48.第4章(帰国)---義兄との再会
48.第4章(帰国)−−−義兄との再会
アメリカ領事館が開かれてまもなく、仕事からの帰り道ヒコは一人の男に呼び止められた。彼は隣町の神奈川の人間で、ヒコの身の上を知っていた。彼は、九年前に漂流した日本人が、アメリカ人となって帰国したとの評判を江戸で聞いて、もしかして自分の弟ではないかと確かめるため横浜に来ているとヒコに教えてくれた。
ヒコはすぐにドール領事にその旨告げて、義兄と思われる人物を訪問させて欲しいと頼んだ。ドールは快諾を与え、是非領事館まで案内するよう言った。
ヒコは義兄らしい男が泊まっている旅館に行ってみた。間違いなく義兄の宇之松だった。義兄は目尻や口もとに皺が目立ち、頬がややこけている以外は昔の面影をとどめていた。
「義兄さん! 宇之松ニイさんでしょう。お久しぶりです。私、彦太郎です」
ヒコは懐かしさのあまり、駆け寄ろうとした。ところが宇之松は狐につままれたようにきょとんとした顔をして、ヒコの方を見つめるばかりである。
宇之松がヒコを認めることができなかったのは当然であろう。ヒコが遭難したのはまだ十三歳のとき。ヒコが普通の子どもに比べかなり大柄ではあったが、体つきはひょろ長く顔は童顔であった。
いっぽう今眼の前にいるヒコは、まもなく二十一歳になろうとする成人男性。立派な大人の体格をしている。さらに丁髷を落とし、ひげを生やし、洋服まで着ている。別人と映っても仕方なかった。
「私は、あなたの義弟の彦太郎です。みんなから彦ドンと呼ばれていました。むかし江戸から帰る途中で、私が乗る船が遭難しました。栄力丸という大きな船で、船頭は確か万蔵さんとかいう人でした」
ヒコは行方不明になったときのことを話した。
宇之松はそう言われれば、思い当たるふしはあるといった表情で、二度三度と頷いたが、それでもまだ半信半疑の様子である。
そこでヒコは、自分の父の名前は吉佐衛門といって、江戸通いの船に乗っていたこと、彼は本当の父でなく継父であり、幼いころに母が自分をつれて義父のところに再婚してきたこと、母は自分が江戸に出かける前に亡くなったことなど、さらに詳しく彦太郎時代のことを説明した。
ヒコは怪しい日本語を探りさぐり、遠い記憶を手繰り寄せながら懸命に話した。
宇之松にやっと通じたようだった。
「おお、彦、お前かぁ。…間違ぇねえ。お前、彦じゃ。彦じゃわい」彼は突然顔を輝かせヒコに駆け寄った「ワシャ、会いたかったぞぉ。彦。本当によう、無事で…」
義兄は途中で声を詰まらせ、最後はわっと泣き崩れた。
ヒコも耐えられなかった。突如として涙が溢れてきた。遭難以来の様々な苦労が思い出され、後からあとから涙がこぼれ出た。子どものようにしゃくり上げた。
宿の女将が茶を入れてきた足音で二人はわれに返り涙を拭いた。
ヒコは難破以来の異国の生活をかいつまんで語ったあと尋ねた。
「それで、お義父さんはお達者ですか?」
「親父は、大分前に亡うなったわい。死ぬまで、彦、お前のこと気にしとった。あのとき栄力丸に預けさえせなんだら、とのう」
義父は航海から帰郷するたび、みやげ物を買ってきたり、旅先での面白い話をしてくれたりした。ヒコが異国に興味を抱いたのはこの義父の存在があったからとも言える。ヒコは青年外交官となった今の姿を義父に見て欲しかったと思った。
この後ヒコは義兄を領事館に連れていきドール領事に紹介した。ドールは大柄で身長は一九〇センチメートル近くある。顎には白い髭を豊かにたくわえ、端正な顔立ちをしている。ドールが歩み寄り握手を求めると、欧米の習慣を知らない宇之松は戸惑ってヒコを振り返った。
「アメリカでは紹介されたとき手を握るのが習わしなのです。日本でも会ったときお辞儀をしますね、あれと同じですよ」
「異人は変わったことをするモンじゃのう」
ヒコの説明に安心したように義兄はドールの手を握った。
ドールは召使に飲み物と茶菓子を用意させたあと、異国の写真画帳を取り出し、宇之松に見せるようヒコに告げた。外国の品物といえば、日本人は舶来品の表面に描かれた絵ぐらいしか見たことのなかった時代である。宇之松は写真一枚々々に眼をまるめ、説明一つ一つに感心した。
ドールは宇之松に二、三日滞在するようすすめたが、義兄はうわさを確かめにきただけで、帰りの船に間に合うように品川に戻るには、一日たりとも無駄にできないと辞退した。それで夕食だけなら頂くといった。
生まれて初めて食べる洋食に、義兄は一箸ごとに料理の名前、作り方などをたずねた。教えてもらうとやっと安心したように口に運んだ。
ヒコは別れるとき、アメリカ銀貨、絵入りの新聞などとともに、ヒコがサンフランシスコ出発前にヴァン・リードと写した写真を一枚、記念として宇之松に贈った。
この写真は、アンブロ・タイプというガラス板に写す種類のものだったが、未だ写真というものを見たことのない郷里の人々の間で大変な評判を引き起こし、ついには大坂町奉行所の耳にも達っする。宇之松は写真をもって奉行所に出頭することを命ぜられ、一ヵ月半も宿で待機させられた後、差し出すと、預かりおくとの沙汰であった。
彼は半年後再び呼び出され、親類縁者以外のものには見せないとの条件付きで、写真を返却された。
ヒコに再会したとき彼は、写真一枚のために大変な目にあったと苦笑いした。
つづく