15.第2章(黄金の国)−−−金門
15.第2章(黄金の国)−−−金門
彦太郎が振り返ると船長のジェニングスが立っていた。
キャプテンは左右から迫る岬を交互に指さしたあと、間をくぐって通り抜ける仕種をしながら、さらにゲィト、ゲィトとくり返した。ゲイトとは「門」を意味するらしかった。
《「ゴールドゥ ン」は響きが「ゴールド」と似ておるで、多分「金」と同じ意味やろうから、「金の門」ちゅうことに違ぇねえ》
彦太郎は「ゴールド」の意味は知っていた。彼が覚えた最初の英語の一つだった。
彦太郎たちがオークランド号に拾われてすぐ、唐人が紙に「金山」と書いて船の目的地を彼らに告げたとき、その場にいたオークランド号の船長が「ゴールド」を盛んに繰り返し、その意味を教えてくれた。
「オーケー。ゴールドゥ ン・ゲィト。ベリー・ナイス。ベリー・ビューテッフル」
彦太郎はにわか仕込みの英語を総動員した。
いつもは陽気に応じてくれる船長がこれには答えず、じっと正面を見据えている。久々に眼にする故国に感極まっている様子だった。
この幅1・6〜2・8キロの狭い水路はゴールデン・ゲート(金門)と呼ばれる。カリフォルニアで金が発見されて以来、人々は一獲千金を夢見て殺到した。アメリカ国内からのみならず、ヨーロッパ、中国など海外からも押し寄せた。
大陸横断鉄道は未だ通じていない時代、東部から来るには途中でパナマ地峡(運河:1914年完成、82キロ)を徒歩で横切るか、あるいは南米南端を回るかして、海路はるばるやってきた。
アジアからは何ヶ月もの間、太平洋の荒波にもまれなければならなかった。命を賭して辿り着いた人々には、これら二つの岬が「黄金の山への入り口」に見えたのだ。
金門の水路を通ってまもなく右手に無数の家並みが見えた。サンフランシスコの町だった。傾斜のゆるい丘の斜面に発達した町らしく、家並みが幾重にも重なりながらずっと奥まで続いている。
オークランド号が、漁船らしい小船が数多く行き交う間をぬって入港を始めると、港の奥の方から二本の帆柱に三角帆をあげた小船が一隻あらわれた。
異常に高い筒状のものを頭上にのせた、立派な身なりの男が数人乗船している。水先案内の船のようであった。頭にのせた筒状のものはシルクハットで、男たちは正装していたのだった。
小船からラッパの合図があり、オークランド号の船長が手をあげてこれに応えた。すると厳めしい出で立ちをした男たちの一人が、艀に乗り換え、近づいてきた。そして艀が横付けされるや、男は、下ろされた梯子を伝って上がってきた。
船縁で待機していたキャプテンは両手を大きく広げ彼を迎えた。水先案内の男も、片手に下げ持っていた、分厚く大きな紙束を甲板におき、キャプテンに歩み寄った。
二人は大げさな身振りで、互いの肩や背中を何回となく叩き合った。久し振りの再会を心から喜んでいるふうであった。
キャプテンはこの後、あとの手続きは部下にまかせると、男が足もとに置いた紙束を拾いあげて自分の部屋に閉じこもった。異様な風体の男は自ら丸い蛇輪をにぎり、オークランド号を港内へと導き始めた。
そしてまもなく埠頭に接岸された。オークランド号の周囲には小は二千石(200t[平成の日本丸は、総トン数2570トン])から大は八千石(800t)ぐらいまでの巨船が無数停泊していた。
先ほどオークランド号の前後左右をたくさんの漁船が行き来していたが、そういった小さな船は一艘も見えなかった。漁船専用の埠頭が別に設けられているに違いなかった。
(つづく)