置いてきたもの
白透は何処を見ているのか、沈んでいく太陽に顔を向けていた。眩しそうに目を細める訳でもなく、季節外れな薄着に震える訳でもなく、ただ道のない場所に立っていた。
余りにも突然な場違いな姿に、琴はしばらく動きが止まった。白透の白い肌、色素の薄い髪、綺麗な顔はまるで絵から抜け出したようで、神秘的な光景に見えた。自然の中の一部の様な佇まいは、琴の目と心を奪った。
数呼吸分は呆然としていると、はっと我にかえる。思いがけず一人でいる白透に会えたのは幸運だった。何か話を聞けるかもしれない。
「あの!」
10メートルは先にいる白透に聞こえるよう、声を大きくして話しかけた。
「山本白透くんですよね?あたし、同じ中学の稲田です。お久しぶり!」
白透はまさか人に出会うと思っていなかったようで、かなり驚いていた。大きく見開かれた目が琴を凝視している。
「今、お婆さんとお話させてもらった所で。山本くんにも少し聞きたい事があるんじゃけど、そっちに行っていい?」
白透は何やらオロオロと辺りを回した。まるで、他の人間に見られていないか、心配しているようだった。そして何も言葉を発することなく、突然駆け出した。
瞬時に逃げられると思った琴は、急いで後を追った。白透の足は決して速くはなかったが、山道に慣れているのか琴より余程素早く駆けた。とても病弱であるとは思えない。
「待って!なんで逃げるん?」
琴は必死に姿を追った。しかし悲しいかな、距離は離されていく。そのうち、草に隠れていた木の根っこに躓いて盛大に転んだ。
「ぐふっ」
変な声を出して地面にぶつかる。久々に転んだ衝撃はじわじわと痛みとして伝わってきた。土と草の匂いが目の前の草むら漂ってきて、鼻をくすