58.第6章(新たな旅立ち)---南北戦争(1)
58.第6章(新たな旅立ち)−−−南北戦争(1)
一旦思い立つと、ヒコは居ても立っても居られなくなった。忘れかけていたアメリカの懐かしい人々や町並みが次々と思い浮かんだ。
サンダース氏は今すぐにでも会いたい。別れるとき彼は事業の破産で貧窮の底にあった。その後はたして、再起されたであろうか。エリザベス夫人やサンダース家の子どもたちと一夏を過ごしたヘレンの谷の牧場は懐かしい。
馬で駆け巡ったり、教会へ行ったり、夢のような日々だった。牛の乳の美味しさを知ったのもその時である。
帰国前ヒコは祖国は自分をもう少し温かく迎えてくれると思っていた。漂流民を咎人扱いしていたとはいえ、それは江戸幕府の方針。市中の人々や商売人たちとは、そのうち打ち解けあえると安心していた。ところがそうでなかった。
ヒコを見る眼つきは少しも変わらない。得体の知れないものをこわごわ窺うという視線だ。漂流中に拾われたオークランド号船上で、初めてアメリカ人に出会ったときの栄力丸の仲間たちの眼がこれと同じものだ。
人間を飼い太らせて食ってしまう人食い鬼、赤鬼…本気で恐れた。かつてはヒコ自身もそうだったのだ。
「今は僕自身が赤鬼だよ。人を取って食べる人肉鬼なんだ」
「人肉鬼とは参ったな」トロイはちょっと苦笑してヒコの再渡米に賛成した「君は性急過ぎると僕は思う。人の心はそう簡単には変わらないよ。君は熱しやすいところがある。よし分かった。じゃあ、しばらく日本を離れて頭を冷やすことにするか。殺し屋から身を守ることにもなるしね。仕事のことは心配するな。君の留守中責任もって僕が面倒を見よう」
トロイは機嫌よく送り出してくれた。
1861(文久元)年、九月十七日ヒコは帆船キャーリントン号で日本をたち、十月十六日にサンフランシスコに到着する。二十九日の航海であった。
下船後、直ちにかつての雇い主のT・G・ケリーしを訪ね、挨拶ともども再渡米の目的を告げる。世話になった人々への手土産を彼にあずけ、同時に営業目当てで所持してきた商品の販売もケリー氏に依頼する。
「それなら、ヒコ、書面で申請するより直接君がワシントンに足を運んだほうがいいよ。仕事が早い。シスコの銀行家や実業家たちの海軍長官宛の紹介状を私が用意してやるから、それも持っていきたまえ」
ケリーが紹介状を準備してくれているあいだヒコはシスコ税関のために一仕事する。
ヒコと同じ船キャーリントン号で帰米した一船客が持ち込んだ、日本の陶器漆器の評価を頼まれた。彼は自分の乗って行った持ち船を日本で売り、得た金1万5千ドルでそれらを買ったとのことである。
ところが日本の事情を知らない税関役人には只の器に見えたため、所得隠しと疑った。ヒコは持っていた横浜での価格評を示し、役人を納得させた。買主も大いに満足した。
一ヵ月ほどして、マコンダリー商会前社長トーマス・ケリー等、サンフランシスコの主要商社および九つの銀行連名による海軍長官G・ウェルス宛て推薦状と、これを保証するサンフランシスコ税関長ピー・ランキン以下七名の高級官僚署名入りの書状をヒコは受け取った。
推薦状には、ヒコは日本人であるが、今は気化して米国市民である。滞米経験長く英語に通じ、かつ商業教育をもうけている。神奈川の合衆国領事館の通訳としても目覚しい働きを示した。今回、神奈川海軍倉庫委員には打ってつけの人材と心得ます。
十一月の中旬、ヒコはこの推薦状と書状をふところに、シスコを出発する。パナマ地峡を横切ったあと、パナマ汽船会社のチャンピオン号に乗り込み、ニューヨークに向かう。
十二月十四日、セントドミンゴ島を過ぎた辺りで突然に一艘の蒸気帆船がチャンピオン号に危難信号を上げながら接近してきた。船長は乗船客が騒ぎ始めたのを押さえて、その船の形状を彼らに告げさせた。
当時、北部と戦争状態にあった南部政府は私設の海賊船を公認していた。北部所属の船舶を襲撃させ奪取するためである。危難信号を上げて近づくなど、ヒコたちの船長はその手口を心得ていた。その年の四月に勃発した戦いは激化の一途をたどっていた。
船長は彼らの報告を受けるや、チャンピオン号の船首をめぐらして、全速力で不審船に向け船を突進させ始めた。不審船はこれに驚いたとみえ、慌てて向きを変え逃げ出した。蒸気機関さえ作動させた。こちらの船を軍艦と間違えたようであった。しかしまもなく、勘違いに気付いたらしく、再び危難信号を出して迫ってきた。
