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星屑のきゅうりと、あたたかい雪

作者: LucaVerce
掲載日:2026/01/22

 世界から音が消えた夜だった。


 窓の外は、漆黒の闇と、それを塗りつぶすような白い雪。

 北国の冬は重い。家全体が雪のまゆに包まれて、時間さえも凍りついているようだった。


 古びた日本家屋の縁側で、旧式のアンドロイド「ロク」は、じっと膝を抱えていた。

 彼の視覚センサーには、降り止まぬ雪のノイズが砂嵐のように走っている。

 製造から五十年。ロクのボディはあちこちが錆びつき、最新のOSに対応できなくなって久しい。


「……おじいさんは、まだかのう」


 障子の向こうから、枯れ葉が擦れるような声が聞こえた。

 ロクは軋む関節を鳴らして立ち上がり、部屋に入る。

 布団に小さく埋もれているのは、この家の主であるトメだ。御年九十八。この数日、彼女の意識は夢と(うつつ)の岸辺を行き来していた。


「トメさん。今は真冬ですよ。おじいさんは三十年前に亡くなりました」


 ロクの合成音声は、スピーカーの劣化で少しノイズ混じりだ。

   トメは、虚ろな目で天井を見つめたまま、ふふ、と弱々しく笑った。


「知っておるよ。でもな、今日はお盆じゃろ? 遠くで提灯の明かりが見える」

「いいえ、それは除雪車のライトです」

「お盆じゃよ。……早く、馬を作ってやらんと。あの人が迷ってしまう」


 トメの痩せこけた手が、布団の上を彷徨う。

  「きゅうりはないかえ? とびきり速い、緑色の馬を作るんじゃ」


 ロクの電子頭脳が検索をかける。

精霊馬しょうりょううま』。

 お盆に、先祖の霊が早く帰ってこられるように供える、きゅうりの馬。

 しかし、今は二月。外は猛吹雪。

 冷蔵庫は空っぽだし、こんな山奥の豪雪地帯に配送ドローンも飛んでは来ない。


「トメさん。きゅうりはありません。今は冬ですから」 「……そうかえ」


 トメの声が、ふっと沈んだ。

 その目から光が消え、絶望という色の影が落ちる。

「馬がないと、あの人は帰ってこられん。暗い夜道で、凍えてしまう……」

 涙が一筋、深い皺の谷を伝って落ちた。


 ロクの胸の奥で、警告音が鳴った。

 『重要:所有者の幸福度低下。精神的苦痛の緩和を推奨』

 ロクはただの介護用ロボットだ。魔法は使えない。季節を変えることも、死者を蘇らせることもできない。

 けれど、トメを泣かせたままにすることは、彼の最優先プログラムが許さなかった。


「……探してきます」 「え?」 「とびきり速くて、きれいな馬を。私が用意します」


 ロクは部屋を出た。  

 向かったのは台所ではない。氷点下の納屋だ。  

 雪をかき分けて重い扉を開けると、冷気がロクの錆びたボディを容赦なく叩く。  

 ガラクタの山。古い農具。  

 ロクは暗視モードで視界を緑色に変え、何か代わりになるものを探した。  

 木切れ? 

 いや、それでは生気がない。プラスチック? 

