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21.第2章(黄金の国)---マカオ目指して


   21.第2章(黄金の国)−−−マカオ目指して


 ポーク号での栄力丸漂流民たちの世話係に任命されたのはトーマス・トロイという衛生伍長である。


トーマスは髭面で偉丈夫の見かけとはことなり、いたって温厚篤実な人物である。彼は学生時代に日本や宣教師ザビエルについての本を読み、いつか日本に行ってみたいと思っていた。


この人選の裏には明らかに日本人漂流民に対するアメリカ政府の配慮が働いていた。門戸開放を迫ろうとしている最中、漂流民たちにはできるだけ好印象を持って帰国してもらう必要があった。


日本に憧れるアメリカ青年と英語習得に燃える日本人青年が出会ったのだから、二人が意気投合するのは自然の成り行きである。


まもなく彦太郎とトーマスは暇さえあれば一緒にいて、互いの言語を教えあうようになった。


「お日さんが〈シャアン〉で、お月さんが〈ムーン〉。お(ほっ)さんが〈シャター〉に、天が〈ヘブン〉、それに地は〈ガランド〉か」


 彦太郎はトーマスから新しい単語を習うと、それに対応する日本語をトーマスに教えた。


 彦太郎が先に教えることもある。彦太郎たちのために米飯が出されたときは、彦太郎は「ライス」に当たる日本語を教えた。


彦太郎が「ライス」を初めて発音したとき、トーマスは変な顔をした。発音が正しくないらしい。二度三度とやっても同じだ。耳を澄ますと確かにちがう。


日本語の「ラ」は鋭い音だが、英語の「ラ」はやや鈍い。「ゥラ」と聞こえる。彦太郎は「ラ」を発音する前に口を軽くすぼめてみた。


トーマスは膝を打ってオーケーを出した。 日本語のラ」の音も別にあるようだから英語の発音は厄介だと彦太郎は思った。


日本語流の彦太郎の「ライス」には別の意味があるらしく、トーマスは頭を掻き毟ったり、上着を脱いで裏を返してみたりして説明しようとしたが、彦太郎は何のことかさっぱり分からなかった。


それが「虱」を意味するということはずっと後になって知ったことだった。

彦太郎の英語は日に日に上達した。


「彦、まだ分からねぇか! 異人の言葉を(おべ)ぇるンは掟をやぶることじゃ。祖国(くに)(けえ)ったら咎人じゃぞ。おめぇ一人じゃすまねぇ。みんなの責任になるンじゃぞ」


 病臥に伏していた万蔵は彦太郎をたびたび枕許に呼び付け注意した。


 万蔵はすっかり体が弱っていた。異国の風土と食物に馴染めないことからくる肉体的・精神的苦痛は、遭難と漂流で痛めつけられた高齢の万蔵の身には応えた。


「日本へ戻ってもワシはエンゲレッシュは一言もしゃべらねぇ。誓いますわい」

彦太郎は万蔵の問いには直接答えずこう言って慰めた。


万蔵の心配は分かる。しかし自分たちが国と国との取引材料にされようとしていることはトーマスの仕草からでも見当がつく。


彦太郎は何度か自分たちの扱いについて彼に尋ねたのだが、その度トーマスは突然に肩をすぼめ黙り込んでしまった。あれは彦太郎の推測が当たっていた証拠だ。


それが事実だとして、このまますんなりと送り返されるかどうかは疑問である。またいつ返されるのかも定かでない。


少しでも不安を和らげるためには、自分たちの行く末を刻一刻知る必要がある。それには英語がしゃべれなければならないのだ。


1837(天保八)年、八月二十一日生まれの彦太郎はまもなく十四歳になろうとしていた。十代半ばのこの年頃は一般にいまだ世間知らずである。


しかし半年近くの異国での生活は彦太郎をして急速に大人へと成長させていた。


アメリカの対日外交政策に翻弄される栄力丸の仲間たちのなかで揉まれる一方で、船を降りたときは青年特有の純な心で異国の風俗習慣を観察することで、彦太郎は物事を複眼的に見る眼を養っていた。


