5.第一章(漂流)---漂流2
5.第一章(漂流)―――(漂流)2.
初めて島影が見えた日のことだった。彼らは紀州南端の潮岬か土佐の鼻辺りか、あるいは伊豆の島々のどれかか八丈島にちがいないと色めきたった。しかし、そのいずれでもなく得体の知れない外国かもしれないと誰かが口走るや、一同意気消沈した。
異人は人肉を食べると信じられていた。そんな安穏なことを言っている場合でないと誰かが言うと、すぐに栄力丸船上に激しい議論が起こった。意見は二手に分かれた。紀州あるいは土佐の先端か、伊豆か八丈のいずれかで議論を戦わせた。
伊豆・八丈説を主張したのは安太郎と清太郎だった。ふたりは上陸には反対だった。彼らには苦い経験があった。
この時期、遠州灘沖で季節風に流された船の多くは黒潮に乗せられ、伊豆七島の八丈島方面へと流された。中国から日本を目指した船も多数打ち寄せられた。安太郎と清太郎はつい数ヶ月以前にも、住清丸という別の船で遭難し八丈島に漂着していた。
八丈島は流刑の島であった。大海の孤島であるため、島の住民は犯罪人、漂流者などの外来者を親切にもてなした。しかし食糧事情はきわめて悪く、つねに飢饉の状態にあった。
本土からの援助を頼むにも、船の便が限られていた。また海が荒れると、それもままならなかった。安太郎と清太郎はそういう飢餓のなか、望郷の八十日を送ったのだった。最後は島の地役人の船で送還された。
二人にはまだ八丈島における空腹と郷愁の記憶が生々しかった。万蔵の言ったとおり栄力丸が南風に乗っているなら、いずれ本土に到達するだろうからそれまで待つほうが賢明だと言った。
意見は実体験によるものだったので、かなりのものが賛同した。他方、紀州・土佐の南端説を採用したものは、南風がすでに彼らを本土近くまで運んでくれていると信じた。彼らはすぐに上陸するべきだと主張した。
万蔵はいずれの側にも立たなかった。部下たちに任した。
評議は平行線をたどり、結論を得ないうちに島影が視界から消えた。しばらくして別の島が現れたときも、意見はまとまらなかった。
彦太郎は陸地ならどこでもいい、人食いが襲ってくれば逃げたらいいと思った。木登りや駆けっこには自信があった。
幼い時分より、暇さえあれば庭先にある柿木を上り下りしたり、近くの砂浜にでて走り回ったりして遊んできた。体格も同年輩の仲間たちよりは勝っている。しかし船乗り経験のない彦太郎は黙って耳を傾けるしかなかった。
漂流続行派、即上陸派の双方とも確信があるわけではなかった。生還を目前にして彼らを最終的に躊躇させたものは、万蔵の予告と異人人食い説だった。
万蔵は南風を言い当てた。彼の言うことが正しければ、遅かれ早かれ本土に到達できるのである。それにまた眼前の島が必ず本土の一部か八丈の島のいずれかであって、絶対に人食い鬼の住む異国ではないという保証はどこにもなかった。
もし彼らが助かる一縷の望みもないことを知っていたら、得体の知れぬ島にでも、人肉鬼に遭遇する危険を冒してでも、敢えて上陸したであろう。ところが、順風はなお続き、眼前の島をやり過ごしても、そのうちきっと本土が見えてくることを彼らは信じて疑わなかった。
島影が視界から消えた頃、俄かに風向きが変わった。風は東に向かって吹き始めた。海水の色が紺色を増したのは黒潮の海域に入ったことを示していた。
栄力丸は本土からは逆方向、沖合に向かって流されているのであった。カモメやアホウ鳥が姿を消したのもそれを証明していた。彼らは今しがた意見がまとまらずに島をやり過ごしたことを悔やんだ。しかし後の祭りであった。
《場所はどこでもよかったぞ。助かることが一番だったのじゃ。それに寺子屋のお師匠さんは異国人が人肉を食うちゅう話は嘘偽りじゃと笑っておられた。子供じゃと思うて、ワシは黙っておったが。しもうたことをしたのう》
