4. 第一章(漂流)---遭難
3 第一章(漂流)--- 遭難
万蔵の言葉が終わるかおわらないうちに、大粒の雨が一つ彦太郎のほおを叩いた。二滴目はさらに強くひたいに落ちた。まもなく天が開いたかの如くどっと降りはじめた。車軸を下すほどの勢いだった。甲板を打つ激しい雨音は舳先に砕ける黒潮の波音を掻き消した。やがて突風が吹き始め、雨は横殴りに変わった。
「安太郎、次作、岩松。早ぇこと帆をたため。ほかの連中は、積み荷の具合を見ろ。荷がくずれでもすりゃあ船が横倒しじゃぞ。いそげっ!」
万蔵は周囲に集まった水主たちに向かって叫んだ。嵐が最初に牙をむいたのは彼らが積み荷の点検作業が終えて間もなくのことであった。
彼らが船倉で息をひそめ横になっていると、突然体ごと宙に投げ出された。船全体がまっすぐ持ち上げられ、再び落とされた感じであった。やがて左右の揺れがこれに加わった。栄力丸は激しく船体を軋ませながら揺り上げられ、放り出されていた。
この嵐は今でいう冬の季節風であるが、当時は大西風と呼ばれ、航路を走る船乗りたちに恐れられた。一度吹き始めるとなかなか止まなかった。
栄力丸の嵐との戦いは始まったばかりであった。船体の揺れは大きく、そして軋みは激しくなる一方だった。船体がそのまま解体されるのではないかと思われた。まもなく留め縄が切れ、積み荷が床の上を走り始めた。
荷を元に戻して再び固定しようにも、ともに放り上げ投げ出される水主たちにはなすすべはなかった。辺りのものにつかまって立ち上がろうとしても、次の一撃をくらいまた引っ繰り返される。荷物といっしょに転げ回る以外になかった。
揺れがおさまったとき、彦太郎は船倉から首だけ出して外を見た。しかし空には星一つとして瞬かず、海上は漆黒の闇であった。見えるのは船べりに砕け散る波頭だけである。時どき聞こえる帆柱の軋みが不気味にひびく。
そのうち彦太郎の頬を波しぶきの礫が一つ襲った。するとそれを前触れにしたかのように、大きな揺れがやってきた。そして、彼は体ごとふわりと押し上げられた。と思うや、次の瞬間船底にもんどり打って放り投げられた。
時化は一層激しさを加えた。激しい船体の傾きに、もはや持ち堪えられなくなった水主たちは互いに衝突し始めた。彦太郎はひっくり返されるたび、義父の吉佐衛門と死んだ母親の顔を思い浮かべた。
吉佐衛門は息子を栄力丸に預けるのに最後までためらった。また母親は生前彦太郎が船乗りになることに強く反対した。彼は義父や母の言葉を聞いておけばよかったと思った。
乗組員たちは翻弄されながらも懸命に励まし合った。しかし、やがて力尽きた。船酔いに見舞われた。彼らは嘔吐の苦痛のためにも、またのたうち回ることを余儀なくされた。
「いけねぇ。水漏れじゃっ!」
誰かが叫んだ。
甲板の板の隙間から浸水が始まったのだった。
こういった溜り水はアカと呼ばれたが、通常の浸水の範囲内であれば、スッポンと呼ばれる船内設置の手押しポンプ一台で十分間に合った。しかし嵐の真っ只中、次から次へと大波をかぶる栄力丸にはそれは焼け石に水であった。
「みんな。手桶じゃ。オケで掻い出せ!」
万蔵の言葉に、それまで転げ回わることしかしなかった水主たちが、一人またひとりと立ち上がり、アカに立ち向かい始めた。彦太郎も手伝った。しかし生まれて初めての船酔いである。手桶から海水を打ち捨てるとき、彦太郎はどうしようもない程の吐き気に襲われた。胃がいっしょに飛び出そうな感じがした。
「羽板がやられたぞ!」
舵取りの長助であろう、悲痛な叫び声が切れ切れに飛んできた。
方向蛇を失った船はより安定感を失う。彼らは船体を軽くするため積み荷の半分を海に捨てることにした。よろめき、ぶつかり、転倒しながらの放擲作業は容易ではない。大きく船が傾いたとき、誰かが何かを呻いた。念仏であった。
南無阿弥陀仏…。つられたようにそこここから一斉に起こった。伊勢神宮や金比羅宮の神々に祈るものもいた。一人残らず髻の紐を切り、払い髪にして一心に祈願した。彼らはすでに最期を覚悟したようであった。
彦太郎も倣ってざんばら髪にし、懸命に念仏を唱えた。彼は読経などしたことはなかったし、経文の文句も知らなかったが、仲間たちの口真似をした。
二回目に船体が大きく傾いたとき彼らは帆柱の切断を考えた。決定するのは船頭の万蔵である。しかし万蔵は乗組員たちの決定に任せることにした。彼はついこの春、名前も同じ栄力丸という船を嵐の中で帆柱を切り倒させ、結局沈ませてしまっていた。
衆議の結果は切断派が多かった。というよりも、嵐のときは切り倒すのが当時は常識とされた。後の漂流を考えれば愚かな行為なのであるが、帆柱を吹き抜ける強風の凄まじい音をきかされると、船乗りたちはやがては船体が傾き、転覆してしまうのではないかと思うのであった。
少なくとも栄力丸の一行にとっては巨大な帆柱は平衡を損なわせる恐れがあった。立つことさえ困難な状況のなか、斧を打ちつけるのは並大抵の作業ではなかった。しかし水主たちは最後の力を振り絞って一辺が三尺(約1m)もある松明式の角柱と格闘した。疲れると交代した。六十歳を迎え、老いの著しい万蔵も自らを奮い立たせた。
一刻も早い切断のためには非力な少年であっても貴重な人手である。彦太郎も手伝った。彦太郎は渾身の力を込め斧を打ち込んだ。ところが七振りか八振りで、たちまち息が切れた。心臓が飛び出すのではないかと思った。自分と比べて体格はそう変わらないのに、体力のほうは格段にすぐれる仲間たちを彦太郎は羨ましく思った。
四つ(午前十時)頃から始め、八つ(午後二時)頃を過ぎても、切り込んだ深さは三分の一程度であった。精魂使い果たした彼らは一人また一人と座り込んだ。まもなく一際巨大な波が押し寄せてきたとき全員眼をつむった。転覆を覚悟した。
ところがこの大波が残りの三分の二の仕事を一挙に仕上げてくれた。船体を持ち上げたうねりの力が帆柱の切り目に集中し、柱の上部がへし折られたのだ。栄力丸の巨大な帆柱は大音声とともに海中に落ちていった。
船が安定を取り戻しても、安堵する暇はない。溜り水はくるぶしを越えている。一同は再びアカの汲み出しに取り掛からなければならなかった。彼らは棒のように鈍った腕に渾身の力を込めて桶を振った。念仏も祈りも発する余裕はなく、ただ狂ったように掻いた。
やがて風がおさまりかけたのか、揺れが弱まり水の漏れ方が減ってきた。緊張の糸が切れた水主たちは船酔いと疲労のためその場に次々と崩れ始めた。彦太郎も我慢できなくなり倒れた。そしてそのまま気を失った。
和船である栄力丸の大きさは千五百石。洋船では150トンに相当した。平成の練習帆船日本丸は、総トン数2570トン、また同海王丸はそれぞれ、2556トン。栄力丸は木造船でもある。
栄力丸の揉まれよう、翻弄されようがいかに凄まじかったかは、想像するのに難くはないであろう。