稲田会
翌日の午前、診察を終えると琴は大学に行った。
界人には病院から帰宅後、マムシに噛まれた事を報告していた。バイト終わりにそのLINEを見た界人は、とても慌てたメッセージを送ってきていた。
心配ないと伝えたが、会うまでは安心できないのか繰り返し体調を確認する連絡がきた。仕方ないので講義の前に顔を見せることにした。白透に出会ったことも伝えなくてはいけない。
大講義室の前に行くと、指定した場所で界人が待っていた。
「大丈夫なん?」
腕を包帯でぐるぐる巻にしている姿を見て、界人は驚いた。
「平気。ちょっと大げさに見えるだけよ。午前中の診察でも大丈夫って言われたし」
「ごめん。昨日、一緒に帰れば良かった……。大して手応えもなかったのに、怪我だけさせるとか…。ほんまにゴメン」
苦悶の表情で言うので、
「そんな事ないよ。あの後、収穫があったんよ」
と白透の件を教えた。
今日の午後、約束を取り付けていることを知ると、界人は少し表情が緩んだ。
「凄いな、お婆さんにバレずに会えるよう約束取り付けるとか」
「山本くんがお婆さんに話してない保証はないけどな」
肩をすくめて言ったが、界人は感心していた。
「俺は講義あるから行けれんけど、成果は報告して。あと、絶対に無理はせんでな」
15時になると、琴は昨日の場所に向かった。お婆さんしかいなかったらどうしようかと緊張したが、白透は1人で待っていた。
琴が手を振ると、ぎこちなく手を振り返してくれた。
包帯を巻いた姿を見た白透は、界人と同じ様な顔をした。
「平気だった?」
「うん。生きとるよ。山本くんの処置のおかげで、軽傷ですんだ。お医師さんからもそう言われたよ」
ホッとした顔をしたので、心配をかけたんだなと思った。
「これ、助けてくれたお礼。うち、豆腐屋だから色々と詰めてきた。あと、クッキーとかも入ってる」
紙袋を渡すが、白透は手を出さなかった。変わりに首を横に振っている。
「受け取れん。そんな事出来ん」
「なんで?」
「今日は無事な姿を確認するためだけに来た。もう会うつもりはないから、受け取れん」
「これはこれからヨロシク、じゃなくて、昨日はありがとうの意味だから受け取ってくれんと困る」
ズイッと紙袋を押し付けた。
「そんなものがあると、ばあ様にバレる」
その一言で、お婆さんには内緒で出てきた事が分かった。どうやら、お婆さんにも誰かと密会していることがバレたらまずいようだ。
「なら、クッキーだけでも食べてよ。これならここで食べちゃえば証拠も残らんよ?」
そう言っておからクッキーを取り出し、白透に渡した。
彼は渋々、というように手を伸ばした。
「毎日手作りしたるやつじゃけ、サクサクだよ」
袋を開けて、一個をかじる。ザクザクとした咀嚼音が響いた。琴はリュックからジュースも取り出した。
「おからクッキーって口がパサパサするから、ジュースも持ってきたよ。ミックスジュース。コンビニのじゃけど美味しよ」
界人は無言で受け取ると、一口飲んだ。
「……美味しな、これ」
「じゃろ?」
琴は笑った。
背中に背負った小さなリュックを下ろすと、がさがさいじって中身を取り出し始めた。
「小さい頃から味変わらんのよな、それ。あとは期間限定のチョコ。抹茶とクランベリーがあるよ。それからこれも期間限定の梅風味のポテチ2種類。定番の塩も買った。あとはシュワッとする物飲みたくて炭酸も買ったし……」
話ながら次々と草の上にお菓子を並べる。
「ちょっと待って。どんだけ持ってきたん?」
どんどんと出てくる袋を見て、白透は慌てた。
「2人で食べようと思って」
琴は敷物を広げ始めたので、白透は口を開けてぽかんと見た。自分の分のジュースとお菓子を広げ、靴を脱いで座ると、
「どうぞ」
と自分の隣をトントンと叩いた。すっかりピクニックの装いになり、白透は思わず笑った。
「遠足やん、こんなの」
