言った。


「ジョセフ殿。貴公はこの肥後の地に足を踏み入れる嚆矢となれる洋人でござる」公はすぐに表情をあらためヒコの眼を見た「盗品の調べ誠にお世話になり申した。刀や提灯の少々盗まれても痛くも痒くもない。貴公に当地まで同道を所望申したのは、他に願い事があり申したからでござる」


公の願いとは西洋の風俗、習慣、文化などの話を、列席している家老二人と藩士二人に披露することだった。ところが公が家来たちに質問するように盛んにけしかけるのに、彼らはただ恐縮して銚子や麦酒瓶をヒコに差出して、無言で杯をすすめるばかり。


二月、ヒコは長州がイギリスより購入した鳳翔丸に乗船して長州に赴き、三田尻において家老杉孫七郎氏に引き渡す。通訳官山尾要蔵とともに試運転ののち、家老は代金5万ドル分の3・5万両をヒコに支払う。


五月、京都から帰途の肥後藩主が長崎で外国汽船サクラを雇ったとき、随行を頼まれる。通訳官はいたものの、付き添いの兵士と外国人船員との間に悶着が起きたときに備えてのためである。公一行はつつがなく帰り着きヒコは報酬として白羽二重五疋と白縮緬二十反を贈られた。


六月、ヒコは翌71(明治四)年開局する大阪造幣局の開設にも一肌脱ぐ。当時日本の貨幣は質が劣り、外国人から嫌われていた。諸外国当局も通貨改鋳の要望を日本政府に繰り返し伝えていた。68(慶應四)年八月、造幣局設置に踏み切った政府は大阪府知事五代友厚に機械購入などの業務を委任する。


五代は旧藩時代から親交のあったT・グラバーに相談した。しばらくして、香港当局が造幣設備を処分したがっていることを聞いたグラバーは、これなら安価に手に入ると踏み、ヒコを通して五代に打診したのだ。


 ヒコから話を聞いた五代はすぐに東京の政府と連絡を取り、数日後、設備一切を指定価格で購入するとの返事を受け、その旨ヒコに告げる。グラバーは香港まで買い付け交渉に出掛け、折り返し技術者のT・ウォーターズを雇って帰ってきた。そして70(明治三)年に機械の設置を終える。


 八月長崎に米屋潰しの一揆が起こる。ヒコの住む南京寺の近くの米屋が群集の夜襲を受け店が破壊された。暴動は数日間続き長崎の町で被害を受けなかったのは丸山の入り口にあるただ一軒のみであった。難を逃れた店主の策略を後で聞いたときヒコはその怜悧さに感心した。


 襲撃近しと知った店主が下男たちに命じて、手拭で頬かぶりをさせ、古箒を持たせて、店頭の空箱をひっくり返させたため、暴徒がやってきたときは、すでに彼らの先兵隊が襲っている最中と思い込み、やり過ごしたとか。


 十月には肥後公のためにアメリカ海軍法を翻訳して大判一枚を賜る。イギリスに注文した軍艦・龍驤の到着に備えて書準備を整えておくためとのことである。


 翌年70(明治三)年一月四日、その龍驤が艦長ジェームスに導かれ到着する。十日家老の水口氏が艦体検査と受け取りのためくる。


 ヒコたちが肥後藩士一行を案内して船の客室に入ったとき、先頭で付きしたがっていた家老が急に立ち止まった。


「主君の御紋の上を通ることなどは滅相もないことでござる。誠に申し訳ござらぬが、この敷物を取り外してくださらぬか」


 床に敷いた絨毯に肥後公の紋を織り込んであったのだ。

 ヒコは艦長に告げ、直ぐに絨毯を剥ぎ取らせてもらった。

 見るとテーブルの覆いも紋が入っている。これも直ぐに外してもらった。

「造船会社の社長が気を利かしてやったのですが、主君の敬い方は東西でずいぶんちがうのですね」

 下船したあと艦長はヒコにささやいた。


 ヒコはそのとき先般、肥後公の弟・左京亮公に招かれたときのことを思い出した。食事の最中公は突然懐から懐紙を取り出し、何やら漢字を書いたあと、不満げな様子で紙を破り捨てた。ヒコは書かれた文字に興味を感じ、一片を拾い上げ読もうとした。ところが、傍らにいた家老が俄かに言葉を荒らげてヒコから紙切れを取り上げた。


「御主君の御書き物は、誠に尊く神聖なるものでござって、他人がこれに触れるのは絶対に許されぬのでござる」

 彼はヒコから奪った紙切れを恭しく押し戴いた。


このあと家老は残りの紙切れを家臣たちに拾わせ、家臣の一人に丁寧に持ち去らせた。

ヒコは黒船を乗りこなす技術を教えることは易しいが、それを操る人間の考え方まで変えるのは想像以上に難しいと思った


                                    つづく


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