彦太郎は仲間たちが議論を戦わしたとき、自分の意見を言わなかったことを後悔した。
以後は来る日もくる日も波また波、縹緲たる大海の真っ只中であった。積み荷のなかで食料にできるものがあったし、またサワラやサバが釣れたので食べ物にはそう不自由はしなかった。魚は刺身にしたり、塩漬けにしたりした。飲料水は海水を煮立てて真水を得た。
彼らは毎日交代で甲板に立ち、見張った。見張りに立つのは子どもの彦太郎にも簡単にできた。彦太郎は懸命にひとみを凝らし水平線を見つめた。
船室にいるとき彦太郎は日記をつけた。母が一角の商人にするため彼を寺子屋に通わせていたのが役立った。吉佐衛門が彦太郎の旅荷のなかに矢立てを加えていたのであった。
仲間はすべて玄人の船乗り、素人で客身分の彦太郎は彼らとは話題が合わなかった。書き物をしているときが唯一彦太郎の心が休まる時であった。
連日の寝食と見張りだけが日課の単調な日の繰り返しであれば、書き付ける話題といえば天候ぐらいしかない。
十一月二十九日 連日降っていた雨がやっとあがり、晴れる。
十二月一、二日 この頃晴天がつづく。しかし、西風が吹き大変寒い。
十二月 五日 今日も厄日だった。前日らいの雨は朝方晴れたが、西風がいっそう強
く噴き始めた。そのため波が舳先を越え、前倉に浸水した。
当て所ない漂流のなか、彼らは碁を打ったり、将棋を指したりして不安と焦燥を紛らした。しかし意気阻喪の極みにいれば、焼け石に水。一、二局囲み、二、三番さしたところで放り出してしまった。
逆に、角の磨耗した碁石や手垢で汚れた将棋の駒は彼らに故郷を思い出させ焦燥の念をつのらせた。
彼は遣り場のないいらだちの捌け口を最後は賭博にもとめた。偶然つんでいた千両箱を船箪笥から持ち出してきて賭けた。船中での博打は禁止されていたが、生きて帰れてこその御法度であった。
小判を賭けてのやり取りは碁や将棋にくらべればましであった。美しい黄金の輝きは多少とも孤独感をなごませてくれた。ところがこれも現金が動いたのは最初の二、三回だけで、獲得した小判にはまもなく見向きもしなくなった。
生還の望みのない身には石ころ同然である。騒いだ後に残るの絶望感はそれだけ激しかった。
囲碁はおろか将棋もろくに指せない彦太郎は、仲間たちを側で見ているしかなかった。彦太郎は浅くて冷めやすい彼らの一喜一憂を黙って見聞きするしかなかった。浅草見物に彼を連れ回してくれたときのあの人懐っこくて、底抜けに明るい彼らからはあまりの変わりようだった。
全員が絶望に打ちひしがれた中で船頭の万蔵だけが平常心をたもっていた。
「神様、お願ぇです。ワシたちを残らず生きて帰らせてくだせぇまし」
万蔵は毎朝海水で身を清め、朝日に向かって柏手を打った。彼は栄力丸を嵐に遭難させた責任をおのれひとりに被せていた。万蔵に次いで乗組員たちが次々と万蔵に倣った。
彦太郎も祈願に加わった。しかし仲間ほど身は入らなかった。世間の艱難をいまだ経験していない未熟者には、嵐を生き延びた現在、栄力丸の難破は単なる過去の出来事だった。
生きていさえすれば何とかなりそうな気がした。それに生還できたとしても、実母に会えるわけではなかった。待っているのは義理の父と兄だけ、しかもふたりに会えたのは何ヶ月かに一度、彼らが船を降りて帰省してきたときだけ。よその人同然だった。
祈願と見張り以外は単調な明け暮れであった。彼らは薄暗い船室にじっと横たわり、空腹になれば身を起こして食べるといった単調な日々の繰り返しであった。
彦太郎としても日記に書き留めるほどの出来事とて起こらず、船倉で猫とたわむれるのを日課とした。彼は猫と遊ぶときだけは心が安らいだ。
手を出したり紐を投げ掛けたりして相手になってやると猫は喜んでじゃれついてきた。彦太郎はこのときほど獣を羨ましいと思ったことはなかった。
白地に黒のぶち猫で、彦太郎はクロと名づけた。