66.第6章(新たな旅立ち)---下関戦争(2)
66.第6章(新たな旅立ち)−−−下関戦争(2)
翌七月十六日、一点の雲もない快晴である。午前五時抜錨。ワイオミングはペンブローク号を攻撃した船を捜して、周防灘の豊後側の岸に沿って進んだ、が無駄であった。今度は周防側に捜索目標を移し、下関へと進路を向ける。
見つからない場合は萩港までも乗り込むつもりである。九時を過ぎると快晴の大空からじりじりと太陽が照りつけ、全くの無風状態。海面は油を流したように滑らかで、さざ波一つ立っていない。ただ水を掻き分け進む艦が小さな波を起こすだけ。
甲板上は銃砲刀剣が所狭しと並べられ、艦長の号令今や遅しと待ち構えている。艦長は水兵に大砲の砲身を納めシーツで覆うよう命令を下す。商船に擬するためである。
午前十時頃、下関海峡東の入り口から十数キロの地点に達していた。
前部上甲板にいた中位が突然叫んだ。
「横帆式船舶二隻、蒸気船一隻、町のすぐ近くに停泊中」
「よし分かった。連中のど真ん中に突っ込んで蒸気船を捕獲しろ」
マクダガル艦長が直ちに号令をくだす。
ところが水兵たちは浮き足立っている。それもそのはず、彼らのほとんどは未だ戦いは経験していない。右往左往するばかりである。それでも士官たちの何度かの大喝で落ち着きを取り戻すと、各自任務に着手する。砲手は大砲よりシーツを払って砲身を引き出し、他は急ぎ銃砲刀剣に駆け寄り手に取った。まもなく戦闘態勢はととのった。
やがて、耳をつんざく大砲の音が湾内に響き渡った。見ると右手森に覆われた台場から硝煙の立ち上るのが見えた。
「撃てきますよ、艦長!」
ヒコが艦長のところに駆け寄り、再び甲板後方に引き返そうとしたとき、次の砲声が湾奥の第二砲台から聞こえた。
数秒後さらに三番目の砲声が丘陵にこだました。これは町の裏手にある丘のほうから聞こえた。数秒後、最初の砲声が聞こえた台場のところで閃光が走った。硝煙が上るより早く恐ろしい轟音が押し寄せた。と思うまもなく、ヒコの立つ後部甲板からわずか数メーターのところに砲弾が落ち、水柱を立てた。
マクダガル艦長は操舵員に命じて、マストの先端に星条旗を掲げさせた。国籍を明らかにするためである。しかし、長州軍は攻撃を止めるどころか、砲火をますます激しく浴びせ始めた。アメリカと渡り合う意図は明白である。
「発砲!」
艦長の号令とともに、六四ポンド砲が発射された。
十時五十分、長州船三隻の間に乗り入れ、ダンゲール砲二門から相手方に見舞った。片舷一斉砲撃を加えたあと、さらに発砲を続けながら、敵船の間をゆっくりと抜け、蒸気船ランスフィールド号の舳先を横切り海峡方向を目ざした。この間くまなく砲撃を加える。
ヒコは軍医のダンビーと領事館員のベンソンとともに後甲板にいて戦況を見守った。台場から赤い炎が上がるたびに、砲弾がぴゅんと頭をかすめて、ヒコたちのすぐ後方に水柱を立てて落ちた。
自分の艦の帆柱や帆桁の上を越えて、弾丸が音を立てて飛ぶ音を聞くのは気分のよいものではなかった。硝煙の間からは、藩公の家紋あざやかな紫の幕を張った蒸気船も垣間見られた。長州藩の高官が乗っているようであった。
「敵の弾は、皆外れてばかりだ。大砲の使い方を御存知ないみたいだな」
「いや本当に、その通りです。きっと、普段の訓練は海峡の方を目掛けてしかやっていなくて、船を的にして撃ったことがないのだよ」
ダンビーとベンソンは笑いあった。
敵の砲弾がすべてがワイオミングより遠くに落ちたのは、砲台が固定されていたからだった。海峡を通行する船の航路に照準を合わせていた。
ワイオミングが長州船ランスフィールド号の舳先を横切ってまもなく、ランスフィールド号はもやい綱を外して、港のさらに奥に向かって逃げ込もうとした。
艦長が砲手に向かって何かを命じた。周囲の喧騒で聞き取れない。たぶん〈撃て〉の号令であろうが、砲手は一向に撃つ気配はない。何度目かの艦長の叫び声のあとでやっと大砲が火を噴いた。十一インチ(三〇センチ)・ダールゲン砲である。ドカンと耳をつんざく音がして硝煙が上がった。
硝煙が晴れるにつれランスフィールド号のデッキから大量の煙と蒸気が噴き出しているのが見えた。ランスフィールド号はゆっくり一回転すると次第に片方に傾きまもなく海中に没した。傾いてから沈むまでほんの一、二分だった。
砲手が直ちに撃たなかったのは、一撃で仕留めるため、船の喫水線に狙いを定めていたためであることをヒコは後ほど教えられる。