チャンピオン号は全速力を出し逃げに逃げた。そのうち諦めたのか、相手は追ってこなくなった。
「あの汽船はね、サムテル号ってぇいう南部の船でね、船長はセンムスって野郎なんですよ。直に諦めたところを見ると、畜生め、からかい半分だったんでしょう。ハハハ」
安堵の胸を撫で下ろす船客たちに向かって船長は事も無げに言った。
ニューヨーク到着は十二月十六日午後である。水先案内人が新聞を抱え乗船してくると、乗客は彼から奪うようにして新聞を受け取り、眼をとおし始めた。戦争の行方を知るためだ。
〈ポトマック河畔のわが北軍部隊、近く進軍開始か。大会戦迫る。10万の南軍、ワシントン進撃中。北軍の少佐、反逆罪で裁判か。イギリス政府、合衆国政府にメイソンとスライデルの引き渡しを正式に要求〉
戦況に関する記事がほとんどである。
メイソンとスライデルの引き渡しとは、北軍が公海上でイギリス船を臨検し、乗り合わせていた南部連合欧州使節のメイソンとスライデルを逮捕した事件である。世界市場に覇を唱えようとするイギリスにとって、工業の発展著しい北部は邪魔になった。
イギリスは表面上は中立を守りながらも、裏で南部に協力していた。南部を助け、間接的に北部の工業力を削ごうとした。南軍のために軍艦の建造を引き受けた。
合衆国とイギリスのこの国家レベルの関係は、両国の日本外交にも影を落としていると思った。ヒュースケン殺害に端を発した外国公使館の江戸退却について、ハリスとオルコックの間で意見が対立したのだった。
チャンピオン号の乗客は北部の出身者ばかりであったから、異口同音にイギリス政府の要求に憤慨し、これに対する合衆国政府の断固たる拒否を要求し叫んだ。中にはイギリスとの開戦を主張するものまでいた。
翌日、ヒコはケリー氏の叔父が経営するケリー商会を訪れ、挨拶をする。ところが、ホテルに帰ってから高熱に襲われ病床に伏せる。麻疹であった。日本では流行っていたが、こちらではそれは聞かない。不思議である。
十日ばかりして病が治り、ヒコはケリー氏の紹介状をもち、彼の二人の義兄弟に面会するためボストンに向かう。先立ってケリー氏の母親をケンブリッジに訪ねると、初めて会ったにかかわらず、ヒコのことは息子よりよく聞いているといって厚遇してくれた。
「ちょうどよかったですわ。貴方がお目当てのアガーセさんとフルトンさん、明日二時、会食でここにくることになっています。あなたも是非いらっしゃい」
ヒコがボストンに来た用事を聞くと、母親はこう言って横手を打った。
翌日時刻どおりに訪ねるとアガーセはすでに来ており、紹介状をみせると二つ返事で、国務長官のシュワードと元老院議官サムナールなど関係者宛に紹介状を書くことを約束してくれた。
会食中彼は博物学に興味があるらしく、日本の動植物について細々と質問したあと、帰朝したあかつきには標本を何冊か送ってくれないかとヒコに頼んだ。ヒコは快く承諾した。
ケリー夫人は東洋、とりわけ日本の風土気候などについてのヒコの話に大いに興趣をそそられたらしかった。彼女は七十二歳の高齢であったが、言葉遣いがじつに歯切れよく、身のこなし矍鑠としていた。日本の老婆とは大変な違いであった。
「ミセス・ケリー。私は貴方のご主人には大変優しくしていただきました。以前、私がボルチモアのサンダース氏宅に世話になっていましたときに、日本の書籍を送ってくださいました。おかげでその後、日本語を忘れることはありませんでした。
…そうです。国務省入りが駄目になり、職探しもままならずすっかり意気消沈していたときですし、あまりに嬉しくて神様のお恵みと本を押し戴きました。一度お目にかかってお礼を申し上げたいのですが」
「夫ですか。夫はもう亡くなりました。…あれを貴方にお届けしたのは、ちょうど私どもの息子が仕事で、中国に滞在していたときでしたから、異国にいる貴方にも、深く同情しておりました。一度会ってみたいなどとも…」夫人は声を少し湿らせた「でも、今頃は天国から、立派になられた貴方の姿を見て、きっと悦んでいるに違いありませんわ」
ケリー氏はすでに鬼籍の人となっていたのである。
つづく