 それから一年ほどたったある日のこと、アメリカの軍艦セント・メリー号がサンフランシスコ湾に入港してきた。


セント・メリー号はポーク号と同じく三本マストであったが、船体ははるかに巨大だった。無数の大砲が砲口を覗かせているのを見たとき彦太郎たちは肝をつぶした。


 セント・メリー号入港の目的は彦太郎たちをマカオまで送り届けることだった。


アメリカ政府はペリー率いる艦隊に、日本人漂流民を乗せて日本に向かわせることにしていたのだが、艦隊はインド洋経由であるため、マカオで彼らを拾わなければならなかった。


 ポーク号の船長から話しを打ち明けられたときは、栄力丸乗組員たちは歓声をあげた。


自分たちが外交取引の材料にされようとしていることには、予想していたことであり、さほど驚きは感じなかった。


それより喜びのほうが大きかった。帰国後の取り調べは心配であったが、言葉の通じない異国で苦労することに比べれば、牢屋に入ることぐらいは我慢できた。


故郷の家族や隣人に再会することは一時はあきらめていたのだから。

彦太郎は迷った。祖国に帰れるのはうれしい。


実母はいなくとも、義父・義兄・叔母たちには会ってみたい。生還して彼らを喜ばせたい。しかし彦太郎は腰を落ち着け英語を学びかけたところである。


日常会話はそう不自由しなくてもこなせるようになった。今やめるとせっかくの努力が水の泡だ。


とはいえ自分だけ我がままは許されない。自分たちは今や単なる日本人漂流民ではなく、アメリカ合衆国の外交道具なのだ。


彦太郎一人ぐらい居残っても大勢には影響はなかったであろうが、彦太郎にそこまでの勇気はなかった。


彦太郎にできることは日本に送り返されるまでにできるだけ英語を習得することだった。

彦太郎はトーマスのことが頭に浮かんだ。


トーマスは日本に行きたがっている。彼がついてきてくれたら、日本までは難しいとしても、マカオまででいいから、一緒にきてくれたら、さらに英語が学べる。


また、仲間たちも歓迎するはずだ。セント・メリー号の船乗りたちがオークランド号やポーク号の船乗りたちと同様に友好的かどうか大変不安がっている。


万一のときトーマスがいてくれたら助かる。

 彦太郎はすぐにトーマスに頼んだ。


「誘ッテクレルノハ大変有難イ。確カニ君ノ言ッタ通リ、日本ニ行ケル又トナイ機会カモシレナイ。デモ、ソノ為ニハ僕ハ現在ノ月給60ドルノ伍長ノ職ヲ捨テテ、ワズカ12ドルノ水兵ノ身分ニ甘ンジナケレバナラナインダ」


 トーマスは英語で訴えた。真情を吐露する十分な日本語の力は彼にはまだなかった。


「君ノ気持ハヨク分カル。シカシ、万蔵、大変病気デ、体ガ弱ッテイル。年モトッテイル。トーマスガ、イナイト不安ダ。オ願イダカラ、一緒ニ来て欲シイ。…ソレニ、僕ハ君ガイナイト、英語ガ習エナイ。英語ガモット上手クナリタインダ」


彦太郎は必死に頼んだ。一言一言に精一杯気持を込めた。


 トーマスは彦太郎の熱意と万蔵の面窶れした姿についに心を動かされた。


このボス思いの友達の祖国を見ることは金銭では推し量れない、かけがえのない経験になるであろうと思い直した。


 1852(嘉永五)年、三月一三日、彦太郎たち日本人漂流民十七名とアメリカ人の新入り水兵トーマス・トロイを乗せたセント・メリー号は、中国マカオをめざしてサンフランシスコ港を出帆した。

                                 つづく



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