表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/85

62.第6章(新たな旅立ち)---南北戦争(5)

 62.第6章(新たな旅立ち)−−−南北戦争(5)


 滞在が長引いたのでヒコはボルチモアをたつ前にもう一度シュワード長官に挨拶をすることにした。前回が最後だと思っていろいろ話していたので、今回は任官の再度の礼を述べただけだった。海軍倉庫委員職のことは出さなかった。


「そうですか、もう帰国されるんですね」長官は名残惜しそうにしていたが、突然何事かを思い付いたように急に口調をあらため尋ねた「ところで、ミスター・ジョセフ。貴方は今の大統領にお会いになったことがありますか」


「残念ながら、まだお会いしたことがございません」

「じゃあ、是非会っていきなさい。日本への土産話にもなりますよ。とにかく、立派な方ですから。ちょっと待っていてください。大統領の手が空いているかどうか見てまいります」


 十五分ほどして長官は引き返してくると、ヒコに付いてくるよう告げ、国務省の建物を出た。そして大統領官邸のほうに歩を進めながらヒコの腕を取った。


「今日は閣議のある日で、大統領閣下はきわめてご多忙中なんですが、貴方には是非会っていただきたいと思って、少々ですが時間をさいていただきました。とにかく、プレジデント・リンカーンは我が合衆国が世界に誇る大統領ですから」


「人格高潔な方で、虐げられた人々の味方であることは、かねがねうかがっています。そういう指導者は珍しくないと思いますが」


「もちろんですよ。ところがね、閣下の偉大なところは情熱的である一方で、沈着冷静なところなのです。彼の今回の戦い方がそれをよく物語っています。圧倒的な海軍力で、南部の大西洋およびメキシコ湾沿岸を封鎖する戦略です」


長官はこのあと、先日のハンプトン・ローズ沖の海戦の結果に触れて、表面は引き分けたように見えるが、実質的には合衆国側が勝利したといった。


北部政府は従来の合衆国海軍を引き続き受け継いでいたのに対し、南部はこれをゼロから作らなければならなかった。焦った南部連合は民間船に海賊の許可を与え、北部の軍艦を奪取しようとした。ハンプトン・ローズにつぎ込んだ戦艦が南部海軍のすべてだった。


 合衆国第十六代大統領A・リンカーンは執務室で人と会っていた。大統領はソファにもたれ、踵を重ねた足を前の台の上にのせ、手にした書類に熱心に見入ってる。少し離れた席には、具申するためにやってきたのであろう、軍服姿の武官が控えている。


 ヒコたちが入っていくと大統領は顔を上げヒコたちを見た。

 長官は黙ってヒコを傍らのソファに掛けさせ、自分は新聞を持ってきて読み始めた。


 ヒコは執務室の装飾具合など見回したあと、大統領と武官の会話を聞くともなしに聞いていた。よくは聞き取れなかったが、長官より免職されたことを不服として大統領に復職を直訴しているふうであった。


 大統領は相手の哀訴にかなり辟易した口ぶりである。


突然、大統領は少佐の言葉をさえぎり、吐き捨てるように言った。

「君の訴えは十分すぎるほど聞いた。とにかく、少佐。私は君のように、繰言ばかりを述べる話し手には。これまで会ったことがない」


 武官は大統領の言葉にいきなり席を立ち、震える手で書類をまるめ隠しに入れた。

「大統領閣下。閣下から憐憫のお言葉を頂戴したことは深く感謝いたします。私は、只ひたすら閣下のご哀憐を希望いたすだけであります」

 大統領は小声でよろしいと一言答えたきりである。


 少佐はソファから立ち上がるのと同じぐらいの速やかで部屋を出て行った。ヒコたちの眼の前を通ったが、ヒコたちには見向きもしなかった。


 少佐が消えるのを見届けると、大統領はヒコたちのほうにやってきて、シュワード長官の手を握り挨拶をした。


 長官は大統領に挨拶を返したあと、ヒコのほうを振り返りながら言った。

「閣下。私に日本の若き友人ジョセフ・ヒコ氏を、閣下に紹介させていただく機会を与えてくださったことを、誠に名誉なことと存じます」


 長官の言葉に大統領はヒコに握手を求めた。

「遠方から、よく来てくださいました」ヒコが握り返すと大統領は眼窩に奥まった眼をまっすぐヒコに向けた「日本の国情はいかがですか。大変だとはうかがっておりますが」


 ヒコは攘夷派の抵抗のことなど、日本の混乱した世情について概略を述べた。

「そうですか。しかし私どもの内紛に比べれば結構なものですよ。何しろ同じ国のもの同士が殺しあうんですからね。今日もこれからそのことで閣議を開かなければなりません」


 大統領の言葉が終わるか終わらないうちに、財務長官、海軍長官たちが次々と現れた。

 ヒコは大統領に任官されたことの礼を述べたあと、各閣僚に挨拶をして急いで執務室を辞した。

 

ヒコは大統領の執務室を出てやっと人心地がついた。大統領と会っているときは雲の上を歩いているようで少しも落ち着かなかった。何を尋ねられ、どんな返事をしたかまったく思い出せない。


