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18.第2章(黄金の国)---四十九年野郎


18.第2章(黄金の国)−−−四十九年野郎


 すでに休暇をおえて帰船していたオークランド号のキャプテン・ジェニスンが、彦太郎たちを舞踏会へと連れ出した。彦太郎たちは事前に詳しい説明は受けていなかった。


単に催しものに出席するとだけ告げられた。彦太郎、文太などすでにズボンにシャツの洋装姿のものが何人かいたが、当日は全員日本の衣装を着けるよう念を押された。


 日本では船改めを受けるときや、不慮の事故などで他船への乗り換えるときなど、()()たちは正装をするのが習わしであった。栄力丸乗組員たちも手荷物の中に羽織袴を用意していた。


しかし遭難と漂流中に破れて穴があいたり、救助されたときの慌ただしさで船に残してきたりして、満足に揃えられるものはいなかった。そのため、ほころびは繕い、病気で居残ることとなった二名のものを借りたりして何とか間に合わせた。


 羽織袴の民族衣装に髷頭の日本人漂流民の行進はさすがにサンフランシスコ市民の眼を引いた。人々は彼らに好奇の視線を投げ、軽蔑的な笑いを浮かべた。日本人漂流民は万蔵を先頭に肩をすぼめ眼を伏せて歩いた。


亀蔵や仙太郎も小さくなっていた。先日、見知らぬ異人に町を案内されたあと意気揚々と引き返してきた彼らとは別人のようだった。


彦太郎が先日サルタースに付き添われてきたときとは、自分一人で、髷は落としていたし、衣装も洋装だったためだろう、そう珍しがられなかった。化け物でも見るようなこの眼つきは彦太郎にとっては初めてだった。


 彦太郎は負けてはいなかった。先日靴を買ってもらいに出かけたとき、航海士のサルタースに引率を頼んだ不甲斐なさを恥じてもいた。怯えた目付きで身を寄せ合って歩く仲間を尻目に彦太郎は、沿道の家並みや行き交う人々をくまなく観察した。


「彦ドン。顔をあげるでねぇ。大人しゅうしておくのじゃ」

 万蔵が厳しくたしなめた。

 好奇心旺盛な彦太郎の耳には万蔵の警告は入らなかった。


「見てみぃ。あそこの家の屋根面白(おもしれ)ぇ形をしとるぞ。坊主頭みてぇに真ん丸じゃわい。…おい、あそこを行くあの女子(おなご)の着物、変わっとるぞ。腰から下が膨れ上がっとる。中に何ぞ隠しモンをしとるみてぇじゃ」


 珍しいものを見つけたり、変わった身なりの人物とすれ違ったりすると、彦太郎はそちらの方を指さしながら仲間に語りかけた。時には我慢できなくなって、列から離れて歩き回ったり、家の内部を覗き込んだりした。


 家並みや通りの様子は先日見たため馴染みがあったけれども、内部を覗き込むのは初めてであった、床にはうつくしい毛氈が敷き詰められ、人々は道路を歩いた履物のまま敷物の上にあがっていた。


「アメリカ人は礼儀を知らねぇぞ。下履きのままで座敷に上がっとおる」

 彦太郎は仲間たちに呆れたように言った。


 彦太郎にとっては上履き下履きの区別のなされないことは驚きであったが、日本人漂流民に対するオークランド号船員たちの信じられないほどの厚遇を思うと、この大らかさは頷けた。


 彦太郎たちに息を呑ませたサンフランシスコの活況はわずか過去一年ほどの間につくり出されたものであった。


 カリフォルニアは合衆国がメキシコとの戦争(1846〜48年)で獲得した地域で、1850年に州に昇格した。これに先立つ二年前の48年には、サンフランシスコ対岸のサクラメント渓谷で砂金が発見され、ゴールドラッシュが始まっていた。


 最初は地元の市民、農民あるいはシスコに出入りの船の船員たちが殺到したが、やがてニュースが広まるつれ遠方からもやってきた。多くは合衆国東部あるいはヨーロッパからであった。


しかし、大陸横断鉄道の敷設されていなかった時代、パナマ地峡経由(運河=1914年完成)あるいは、南米のホーン岬迂回の海路が唯一のルートであった。彼らは八重の潮路を乗り越え何ヶ月もかけてやってきた。


中国からも移民が押し寄せ、「金山」は中国人にとってアメリカの代名詞にもなった。彼らが住み着いた地域は後に「チャイナ・タウン」と呼ばれるようになる。


In a cavern, in a canyon

Excavating for a mine.

Dwelt a miner, forty niner

And his daughter Clementine.


   谷間の、洞穴で

   金を探して、掘り進む。

   採掘野郎、フォーティナイナー

   娘の名はクレメンタイン     (筆者拙訳)


 日本の『雪山賛歌』でなじみのフォークソング『クレメンタイン』に‘Forty-niners’『四九年野郎ども』と唄われた程の彩金熱は、それまでアメリカ西海岸の小さな港町にすぎなかったサンフランシスコの町を一躍世界中に知らしめた。


シスコの町は砂金目当ての男たち、彼ら目当ての女や商人たちでたちまち溢れた。


 カリフォルニア州の人口は1850年(彦太郎一行上陸の前年)の9・2万人から、10年後の60年には37・9万人へと激増したが、大部分はサンフランシスコの町と砂金採取現場のあるサクラメント川沿いに住み着いた。

                              つづく


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