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64.第6章(新たな旅立ち)---生麦事件(2)

64.第6章(新たな旅立ち)−−−生麦事件(2)


正式領事館員として雇われるとなると気になるのはその待遇である。ヒコは給料は他の館員と同様メキシコ銀(メキシコで鋳造された銀貨)で受け取ることになった。


当時、領事館員の日本通貨への両替率は日米和親条約(1ドル=3分)で決められていた。ところが実際適用されるのは公使と領事(月給各1・5千ドルと1千ドル)だけで、平の館員は、その時々の為替相場で交換するよりなかった。


メキシコ銀の相場はいつも三分(1ドル=一分銀三枚=小判一枚:四朱=一分)を割り、ひどいときは二分の一朱まで下がることもあった。これは明らかに不当な分け隔てである。


ヒコは公使、領事、友人のクラークと四人で会食したとき、ハリス公使の後任ブライアンに対してこの不平等を申し立てた。


「たとえ、条約にそういう承認枠があっても、君たちにはそんな特権を受ける資格はないんだ。私たち公使と領事だけだ」

ブライアンはにべもなく撥ね付ける。


「しかし、フランスと、イギリスの外交官や領事の随員は、それぞれに応じて、承認枠が与えられています」

ヒコはさらに問いつめる。


「確かにそうだ。しかし幕府は彼らとの協定でそう認めているのだ。仕方ないだろう。条文には、承認枠の対象は〈公使館〉、〈領事館〉と書いてあるんだ。しかし、アメリカに対しては〈公使〉、〈領事〉と、個人しか相手にしていない。協定の中身の問題なのだ」

 公使の返事はつれない。


ヒコはさらに食い下がる。

「では、私たちにも特権枠が許可されるよう公使、あなたから日本政府に願い出ていただけないものでしょうか」

「ヒコ。君も少しくどいな。協定だから仕方ないだろう!」

公使は突然気色ばみ、突っ撥ねた。


七ヵ月後、幕府とアメリカ側との間で両替問題が話し合われた。ヒコの指摘した不平等特許枠についてではなく、フランス、イギリスとの両替枠の違いについてである。


「フランスとイギリスの海軍司令官の両替枠は一日30ドルが認められているのに、我々アメリカの海軍中佐は、わずか3ドルである。その理由を伺いたい」

ブライアン公使が鋭く切り込んだ。


「しかし、フランスとイギリスの海軍中佐の法定枠は一日2ドルと決められている。あなたがたの国の海軍中佐は、3ドルである。1ドル多いことになるのだが」

日本側代表の奉行も即座に切り返した。


「国によって官職の呼び名は違う。日本の国の大君は、アメリカでは大統領に当たる。それと同じである。アメリカ海軍では、海軍中佐がフランス・イギリスの海軍司令官の地位に対応する」

結局アメリカ側に軍配が上がった。


一件落着かにみえた両替問題が、公使のこの直後の一言で予期せぬ方向にねじれる。

交渉が余りに順調に進展して、饒舌にでもなったのか、公使が言った。


「ヒコ。君は合衆国大統領から任用された身分でありながら、何故月々の両替枠が認められていないのか、奉行に尋ねてみたまえ」


「しかし、公使。先日、あなたは、そういう承認枠の特権は私には与えられていないとはっきりとおっしゃいました。今更再燃させるつもりはございません」


ヒコが固辞したので、公使は機嫌をそこねたか、さらに執拗に迫った。

ヒコと公使の間に流れる不穏な空気を察知した奉行が、何事かとヒコに問うた。


説明をうけた奉行は、偏頗な両替の件については、ヒコが申請をしなかったせいだと告げ、今すぐ領事を通して願書を出せば、応じるとの意外にも快い返事が返ってきた。


ヒコはこれをも辞退する。しかし領事がその場で書類を作成し、サインをすることをすすめる。ヒコは仕方なく従った。


ヒコにとっては金銭が問題ではない。ヒコを〈日本人〉、〈アメリカ人〉と国家的都合によって使い分ける合衆国政府の身勝手さが許せないのである。


 同時にヒコは相手の要求次第で猫の目のように変わる日本側の態度が気になった。幕府の不安定さの表れかもしれなかった。攘夷派に狙われているヒコの身を幕府は全力で警護すると約束したが、それが空約束に思われた。両替問題が解決したのに、不安はつのるいっぽうであった。


ヒコは一年ほどで領事館を辞めるが、その間に受け取った報酬は500ドルであった。


 ヒコは実業月報を発行し、アメリカやハワイなどの貿易仲間に発送する。主たる内容は日本政治の変わりようであった。


 大老とともに射術大会に招待されたが、従来種々の儀式があり、行列も一定の順序があったものを、今回はすべて廃止し、騎馬の役人十二人が警護しただけである。


 将軍が諸大名とともに来春海路上洛すると外国公使に通知する。それに備えて、それぞれ外国船を購入(薩摩侯11万ドル、長州侯11・5万ドル、阿波侯8万ドル、幕府15万ドル、板倉侯1・43万ドル)した。


