33.第3章(新世界)---ミッションスクール
33.第3章(新世界)−−−ミッションスクール
ウエストポイント士官学校は合衆国陸軍の幹部候補を養成する機関だった。創立は1802年の第三代大統領T・ジェファーソン時代であるが、前身は初代大統領G・ワシントンが1778年に、ハドソン河の船舶を監視するために建設した要塞である。
ちなみに、南北戦争時におけるグラント、リー両将軍、戦後ではGHQのマッカーサー元帥、最近ではパウエル長官等も卒業生である。ニューヨーク州北部ハドソン河の西岸にある。
明けて1854年1月、いよいよロシアへ向け出発することとなったサンダースは彦太郎を呼んで言った。
「私ハ君ヲ伴ッテ行キタイ。シカシ君ヲココニ連レテキタノハ、学校ニ通ワセルタメダ。一緒ニ行ッテ、帰ッテキテカラ学校ニ入ルコトモデキルガ、ソレデハ学問ヲスル時間ガ少ナクナルカラネ」
「貴方居ナイ、私、大変寂シイ。デモ、勉強。大切。良ク分カリマス。学校ドウシマスカ?」
「大統領閣下ハ、士官学校ヲ薦メラレタガ、私ハ君ニハ軍人ナドニハ成ッテ欲シクナイ。君ガ将来、日本ニ帰ッタトキ、皆ノ役ニ立テラレル様ナ学問ヲヤッテ欲シイノダ」
父代わりのサンダース氏に去られるのは心細い限りではあるが、一人前になるには耐えなければならなかった。
彦太郎が入れられたのはボルチモアにあるカトリック系のミッションスクールで、法律と経済を専門とした。教授が一五人、学生が一六〇人いた。カリキュラムは聖書の講義、外国語、哲学、天文、地理、数学、音楽など、希望にしたがって選択できた。クラスは六つに分かれ、それぞれ異なった教科が教えられた。
彦太郎は通学が難しかったので寮に入った。1ヵ月12ドルの入寮費はサンダースが出してくれた。英語が不自由であったので、個人レッスンを特別に施してくれた。
級友たちはみな親切で愛想がよくて、暇さえあれば彦太郎のところへ押し寄せ、英語を教えてくれたり授業で付いていけないところを助けてくれたりした。そして最後はいつも日本についての質問攻めにあった。
初対面のものの質問にはいつも失望させられた。
「君ハ中国人ダロウ。君ノ国モ結構大キイジャナイカ」
彼らにとって東洋人は中国人を意味した。「ジャパン」なる言葉を知らなかった。
「私、日本人。ココ私ノ国。コレ江戸。国ノ中心ダ」その都度彦太郎は地図を持ち出し日本の場所を教え、あとで付け加えることを忘れなかった「…富士ノ山、大変綺麗、ココ!」
江戸からの帰途、万蔵とともに相模の海から見やった勇壮秀麗な富士山の姿は、彦太郎のまぶたの裏にいつまでも鮮明なのだった。
彦太郎は自己紹介をその度繰り返した。栄力丸の遭難に始まり、サンフランシスコでサンダース氏と知り合って、最後に東部に来るまでのことを何度も何度もしゃべった。同じ事をしゃべるのは辟易しないこともなかったが、繰り返すことが彦太郎をして急速に語学を上達させた。
彦太郎はこのミッションスクールで1月から6月までを過ごしたが、大変楽しい夢のような日々であった。サンダースのこともしばしば忘れた。この16〜17歳の年齢は知識を吸収するのに最適な時期である。彦太郎は勉学と友情の双方において学園生活を謳歌したのだった。
夏季休暇に入ると寮生はみな避暑のために帰郷する。彦太郎もサンダース家に戻った。
サンダース家に帰った彦太郎は家族に連れられて、夫人の母親の農場へ避暑に行った。サンフランシスコで初めて出会いその後現地に留まっていたサンダースの息子が帰郷しいていて、一緒に来た。駐露公使としてヨーロッパに赴いているサンダースは留守であった。
別荘はボルチモアから30キロほどのところにあり、一帯は母親の名にちなんで「ヘレンの谷」と呼ばれていた。4キロ四方の広大な農場には牛50頭程と馬25頭程が飼育され、田畑には40人近くの黒人たちが働いていた。
80歳をこしたサンダース夫人の母ヘレンは、彦太郎を自分の孫たちと同じように可愛がった。愛情を注ぐときも叱るときも別け隔てしなかった。
別荘に到着した翌日、朝食に牛乳が出された。
彦太郎は初めて見る飲み物であったため、召使にその正体について尋ねた。
「彦サン、ミルクガソンナニ珍シイダカネ。ホラ、アソコニ居ル牛ノオッパイダワネ」
彼女は窓の外のほうを指差し笑った。
不浄な四足獣の乳を飲むなど、気味が悪くて、どうしてできるか。彦太郎は初めて牛の肉を口にしたときのことを思い浮かべた。あの時は、知らずに食べた。そして美味かった。ところが、この飲み物は鼻を近づけると嫌な臭いがする。
「赤ン坊デモネ、生マレテ一ヵ月モタテバ、母乳ガナクテモ牛乳ダケデ丈夫ニ育ツノデスヨ。貴方ミタイニ虚弱ナ体ノ人デモ、毎日飲メバ必ズ健康ニナリマス。オ薬ト思ッテ飲ミナサイ。…ソレニ御砂糖ガ入ッテイマスシ、氷ヲ入レテ冷タクシテイマスカラ、飲ミ易イデスヨ」
召使から話を聞いた老母ヘレンは彦太郎を諄々とさとした。
仕方なく彦太郎は眼を閉じ、少量口に含んだ。すると予想以上に美味しい。彼は一気に飲み干した。
「大変、美味シイ。世界一、コンナニ美味シイ、初メテ!」
「ホラ。言ッタ通リデショウ」
驚き顔の彦太郎を見て夫人は微笑んだ。
彦太郎は日本人の少年としては大柄である。栄力丸乗組員たちと比べてもそうひけをとらない。しかし人種的に見て、アメリカ人男性の平均からすれば体格ははるかに劣っていたであろうし、漂流以来の度重なる肉体的かつ精神的苦労から体力も相当奪われていたに違いない。
ヘレン夫人に彦太郎がひ弱な少年に映ったのは当然だったかもしれない。
教会に行ったとき、彦太郎は黒人の召使に引かれた馬に一人で乗せられた。始めは怖さ半分面白さ半分であったが、集会が終わって家に帰ってきたときには、すっかり病み付きになっていた。翌日からは、毎日のように馬にまたがり、広大な農場を駆け回った。
「彦。スッカリ上達シタワネ。我ガ家ノカウボーイトシテ雇えるワヨ」
「本当ネ。初メテ跨ッタ時、震エナガラ馬ノ背中ニシガミ付イテタノガ嘘ミタイネ」
夕食のテーブルで夫人たちに褒められた。
彦太郎たちはこの別荘で1カ月あまりの幸せな日々を過ごした。
つづく