はじめて顔をクシャっと歪ませて笑う姿を見て、琴は「そんなに笑う?」と言った。
「小学校の遠足みたい。もうええ歳なのに、お菓子とジュース広げて……」
「ピクニックに年齢は関係ないやん。それにええ歳って、まだ20代よ?」
「まぁそうじゃけど」
じっと見つめる琴の視線に負けて、観念したのか白透は琴の隣に靴を脱いで腰を下ろした。呆れ顔だが何やら楽しそうで、お菓子の数々を眺めている。
「どれでも好きなの選んでいいよ」
そう言ったが、白透は眺めるだけだった。琴は梅風味のポテチを取ると封を開けて、差し出した。
「これ食べると冬っていうか、受験シーズンだなって思う」
「……そうなんや」
ピンときていないらしい白透は、1個だけつまむと口に入れた。
しばらく互いに無言でお菓子を食べてジュースを飲んだ。だんだんと低くなっていく太陽を見ながら、白透はポツポツと琴に質問をした。
「稲田さんは大学生?」
「うん。民俗学部の2年」
「民俗学部って何するん?」
「んー、色々。日本の文学とか風習を調べて、今の時代との関連を見つけていく、みたいな?」
「うちの神社を調べとるのも、その関係?」
「そう。いつ建てられて、今に至るのか。この街との繋がりとか文化への影響とか調べとる。敷地神も多いから、そことの繋がりも見てる。まぁ、あたしじゃなくて、友達のレポートを手伝っとるんじゃけど」
「友達?」
「そう。協力する代わりに、あたしはカメラの技術を教えてもらうの。これ」
琴は首から下げたカメラを見せた。
「貯めたお年玉奮発して買ったんだ。自分で買った初めての高額商品!」
「……そっか」
「まだ上手く撮れんけど、練習中。いつも持ち歩いて、取りたい時に撮れるようにしてる」
「カメラが上手くなってどうするん?」
「実家の商品撮ったりしたい。プロに頼むと高いから。ホームページとかに載せる用の写真撮るんだ。あとは好きなものとか可愛いもの、綺麗な物とか。とにかく何でも」
「……いいね」
「山本くん、趣味は?」
「……無いかな」
白透は琴を眩しそうに見た。白透自身の目は相反して、暗く沈んでいた。
「楽しそうで羨ましい」
言われたが、琴はそうなんかなと思った。
「そう見える?」
白透はゆっくりと頷いた。
「皆にとっての『普通』は、俺にとっては遠いから」
その言葉に、白透の全てが詰まっている気がした。
白透の普通は、人と会わない事。
一人でいる事。
お婆さんに秘密を作らないこと。
その3つである気がした。
琴にとっての普通はなんだろう。少なくとも、部屋に閉じこもって1人きりで過ごすことではない。
「普通って簡単そうだけど、難しいよな」
琴は静かに言った。
皆にとっての普通が遠い。
上手く言えないが、白透の心はそのせいで苦しいのだと思った。
「山本くんは今、お婆さんに秘密でここに来てくれとるんじゃろ?それって山本くんからしたら『普通』じゃないんよな。だから、ドキドキしとる。こっそり家を出てきてお菓子食べて、人に会って」
白透は何も言わなかったが、顔を見れば返事をしなくても分かった。
今の生活が窮屈だと言っている。
「別に悪い事してる訳じゃないよ。たまにさ、こうやって会おうよ。少しずつこういう時間を増やしていこう。そうしたらこれが普通になるよ」
「……そんなの、無理だよ。稲田さんの迷惑になる……」
「なんで?」
「……理由は言えん。でも、ゆくゆく迷惑になるから」
「ゆくゆくって、どれくらい先の話?」
「……分からん。俺にも、ばあ様にも。でもその日は絶対に来る」
白透はそれが怖いのだと分かった。いつ来るかも知れない日が怖くて、何も出来ない。
「分からんなら、その時が来たら考えればいいんじゃない?」
白透は琴を見た。
「いつか来る嫌な日を待つより、確実に来る楽しい日を選ぼうよ。その方が気持ちいいじゃん」
「……それ、は――そうかも知れんけど……」
「山本くんは今日楽しかった?」
