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26.第2章(黄金の国)---新たな旅立ち

26.第2章(黄金の国)−−−新たな旅立ち

 

トーマスは税関時代の旧知に頼み、亀蔵と次作のために水夫の職を見つけてやった。亀蔵は測量船ユーイング号で月給が60ドル、次作は税関監視船アーガス号で月給は70ドル。


二人は陸上の仕事を希望していたらしいが、言葉が不自由であることを考えれば、()()の経験がいかせる船乗りぐらいしか働き口はなかった。それに給料はかなりよかった。


 彦太郎は未成年であるとの理由から、船の仕事は与えられなかった。力仕事であるため体力を要したのだろう。彦太郎は今十五歳と四ヶ月。アメリカでは子ども扱いのようであった。


彦太郎は体格は大人並みであるし、また英語のしゃべれる自分が半人前で、しゃべれない亀蔵と治作が一人前であるのは悔しかったが、決まりであれば仕方なかった。


 トーマスが陸上の仕事を捜してくれているあいだ、彦太郎は税関監視船フローリック号で寝泊まりしながら雑役をすることになった。フローリック号の水夫たちは、彦太郎たちが前回サンフランシスコにきたときに、帰国を待ちながら一年間滞在した監視船ポーク号の同じ仲間たちであった。


 日夜行動をともにしたトーマスがいなくなると、彦太郎はいたたまれないほどの心細さに襲われた。ポーク号時代の知り合いが水夫として同船にいるにはいるが、彼らにも役務がある。一服しているところを見つけて話しかけると、笑顔で応対してくれる。


しかし、彼らの英語は速くて付いていけない。トーマスは事情をよくのみこんでいてくれたから、ゆっくりと話してくれた。


 彦太郎は一人きりになった。香港で再渡米をトーマスに打診されたとき感じた寂しさが再び彦太郎をとらえた。亀蔵と治作が去った今、それは前回とは比較にならないほど激しい寂しさである。深い海の中に放り込まれ、必死にもがいている気分であった。


 栄力丸の遭難に始まった、この波乱に満ちた二年の歳月は彦太郎を成長させていた。


 香港では他の仲間たちが引き止めるのを振り切ってやってきた。いまさらおめおめと帰れない。たとえ帰っても、故郷にいるのは義父と義兄と叔母だけ。実母は亡くなった。頼る人は誰もいない。


幼いころより黒船の国に憧れていた。異国にきてからは驚きの連続で、それを生み出すエンゲレッシュを学ぼうと決意した。


またオークランド号の船長やポーク号、セントメリー号の艦長など身分の高そうな人々から、外国の新しい知識を身につけた日本人を開国後の日本は必要とするだろうと事あるごとに言われた。日本通のトーマスなどは開国目当てに日本に行こうとさえしている。


帰国後に自分が頼れるのは自分自身しかない。これからは異国という大海に果敢に乗り出すのだ。そしてどんな大波荒波が行く手に待ち構えていようと、勇気を持って乗り切るのだ。


…そのあかつきに、相模の海の洋上から富士の山を望めば、さぞ見事であるにちがいない。今日いまから自分は生まれ変わるのだ。


 大人に成長した彦太郎の姿がそこにあった。


 突然にフローリック号に出港命令が出されたとき彦太郎はあわてた。自分は一体どこへ連れていかれるのだろう。もう二度と戻れないのではないか。トーマスがいれば教えてくれるのだが。


彦太郎は甘えようとする自分を自ら叱り、船長にたずねた。

 「密輸入ヲ取リ締マル為ダ。十日程デ、サンフランシスコニ帰ルヨ」

 船長のウィルキンソンが事も無げに答えたときは胸をなで下ろした。


 フローリック号はカリフォルニアの海岸沿いに監視活動をしながら南下し、サンディエゴまでの500マイル(800キロ)を往復した。途中モントレーとセントカテリーナ島にも寄港した。

 

心機を一転させた彦太郎は、皿洗いや甲板磨きにこれまで以上に精を出した。


日本では今は真冬であるのにこちらは少しも寒くない。朝夕に少々肌寒いだけで、昼間の日差しは暑いぐらいだ。海は遠浅で波は穏やか、水は瑠璃色に美しかった。白い砂浜、緑の松。絵のようだった。


