キミとお月さま
「夜って嫌いだなぁ」
静寂に満ちていた河原には小さなせせらぎの音と、控えめに歌うコオロギと、誰が手入れをしたわけではない綺麗な広葉樹林が月に照らされ、木と木が擦れ合う心地よい音を奏でていた。それらのノイズは互いの鼓動を感じさせまいと、囁き続けている。
隣に座るその子が何を言ったのかわからなかった。
目が合うと、その子は微笑んで空を見上げた。それに釣られるように空を見上げる。丁度雲間に月が隠れるところだった。
「昼は明るいのに、夜は暗いでしょ?」
その横顔は、そんな当たり前のことに、何か違う反応を期待しているように見えた。
「……うん」
それが昼で、それが夜というものだ。自分にはそれ以外の反応が思いつかなかった。
そして月が雲間から顔を出した。
「夜はね、この世界が蓋に閉じられていて、あの月はその穴に見えるんだ」
「え?」
「新月の時には、輝く星達が空に開けられた空気穴に見える」
何を言っているのか、意味がわからなかった。顔を見るが、その子は空を見上げ、月を見ているようで、違う何かを見ている。月明かりに照らされた儚げな顔に映る何か。それが知りたくなって、その視線の先の月に再び目を移す。
月明かりを遮っていた雲も、綺麗さっぱり何処かへ風に従い、遠い何処かへ、誰かが見ている月を遮りに飛ばされてしまった。
太陽のような熱も、肝試しの灯のような冷たさも感じない明かり。
実態があるようで、空に描かれたような有機で無機質な月。空の黒色は照らさないのに、林と河原を照らす明かり。
月にいるウサギも、何かの道具なしには見られない。
もし、それが穴なら?
この黒い空が、世界に覆いかぶさっている何かなら?
そして、穴の先には……?
「どう? キミはそうは感じない?」
「君は……"あの穴"の奥に何があると思う?」
互いに目を合わせようとせず、穴の奥を見据える。それが答えだった。
その子は顔を緩め、安心したような表情になる。
「神様……かな」
予想外の一言ではあったが、驚きはしなかった。
「きっとあれは覗き穴なんだよ。穴から覗きながら、夜に人に夢を見せてくれるんだ。夢から覚める頃には全部壊すの。そして責められたくなくて昼にするの。学校とか仕事で忙しくするんだよ、きっと」
途轍もなく突飛なアイデアだが、それを頭から全否定する気にはなれなかった。
「君はあの穴の奥に行きたいの?」
今度はその子にとってそれが予想外だったらしく、顔に笑みが浮かぶ。
「どちらかというと遠慮したいかなぁ。みんなに夢を見させるには想像力が足りないよ。そういうキミはどう?」
「そもそも神様なんて荷が重いよ」
「そうじゃなくて、何があると思う? 穴の奥に」
そしてしばらく、互いに無言が続いた。穴の奥を真剣に見据える。その子は答えが出るまでこちらの顔を覗き込んでいた。
「少なくともウサギはいないと思う」
「ふふっ、キミは本当に面白いよ」
そう言ってその子供は立ち上がる。
「帰るの?」
「うん」
「あの穴の奥に?」
「……うん」
「……そっか」
互いの表情が寂しさを写した。そしてそれを互いに感じる。
「キミは大丈夫そうだね」
意味がわからず、大して高い位置にない顔を見上げる。初めて正面から見つめ合う形をとった。
「他のみんなはね、決まってこう言うの。『この世界がまるで鳥籠のようだ』ってさ」
その静かな視線に自らの視線を絡め続ける。
「ここ、良い場所でしょ?」
突然の話題。そう言いながら、周りの景色を見渡し、自分もその視線を追い続ける。
「キミはもうすぐ目覚めるけど、それまで、どうしたい?」
「……ここに座ってたい」
「そっか、じゃあ、帰るね?」
「次はいつ会える?」
「……ここに来ればいつでも会えるよ」
「そっか……おやすみ」
その返事は返ってこなかった。
せせらぎの音と、コオロギの歌と、木々の囁きが溢れる河原での出来事でした。
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