白透は小さく頷いた。まるでそれを肯定するのが怖いように、ゆっくりと。
「だったら、また会おうよ。お喋りして、お菓子食べて。研究一緒にしてる友達も誘うから。一人だけ。男の子だよ」
「じゃけど……」
「山本くんの事は、もう話してあるんだ。3人で、ここで会おう。場所は毎回変えてもいいしさ。可能なら、もう少し街におりて。無理ならこの山のどっか別の場所で。あたしは写真撮れるし、山本くんは鷹取くんとお話出来る。男の子同士、色々聞けばいいじゃん」
白透は黙ってしまった。悩んでいる、というよりはその事を想像しているのだと思った。きっと白透にとってはとても魅力的な誘いなのだろう。
「どう?楽しそうだと思う?」
「思う……凄く思う……。じゃけど……」
白透は両手を首の後ろに回して、項垂れた。琴から表情が見えなくなってしまった。
「俺には……決められん……」
声からして、苦悶しているのが分かった。
白透をそこまで引き留めるのは何なのか。
琴は聞きたかったが我慢した。今日は何も聞かない約束だ。
「なら、あと一歩で唆されてくれる?」
唆す、に白透は小さく笑った。
「俺は唆されようとしてるん?」
「そうだよ。黙って家を抜け出して勝手にお菓子食べる悪い事に誘ってるの。良くないでしょ?」
「ふふっ、そうじゃな。悪い事じゃな……」
「じゃぁ、スケット呼ぼうかな」
琴はスマホを取り出して、界人に電話した。この時間はちょうど講義の合間だ。出てくれるかもしれない。
呼び出し音がしばらく続くと、プッと切れて『もしもし?』と界人が出た。背後がざわざわとうるさいが、声は聞こえる。
「鷹取くん?ちょっと手伝って」
『手伝う?何を?』
「山本くんを唆し中なんよ。あと一歩なんじゃけど。同じ男の子からも背中押して欲しくて」
『は?いや、稲田さんの言っとる意味が分からん』
困惑している界人を放っておいて、琴はスマホを白透に差し出した。
「ほら、話して」
突然言われて、白透も戸惑った。
「えっ?俺が話すの?」
「そうよ。ほら、次の講義始まっちゃうから」
「えっ?えっ?」
白透はスマホと琴を交互に見ているが、手を出さない。この間にも
『お~い。稲田さーん』
と界人の声がかすかに聞こえる。
「早く」
更に急かされるが、白透はオロオロするばかりで動かない。それにイライラして、琴はスピーカーを押した。
「ほら、これで聞こえるから。鷹取くん。今、山本くんが目の前におるから話て。唆してよ」
『だから、唆すって何?山本くんって、俺は顔も知らんのんじゃけど……』
「それは山本くんも同じ。フェアでしょ?」
『いや、アンフェアじゃね?』
「ほら、山本くんも話してよ」
「えっ?何を?」
「なんでもええから。ほら」
話相手が琴以外にも増えて、白透はさらに困惑した。プチパニックのようにソワソワしている。
『えーっと、山本くん?始めまして』
困惑しつつも界人が話を始めた。
『俺は鷹取界人。稲田さんと共同研究してる。昨日、お婆さんから道通神社について話を聞きに行ったんじゃけど、俺だけバイトあったから先に帰ったんよ。用事なかったなら会えたと思うんじゃけど』
界人の自己紹介に、白透も慌てて返した。
「山本白透です。稲田さんに急に電話で話せって言われて……。何話ていいか分からんのじゃけど……」
『稲田さん、強引な所あるからな。ちょっと分かるわ。まだ会って間もないけど、想像出来る。予想の斜め上を行くんよな』
「あっ、それは分かる。今も急にピクニック始めてて……」
『ピクニック?』
「敷物にお菓子にジュース持ってきて、今座っとる」
『あはは!なに、それ?お花見みたいやん。ちょっと楽しそう』
「いや、寒いで?」
『そりゃ12月やもんな、寒いわ。強制参加の稲田会、俺も行こうかな』
「強制参加なん?」
『だって、山本くんすでに参加しとるやろ?』
「……してる」
『強制参加じゃん』