この一撃はアメリカ兵の士気を大いに高めた。ほとんどが実戦経験の乏しい兵員ばかりで、それまで長州軍の放つ矢と弾丸に怖じ気付き、戦意を喪失させている。死傷者はかなりの数に上っていた。他方長州側は、砲撃を受けた帆船や蒸気船から海中に飛び込み逃げ惑うサムライたちの姿が見られた。
十二時二十分にワイオミングは砲撃を止める。戦闘は一時間余りで終わった。アメリカは各種弾丸五三発を撃ち、長州の砲台六門と、大型船一隻を破壊し、小型帆船一隻と蒸気船一隻を撃沈する。いっぽうワイオミングには二十発近くが命中、帆枠、煙突、船体に損傷を受ける。しかし兵員五名が死亡し、七人が負傷した。
ヒコは安堵した。戦況は一時危うかった。ランスフィールド号を追い込んだとき後方を敵船二隻に塞がれ、退路を阻まれた。一発で敵船を沈めていなかったら、逆に彼らに乗り込まれ、捕らえられていたかもしれなかった。
「ジョセフ殿。拿捕とまでは参りませんでしたが、おかげで仇討ちができました」ヒコのところにきて礼を述べたマクダガル艦長は、しばらくして思い出したようにして苦笑いした「けっこう手ごわい連中でした。しかし我が合衆国の戦艦がそう簡単にやられるわけがありません」
艦長も退路を塞がれたことに言及しているらしかった。
「マクダガル艦長。私は、貴方以上に緊張しました」
ヒコの言葉に彼はちょっと首を傾げたが、やがて思い当たったのか、黙ってヒコの方をぽんと叩いた。
目的を達したワイオミングは戦死者を葬るため姫島に引き返す。しかし島の住民が黒山のように浜辺に集まっており、島民との万一の衝突を恐れたマクダガル艦長は陸葬を諦める。
翌七月十七日、午前五時に抜錨する。豊後水道入り口で船を止め、戦死水兵を水葬にする。数分後、軍医が今激痛で苦しんでいるものがいるから、彼も駄目だろうと言う。数時間して、はたして六番目の死体が重りを取り付けられ、海底に葬られた。
放り込まれた死体は大きな飛沫を一つ上げたあと、ゆっくりと泡を残して沈んでいき、やがて見えなくなった。ヒコはそのたび、遠く故郷で待つであろう彼らの家族・友人たちを思いやった。もしかして、自分もこうなっていたのかもしれないのだった。
長州側にはさらに多数の兵士が犠牲になったであろう。彼らにも親、兄弟姉妹、あるいは妻子がいる。行き掛かり上とはいえ、自分はアメリカの代理公使を務めた。自分にも責任の一端はあるのだ。
明けて、十八日。横浜への帰途、軍医が負傷兵を手術した。戦闘が始まった直後に砲弾の破片で片腕をやられ、以後ずっと激しい痛みで悶え苦しんでいた。腕の付け根まで包帯が巻かれ、白い包帯は血が滲み、赤く染まっていた。軍医は艦長と相談し腕を切断することにした。手術は午前十時ごろ終了する。以後痛みは退いたのか、負傷兵の呻き声は和らいだ。
負傷兵の姿は一瞥もしなかったが、痛々しさは呻き声だけで伝わった。昼も夜もひっきりなしに呻いた。痛さに耐えかねて、殺してくれと何度も叫んだ。彼の叫び声は、死者を海に沈めるときよりもはるかにヒコの胸に堪えた。
《丸太みたいに、人間が海に投げ込まれるのはもう見たくない。あんな恐ろしい悲鳴も二度と聞きたくない》
七月二十日、軍艦ワイオミング号が横浜に錨を下ろすと、戦争の模様を知りたがる人々がワイオミング号に押し寄せた。ヒコたちは他の外国船も長州から砲撃を受けたことを教えられた。オランダの軍艦メズサ号が下関海峡で攻撃され、乗員四人が死亡し、十六人が負傷していた。
またフランスの急行便船・キャンチャン号が同じ海域で砲弾を受け、ほとんど航行不能に陥れられた。フランスは長州に復讐するため軍艦二隻を派遣していた。
ワイオミング号のマクダガル艦長に別れを告げ、領事館に戻るとブライアン公使が、帰りを待ち受けていた。口頭で遠征の概略を報告したあと、長州征伐に何故来なかったのかを彼に尋ねた。
「下痢にやられたんだよ。ちょうど前の晩に始まってね、じつにひどい下痢だった。今でもまだ具合はあまりよくないんだ」
悪びれる様子は少しもなかった。自国の将兵が命を賭け、ヒコが祖国の同胞と対峙している一方で、腹痛…。茶番であった。
七月二十四日、長州軍と戦ったフランスの軍艦が横浜に帰着する。小銃、旗、弓矢、刀、鎧など戦利品を多量に持ち帰ったと報じたが、実際はこれらは少量であった。フランス側は逆に軍艦の煙突を折られ、マストを吹き飛ばされた。戦果の偽報道は被害の甚大さを糊塗するためであった。
つづく