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53.第5章(試練)---桜田門外の変

53.第5章(試練)−−−桜田門外の変


 日米修好通商条約批准日本側使節団をのせた米国軍艦ポーハタン号と咸臨丸を江戸品川沖で見送ったときヒコは、自分が今確かに日本の開国に携わっているのだと実感した。万次郎のように表舞台だけで輝くより、舞台裏で根回しに奔走することのほうが遣り甲斐があるのだとも思った。それだけに領事館を去るのは心残りであった。


「合衆国にとって今がいちばん大切な時なんだ。今君に辞められると、仕事がすっかり滞ってしまう。アメリカと日本の架け橋になりたいと君はいつも言っていたじゃないか。殺し屋の襲撃のことなら心配するな。必要なら奉行所と掛け合って護衛を付けてもらう …報酬が不満なのなら、政府と掛け合って上げてもらおう。今回の遣米派遣団の世話ではじっさい君はよくやってくれた。ワシントンも納得するはずだ。雇用期間だって君のこの働きぶりなら、融通がきくと思う。だから思いとどまってくれ」


 ヒコが辞表を出したときドール領事はあの手この手で引きとめた。

 もっとも、ヒコを罵倒した出来事については一言も触れなかった。


「政府の仕事だけがすべてではないしょう。外国の製品を紹介することでも架け橋になれると思います。さいわい、シスコのマコンダリー商会で実務の経験がありますし、今回横浜に商館開設を誘ってくれている人がいます」

 ヒコはケイと取り交わした契約書を見せた。


 領事は契約の中身を見て、やはりそうかといった表情でうなずいた。

「ヒコ。君はアメリカ人をよく知らないね。アメリカ人は金には厳しいんだ。家族の間でも争うことがよくある。ここに書いてある条件では、君は何もしなくていいことになっている。

でも、よく考えてみろ。遠方の外国の土地に初めて店を出すんだ。出店する現地で何もしなくていいなんて事はありえないよ。話がうますぎる。そうだろ」


 ヒコは領事の言葉にトーマス・トロイとのことを思い出した。

 香港から再渡米するさいの船賃80ドルをずっとあとになって要求された。彼とはいわば同じ釜の飯を食った間柄、船賃を彼が好意で出してくれたものとばかり思っていた。サンダース氏がかわって支払ってくれたが、そのときサンダース氏は、アメリカではしばしば金は友情より大切だと教えてくれた。


 ヒコは領事の言葉は当たっているだろうと思った。それはヒコ自身も予想はしている。カリフォルニア選出国会議員グインに利用されたとき、ヒコはアメリカ人の口先の上手さに驚いた。彼はヒコを国務省に世話してやるといって、マコンダリー商会で働いていたヒコを無理やり辞めさせ、ワシントンに連れていった。グインの一人芝居だった。あのときはサンダース氏さえ口車に乗せられてしまった。


「私としましても、合衆国領事館にお世話になったことを心から感謝しています。ハリス公使やドール領事と知り合っていなかったら、現在の私はなかったと思います。したがいまして領事館の職を辞したあとも、必要ならいつでも喜んでお手伝いいたします。ご恩返しさせていただきます」


 ヒコは丁寧に一礼して領事館を去った。

          

 ドール領事の予告は当たった。


 三月十日、待ちに待ったケイが帆船ワット・チア号でサンフランシスコから到着した。しかし持ってきたのは現金一万ドルと家具および事務用品だけである。日本で売るはずの商品が一つもない。


ケイに確かめると、手始めに日本で製品を買い、それをワット・チア号の帰り荷として持ち帰り、アメリカで販売するのだという。したがって、一万ドルはそのための費用で、ヒコたちは自由に使えない。


