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75.終章(相模灘の彼方の富士の峰)---長州訛りの薩摩弁

75.終章(相模灘の彼方の富士の峰)−−−長州訛りの薩摩弁


〈南海開港会社〉をヒコに譲った前合衆国長崎領事フレンチは四月十二日汽船フィーロング号で長崎を発った。彼には日本人の連れが二人あった。筑後頭役の子息・柘植氏と備前藩役人花房氏の両人で、洋行目的は外国語研究と外国視察である。


 二人は夜の九時半ごろヒコ宅に立ち寄り、散髪をされたあと、洋服に着替えさせられ帽子を被せられる。密航なのである。十一時半ごろ波止場に行くと、幸い税関吏は転寝をしており、三人は首尾よく乗船できた。


「ジョセフ殿。お世話になりました。ご恩は決して忘れません」

「あちらでは日々刻苦精励、欧米の言語、技術を吸収いたす所存です」

 ヒコが本船から屋根舟に戻る前、二人はヒコに向かって小声で言った。

「お元気で。幸運を祈っています」

 ヒコは心を込めて応えた。


漂流、アメリカ滞在、帰国。自分の半生は慈悲深い人々との出会いの連続であった。ヒコは柘植と花房両氏にも自分と同じ幸運な旅路を祈った。


風止み波は穏やか、満天は払うがごとく、半月空に澄み渡り、星が美しく煌めく深夜十二時を過ぎるころ、友人フレンチと二人の日本人青年をのせたフィーロング号は香港に向け錨を上げた。


 フレンチが去ったあとヒコは一人で会社を切り盛りしていたが、五月十三日株主等の要望でイギリスの貿易会社グラバー商会と合併する。ヒコはグラバー商会では若干の特権と給料と交際費を与えられることになった。


グラバー商会で働き始めてまもなく、仲間の老紳士がヒコのところにやってきて、ヒコが肥前鍋島藩の家臣を誰か知らないかと尋ねた。肥前公所有の高島炭坑経営を望んでいたグラバー商会が、藩主と渡りを付けてくれる家臣を捜していた。肥前との繋がりは本野周蔵を通して出来上がっている。ヒコは肥前藩産物方の松林源蔵に事情を説明して、努力してくれるよう頼んだ。


 松林は炭坑は肥前の分家の支配下にあるから、難しいだろうが、老公(閑叟公)を通して依頼してやろうと言って、一件をメモしたものを持ち、直ちに佐賀に向かう。肥前老公は物事のわかりが早いことで知られている。数ヵ月後、ほぼグラバーの希望通りの条件で話がまとまった。


 この合併成功の裏には肥前鍋島藩主のヒコに対する思い入れがあった。この話が持ち上がる少し前、諸外国の武器軍艦、戦闘作戦、政治制度などについての知識を吸収するため、肥前公はヒコを招待した。ヒコは快諾したが、藩公が京都に行く急用ができたため実現しなかった。

 経営者のT・グラバーはヒコを訪ねて礼を言った。


「ジョセフ殿。あなたのお陰で助かりました。私は高島炭鉱に社の命運をかけていましたから。ご存知かと思いますが、私は一昨年蒸気機関車のデモンストレーションをここでやりました。これからは機関車の時代ですよ」


 グラバーは上海博覧会に出品された英国製の蒸気機関車アイアン・デューク号を輸入して、大浦海岸に300メートルほどの線路を敷設、客車三両をつなぎ走らせていた。


 ヒコはこの合併の功績として、後年商会の経営者T・グラバーより大判一枚を与えられた。


肥前・グラバーの高島炭坑経営の契約が交わされて二ヵ月ほどした六月のある日、二人の男が薩藩の士と称してヒコを訪ねてきた。年長の方は木戸準一郎と名乗り、他は伊藤俊輔と言った。木戸は彫りが深く理知的な風貌。伊藤はややのっぺり顔であった。両者とも目付きは鋭かった。


