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28.第3章(新世界)---出会い

28.第3章(新世界)−−−出会い


 漂流民勇之助は庁舎の一室で税関長から質問された。おもに遭難の模様についてだった。彦太郎がそれを通訳した。語順など彦太郎の英語の不完全なところは、トーマスとピーズ船長が傍らから補った。


彦太郎の尽力が実り、勇之助は衣服など政府の援助を保障され、帰国の便が見つかるまでアーガス号に滞在を許可されることになった。


 ちなみに勇之助は1年9ヶ月後、アメリカ船で日本に送り返されている。1853年、ペリーが来航して和親条約の締結を迫ったわずか二十日後の6月23日、下田の玉泉寺で彼は船長のフルスから下田の町役人に引き渡された。


 彦太郎が任務を終え帰ろうとしたとき、トーマスとピーズ船長が税関長に呼び止められ何事か話しかけられてる。


しばらくして彦太郎のところにトーマスがやってきて言った。

「税関長ガ、先ホドノ君ノ仕事振リニ、スッカリ感心サレテ、君ヲ秘書トシテ雇イタイト言ッテオラレルンダガ、如何スル?」


降って沸いたような、夢みたいな話に彦太郎が眼を白黒させていると、傍らからピーズ船長が言った。


「学校ニモ行カセテモラエルラシイカラ、結構ナ話ジャナイカ。コンナ幸運ハメッタニナイゾ。何ヲ迷ッテイルノダ!」


 エンゲレッシュ習得がたっての願いである。言葉を習うのに学校ほどふさわしい場所はない。言葉意外にもこの国の人々の様子や考え方なども学べそうである。断る理由は何ひとつなかった。


 彦太郎は今雇ってくれているベニシア・ホテルの主人の許可を得るのが先であるととして、その場を辞した。話しを聞いたホテルの主人は、彦太郎に辞められるのを大変残念がって、給料を45ドルまで上げるから是非留まってくれとせがんだ。


しかし、彦太郎は金銭が問題なのではなく、学問を身に着けたい一心からなのだと懇願した。すると主人は分かったと言って、快く同意してくれた。


 税関における彦太郎の仕事はお茶汲み、手紙や文書類の整理整頓だった。子どもにでもできそうな易しい仕事だったが、立派な税関の建物の中で働くのは、一人前の大人になったようで気分がよかった。


税関長ビバリー・C・サンダースの家は眼も覚めるほど豪華な建物で、家の前には驚くほど広い庭があった。そして庭には青々と芝草が生え、至る所に美しい花が咲き乱れていた。召使が何人かいた。


一ヶ月ほどして、サンダースは東部ボルチモアの本宅に帰ることになった。もちろん彦太郎も一緒である。トーマスと治作に別れを告げるためアーガス号にいくと、二人ともいい顔をしなかった。


治作が嫌がるのは理解できた。遭難以来苦楽をともにした仲である。しかしトーマスが反対するのは腑に落ちない。欧米の学問を身に付け、新生日本のために働くよう、日頃から彦太郎に言っているのだ。


「君ハ今、給料ヲドレグライモラッテイルンダ」

トーマスは反対する理由は言わないで現在の彦太郎の雇用状況について尋ねた。


「約束ハナイ。給料ハ少シ、小遣イ。デモ、仕事ハ簡単。食ベル、寝ル、洗濯只。ダカラ、遊ビト同ジ。僕ハ気ニ入ッテイル」


「イイカ彦ドン、ヨク聞クンダ。サンダース氏ガ、イツマデモ君ヲ雇ッテクレルトイウ保障ハナイ。ゴールドラッシュハモウスグ終ワル。ダカラ、コノママ只働キデサンダース氏ノ所デ働クヨリ、コノ際辞メテ他ニ仕事ヲ見ツケロ」


「僕ガサンダース氏ノ世話ニナッテイル、金ノ為ナイ。学校行ク為。…アメリカデ一生懸命勉強、日本アメリカノ掛ケ橋ニナル。トーマス、イツモ言ッテル。君ガ反対スル、僕分カラナイ!」

彦太郎はトーマスに不満を述べ、そのまま船を降りた。


 彦太郎から事情を聞いたサンダースは、使いを派遣してトーマスの真意をさぐった。その結果トーマスは、彦太郎を再渡米させたときに支払った金80ドルの返済を彦太郎に期待していたことが判明した。


サンダースはトーマスが立て替えた金額を彼に支払い、彦太郎を東部に連れて行く目的は彦太郎に正式の教育を受けさせるためであることを明かした。トーマスに反対する理由はもはやなかった。


「彦クン。コノ国デハネ、友情ト金トハ別ナノダヨ」

 サンダースは当然のように言った。


 彦太郎はトーマスに頼り過ぎていた自分に気づいた。互いの言語を教え合い、困ったときには親身になって相談に乗ってくれていたので、知らず知らずのうちに甘えてしまっていた。母親からは一人っ子として可愛がられ、寺子屋まで行かせてもらった。


栄力丸では船頭万蔵の知り合いの息子として特別扱いされた。


アメリカでは行く先々で国の大切な客として扱われ、また再びこちらにきてからは未成年の自分のために、アーガス号のピーズ船長やトーマスが親身になって仕事を探してくれた。自分は人々の好意を当然なものと受け取っていた。


言葉も喋れない未成年には、給料などいらないとフローリック号のウィルキンソン船長に子ども扱いされたが、今振り返れば彼の言葉は当たっていたのだ。


 サンダース氏の好意はどう理解すればいいのか。いくら一方的な申し出だとしても、すべて甘えていいのだろうか。


「ミスター・サンダース。友情ト金ハ別、分カリマス。デハ、貴方ハ如何シテ…」

 サンダースは彦太郎の胸のうちを悟ったのか手で彦太郎を制した。


「友情ト金銭ハ別ダガ、親子ノ場合ハ同ジダ。君ハ今日カラ私ノ息子ダ。ダカラ遠慮ナク私ヲ頼ッテクレテイイノダ。…彦クン。君ハ将来ノ日本ニトッテ必要ナ人材ダ。今ノウチニ外国ノ文化ヲ学ビ取ッテ、帰国シテカラ役立テテ欲シイ。私ニソノ手伝ヲサセテモライタインダ」

 

 サンダースは彦太郎を頼もしげに見やった。 

       

 ビバリー・C・サンダースはアメリカ東部メリーランド州のボルチモアの出身である。彼の先祖はメリー女王時代(1542~67)にイギリスから渡ってきて、後にメリーランドと呼ばれるようになる地方を開拓した(1632年)、ボルチモア卿(町名の由来)の親衛隊の将校であった。


サンダースが彦太郎に出会ったのは彼が四十六歳のときである。妻のエリザベス・ヒレンは当時のボルチモア市長の妹であり、ガス電気会社の社長を一族にもつ名門の家柄であった。


 ゴールド・ラッシュで西部カリフォルニアに眼をつけたサンダースは1850年サンフランシスコで、蒸気船会社の共同出資者のひとりとなり成功した。


そして短期間のうちにカリフォルニアでも屈指の大富豪となり、銀行業、ガス会社経営にも乗り出していた。また商工会議所会頭、パシフィッククラブ会長の要職にもあった。後には対ロシア貿易に手を伸ばし、アラスカからの氷の輸入にも成功する。


                              つづく



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