ちょっとそこの異世界で
おかしい。なぜこうなった。
「笑え。ブサイクな顔を晒すな」
隣でついさっき夫となった男が笑顔を浮かべながら、ボソリとそんなことを言う。あたしは全神経を使って表情筋を動かし、笑顔らしきものを浮かべた。
「笑顔すらもブサイクとは。……哀れな」
「ウルサイ。刺すぞ」
「ほう、やってみろ」
不穏な空気が広場に面したバルコニーに広がる。離れたところで様子を見守る騎士たちが、ハラハラした面持ちであたしたちの様子を窺っていた。
やっぱりおかしい。なんでこうなった。ここに来て三か月余り。それなのにこの展開はおかしいだろう。
あたしが居るのは近世のヨーロッパ諸国に似た国。身に纏っているのは眩しいくらいの純白のウエディングドレス。隣には夫。……なぜ夫。
「おかしい。帰りたい。せめてこの結婚をなかったことにしたい」
上品に見えるように気を遣いながら手を振る。思わず本音が漏れた。そんなあたしを隣立つ夫が鼻で笑う。
「それは無理だな。お前が結婚したのはこの俺だ」
……あぁ、その無駄に綺麗な顔に拳を叩きこみたい。出来ないからせめて細いヒールの先でつま先を踏んでやった。お返しに肘鉄をお見舞いされたけど。
私はつい三か月前まで地球という惑星の日本と言う国で女子高生ライフを満喫していた。それがいきなりの異世界トリップ。知らない間に隣で胡散臭い笑みを浮かべる男と結婚することになってしまった。
男の名前はシュバルト・カーティス=ラングドン。このラングドン王国の若き国王にして、あたしの夫である。
* * *
その日、あたしは珍しく夜中に目が覚めた。妙に喉が渇き、一階に水を飲みに行く。喉が潤されると、寝ぼけた頭で自分の部屋に戻った。
部屋に入ったとき、ちょっと違和感を感じる。妙に部屋が広いような……。
まぁ、いいか。気にせずベッドに戻る。その時もいつもと違うかな、と思ったけど眠気には勝てず、潜り込んで寝た。
『おい、起きろ』
耳慣れない言葉が聞こえた。うるさい。何なの? せっかく良い気持ちで寝てたのに。
引き下げられた毛布をもう一度引き寄せて二度寝体勢に入った。そんなあたしを見たのか、盛大な舌打ちが聞こえた。そのまま盛大に布団を剥ぎ取られた。
その勢いが強すぎて、あたしはベッドの上で二回転した。
「ちょっと! 人が寝てるんだけど!」
快眠を邪魔されて思わず怒鳴る。そして見慣れない男の出現に、あたしは固まった。
「え、だれ?」
『お前は何者だ? どうやってここに入った?』
「何言ってるか全然分からないし……」
超絶イケメンに斜め上から見下ろされている。この状況はなんだ。
男は相変わらず訳の分からない言葉を話している。何語? 英語でもないみたいだし……。
そこでようやくあたしは部屋の様子がいつもと違うことに気がついた。なんていうか、どこのお金持ちの部屋? みたいなすごいところに居るんだけど。
「なに、ここ。どこなの?」
おかしい。あたしは自分の部屋に寝ていたのに。
いつの間にこんなとこに来ちゃったの? ここはどこ? 日本? 日本にこんなとこあるの?
とにかくあたしの部屋じゃない。それを悟った瞬間、あたしは一気に血の気が引いた。
「やだ、どうしよう! 誘拐? あんた誘拐犯!?」
パニックになったあたしの頭は変な方向に振り切れた。脳内には誘拐、犯罪、身代金、殺害といった文字が泳いでいる。
泣きそうになりながらどうしよう、と呟くあたしを鬱陶しく思ったのか男がまた舌打ちをした。
『泣くな』
「どうしよう……死にたくないよぉ」
『……言葉が通じてないな』
重々しくため息をつかれ、男があたしの左手を取る。それから右の人差し指でゆっくり手首をなぞられた。
男が口許で何かを呟く。その瞬間、あたしの目の前で信じがたいことが起こった。
「え……?」
なぞられたところに刺青のように何かが刻まれていく。幾何学文字みたいな何か。痛くはなかった。少しだけ熱い。
それがあたしの手首をぐるりと一周すると男の手が離れた。わぁ、なんだこれ。
「……お前、いつまでバカ面を晒してる?」
「はぁ? ……あ、言葉が通じる」
「言ってることは分かるみたいだな」
分かる。相手が何を言ってるのかちゃんと。
どうやら手首のこれは翻訳機みたいなものらしい。便利だ。
「それで女、お前は誰だ。どうやってこの部屋に入った?」
男はあたしと会話できると分かった途端、さっきまで見下ろしていた時のように高圧的な態度に戻る。だけどあたしも言葉が通じるので、反抗心がむくむくと持ち上がった。
「人に名前を聞くときは、まず自分から」
「は?」
「最低限の礼儀でしょ!」
どうだ、と言わんばかりにあたしは胸を張る。男は意味が分からない、というように顔をしかめた。