 グラバー商会に繋がりのあるヒコに、西日本の諸藩の出張役が武器購入などの大型商談を持ち込むことは珍しくなかった。ところがこの二人は、挨拶もそこそこに、交互に海外の情勢について尋ね始めた。取り分けイギリスとアメリカに強い関心を示し、両国の政治制度、歴史、国民性など詳細に質問した。


「国の元首である大統領は任期が四年で、しかも国民の中から選ばれるのです。上下両院の議員も各州より選出されます」

ヒコは番頭のもってきた茶と西洋菓子をすすめながら言った。


二人は伸ばしかけた手を止め、しばらく言葉を捜しているふうであった。がやがて、いずれからともなく言った。

「アメリカ合衆国の政治ちゅあ、そげなもんですか」

「だれでもが、一国の長になれるちゅうことはあ、夢いも見たことごわはん」

木戸も伊藤も長州なまりの薩摩弁で眼を丸くした。


天皇の親政を唱える勤皇の志士達にとっては、夢にも考えられない思想であったろう。

 木戸と伊藤が帰った後、ヒコが二人が立派な紳士に見える割には、変な薩摩弁を使うと番頭に告げると、番頭は微笑んで言った。


「年長の方の人は桂小五郎とおっしゃる長州のお侍様です。私が米の商いをやっていた頃、商売でよく長州へ参りました。そして下関では桂さんと一緒になることが多く呉を打ったり、歌を詠み合ったりしたものです。でも今は私は外国商社の番頭に落ちぶれてしまいましたので、あちら様は私のことがお気づきになれなかったようです」


 長州の出張役が武器調達に長崎に入っていることをグラバーから聞いていたヒコは、あれが有名なカツラだったのかと驚いた。


数日して再びヒコは木戸と伊藤の訪問を受けた。二人がソファーに掛けると、ヒコは木戸と思われる年長の人物に向かって言った。


「お二人の話し方やなまりは、薩摩よりも長州に似ておられる。あなたは本当は長州の桂小五郎さんではありませんか」


ヒコの問いかけに二人は一瞬息をのみ、狼狽の表情を見せた。しかし、観念した桂が正直に身元を明かした。


 桂は照れ隠しをするように声を立てて笑った後、突然真顔になって言った。

「我が長州藩は、身誠に潔白なるにもかかわらず、大変な誤解を受けて逆賊の汚名を着せられているのでござる。よって、長崎に参る節においては必ず、薩摩の人間の振りを致している訳でござる」


 開き直った桂と伊藤は自分たち長州藩が、いかに日本国の大義のために働いているかを入れ替わり立ち代りヒコに語って聞かせた。


日本古来の歴史から説き起こし、現将軍は二百五十年前にその祖先が大権を簒奪したものであり、今回の諸外国との条約は天子の許可なく結んだものでまったく無効である。とはいえ時勢は変遷しており逆らえない。今のような、国に二君あるような情勢では騒乱は後を絶たない。これを避ける道は、大君をして大権を天子に復させることである。


最後に二人は畳み掛けるように言った。

「これで我々がどうして身分を隠してまで奔走しているか、お分かりいただけたと存ずる。

ここで貴公が拙者どもの正体を見破られたのも何かのご縁。ジョセフ殿。貴公にも一肌脱いで頂けぬか」


「是非お願い申す。ジョセフ殿、貴公は外国人のお知り合いが数多おられるとうかがっている。どうか、日本の歴史を存ぜぬ外国人の方々にこの話を述べていただき、天子の味方になっていただくようお願いしてもらえまいか」


 二人は十月の初め再びヒコのところにやってきて、彼らは所用で京都に行くため、次から代わりのものを派遣するので、同じように懇意にしてやって欲しいと告げた。


「兵庫の港が開港したあかつきには、同港の長州代理人として、ジョセフ殿、貴公を任命させていただくことをお約束いたす」


 彼らは最後に次のような書状を残して去った。

〈左の長州役人は主君の命に依り、米国人J・彦氏を雇い、日本長崎港の特別代理人を命ずることを約す〉


                               つづく


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