2.第一章(漂流)---旅立ち
第一章 漂流
1 旅立ち
一八五〇(嘉永三)年九月十日の朝、摂津兵庫の港から一艘の樽廻船が江戸に向け出帆した。灘の酒造家松屋又左衛門の持ち船住吉丸である。丸に松の字を船体に記した住吉丸は折から六甲の山から吹き降ろすあなぜを帆いっぱいにはらみ、船脚を一挙に速めた。海は穏やか順風満帆の船出である。
二日目住吉丸が淡路と泉州の間を通り抜けたころ、船縁につかまり前方を見遣る彦太郎に養父の吉佐衛門が語りかけた。
「彦よ、どうじゃ。波の砕けようは。金比羅や宮島に参ったときとは、比べもんになンねぇだろうが。海の色にしてもそうじゃわい」
彦太郎は船体を打つ凄まじい波の音と舳を越え跳ね上がるしぶきに圧倒され言葉が返せない。
おっ被せるように義兄の宇之松が叫んだ。
「外海に出てみろ。波の大きさも海の色もこんなもンじゃねえ。何せ、千五百石の船がまるで木の葉みてぇに揺れる。色は真っ黒じゃ。黒潮ちゅうぐらいじゃでのう」
宇之松は両の手を上下させ大波を作って見せた。
彦太郎はその年の春に経巡った瀬戸内の船旅を思い出していた。従兄の案内する江戸の客人とともに丸亀から岩国までを往復した。船旅は初めてだった。五十六日間、160里(650キロ)におよぶ行程中、風の強い日もあったし、潮流の速い海峡も少なくなかった。しかし後悔は穏やかであった。船は6、70人乗りの百石(10トン)船でほぼ満席であったが、大した揺れはなかった。
あの百石船よりもはるかに巨大な千五百石積みの住吉丸が、木の葉みたいに翻弄される大海原とは、いかなる規模なのだろうか。怯えつつも彦太郎の胸は高鳴る。
南下するにつれ住吉丸の舳先を叩く波音が高まり、砕ける飛沫が激しさを増した。
「よその国の船は鉄でできとるちゅうが、ホンマに鉄が水に浮かぶンかのう」
揺れと波音にようやく慣れた彦太郎は吉佐衛門に尋ねた。
「遠いとおいよその国から、小山みてぇな大波をかき分けて、はるばるやってくるンじゃでのう。木造船ではとうてい適わンわいテ」
彦太郎は海を航行する船を見て育った。寺子屋から帰ると毎日、自宅近くの浜に出て、大小の帆船や漁船が行き交うのを飽かず眺めた。船乗りをしている義父や義兄たちが時々帰省して語る外国船の話を聞くうちに、いつか外国に行くことを夢見るようになった。鉄で造った巨大な船で、何日もかけて大海原を航行する。そういう途方もない技術をもつ世界を見てみたいと思った。亀蔵が連れて行ってくれた瀬戸内の船旅はそういう彦太郎の異国への思いをさらに掻き立てた。
「もうじき、ワシらの国にのう、大変な事が起こるぞ。ワシも商人の端くれじゃで、世の中の移りようは分かるわい」
黒船をすぐ眼の前で見たことのある吉佐衛門の言葉は真実味があった。
一八四六(弘化三)年、吉佐衛門が江戸からの帰途、帰り荷の雑貨を積み込むため浦賀に立ち寄ったとき、ちょうどビッドレ率いるアメリカ東インド艦隊が入港しており、港は緊張に包まれていた。あくまで鎖国に拘る幕府は実力行使に出た。奉行所に命じて港内に停泊する和船すべてに2隻の軍艦を取り囲ませようとした。ビッドレが衝突を避け立ち去ったため大事には至らなかったが、生きた心地がしなかったと義父吉佐衛門が述懐していた。
吉佐衛門の心配げな言葉はしかしながら、若い彦太郎の胸を躍らせる。彦太郎は舳の向かう外海の方角をじっと見つめた。30反(28m)余の木綿の帆が潮風を満帆に受け帆柱を激しくきしらせる。帆柱は一抱えするほどの太さがあった。
吉佐衛門が諭すような語調でさらにつづける。
「人間は、世のなかを見ることが肝心じゃ。おめぇを江戸に連れて行くンも、一つにはそのためじゃ。母親に死なれたおめぇを元気づけるためばかりじゃあねぇぞ」
吉左衛門は彦太郎の実父ではなかった。彦太郎が一歳の誕生日を迎えてすぐ、夫に急死された彦太郎の母親が隣村から、一男のある吉左衛門のところに嫁いできたのだ。もっとも義兄の宇之松は十六歳のときから、江戸通いの船の船頭をしている叔父の家に養子に入っており、彦太郎は一人っ子同然だった。
船乗りは船底一枚下は地獄の生活。母は彦太郎を船乗りにすることには猛反対した。夫吉左衛門と継息子宇之松のことは、嫁にくる前のことで、どうしようもなかった。ふたりが船に乗っている間は、日々生きた心地がしない。このうえ彦太郎にまで船に乗られると、心労で息絶える。母の繰り言を彦太郎はよく聞かされた。母は彦太郎が従兄に瀬戸の船旅に連れて行ってもらうこともなかなか承知しなかった。
讃岐までとの約束で仕方なく許したものの、従兄たちが途中で予定を急きょ変更し、宮島・岩国まで旅程を大幅に延長したため、彼女の心労は一方でなかった。それが災いしたのか、彦太郎が帰った翌日に母は脳卒中で倒れ、そのまま息を引き取った。
吉左衛門も宇之松も船旅に出ている最中のことで、母の葬儀はわずか十二歳の彦太郎がひとり切り盛りし、執り行った。義父の前妻の妹である叔母の助けは借りたが、彼は万事滞りなく弔いを済ませた。村人たちは彼の健気さに感心した。
もっとも彦太郎にしてみれば幼すぎて、肉親の死の意味が理解できぬまま、ただ叔母の指示に従っただけというのにくわえ、村の大事件として行われた葬儀の盛大さに圧倒され、悲嘆に暮れる余裕がなかったというのが真相だった。
樽廻船住吉丸の船乗りという、村でも指折りの裕福な家の主婦であった彦太郎の母親は、当時の女性としては高い教養を身に付け、しばしば村人の相談相手になり、また病人や貧乏人に慈善を施していた。
妻の訃報を聞いて急きょ帰省した吉佐衛門は百日の喪に服したあと、叔母のもとに残って寺小屋に通うか、それとも吉佐衛門といっしょに江戸通いの船に乗るかを彦太郎に選ばせた。健在であれば引き止めたであろう母が亡くなった現在、彼を繋ぎ止める錨はもはや存在しない。江戸見物は物心ついてより抱いていた夢である。吉佐衛門は実家の面倒は義妹に任せ、彦太郎を江戸に連れて行くことにした。
兵庫の港を出て六日目、潮岬沖を通り熊の灘に差し掛かった時分に空は雨模様となり、逆風が吹き始める。住吉丸は順風を待つため紀州の九鬼浦港に入った。