2人の会話をしばらく静観していた琴は、そろそろ我慢し出来なくなって口を挟んだ。
「ちょっと、なんであたしの悪口みたいになってんの?」
「えっ!悪口なん?」
『俺と山本くんの共通の話題なんて、稲田さんの事しないやん。顔も名前も知らんかったのに、いきなり話せとか。無理難題過ぎ』
「だからって、なんで悪口?解せない!」
『稲田さん、たまに古い言葉使うよな。鳩が豆鉄砲食らうとか。解せぬ、とかなかなか使わんで』
「うるさいな!古い人で悪かったな!」
「ちょっと、喧嘩せんでや」
『喧嘩じゃないよ。平気平気』
「山本くんも稲田会って言ったっけ?参加、嫌なん?」
「えっ?」
「だってさっき強制参加で、とか話てたじゃん」
『稲田会、どうする?山本くんは次回参加する?』 「もう!嫌ならええよ!あたし鷹取くんの研究からも外れるから!カメラか使い方教わったし。もう用はない!」
『うわっ、酷っ!ポイ捨てじゃん!俺を弄んだな?』
「そうよ。研究ごとポイ捨て!」
2人の雰囲気が険悪になり、白透は慌てて、
「ちょっと、落ち着いて!参加するから!嫌じゃないから!」
と割って入った。
『山本くん、上手く乗せられとるよ?稲田さんにほだされたら駄目で?』
「ほだされるとか。そんな事ない。楽しかったし」
どうやら本音らしい言葉が聞けて、界人は『よし』と言うと、
『オッケー。山本くん、連絡先教えてや。稲田さんにとりあえず教えくれれば、俺にも伝わるから。そろそろ講義始まるけ、切るよー。また詳細教えてな!』
プッと電話はそこで切れた。
辺りはしんと静まりかえる。
白透は喉を押さえて咳払いした。普段多くを喋らないツケが回ってきたようだ。
咳を抑え込んでジュースを飲み誤魔化そうとしたが、上手くいかないようだった。しばらく咳き込んだ後、少し落ち着いた所を見計らい、琴が尋ねた。
「沢山喋れたね。男の子同士、楽しかった?」
聞かれたが、楽しかったのかよく分からなかった。慌ただしく会話した記憶しかない。
「楽しかった……んかな?バタバタ会話しただけな気がする……」
「あたしの悪口で盛り上がっただけじゃしな」
「悪口じゃないって!」
琴はフフッっと笑った。
「やっと山本くんが年相応に見えてきた」
笑われて、白透は気まずそうに口を歪めた。
「稲田さんとおると、調子狂う」
「それはありがとう」
「褒めてないよ?」
「知ってる」
はぁ、と嘆息すると、白透はいつの間にか赤く染まりだした夕日を見た。
あっという間に時間が過ぎた事に驚いた。もうこんな時間なのかと目を見開く。
「山本くん、さっき鷹取くんが言っとった連絡先、教えて。スマホ持ってる?」
「何、それ?」
琴は自分のスマホを見せた。
「コレ。持ってない?」
頷く白透を見て、
「じゃ、2日後にまた会おう。ここに鷹取くんと一緒に来るから。こういう約束の仕方、アナログで新鮮かも」
「変?」
「変じゃない。なんかワクワクする!」
楽しそうに言われ、白透は笑った。自分でも久々に表情をコロコロと変えた気がする。
「14時でも平気?」
「平気。俺は予定なんかないし」
琴は立ち上がると、残ったお菓子をリュックに詰めた。
「また明後日に持ってくる。ジュースは飲んじゃって。ゴミは持って帰るら。お婆さんに見つかったら厄介なんじゃろ?」
言われて、残りのジュースを全部飲みきった。
ペットボトルを受け取ると、琴は敷物を小さく畳んでそれもリュックに入れた。お尻を叩くと、
「じゃ、また明後日。14時ね。鷹取くんと何話すか、考えておいて」
琴は手を振って帰っていった。白透は姿が見えなくなるまで見送った。
一気に静かになり、風の音が耳に響いた。
だんだんと暗くなる寂しい山の中で一人佇む白透は、薄着で寒いはずなのに、ちっともそれを感じなかった。今までにないぬくもりと、膨らむ胸の高鳴りがあったからだ。
夕日が沈むまで、それをじっと噛み締めていた。