だけどあたしが引かないと分かると、なぜかニヤリと笑う。その笑顔になぜか背筋に寒気が走った。
「俺の名前はシュバルト・カーティス=ラングドン。どうだ、名乗ったぞ」
予想はしていたけど、横文字の名前だった。まぁ、こんなにはっきりとした外国人顔なのに山田太郎とか言われたら笑うけど。
聞いたこともない名前にあたしは眉を寄せる。やっぱり分からない。ここはどこだろう。
「おい、」
「はい?」
考え事をしていたのにそれを遮られる。顔を上げれば不可解、と書いてありそうな表情であたしを見るシュバルトさん。
「なんですか?」
「なんですかって……それだけか?」
それだけって、他に何があるの? あぁ、あたしにも名乗れってことかな。
「初めまして。小澤桃香です」
「オザワ……?」
シュバルトさんの顔が歪む。お互い無言で睨み合った。
……なんかまずい気がする。
この状況は明らかに異常だ。寝て起きたら見知らぬ部屋に居て、見知らぬ男が居る。
何かが起きてる。あたしにとって良くない何かが。
「……ここはどこですか?」
嫌な予感がする。あたしの必死な様子に驚いたのか、シュバルトさんがちょっと身を引いた。
「ここ、日本じゃないんですか!?」
「ニホン? それがどこかは知らないが、ここはラングドン。中央大陸の東側にあるラングドン王国だ」
嫌な予感は見事に的中した。日本じゃなかった。それどころか地球ですらなかった。
「大丈夫か? 顔色が……」
「ウソでしょー! なんでこんなことになったの!? ただ寝てただけなのに!!」
頭の中は大混乱。思わず取り乱して叫んだら、奥の扉がけたたましい音をたてて開けられた。その音を聞いてシュバルトさんが頭を抱える。
「陛下! 何事ですか!?」
あっという間に室内は物々しい姿をした人たち――中世の騎士にも似た格好の人たち――でいっぱいになった。その人たちが一斉に剣や槍をあたしに向ける。
「ご無事ですか?」
「こいつは間者か? どこから侵入した!?」
剣先があたしの喉元に突きつけられる。あぁ、一難も去っていないのに、また一難。しかも今度は殺されそう。
あまりにも非現実的なこの状況に、頭が妙に冴えた。石のように固まって動かなくなるあたしを、騎士たち(仮)が怖い顔で睨む。
「おい、なんとかいったらどうなんだ?」
「いい。とりあえず地下牢に連れて行こう」
地下牢か。居心地いいかなぁ。……いいわけないか。牢屋だもんね。
殺されるのかなぁ。こんなどこかもわからない場所で。あたしのことなんか知らない人たちばっかりのここで。
そう思ったらなんだか泣けた。人生これからだ、ってやっと思ったのに。こんなことになるなんて。
「――待て」
止めたのは意外な人物だった。
輪の外で成り行きを見守っていたシュバルトさんがこちらへやってくる。騎士の皆さんが動揺したよう荷道を明けた。
ぼんやりとあたしは彼を見上げる。何さ。どうせ連れて行くんでしょ。さっさとやりなさいよ。
やさぐれた気持ちでシュバルトさんを見上げれば、彼があたしのそばへとひざをつく。それから顔をあたしの方へと寄せた。
「この際、お前が誰かなんてどうでもいい」
「え?」
「俺を殺す気はないんだろう?」
問われてびっくりする。そんなつもり、あるわけがない。慌てて首を横に振れば、彼は満足そうに鼻を鳴らした。
「死にたくはないな?」
「あ、たりまえでしょう!?」
「じゃあ俺のやることに文句言うなよ」
どういうこと? そう聞こうと思ったのに、できなかった。なぜならシュバルトさんがいきなりキスしてきたから。
驚いて固まってしまったことをいいことに、キスはさらに深くなる。ようやく我を取り戻して抵抗しようとしたが、それを易々と押さえ、長い口付けが交わされる。
ようやく唇が離れたときには、あたしはすっかり力が抜けてしまった。脱力したあたしの体をシュバルトさんが支える。
「へ、陛下? これはいったい……」
状況が見えない騎士たちに不安が広がる。シュバルトさんは彼らを振り返り、とても爽やかな笑顔で飛んでもないことを言い放った。
「見てわかるだろう。彼女は私の婚約者だ」
「……えっ!?」
「間者ではない。私が部屋に招き入れたのだ」
シュバルトさんの手があたしの手を優しく包み込む。それからとびっきり甘い笑顔であたしのことを見た。
「昨日は無理させたからな。体は大丈夫か?」
「ぇっ……」
シュバルトさんの目が頷け、と言っている。あたしがぎこちなく頷くと、騎士たちがわずかに息を呑むのが分かった。
いまだ状況が飲み込めないあたしのことなどそっちのけで、話はどんどん進む。シュバルトさんの腕があたしの腰元に回った。あぁ、状況はますます変な方向に……。
「彼女のことは大丈夫だ。私が請合う」
「しかし……」
