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27.第2章(黄金の国)---英雄再び

27.第2章(黄金の国)−−−英雄再び


 トーマスのもとに世話になり始めてすぐ、彦太郎はトーマスに連れられ治作の働く税関巡視船アーガス号に職探しに行いった。


ピーズ船長はフローリック号で彦太郎が半人前扱いしかされなかったことにひどく同情し、またそういう彦太郎のためにトーマスがわが身を犠牲にして仕事を見つけてやろうとしていることに大層心を動かされた。


すぐに船長は、仕事が見つかるまでの彦太郎の同船滞在を約束し、さらにトーマスには昔の警備伍長の職を提供した。そしてトーマスにはその場で給料の前金50ドルを渡した。


 英語のしゃべれない治作はよほど寂しかったのだろう、彦太郎を見つけると顔を輝かし駆け寄ってきた。わずか一ヶ月ほどだったが、彦太郎も別れて初めての再会だったので、懐かしさがこみ上げた。二人はしばらく互いの近況を語り合った。


 ピーズ船長はまもなく彦太郎のために、下宿屋にボーイの職を見つけてくれた。月給は25ドル。場所はシスコの対岸のベニシアという小さな町にあった。


下宿屋の主人とその息子は善良であったが、中国人のコックが自分の嫌な仕事をいつも彦太郎に押しつけた。力仕事が多く、少年の彦太郎には重労働だった。


苦労する彦太郎の姿を見かねて、ピーズ船長とトーマスは同じ町の別のホテルを世話してくれた。婦人と娘の経営する小さなホテルで、やはりボーイの仕事であった。仕事は前よりも楽なのに、給料は5ドル上回った。


下宿人は5、6人と少なく、しかも上品な人ばかりだった。彦太郎は子ども扱いされたくなくて懸命に働いた。必要に迫られたこともあって言葉が急速に上達した。


 三ヶ月ほどたったある休みの日に、彦太郎がトーマスと次作に会うためアーガス号を訪ねると、ピーズ船長はシスコに行っていて留守だった。


船長の帰りを待つあいだ三人が甲板で世間話をしていると、見知らぬ他船の船長がやってきた。彼は背後に一人の人物を従えていた。彦太郎たちはその人物を見たとき、ぎくりとした。侍姿の日本人だった。彼は羽織袴に刀を差し、手には風呂敷包みを一つ下げていた。


「彦ドン。このお侍、ワシらひっ捕らえに来たんじゃねえか。栄力丸の連中が先に祖国(くに)に帰り着いて、ワシらが途中で抜けたことが、お上に分かってしもうたに(ちげ)ぇねえぞ」


 治作は自分たちが香港で、仲間たちの止めるのを振り切りやってきたことを未だに気にしていた。


 彦太郎ももしやと思った。しかし捕まえに来たにしては侍は少しも威厳がなかった。余りにやつれ、ひどく脅えて見えた。彦太郎の記憶にある侍は、遭難前に浦賀で積荷の検査を受けたとき乗船してきた役人だった。彼は眼つきが鋭く、辺りを払うような気配を持っていた。


 その侍もまた漂流者なのであった。船長は彼が遭難した経緯を聞き取るため、彦太郎に通訳を頼みにきたのだ。侍は彦太郎たちの前にくると居住いをただし、うやうやしく平伏した。


 彦太郎が面食らってどぎまぎしていると、治作が傍らから急かすようにつついた。話掛けろとの合図である。


 「あなたは日本人ですね?」

 彦太郎は威儀をただして尋ねた。

 侍は飛び上がらんばかりに驚いた。


 顔立ちは似てはいるが、髪型・身なりは全くアメリカ人ふうの男が、不意に日本語をしゃべったのだから彼の驚きは致し方なかった。


 侍はわれに帰ると彦太郎の手を握り、涙にむせんだ。

自らも漂流民である彦太郎は彼の心情がよく分かった。そして彦太郎も思わず瞼を熱くした。


「さぞ、大変な苦労をしたでしょう。しかし、もう安心です。私も日本人です。…一体、どうしました? この町の役人が、あなたのことについて、知りたいと言っています」


彦太郎の問い掛けに彼は慌てて涙を拭い、口を開いた。


「手前は、越後の国は岩船郡板貝村の勇之助と申すもの」感激いまだ覚めやらずとみえ、彼は言葉を切ると再び彦太郎の手を握り涙を浮かべた「一時は、死をば覚悟いたしたが。…よくもまあ、救っていただいたうえに、お主のような日本のお方にお会いできるとは。まるで夢のようじゃ!」


