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74.終章(相模灘の彼方の富士の峰)---長崎へ

74.終章(相模灘の彼方の富士の峰)−−−長崎へ


 五月、ヒコは胸ときめく報に接する。幕府が各国公使宛に、邦人の海外渡航を認めるので貴国へ赴く日本の通行切符所持者に対してはこれを懇ろに遇して欲しいとの通達を送ったのである。つづいて同月二十三日、次のような布令を発する。


〈語学、科学、技術等を学ぶ目的、或は商売の目的を以て海外に航せんと欲する者は、住所姓名、目的及び行く所の国名を具して願書を出し、政府の許可を得て通行切符を受け取るべし。大名及び旗本の家臣は各其主人を経て、又町人百姓は各地方の代官所、租税徴収人又は国主を経て願書を差出すべし。…〉


日本がついに門戸を開けた。ヒコは門戸開放は時間の問題だと思っていた。しかし、これまでは漂流民などを異国帰りの者を犯罪者として扱ってきた幕府が、一転海外渡航を許可する。漂流時代のことが思い出されヒコは感慨に浸った。


アメリカ船オークランド号に救助されてカリフォルニアに向かう途中のことである。ヒコがスープに浮かぶ牛肉の肉片を食べたとき、あるいは洋服を着せられ髷を落としたときの、栄力丸の仲間たちの驚きよう、そして怯えよう。役人の怖さを知らないヒコでも思わずどきりとしたほどだった。眼を閉じると彼らの強張った表情がまぶたに浮かぶ。


幕府は腹を括ったのだろう、七月一日後老中に対して長門長州藩主・毛利大膳大夫懲罰の告諭を下したらしい。いよいよ衝突が起きる。


ヒコは合衆国の内乱を想起した。同胞同士が殺しあった。最近ようやく終息したとのことだが死傷者など未曾有の数に上るらしい。骨肉相食む…同国人同士のほうが憎しみ合う気持は激しいのかもしれない。


ヒコはリンカーン大統領に謁見したとき、大統領が日本の政情について評した言葉を思い出した。

〈…しかし私どもの内紛に比べれば結構なものですよ。何しろ同じ国のもの同士が殺しあうんですからね〉

日本にもその内紛が起こるのである。ヒコの胸は塞がった。


暗い気持のヒコに追い討ちをかけるように、リンカーン大統領暗殺の報が伝えられた。いっしょにいて被害に会ったシュワード長官にヒコは見舞いの詞を送り、同時に彼から大統領の家族に弔意を伝えてもらった。


〈親愛なるジョセフ・ヒコ殿。七月三十一日附けの貴方のお手紙を今受け取りました。私はあなたがご多忙中にかかわらず、またここからはるか遠くに隔たったあなたの祖国におられても、なお私のことを忘れず、覚えていてくださったことに深く感謝申し上げます。神は我国に不幸をもたらされましたが、慈悲を施すこともお忘れでありませんでした。国民は危険と災難から救われました。神は私に苦難を加えられましたが、またそこから私を何とかお救いくださいました。私の身はすべて神のものです。神は全知全能でいらっしゃいますが、私は無知無能だからです〉


ヒコは長官が自らの災難を前向きに捉えていることに驚き、そして感心した。人々の上に立ち導く人物とはこういう人なのだろうと納得した。そのシュワードが心から敬愛していた大統領。リンカーン大統領は非業の死であっても、きっと真正面からこれを受け入れたに違いない。


1866(慶応二)年十一月に起こった大火災は横浜の経済を麻痺させた。新聞発行は勿論、貿易業継続も不可能にした。『海外新聞』を廃刊したヒコは長崎に行く。米国長崎領事の友人フレンチの創設した「南海開港会社」という貿易商の後を継ぐためである。日本政府借り入れの元フキエン号改め兵庫丸で行ったため、神奈川奉行は無賃で乗せてくれた。


 十二月二十五日横浜を出て二十七日に兵庫港に到着する。兵庫の港はいまだ開港に至ってはいないが、外国の小汽船エンピロル号が停泊している。長崎のグラバー会社の持ち船で、船長はジェームスという名前とか。兵庫港を視察するため投錨しているという。