モントレーのすぐ南に一箇所だけかなり大きく岬が張り出たところがあり、そこの海岸は砂浜ではなく小石ばかりだった。そして、海は急に深みを増すのか、波打ち際まで海面が白く泡立っていた。


沿岸全般に、漁業が盛んのようで、モントレー、サンディゴなどの港では、たくさんの漁船が出入りしていた。彦太郎は甲板を磨く手を休め度々故郷の瀬戸の海を思った。


2 4日は異国の宗教上の大切なお祭りらしく、仲間の乗組員たちは大いに浮かれ騒いだ。その日に合わせてモントレーに寄港したようだが、彼らは船長が特別に命じた甲板磨きを急いでし終わると、町の酒場に繰り出し夕方まで飲み騒いだ。


暗くなりかけた時分には彼らすっかりいい気分で船に戻ってきた。そして空腹だったのか、コックがスープができていると言うと、途端に眼の色変えて食堂に殺到した。ところが一人の船員が正体がないほどに酔っ払って遅れて帰ってきたため、彼だけスープにありつけなかった。


すると彼は逆上し、呂律のまわらない舌で、仲間の一人に自分にも少し分けろと食って掛かった。相手もそうはさせじと抵抗する。そして取っ組み合いが始まった。


彦太郎は大人の喧嘩を初めて見た。幼いころ、盆や祭りや祝言で酔っ払い客同士が諍いを起こすのを何度か見たが、あんなに派手な殴り合いはしなかった。異国人は上になり下になりして、相手の顔を拳で遠慮会釈なく打つのである。


しまいに鼻や口から血を流し、眼の周りには痣ができる。服はボタンが取れ、袖がちぎれる。しかも彼らは見上げるような大男。腕は丸太のように太い。椅子を転がし、テーブルを引っくり返す。皿を壊し、スプーンを飛ばす。


日本ならすぐに誰かが止めに入るのだが、それがない。それどころか他の連中はそばで楽しそうに笑い見物している。時には、もっとやれと囃し立てているふうにさえ聞こえる。


普段船上では絶対禁酒であるから、飲めるとなると羽目を外すほど飲むであろうことは想像はつくが、それにしても派手だった。彦太郎は怖くて、息を呑んで見守るしかなかった。


騒ぎを聞きつけた士官がやがて現れ二人を分けた。喧嘩両成敗かと思ったが、こちらは仕掛けたほうが罪が問われるらしく、スープにありつけなかった船員はシスコに着くまで両手に鎖を巻かれ、食事は乾パンと水しか与えられなかった。


争いの当事者双方でなく、手を出した側にだけ責任があるとする始末の仕方は彦太郎にとっては新しかった。裏を返せば、攻撃(やら)れれば攻撃(やり)返すことが許されるのだ。

フローリック号がシスコに帰ってきたのは12月27日だった。


 無給にもかかわらず献身的に働く彦太郎の姿は、乗組員たちの心を動かした。帰港と同時に彼らが船長に待遇改善を申し込んでくれた。スープのことで殴りあった二人も一緒になって頼んでくれた。


「話シモ満足ニデキナイ子供ニ、一人前ノ給料ナドモッタイナイ。食ベラレルダケデモ有難ク思ワナイト駄目ダヨ」

船長の答えは冷たいものだった。


彦太郎は十七歳のはずであったのに、何故かここでは十五歳に扱われた。誕生日の八月までは子どもだと言われた。


これに憤慨したフローリック号の仲間たちは、トーマスが地上の仕事を見つけてくれるまで、生活費の面倒を見てやるからと彦太郎に下船をすすめた。


丁度そこへ彦太郎の帰りを待っていたトーマスがやってきた。トーマスは大喜びした。少しの間会わなかっただけなのに、変だと思って訝しがっていると、彼はフローリック号が行方不明になったとの記事が新聞に出ていたので心配していたのだと言った。


船長の対応に憤懣やるかたない彦太郎は怒りをトーマスに訴えた。


「ソウダッタノカ。香港カラノ船賃ヲ借金シテイルカラ、僕一人デモ大変ナンダガ、ソンナニ侮辱サレテマデ、世話ニナルコトナイヨ。ヨシ分カッタ。仕事ガ見付カルマデ僕ガ何トカシヨウ」


 トーマスも腹立たしく思ったのだろう、直ぐに下船をすすめた。


                              つづく


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