彼はしばらく感慨に耽っているふうだったが、まもなくわれに返ると再び語り始めた。


 勇之助は1852(嘉永5)年9月、函館へ行っての帰途、彼の乗る八〇〇石の船八幡丸が津軽海峡で凪のため止まってしまった。風を待っているうちに船は潮流によって東方海上はるか沖合いに流されてしまった。やがて嵐が襲ってきて難破した。


舵が折れ帆柱を失っては致し方なく、以後七ヶ月近く海を漂流した。食料はといえば塩漬けの魚ばかり、遭難前は十三人いた相乗り客は、餓えや病気で次々と死んでしまった。そして、自分ひとりが生き残り気を失っているところを、たまたま通りかかったアメリカの船に拾われた。


 漂流中の苦難を思い出したのであろう、侍はしばしば声をつまらせた。


 彦太郎は自らの体験をかさね合わせた。そして、彼は自分よりはるかに辛い目、寂しい目にあったのだろうと思った。彼は十二人の仲間が相次いで亡くなっていくのを目撃し、最後は励まし合う仲間もいなかったのだ。


 彦太郎は侍の言葉をトーマスに通訳した。侍は彦太郎が今度は異国の言葉をしゃべったので再び目を丸くした。


トーマスは聞いたことを文書に書き記し、船長に渡した。


 彦太郎の語学力に感嘆した船長は、通訳として彦太郎に税関まで同道してくれるよう頼んだ。侍の衣服や生活費にかんする要望書を政府に提出するためだった。


 彦太郎は突然のことで驚いたが、嬉しくもあった。自分は今異国の言葉を操り、人のために役立っている。自分はもう一人前なのだ。彼が初めて味わう満足感だった。


船長の口添えで、彦太郎の働くホテルの主人は五、六日の休暇をくれた。彦太郎は蓄え金32ドルをはたいて、紺ラシャのフロックコートとチョッキとズボンを新調した。一ヵ月の給料を上回る出費である。しかし生まれて初めて自ら稼ぎ手に入れたものだ。


《馬子にも衣装とはこのことじゃワイ》


彦太郎はギヤマンの鏡に映る盛装姿の自分にしばらく見入っていた。


 税関を訪れたとき彦太郎は、船長からニュースペーパーを見せられた。1853年6月2日付けの地元紙『アルタ・カリフォルニア』の一面には、大きく「HIKODON」と印刷されていた。


 記事は彦太郎が漂流民の勇之助の通訳に活躍したことを絶賛する内容だった。


 読み終えた彦太郎は満悦至極であった。サンフランシスコの町の人々が自分の存在を知ってくれたのだ。急に偉くなった気分だった。


 彦太郎はこのときアメリカの瓦版が、日々新しい版で売り出されるのを知った。そして、栄力丸の仲間たちと初めてアメリカの土を踏んだときのことに思い当たった。


 自分たちを救助してくれたオークランド号のジェニングス船長が、シスコに着いたとき乗船してきた友人から分厚い紙の束を受け取ったのだった。


 あのニュースペーパーの分厚さは長い航海の間にたまった分量だったのだ。事件の時だけ出帆される一枚ものの日本の瓦版とは大変な違いである。


 アメリカではそれだけ多くの人々が世のなかの出来事を知りたがっているということなのだろう。読み書きを教える寺子屋は至る所にあるに違いなかった。


 時の人になってすっかり自信を得た彦太郎は、トーマスの協力もあって、税関における漂流民侍の通訳も手際よくこなした。


                               つづく



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