火災前の当時、横浜港が全国貿易額の九割を扱った。アメリカは南北戦争で出遅れたため、〈世界の工場〉の面目を見せたイギリスが全貿易額の七割近くを占めた。


輸出品は生糸・茶・蚕卵紙・海産物等半製品や食料品が中心であり、中でも生糸と茶が主力であった。輸入品は毛織物・綿織物・武器・船舶等工業製品が多かった。日本は欧米先進国の原料・食料品供給地、製品販売の市場となっていた。


一方長崎は軍艦や武器の輸入が多かった。これは江戸から遠く、幕府の監視が行き届かなかったため、禁輸物資が自由に扱えた。薩摩など、諸藩と幕府の間の緊張が高まるにつれ取扱高はふえた。また西欧の進んだ知識や技術を吸収するため、諸大名が多くの出張役を長崎に送り込んでいた。


 領事のフレンチはヒコを出迎えた日、昼食の席でヒコに言った。

「長崎の町でいちばん大きな貿易商は大名の雇われ商人でね、藩の上級の役人が来るときは必ずこの商人のところに宿泊します。ですから私達外国の商館はみな日本人の従業員を何人か雇って、彼らにこの雇われ商人の店に出入りさせています」


「藩の注文は巨額でしょうから、商社間の競争はきっと激しいんでしょうね」


「そのとおりです。価格だけで落札は決まりませんから、厄介ですよ。昼食や晩餐に招待したり、高価な贈答品を贈ったりしないと駄目ですから、もう大変です。しかし、ジョセフ殿。日米両語を話せ、合衆国で貿易実務を学ばれた貴方をお迎えすれば、この〈南海開港会社〉には鬼に金棒です。私は安心してアメリカに帰ることができます」


 1867(慶応三)年一月二十二日、本野周蔵と名乗る一人の肥前藩士が、会社にヒコを訪ねてきた。彼は肥前公からの贈り物の鴨一番をヒコに手渡してからおもむろに口を開いた。


「肥前公が貴公に会いたいと申されている。もしご承知願えるなら貴公をお迎えするため、公は茂木まで汽船を回すと仰っております。茂木は長崎より四里ばかりのところにございます」

「それで、公が私に会いたいと仰る訳はなんでしょうか。御取引なら、ここで十分だと思いますが」


「商売とは申せ、桁が違い申する。公はじきじきの商談を望んでおられる。日本のこの激動の時世を乗り切るためには他の藩の形勢を知る必要がある。そのため肥前公は貴公より諸外国の事情をお聞きし、参考にしたいと仰っている」


本野は急に声を落とし小声になった


「薩長土の三国が密約を交わしたとの噂がもっぱらでござる。おそらく幕府転覆の密約だろうと公は仰っている。いっぽう将軍方の大名たちは、肥前、肥後、安芸、加賀等中立派諸藩の挙動をじっと見守っております。かかる情勢にかんがみ、公は外国の武器船舶の性能、戦争の方策、開化の程度などに極めて高い関心をお持ちになっておられます。貴公の会社にとっても決して悪くない話だと存ずる。したがって、ジョセフ殿。何とか」


「承知いたしました。私でよろしければ、喜んでご伝授させていただきます。そのように公にお伝えください」

「それはかたじけない。私も肩の荷が下り申した。しからば早速に引き返して、茂木に回す汽船の…」


 このときフレンチが部屋に入ってきて、二人の用談について尋ねたので、ヒコが教えると、フレンチは自分も付いていきたいと言い出した。


「本野さん。私の友人がいっしょに行きたいと言っていますが、かまいませんか」

「残念だが、外国人が肥前に入るのは決して許されないでござろう」

「しかし、彼は私の親友ですし、まもなく帰国することになっています。ですから是非とも」

「承知いたした。拙者の一存では決めかねまする。帰って主君のご意向をうかがったうえで書状にて連絡つかまることにいたす」


 二月四日、他の肥前藩士が本野氏の返書をもたらした。

〈若し一人来られるなら直ちに陸路で来られたし。友人同行の必要あらばしばらく延期されよ。公は二週間以内に京都へ向け出発される由、その途次訪問されるべし〉



                              つづく


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