3. 第一章(漂流)---別れ
2 別れ
順風待ちの船乗りたちは暇さえあれば、食いだめ寝だめをする。海上では一度天気が荒れると食事抜きで昼夜ぶっとおしの激しい労働がつづく。急にそなえて体力と気力を養っておかなければならない。
住吉丸が寄港して3日目、住吉丸の船に歓喜のどよめきが起こった。住吉丸と同族所有の僚船・栄力丸が入港してきたのだ。栄力丸の船頭万蔵は吉佐衛門と同じ播磨の出であり、ふたりは昵懇の間柄である。乗組員のなかにも播州を同郷とするものが大勢いた。
天候が回復して出立するとき、万蔵が彦太郎に言った。
「彦ドン。ワシの船に乗ってみんか。新造船じゃから乗り心地がええぞ。それに、船脚も速いでのう、江戸には先に着くぞ」
彦太郎は眼を輝かせた。しかし、義父吉佐衛門はためらう。
母親を失った直後の我が子をひとり、他人に任せるのは不安である。しかも外洋を船旅させるのは初めて。自分が付いていてやらないといけない。
「あずかったからにゃあ責任はもつぞ。水主見習いとして、ちゃんと面倒も見るぞ。何にも心配することはねぇ。どうじゃ、吉佐衛門殿」
「浅草へ連れていったりして、江戸見物をたっぷりさせてやりますぞ」
「旅が終わってから、兵庫の港で、間違いのうお引渡ししますわい」
万蔵や栄力丸の役付き乗組員たちが熱心に吉佐衛門の説得をこころみる。
「可愛い子にゃあ旅をさせよと言うぞ、親父。他人の飯を食わせるええ機会じゃ」
息子宇之松の言葉に吉佐衛門はやっと頷いた。
宇之松は十六歳のときから船に乗り、今は水主(船乗り)の筆頭格である表師を勤めている。表師とは平の水主の長で、航路を決定する楫取りの補佐役(副航海士)である。
栄力丸における彦太郎の仕事は炊役補佐である。故郷の朋友の子息とはいえ万蔵は彦太郎を客扱いはできない。船改めにそなえて何かを覚えさせなければならなかった。
船改めとは江戸通いの船に対して幕府が実施した積荷監査のことで、浦賀奉行所が船番所である。検査項目は荷物だけでなく乗組員の数にも及ぶ。一人ひとり仕事の中身について吟味された。受け答えが怪しいものは疑われる。関係者以外のものを乗せることは禁止されたからである。
炊役とは炊事・洗濯・掃除等の用務をこなす水主見習いのことである。雑用は仕事が覚えやすく、容易に船乗りとしての体裁が付けられる。浦賀入港はまもなくである。
炊役の仙太郎は芸州(広島)の出身で、彦太郎についで若い十八歳。温順無口な人物である。彦太郎が下働きとして付いても、彦太郎に仕事は強いてはやらせない。自分でやる。彦太郎がやらせてくれと言うまで、ひとり黙々とやる。自ら教えることはなかった。
彦太郎が船頭の朋輩の息子と知って、特別な感情を抱いているわけでもなさそうだった。彦太郎が火の起こし方がわからず戸惑っていたりすると、知らぬ間に焚き付け用の柴を持ってきて、黙って手本を示した。
仙太郎は誰に対しても嫌な顔をしたり、怒ったりすることはない。職務以外においても、大変口数は少なく、他人に話しかけられるまでは口を開くことはなかった。
彦太郎が仙太郎に次いでよく接する人物は亀蔵と伝吉である。賄方のふたりは出身が芸州(広島)、紀州(和歌山)と異なるが、同年齢の二十二歳。気心が知れているのだろう。彼らは年下で年齢の近い仙太郎に日頃より親近感を抱いているようであった。
賄方は積荷の受け渡しや経理事務を取り仕切るのが仕事で、船頭、舵取、炊方以外のほとんどがこの賄方である。栄力丸の場合は12名いた。