 ケイもほとんど無一文のため、ヒコが駆け回って資金を調達し、税関の施設の一部を借りてようやく開店した。ヒコも事務所に引っ越した。


 ヒコはさっそく帰り荷の調達を開始する。ところが江戸銀座における貨幣鋳造がはかどらないため日本の通貨が払底するし、またメキシコ銀貨は下落が著しい。税関で替えるにも一日の交換高に制限があるため、一万ドルを交換するには二ヶ月を要する。


 その間ワット・チア号を遊ばせるのはもったいない。香港までの貨物を募集し集めて、香港までの往復の間、毎日一定額を両替をする。しかし、船が戻ってきてもまだ五千ドル分残っている。仕方なく、税関官吏に直接掛け合う。


〈先例をつくることは好ましくないため、ご要望をにお応えするのは難しい。しかし、先般ロシア人殺傷事件における貴方のご尽力に報いんと日本政府も心掛けている折でもあり、貴方はもはや一般の外国人と同じであって、許しがたいことではありますが、貴方に限りご請求の二千五百ドルだけは引き換えさせていただきます〉


 税関所長・柴田定太郎名の書状で返事を受け取る。

 ワット・チア号はまもなく積載を終え、サンフランシスコに向け出帆した。


 ヒコの商売が軌道に乗り始めた1860(万延元)年三月二十四日の昼近く、降りしきる雪をつき誰かがヒコの事務所のドアを叩いた。領事館からの急使である。江戸表で大老井伊掃部頭登場の途において被害に合われたとのこと、直ちに領事館に来て欲しいとのことだった。ヒコが駆けつけると領事はハリス公使からの手紙をヒコに見せた。


 世に言う、桜田門外の変である。いわゆる「安政の大獄」など、攘夷派に対する弾圧政策を推し進めた大老井伊直弼を水戸と薩摩の浪士十八名が襲った事件である。


事変のニュースはたちまち居留地に広まり、人々は騒ぎおののいた。四百人もの従者を従えた大老が、浪士十数に無残に斬りつけられたというのだから、ヒコも恐怖で我を忘れた。ロシア見習士官の内臓のはみ出た死体が眼の前に浮かんだ。震えが止まらないのは雪のせいばかりではなかった。


 政情不安の折りしも、人心の更なる動揺を恐れた江戸幕府は、各国公使に特使を派遣して、凶変を告げ、大老は浪人の襲撃を受けたけれども、傷は浅く命に別状はないと伝える。イギリス公使は必要なら軍医を派遣することを申し出たが、幕府は傷は生命を脅かすほどのものでなく、快方に向かっていると辞退する。


二週間ほどして幕府は各国公使に対して、大老が過般の手傷で鬼籍に入ったと連絡した。

しかし真実は、大老は襲われた直後桜田門外の雪と消えて、首はその場で斬りおとされ、浪人たちが持ち去ったということだ。


 この凶事により彦根藩は三十五万石から二十四万石に削られた。日本の習慣ではこういう場合は襲撃を受けたものの側に非があるとされるようだった。いかなる攻撃にも耐えられる護衛と防御が要求された。


 ヒコは事件の余燼がくすぶるなかで、幕府徳川家の世継ぎ問題が背景にあることを聞いた。

将軍を英明で選ぶか、血筋で選ぶか、両派に分かれて争ったという。十二代将軍家慶の死後十年近く、その間に関係した志士たちが何人も捕らえられ切腹をさせられたともいう。


 喧嘩両成敗。むかしよく聞かされたが、武士の間では仇討ち思想として尊重されている。復讐するのは、相手の得意絶頂の瞬間を狙えという。桜田門外の志士たちはその通り実行した。上巳の節句のため供人は式服を身に付けたうえに、雪避けの合羽を被っていた。それで身動きがままならなかった。


国の代表を世襲にし、男児にそれを継がせる。そしてそれぞれ気に入った候補者を立て、血で血を洗う闘争に終始する。いっぽう、大統領は人々の中から選ばれる。能力さえあれば誰でもなることができる。アメリカ型政治とのどうしようもないほどの距離。

 ヒコは溜息をつくほかなかった。


                                  つづく





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