迷いを見せる騎士にまた見せ付けるように口付けを落とす。ここであたしのキャパは完全にオーバーした。
「……まだなにか?」
「失礼しました!」
騎士の皆さんが最敬礼するのが見える。シュバルトさんが艶やかに微笑んであたしを見下ろした。それをぼんやりと、見返す。もはや抵抗する気力すら起きない。
「これで問題がなくなったな。婚約者殿?」
まるで悪魔の微笑み。あたしの記憶が保ったのはここまで。
いろいろなことが一気に起こったあたしは、ここで意識を失った。倒れた体を誰かが受け止めた気がする。
誰か、なんて本当は分かりきっているけど。
* * *
あたしを助けた男――シュバルト・カーティス=ラングドンが国王だと気づいたのは次に目が覚めたときだった。
あたしが居るのは日本どころか地球ですらないどこかで、ラングドンという名前の近世ヨーロッパみたいな国。王政が残っており、ドレスや晩餐会が日常の世界。
シュバルトの名目上の婚約者となったあたしは、この二重人格男のネチネチした訳の分からない嫌がらせに耐え、時には仕返しをしながらなんとか帰る方法を模索していた。
――そのはずだったのに。
「なんで結婚しているんだ」
バルコニーでの挨拶を済ませ、退屈なパーティーをひたすら耐え忍び、すっかり馴染みとなった寝室に戻ったときには心身ともに疲れきっていた。
思わずため息をつくあたしの背後に、シュバルトが立つ。鏡越しに睨み合うあたしたち。これが新婚初夜を迎えた夫婦のする顔だろうか。……自分で言っていて薄ら寒くなっちゃった。
「まだそんなことを言っているのか。お前は俺の婚約者だっただろう」
「あれは周りの目を欺くための嘘だったんじゃあ……!」
思わず振り返って噛み付けば、男の顔がにやりと歪む。しまった。慌てて後ろに下がろうにも鏡台があってそれもできない。
あっという間にあたしはシュバルトに捕まった。抵抗虚しく彼に抱き上げられ、そのまま奥の大きな寝台に降ろされる。
……この状況はまずい気がする。距離が近い。格好もまずい。ガウンの下は薄いナイトドレスだ。だからどうした、って話なんだけど。
「お前はこの国の王と結婚したんだ。何が不満だ?」
「不満だらけです。あたしがいつ結婚したいって言ったんですか?」
結婚する気なんてさらさらなかった。シュバルトだってお前と結婚するくらいなら野猿とした方がマシだって失礼なことを言っていたくせに。
それがある日突然、結婚にたいして乗り気になって。おまけに王太后さままでやる気で。知らない間に外堀をどんどん埋められた。
あっという間に結婚式の日取りまで決まっていた。気がついたときには気逃げられないところまできていた。
結婚式は国を挙げて盛大に執り行われた。国中に祝福された。――当事者のあたしの気持ちを置いて。
「諦めろ。結婚したんだから。この指輪が見えないのか?」
そう言って左手を取られる。薬指には輝く指輪が当たり前のようにそこに居た。恐ろしいことに同じデザインの指輪がシュバルトの左手にもある。
結婚の証。こんな形で目にするとは思わなかった。
シュバルトはベッドに横になるとあたしをその隣に引っ張りこむ。視線を合わせられて、不覚にも胸が高鳴った。
「ここに居ろ。俺のそばに。絶対に離れるな」
「……横暴。前は絶対に帰してやるって言ったのに」
頬を膨らませれば、彼の大きな手があたしの頬を包む。そのまま優しい顔で微笑んだ。
「撤回する」
「そんなあっさり……」
「仕方がない。離したくないって思ったんだからな。帰してなんかやれるか」
「っ、」
その言葉がどれだけの威力を持っているのか、分かっているのだろうか。思わず赤面すれば彼が体勢をぐるりと変える。
いつの間にはあたしは組み敷かれる様な形になった。シュバルトが上に居る。……なんだかこれはまずいような。
「……何してんの?」
「決まってる」
怯えるあたしとは裏腹に、彼は至極楽しそうににっこり笑った。
「今日は結婚して最初の夜。いわゆる初夜ってやつだ」
「そうだけど……」
「といえばすることは一つだろう」
その言葉を理解するのにたっぷり三秒。とっさに逃げようとしたあたしをあっさりと抑えるシュバルト。
優しくて甘い口付けが振ってくる。それだけであたしは抵抗する力を失った。
「優しくする。俺なしじゃあ生きていけないくらいにな」
そう言って彼の体温があたしのそれと重なった。
とっくにそうなってるよ。悔しいから今はまだ言わないけどね。
―END―
本作品を読んでくださりありがとうございます。
以前から異世界トリップものを書きたいなぁと思っており、今回はこんな作品を書いてみました。
他に考えている作品と関連のある内容です。いずれ、そちらも書けたらいいな、と思っています。
誤字・脱字などがありました遠慮なくどうぞ。
*藤咲慈雨*