最年少であり、生まれつき人なつっこい彦太郎はたちまち栄力丸乗組員たちの人気者になる。見習いの仕事がないときは大人たちのあいだを回り誰かれなく話しかけた。同郷の清太郎、安太郎、次作の三人は〈彦ドン、彦ドン〉と呼んで可愛がった。彦ドンは故郷・浜田村における彦太郎の愛称である。
「何で、この船はタルカイセンというのじゃ?」
「酒の入ったタルを運ぶ専用の船だからじゃ。彦ドン。おめぇ水主のせがれのくせに、そんなことも知らんのか」
好奇心旺盛な彦太郎はどんな些細な事柄でも尋ねる。相手を選ばなかった。如何なる対応をされようとも、納得する答えが得られるまでは、何度でも質問をくり返す。そして説明には最後まで耳を傾けた。
浦賀では彦太郎は緊張した。しかしそれは船改めのためばかりではない。浦賀は何年か前にアメリカの艦船がやってきて騒ぎを起こそうとした港である。義父から聞いた。鋭い眼差しの役人たちから厳しい口調で尋問されていると、それがつい昨日起こった事件のように思われるのだった。
万蔵の言葉通り栄力丸の江戸到着は住吉丸の予定期日より半月近くも早かった。
霊岸島南新堀の問屋で荷揚げをしてから、さらに隅田川をさかのぼり江戸の中心部へと向かった。両岸には大小無数の船が係留され、土蔵の倉庫がぎっしりと立ち並んでいた。
最後の荷役のあと彦太郎は同郷の大人たちに連れられ、江戸見物に出かけた。
「あそこを見てみろ、彦ドン。あれが千代田のお城じゃ。あんなに大けぇ屋敷は見たことなかろう」
連れに教えられ船着き場から江戸城の望楼を見たとき彦太郎は眼を見張った。
「何ちゅうても、この国を治める将軍様のお住まいじゃでのう。でものう、播州姫路のお城に比べたら貧弱なもンじゃ。姫路城の大きさは海を走る船からでも見えるわい」
彦太郎は瀬戸の船旅を思い出した。帰路飾磨の海の沖合いを通るとき、姫路のお城をはるか遠くに見た。遠目にも白壁が美しく光って見えた。姫路のお城が千代田のお城より立派だという。連れの言葉に彦太郎は誇らしく感じた。
盆踊りか村祭りぐらいしか知らない彦太郎は、江戸の町の人の多さと賑わいに眼を丸くした。とりわけ、浅草の雑踏にはたまげた。江戸中の人間が全部集まってきたのではないかと思った。仲見世の店頭に並ぶ品物は珍しいものばかりで眼を奪われた。しかし時々見慣れたものを見つけ、別れたばかりの義父を思い出した。今戸焼き人形、でんでん太鼓、絵草子などは昔吉佐衛門が江戸土産に買ってきてくれた。今でも大切に仕舞っている。
観音様を拝んだあとは、観音堂裏手に軒をつらねる手品師、講談師、軽業師、矢場、のぞきからくり等の見世物を片っ端から覗いて回った。
「彦ドン。急がねぇと日が暮れてしまうぞ」
「そうじゃ。明日に回してもええじゃろ。万一のことがありゃあ、吉佐衛門どのに申しわけねぇでのう」
大人たちの度重なる説得も効き目はない。彦太郎は一つひとつの見世物にたっぷり時間をかけた。
翌日は亀戸の天神に参詣した。心字池にかかる反橋の面白い形に魅せられ、しばし立ち止まった。
三日目は、『安珍清姫』の芝居に連れて行ってもらった。歌舞伎といって男ばかりが演じる芝居であった。大人たちは出し物の中身を知っているらしく、頷いたり笑ったりして楽しんでいるふうだったが、歌舞伎など見たこともない彦太郎は役者が何をしゃべっているのかさっぱり分からない。しかし役者たちのきらびやかな衣装と派手な踊りだけで十分だった。特に主人公らしい女が一瞬のうちに幼子から順に大人の女に変身してゆく素早さには眼を見張るばかりだった。男が女の役をするというのも面白かった。
十月二十二日、栄力丸は京紅の原料となる紅花、麻などの帰り荷を積込み江戸を離れる。船が出るとき彦太郎は江戸の町を見やりながら、夢のような3日間を思い出した。