 軽すぎる。  

 トメが求めているのは、瑞々しい「命」の形をした馬だ。


『テーマ:キラキラ』


 ふと、ロクのメモリにある古いファイルが再生された。  

 何十年も昔の夏。  

 元気だった頃のトメとおじいさんが、縁側で並んでラムネを飲んでいた。  

 ビー玉がカランと鳴る。西日に透かした緑色の瓶が、宝石のように輝いていた。  

『きれいだねぇ』と若き日のトメが笑う。

 その輝きだ。


 ロクはガラクタ箱の底から、一本の空き瓶を見つけ出した。  

 古いサイダーの瓶だ。厚みのある、深い緑色のガラス。  

 ロクはそれを握りしめると、作業台の万力に固定した。

 右手の指先を変形させ、工具を展開する。本来は修理用のダイヤモンドカッターだ。


 キュイィィィン……。


 静寂な冬の夜に、ガラスを削る音が響き渡る。  

 ロクは彫刻家のように、無心に刃を動かした。

 瓶の底を切り落とす。側面を削る。

 ガラスの粉が舞い散り、ロクの銀色の体に降り積もる。ライトに反射したその粉は、まるで星屑のようだった。


 バッテリー残量の警告が出る。  

 寒冷地での高負荷作業は、劣化したバッテリーには致命的だ。  

『警告:残量15%。作業の中止を推奨』  ロクは無視した。

 削り出されたのは、少し歪な楕円形のガラス塊。  

 ここからが本番だ。  

 ロクは指先のヤスリを高速回転させ、表面を磨き始めた。

 粗い目から、細かい目へ。

 曇っていたガラスが、次第に透明度を増していく。

 深い森のような、あるいは夏の湖のような、吸い込まれるような緑色。


 次に、足を作る。  

 ロクは自分の足の装甲パネルを外した。内部の配線を守るための、細い強化セラミックの棒を引き抜く。  バランス制御系にエラーが出るが、構わない。  

 四本の白い棒を、ガラスの胴体に開けた穴に差し込む。  

 これで形はできた。

 だが、まだ足りない。  

 トメは「暗い夜道」と言った。おじいさんが迷わないための、道標が必要だ。  

 ロクは自分の胸部メンテナンスハッチを開けた。  

 動力炉の横で、予備電源として微かに光っている緑色のLEDユニット。  

 ロクは躊躇なくその配線を引きちぎり、ガラスのきゅうりの内部に埋め込んだ。

 自分のメインバッテリーから、直結ケーブルを繋ぐ。


 ブゥン。


 低い音と共に、ガラスのきゅうりが内側から発光した。  

 磨き上げられた緑のガラスの中で、光が乱反射する。  

 ガラスに含まれた気泡の一つ一つが光を孕み、まるで天の川を閉じ込めたように輝き出した。  

 それは、ただの野菜の代用品ではなかった。  

 冬の夜に生まれた、光の精霊馬だった。


 ロクは足を引きずりながら、母屋へ戻った。  

 バッテリー残量は3%。視界が明滅し、足元の感覚がない。  

 それでも、手の中の光だけは守り抜いた。


「トメさん……」


 部屋に戻ると、トメの呼吸は浅く、弱くなっていた。

 ロクは枕元に跪き、その光る馬を掲げた。  暗い部屋が、一瞬にして緑色のオーロラに包まれた。


「……ああ」


 トメが目を開ける。  

 その瞳に、キラキラと瞬く緑の星が映り込む。  

 ガラスの透過光が、障子に幻想的な模様を描き出していた。


「なんて……きれいな……」 「特製の馬です。ガラスと光でできていますから、どんな暗闇でも照らせます。それに光の速さで走れますから、おじいさんもすぐに帰ってこられますよ」


 ロクがそう告げると、トメは震える手を伸ばし、ガラスの馬に触れた。

 冷たいはずのガラスが、ロクのバッテリーの熱でほんのりと温かい。


「温かいねぇ……。まるで、あの人の手のようだ」


 トメが、少女のように微笑んだ。  

 その時、奇跡のように窓の外の雪が止んだ。  

 雲の切れ間から、冬のダイヤモンドと呼ばれる一等星たちが顔を覗かせ、部屋の中の緑の光と共鳴するように瞬いた。


「……聞こえるよ、ロク」


 トメが天井を見上げる。 「鈴の音がする。……ああ、来た。早いねえ。本当に、速い馬だこと」


 トメの視線の先には、ロクには見えない誰かが立っているようだった。  彼女は安心しきった顔で、ガラスのきゅうりを胸に抱いた。 「ありがとう、ロク。あんたは、本当にいい子だねぇ」


 トメの手から力が抜けた。  

 モニターの波形がフラットになる。  

 けれど、その死に顔は、最高の夢を見ているように安らかだった。



 ロクのバッテリー残量が0%を表示した。  強制シャットダウンのカウントダウンが始まる。  10、9、8……。


 ロクは動かなくなったトメの手を、自分の冷たい手で優しく包み込んだ。  

 任務、完了。  

 視界がブラックアウトしていく中で、胸元のガラスのきゅうりだけが、いつまでも、いつまでもキラキラと輝き続けていた。


 それは、二人の魂を乗せて冬の夜空を駆けていく、流星のようだった。

 静寂が戻った部屋に、優しい光だけが残された。


(了)

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