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24.第2章(黄金の国)---虐待

24.第2章(黄金の国)−−−虐待

 

サスケハナ号は総トン数2450t、長さ257ft(80m)、乗員300名の新鋭蒸気帆船(帆走行と一部外輪車による走行)で、マカオを基地とする東インド艦隊の旗艦である。


そしてこの艦艇こそが、翌年鎖国日本の「泰平の眠りを醒ます蒸気船(正喜撰)」となる。なお正喜撰とは上質のお茶のことである。


 新しい船に移されるや彦太郎たちの待遇ががらりと変わった。全員が薄汚れた小さな部屋に押し込められ、食事は格段に粗末なものを出された。ポーク号やセントメリー号におけるときとは雲泥の差であった。


「僕タチ、我慢デキナイ。部屋大変小サイ。汚イ。御飯大変不味イ。船長、変エル、言ッテクレ」


「サスケハナ号は旗艦だ。つまり香港が家なんだ。だから中国人と何時も一緒にいる。…中国人、ズルイ。直グ、金ノ話スル。ソシテ大変無礼。彦タチ、顔、中国人と同ジ。水兵サン。君タチモ中国人」


彦太郎たちの抗議にトーマスはこう答えた後でさらに、今事を荒立てると帰国話が台無しにならないとも限らないから我慢しろ、と肩をすぼめた。


彼らは学習のため二人で話すときは、互いの言語を使うことにしていた。しかし、アメリカ社会に身をいてきた彦太郎と違って、学ぶ相手が彦太郎ひとりしかいないトーマスの日本語はまだ片言の段階だった。日本語にしばしば英語を交えた。


彦太郎にしても英語の運用能力はかなり上達していたが、衣食住に不自由しない程度のものでしかなかった。喜怒哀楽等の感情を複雑微妙な程度にまで表現し、あるいは相手の言葉から汲み取るにはまだまだ不十分だった。


彦太郎は言いたいことが最後まで伝えられなくて、歯がゆいことこの上なかったし、トーマスはトーマスで、何故それぐらいなことで大騒ぎするのかと言ったような訝しげな表情さえした。


彦太郎たちの不満はそれ以後も募り、七月の夕刻についに頂点に達した。


香港の初夏は大変蒸し暑い。食事後彦太郎の仲間数人は夕涼みのため甲板に出た。すでに何人かの米水兵が風通しのいい外輪カバーの上に寝そべっている。仲間たちは彼らの邪魔をしないように外輪カバーの間に横になった。


するとしばらくして見回りにきた士官が彼らを見つけ、罵声口調で彼らを怒鳴りつけ、靴で蹴った。そしてまるで豚でも追い払うようにしてむさ苦しい自分たちの部屋へと追い立てた。


 この出来事については、トーマスの耳には敢て入れなかった。先日待遇改善について艦長に申し入れてくれと頼んだとき、あまり期待できないと彼が否定的な返事をしていたからだ。


 日本人漂流民虐待の原因の一つはサスケハナ号の艦長オーリック提督個人にあった。彼は自ら引き起こした不始末で東インド艦隊司令官の職を解かれ、日本遠征の栄誉をペリーに奪われた。いわば腹いせである。


海軍代将ジョン・オーリックは香港への途上、生来の癇癪のため不祥事を起こし、到着までにすでに職を解かれていた。艦隊内の職権をめぐる艦長インマン大佐との対立と、リオ・デ・ジャネイロまで同乗したブラジルの外交官に対する失態が解雇理由だった。


彦太郎たち漂流民を日本開国の道具にすることを、かつて『アルタ・カリフォルニア』紙で提案したのは彼だったのだから、彼はおまけをつけてペリーに名誉を横取りされたことになる。


虐待の主なる要因としては阿片戦争による国際情勢の悪化がある。これより遡ること十余年の1840年、アヘンの密貿易取締りを強行した清国に対してイギリスが宣戦し、42年に南京条約で清国を屈伏させた。


「広州、上海など五港の開港」、「香港割譲」、「没収アヘンの補償600万両(2000億円)、賠償軍事費1200万両(4000億円)」など内容は清国にとって極めて不平等であった。


 イギリスに敗北した清は、深刻化する一方のアヘン密貿易に対し、一層の不満をつのらせていた。とりわけ割譲された香港と接する広東地域では、排英感情は激しく、その対決姿勢はやがてイギリスのみならず、アメリカ、フランスなど他の国々へも広がっていった。


外国側もこれに対抗して中国人敵対政策をとり始めた。サスケハナ号の船員が粗暴化したのはそのためである。彦太郎たちに対しても、同じ東洋人との蔑視が働いたことは十分予想される。


 この頃、インドからインドシナ半島にかけて、軍事力による植民地化を完了したイギリス、フランス中心の西欧資本主義勢力は、次の矛先を中国に向けていた。


アジア進出に遅れをとったアメリカは、フィリピンからスペインの勢力を駆逐したあと、イギリス、フランスなどと対抗すべく狙いを中国に定めた。


 サスケハナ号は本国から指令をおび、香港、マカオ、九竜、広東、アモイ、上海、南京等を巡航した。マニラまで行くこともあった。


商人、宣教師など当地に居住するアメリカ人保護が任務である。彦太郎たちはペリーが現れる予定までの数ヵ月間、これら中国大陸海沿いの諸都市を訪れながらの艦上生活を強いられる。


