20.第2章(黄金の国)---一念発起
20.第2章(黄金の国)−−−一念発起
サルタースは洋服屋には立ち寄らず、彼が「踊り屋」と呼ぶ舞踏会へとまっすぐ彦太郎を連れて行った。
ところがそこは前日とはまったく様子が違っていた。踊りの規模は格段に小さく、踊り手たちはほとんどが女。衣装も貧相で下品である。
サルタースは酒食を楽しみ、女達とたわむれたが、言葉の通じない彦太郎はたまに女達に話しかけられても意味が分からず、一人退屈な時間を過ごさなければならなかった。
船に引き上げるときもサルタースには服を買ってくれそうな気配は少しもなく、逆に二人の飲み食いの代金を彦太郎に払わせた。
彼は前日、仮想舞踏会の賭博で彦太郎が多額の金を懐にしたのを知っており、それを当てにしているらしかった。
彦太郎は忿懣やる方なかったが、オークランド号に救助されて以来の彼の親切を思い我慢した。彦太郎たちが船に帰ったときは夜中を回っていた。
彦太郎の帰りの遅いのを心配しながら待っていた仲間たちは、彦太郎の話を聞くとみな怒った。亀蔵、治作、伝吉などは、盗人呼ばわりして地団太を踏んだ。
「助けてもろうた恩義があるデ、我慢をしておったが…」
滅多なことでは怒らない副船頭の長助までが不満をあらわにした。
仲間がいきり立つのを見ると、下火になりかけていた彦太郎の憤りが再び燃え上がった。
彦太郎は二人分の飲み食い代を彦太郎に出させたときのサルタースのしたり顔が眼の前に浮かんだ。
「彦ドン。これから、銭を取り返しに行け。ワシらも行ってやるで!」
「まあ、待て!今日はもう遅ぇぞ。一眠りして、頭を冷やせ」
伝吉の言葉に一同が腰を上げようとしたとき、万蔵が制した。
万蔵はポーク号に移ったころよりほとんど寝たきりになっていた。老齢と心労がたたったのだった。彼は片肘をついて身を起こし、搾り出すように言った。
翌朝彦太郎は長助と亀蔵の二人に伴われてサルタースのところに行き抗議した。
「アナタ一人ダケ、食ベ、飲ンダ。デモ、払ッタノハ私。コレ駄目。洋服買ウト約束シタ。デモ、約束守ラナカッタ。ズルイ!」
彦太郎は寝ずに考えたセリフを思い切りぶつけた。
最初のうちは、サルタースは最初彦太郎たちが、言葉が不自由であることをいいことにして、通じない素振りを見せていたが、彦太郎たちの剣幕に押されたのか、やがてしぶしぶ非を認めた。
サルタースは金は使ってしまって今はないから、これで我慢してくれと言って自分の古着を持ち出してきた。
彼は彦太郎よりも頭一つは背丈のありそうな大男である。一目で大きすぎることが見て取れた。
しかし彦太郎は黙って受け取ることにした。先ほどの抗議で気力も体力も使い果たしてしまっていた。
彦太郎はオークランド号船上におけるサルタースの親切を考えると、今回の一件が信じられない。
まったく別人の仕業のようだ。しかしこれは自分の側にも問題があるのかも知れない。
彼を信用して何事にもイエス、イエスと頷いたり、嫌なことでも笑顔を作って調子を合わせたりする場合が多かったから、あれに原因があったと思われる。
自分はきっとお人よしで、隙だらけな人間に見えたに違いない。もし彼のしゃべったこと一つひとつが理解できていたならば、騙されることはなかっただろう。
二の舞を踏まないためには一刻も早く英語を習得する必要があった。
《安閑としちゃおれん。早ぇこと、エンゲレッシュがしゃべれるようにならんと》
彦太郎はサルタースの御下がりを握る手に力を込めた。
オークランド号があらたな任務で出帆することになり、そこで寝泊まりをしていた彦太郎たちはサンフランシスコ税関所属の監視船ポーク号へと移されることになった。
オークランド号の乗組員たちと別れるのは辛かった。
彼らは四十数日間にわたって、自分たちの分を減らしてまで、食料や飲み水を分け与えてくれた。
三度の食事を二回に減らした結果、サンフランシスコ港に到着したときにはオークランド号、栄力丸両方の乗組員のなかで、七名が栄養失調のため一時的に視力を失っていた。
生存を賭けて示した彼らの友情は、言葉の壁をこえて彦太郎たちの心をとらえていた。