途中、大麦、小麦、大豆、小豆、干しか、胡桃などの帰り荷を積み込むため浦賀に立ち寄った。干しかとは雑魚を干した肥料のことである。船改めは二度目なので落ち着いてこなせた。
栄力丸はこのあと悪天候のため日和待を3日間強いられる。しかし、四日目には空が回復し、港内で一緒に待機していた他船八〇艘余りとともに帆を上げた。一八五〇(嘉永三)年陰暦十月二十六日のことである。
栄力丸が浦賀水道を通るとき船頭の万蔵が彦太郎を甲板に呼んで言った。
「彦ドンよ。あそこ見てみろ。おめぇの親父の船じゃぞ」
万蔵の指さす辺りを見遣ると、見覚えのある船が江戸の方角に向け走っている。
彦太郎は住吉丸に向かって懸命に手を振り叫んだ。しかし住吉丸の船上に2、3の人影が見られるものの誰も気づく様子はない。こちらは80艘が隊列を組んで進んでいる。遠く離れたところから、そのなかの一艘を見分けるのは難しい。声をかぎりに叫んだとてだだっ広い海上では声は届かない。
三浦岬をまわり相模灘に入ったとき船頭の万蔵が傍らの彦太郎に向かって叫んだ。
彦太郎はまもなく富士山が見えると聞いて先ほどより待機している。
「あれが、富士山じゃ。日本一の富士の山じゃ!」
往路のときは雲に隠れていて見えなかった。今、彦太郎は生まれて初めて日本の霊峰富士山を見たのだ。相模の海から望む富士山は、秋の午後の陽光をいっぱいに受けて美しく聳えている。
「まだ時季が早うて、雪はかむってねぇが、冬がきて雪でも降ってみろ。頂がきらきらと輝いてのう、そりゃあ、見事なもンじゃ」
彦太郎は雪は珍しくない。彼の住む村でも一冬に何度か積雪する。しかし積もるといっても踝のあたりまでである。また村の近辺には山がない。あるにはあるが何里も北に隔たっている。地平線近くに山並みが低く伸びているだけである。
もし万蔵の言葉どおり、富士の嶺が雪で覆われ、それに朝日か夕日でもさせば、さぞ美しいことだろう。冠雪に輝く富士山をいつの日かきっと見てやる、彦太郎はひそかに誓った。
江戸帰りの船は相模灘を横切ってからは、伊豆の石郎崎、遠江の御前崎をまわって遠州灘に入り、紀州の大島を目ざす。最初の三日間は南西の逆風のため栄力丸はジグザグに間切りですすんだ。和船の場合間切り走法の速度は平均0・5ノット(時速900m)であった。
十月二十八日、遠州灘に入る時分には、風は東からの追い風へと変わる。快走を開始した栄力丸の近辺には大小200隻あまりの船が、帆に順風を一杯に受けて揃って西に向かっていた。当時同じ航路を行く船は集団で航行するのが習わしであった。天気も風向きも申し分ない絶好の航海日和が始まった。
栄力丸が志摩の大王崎に近付いた二十九日の宵方、彦太郎は甲板に立って空を見上げた。刺すような鋭い輝きの星空が果てしなく広がっている。
この空はよその国につながっていると寺子屋のお師匠さんが言われた。鉄の船がやってくる遠い海の向こうには、どんな国があるのだろう。いつか行ってみたいものだ。
心地好い帆柱の軋み音と船縁を打つ波音を聞きながら彦太郎は異国への思いをめぐらすのであった。
彦太郎が船倉に戻って横になりうとうとしていたときである。仲間が甲板で騒ぐらしい声に彼は眼を覚ました。出てみると、先ほど満点に輝いていた星が一つとして見えない。辺りは漆黒の闇である。空はきっと厚い雲で覆われているに違いなかった。
「こりゃあ、ひとシケくるぞ」
万蔵が言った。舵取りの長助の知らせを聞き、甲板に出ていたのだ。
時は夜四つ(午後十時)の頃であった。