 彦太郎たちも黙って運命に翻弄されていたのではなかった。20年昔に漂流中に米船に助けられ、香港に住み着いた力松という島原出身の男に相談した。


力松は軍艦で帰国するのは、日本側からの砲撃を受けるだろうから、商船が現れるまで待て、その時は自分がかけ合ってやると言った。


力松は17年前の1835(天保六)年、船頭庄蔵の船に乗り天草から肥後の川尻へ帰る途中に難破漂流し、フィリピンのルソン島に流れ着いた。力松と庄蔵は生き残った他の二名とともにマカオに送られた。


マカオにはすでに音吉と名乗る尾張出身の漂流民たち三人が滞在しており、力松たちは音吉たちとともに1837(天保八)年、アメリカ商人C.W.キング率いるモリソン号で日本に送還された。


しかし浦賀でも鹿児島でも日本側から砲火を浴びせられ追い払われた。幕府が「夷国船打払令」を出していたのである。


 この事件は彦太郎の義父吉佐衛門が、江戸からの帰りに浦賀に立ち寄ったとき出会った出来事で、彦太郎はそのときの緊張した浦賀港内の様子を義父から聞いていた。


彦太郎は力松から、アメリカ船で追い返された話を聞いたとき、義父の語を思い出した。そして二つの事件は同じなのではないかと思った。彦太郎は自分たちのような漂流民が他にも多数いるらしいことに驚くとともに、祖国に帰ることが予想以上に難しいと感じた。


彦太郎たち有志が力松宅に出入りしていたある日のこと、偶然町で出会った中国人僧侶から南京まで行けば日本行きの船が出ていると聞き、さっそく清太郎、浅右衛門など体力のすぐれたもの八名が陸路南京までの脱出を試みた。


彦太郎たち居残り組み三人は振り出した雨のなか、先に帰国した者が残りの者の無事を家族に知らせようと誓い合って八人を見送った。


翌朝帰艦して彦太郎たちが、前夜外泊した理由を艦長から問い詰められたとき、力松宅で宴会が開かれ、それで遅くなったためだと釈明したのだが、艦長はさらに欠けている八名の消息までも尋ねた。


彦太郎は、自分たちが先に力松宅を出ただけで、そのうち帰艦するであろうと言ってそ知らぬふうを装った。


トーマスの通訳が功を奏したのか、艦長は少しも疑わなかった。艦に残っていた四人に八人のことを語ると彼らは大いに喜び、彦太郎たちは脱出組みの無事であることをともに祈った。


ところがその日の夕方、八人が本当に帰ってきた。追いはぎに身ぐるみを剥ぎ取られ逃げ帰ったのだった。


「トーマス、アメリカ帰る。彦ドン。君、一緒、来ないか」


 予定の期日をはるかに過ぎても現れぬペリーにしびれを切らせたトーマスが、ある日のこと彦太郎と二人きりになったとき言った。


 トーマスは自分が話を切り出すときは、最後まで日本語でしゃべった。言いたいことを前もって頭のなかで組み立てていた。


 話の内容の唐突さに面食らって彦太郎が言葉をさがしていると、トーマスはさらに続けた。


「シスコ、ゴールドラッシュ。金いっぱいある。金儲けしないか。日本の開国近い。彦ドン、大切される。でも…モットモット僕タチノ国ノ事を勉強シナイト駄目ダ。僕ハ君ニ一生懸命英語ヲ教エルツモリダ。ダカラアメリカニ行コウ。船賃ハ僕ガ何トカスルカラ」


 トーマスは話している最中に気持が高ぶってきたのだろう、途中から英語に変えた。


彦太郎は迷った。開国すれば欧米事情に詳しい人物が珍重されるということは想像がつく。トーマスは常々言っていることではあるし、ジェニングス船長やハンター艦長など立派な役職の人も同じ考えをしていた。自分もそれを信じて短期間ながら英語の習得に専念してきた。


しかしそううまく事が運ぶだろうか。長助など年配の仲間たちも、三百年も続いた鎖国の力がそう簡単に崩れるとは思われないと言っている。現に力松たちはアメリカの船で帰国しようとして追い返された。日本はなかなか変わりそうにない。


咎人扱いされることは確かに恐ろしい。洋風への染まり方は自分が一番ひどい。しかし祖国はすぐそこである。一度は諦めた、相模の海と雪を頂いた富士の山が、再び見られるかもしれない。


お仕置きを受けるとしても、自分はまだ子どもであるから、そう重い罪は問われないだろうと、万蔵殿が生前言っていた。


他方、トーマスとここで別れるとなれば、二度とアメリカには行けないだろう。こちらも心残りである。トーマスと同じようにエンゲレッシュをしゃべってみたい。そしてアメリカの国をもっと見てみたい。


このとき彦太郎の胸に、それまでは意識しなかった新しい感情が、ぬっと頭をもたげてきた。

                        つづく



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