「サンキュー、キャプテン・ジェニングス。サンキュー。どんなに感謝しても、し足りねぇです。このご恩は一生忘れねぇです」
万蔵は漂流民を代表して船長のジェニングスに謝意を表した。
万蔵が自分から異人たちに話しかけるのは初めてである。異人の言葉だといって一番に毛嫌いしていた万蔵が、英語を使った。
魂まではとられたくないといって決して口にはしなかった英語である。
「サンキュー・キャプテン。サンキュー・エヴァバディー。ウィ・ノー・ファゲッ・ヨ ア・カイネス」
彦太郎は自らの気持ちも併せて万蔵の言葉を通訳した。
船長はシガーをくゆらせながら、彦太郎の手を握った。彦太郎も精一杯に握り返した。
彦太郎たちが船を降りるとき日米の船乗りたちは握手を交わし、肩を叩きあって将来の健闘を誓い合った。
サルタースに別れを告げるとき、彼に騙された夜のことを思い出し、彦太郎は複雑な気持ちだったが、彼は別に悪びれた様子は見せず、さも別れるのが辛いといった表情で彦太郎の手を握った。
彦太郎を手玉に取ったことはまったく気にしていないふうだった。
彦太郎たちの新しい住まいのポーク号は総トン数600トン(日本丸:2570トン)の軍艦で、オークランド号と同様三本マストのバーク帆装型であった。
艦長のハンター海軍大佐以下、士官五名、医者、コック等と水兵約五〇名の乗り込む正規の海軍艦艇であった。
バーク型とは、三本以上のマストのうち、最後尾のマストに縦帆、それ以外のマストに横帆を備えた形式で、主に商船として使われた。
平成の練習帆船「日本丸」、「海王丸」もこの型である。
彦太郎たちが乗船するとき甲板士官が彼ら一人ひとりを握手して迎えた。
商船を見慣れている彦太郎たちは、初めて間近に見る軍艦の威容に圧倒された。
彼らは日本式にひざまずき士官に礼を述べた。
ポーク号では彦太郎たちはオークランド号のとき以上の厚遇を受けた。一人ひとりに金ボタン付きの制服、衣類、寝具、食器等水兵用携帯品一式が供与された。
そして上陸して町を歩いても、以前ほどの冷笑的な視線にあうことはなかった。
彦太郎たちはこれに応えるため持ち前の律儀さ勤勉さを発揮した。自発的に甲板を洗い、炊事を手伝った。
ポーク号の生活に慣れてきた頃、一時は消えかけた「異人赤鬼」説が再び日本人漂流民たちの心に戻り始めた。
オークランド号における信じられないほどのもてなしは、上陸してからの「見世物」目的と解すれば納得できた。
それが証拠に、絵入りの一面トップで瓦版に書かれ、踊りの宴では舞台の上で紹介された。
ところが舞踏会が終わり、熱狂が過ぎ去ったにもかかわらず待遇は相変わらずだ。否、むしろ今まで以上だ。
十七人の小人数とはいえ、長期間何の見返りも要求せずに、私費を払って遊ばせてくれる物好きなどいるはずがない。
「やっぱり、ふに落ちねぇぞ、ワシゃ」
「そのうち、肉にして食ってしまおうちゅう腹じゃねぇか」
「そうじゃ。ワシらを太るだけ太らしておいてのう」
仕事の合間に一服するときや、夜寝床に入ったあとなど、誰からともなく不安を口にし始めた。
動揺したとき一同を束ねるのは船頭であるが、万蔵は寝たきり。ただ黙って聞いているだけである。
もっとも「異人赤鬼」説を最後まで捨てなかった彼のことだから、統率をしようにもできなかったのかもしれない。
舵取りの長助の見解は唯一異なっていた。
「軍艦は、つまり国の船じゃ。国を治める偉ぇ連中の企み事に違ぇねえ」
不安がる一同を落ち着かせた。
長助は万蔵についで水主としての経験が豊富である。
外国船の入港する長崎にも何度か行っている。他国の事情にも少しは通じているのであろう。
彦太郎は長助が正しいと思った。
黒船を建造し、絵を活写し、ギヤマンの鏡を造る…そういう優れた知恵と高度な技をもった人々が果たして、人間の肉を食べる?
そんな野蛮なことをするだろうか。
ポーク号の艦長にでも確かめれば済むことであるが、彦太郎の英語力はまだまだ未熟である。
日常の用を足すのがやっとである。
《エンゲレッシュがしゃべれたらなあ》
彦太郎はここでも英語習得の必要性を痛感するのであった。
つづく