しかし見上げるほどの彼の長身、濃い顎鬚、鋭い眼差し、頑丈な手、そして深みのある優しい声、これらはヒコの眼に、手のひらに、そして耳にいつまでも残った。


 以前、ピアスとブキャナンの二人の大統領に謁見したが、彼らの眼窩の奥に宿す信念はリンカーンにはるかに及ばないと思った。


当代無比の誠実さと思慮深さにより、一度会っただけで誰からも敬愛される…サンダースたちからもよく聞かされた。その言葉に嘘偽りはない。ヒコはリンカーン大統領の下でなら一身を奉げてもいいと思った。


 四月一日にニューヨークを出て、帰国の途につく。

 ヒコは船上で東部における三ヶ月を振り返った。


 海軍倉庫委員の壁は厚かった。国内紛争を理由に断られたが、あれは口実だったような気がする。いくら戦費に金がかかるとはいっても、領事館員一人を雇うぐらいは何でもないはずだ。


推薦状には、帰化してアメリカの市民権をえたヒコ氏とあるものの、政治の舞台では結局は日本人なのだろう。アメリカの事情に通じ、アメリカ語を理解する日本人であるヒコにアメリカが期待するのは、通訳でしかないのである。


合衆国海軍倉庫管理の職を得るために、わざわざワシントンまで足を運んだのだ。ところが、どうだ。己が単にアメリカ国家に利用される存在でしかないことを知るためにのみやって来たようなものだ。


多数の著名経済人の連名による推薦状とはいっても、ヒコをその職につけることが〈合衆国政府に多大なる貢献をする〉、つまり英語の達者な人物が海軍倉庫管理官になれば、日本に立ち寄るアメリカ船舶への必需物資が迅速かつ低廉に確保できる、としているのであり、ヒコ自身を成長させ、さらなる米日親善の掛け橋役を期待するというものでは全くない。


漂流民を手厚くもてなし、本国に送還することが合衆国の国益に資するため以外の何物でもなかったことを考えれば、それは納得がいく。


 日本にはそっぽを向かれ、アメリカにも相手にされない…ヒコは行き場がなくなったのである。


ヒコはワシントンにいるとき、旧友ブルックのうわさを耳にして驚いたことを思い出した。ヴァージニア州の住人である彼は、南軍連合の砲術と測量部の長官としての要職にあり、ブルック・ガンと呼ばれる強力な大砲を生み出していた。彼は北軍から恐れられる存在だった。


ブルックはヒコが帰国するとき乗船させてくれた観測船・フェニモアクーパー号の艦長である。横浜ではドール領事邸における晩餐会では、決闘覚悟でヒコに味方してくれた。そして、遣米使節団の渡米時には護衛艦・咸臨丸をサンフランシスコまで指揮した。


リンカーン大統領やシュワード長官が言ったように、同胞を殺戮しあうのは確かに悲劇には違いない。しかしブルックには少なくとも帰るところがあった。心安らげる場所があった。

 ヒコはブルックが羨ましかった。


《まるで、十二年前に引き戻されたみたいだ。あのときは難破して、栄力丸で当て所なく漂流した》


 ヒコの漂流が再び始まった。しかし、それは仲間もいない、寄港地とて見当たらない真にあてどない漂流であった。


 心塞がれたまま、同月二十六日ヒコはサンフランシスコに着く。直ぐにケリーの会社を訪れ、ワシントン行きの報告をした。


「そうか。それは気の毒だったな。ワシントンには脈はあると思ったんだがな。でも、通訳官は米日の架け橋そのものだからね。商売以外でも、君なら成功間違いなしだ」

 

ケリーの慰めが白々しく聞こえた。


                  参考資料


民族・政治・経済など北部と南部はさまざまな点で異なっていた。イギリス系移民を主とする北部は中央集権的統一国家をもとめたのに対し、フランス・スペイン系住民の多い南部は自由な州権分立をのぞんだ。経済的理由が背景にあった。


北部は産業革命を迎えて、南部の豊富な黒人の労働力を必要とし、他方南部はたばこ・藍・綿花など単一作物栽培を黒人にたよっていたため、奴隷制度の存続を希望した。


北部産業資本家を母体とする共和党のアブラハム・リンカーンが、1860年第十六代大統領になると、争いが表面化した。民主党の地盤である南部11州は、1861年ジェファーソン・デーヴィスを大統領にえらびアメリカ盟邦を結成する。


まもなく北と南は戦争に突入した。 南北戦争は60万人以上が戦死するという、一国の戦争としては例を見ない程の激しい戦いであった。一時はリー将軍率いる南軍が優勢であったが、1863年七月のゲティスバーグの戦いで、グラント将軍指揮下の北軍は南軍を撃退したことが、戦況を転換させる。


同年十一月、この戦死者を葬る式典でリンカーンは、『人民の、人民による、人民のための政府が、この地上から消え去ることのないようにしなければなりません』との有名な演説をおこなう。ヒコが謁見をした一年半後のことである。


リンカーンのファースト・ネームであるアブラハムは、旧約聖書の中に登場する偉大な族長の名前であり、〈諸国民の父〉を意味する。奴隷を解放するとの政策は人間愛、親が子に対する慈悲の精神である。リンカーンはまさに聖書の中のアブラハムであった。


                                つづく

        


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