〈臣下たるもの高下に係らず、今後一切の羈絆を免るべく、…危害悪心を挟むに非ざる以上は自由に其所思を陳述するを許す〉の告示が諸大名になされてより、大名は次々のと領国に帰郷を始めた。妻子家族を人質として江戸に留め置く政策はここに終わりを告げた。


 明けて1863年一月二十日発行の分には、外国人逐攘すべしとの勅命に従わないことで朝廷から将軍が諌められ、困り果てている。将軍がもうすぐ上洛するはずだから、そのときに直接奏上して事態を解決する以外にない。


 京阪地方における将軍の権勢は地に落ち、諸大藩家中の武士たちが横行闊歩している。近い将来、一大騒擾事件が勃発するだろうと識者たちは言っている。


 ヒコはまもなく一人の日本人医師の息子に英語を教えることになる。その医師は若いときに長崎で医学を学んだ。彼は息子の学習の具合や、外国の事情を知るためしばしばヒコを訪ねてきた。彼は国内の政治状況にも詳しかった。


 彼はヒコに、親藩、譜代、外様を軸にした徳川幕府の成り立ちと仕組。幕府が各藩に与えた特権。幕府と朝廷との関係。外様が朝廷と手を結ぶ訳。など日頃、居留地ではうかがい知れないヒコの疑問に答えてくれた。


 三月に入ると、生麦事件が解決へと向かい始める。


 事件当時公使オルコックは帰国中であったため、代理公使ニールは幕府に対して犯人の逮捕と処罰を要求した。老中は大名領に入り込んで捕まえることは出来ないから、当該藩主に厳しく言いつけ、捕縛して身柄を引き渡させると答える。これは幕府権威失墜の広言に他ならなかった。


 1863(文久三)年三月、イギリス本国から外相の訓令が届く。訓令は幕府に対しては殺人行為への陳謝と賠償金10万ポンドの支払い、薩摩藩には首謀者の即時処刑と償金2・5万ポンドの支払いをそれぞれ要求していた。


イギリスは海軍の艦艇を横浜に終結させ、軍事力を背景に要求の即時受入れを迫る。そして回答期限を二〇日と限る。折から将軍は上絡中で留守にしていたため、幕府としては出来ない相談であった。


 数回にわたる外国奉行とニール代理公使との交渉で期限の延長が認められる。六月二十四日、小笠原長行閣老が神奈川に出向き、神奈川奉行浅野伊賀守に命じて、イギリス側と秘密会談を行わせ、請求通り10万ポンドの賠償金を支払う。


この結果幕府とイギリスとの関係は一応満足な解決が見られた。これ以後幕府内では小笠原が主導権を握り、親外派の幕閣が成立する。もっとも対薩摩とは事件は未解決のままであった。


 イギリス艦艇の横浜集結は横浜市民に衝撃を与えた。商人などは店を閉め町を出て行くものが後をたたなかった。また、神奈川奉行は住民に対して避難命令を出し、その結果四分の三の市民が近郊に退去した。


外国人居留地ではそれほどの動揺は起こらなかったが、日本人の使用人たちは避難した。ヒコ宅に起居する医師の息子が居留地に居残る只一人の日本人だった。


 ヒコがエドワードと市内を歩いてみると平生20〜30両する磁器が5〜7両で叩売りされていた。ヒコたちはいくつか買い求めたが、利益はほとんどなかった。暴動を恐れて貨物はほとんど中国に移されており、磁器陶器の価格が暴落していたからである。


 江戸の幕府では親外派が勢力を強めても、京都の朝廷は依然として攘夷が幅をきかしている。勅令に負けた幕府は六月二十五日を攘夷決行の日と定める。外国奉行は外国代表者全部に、江戸の閣老が朝廷より外国人追放命令を受けたと告げ、次のような小笠原図書守の署名入り書簡が添えられていた。


〈…今日日本上下の感情は外国人と交際するを欲せず。随て従来居住の外人を退攘し開港場を閉鎖せんと欲す。…上述の告示は予の京都より受しものにして、之と共に卿等に面会の上詳密に事情を説明すべき旨命ぜられたり。又面談に先ちて書面を以って朝廷及将軍の意思を告げ、此を卿等の各本国政府に通報せられんを求む旨の訓令を領せり〉


 アメリカをはじめ他の外国代表たちは開いた口が塞がらない。書面の余りの馬鹿馬鹿しさに、承知致しましたと述べただけであった。


 米英仏露など諸外国とすでに修好通商条約を結び、横浜・函館などを開港した現在、書簡の中身は時代錯誤も甚だしい。しかも署名捺印をしている小笠原は、親外派筆頭閣老で、生麦事件の処理では率先してイギリスの要求を呑んだ人物なのだった。


 ヒコも通達の文面に呆れ返った。読み間違いではないかと何度も読み返した。

対外交渉において幼児じみた、屁理屈にもならないような、言辞を弄している幕府がヒコは信じられなかった。そういう幕府が〈西洋かぶれした〉自分を守ってくれるはずはなかった。

 

                                つづく


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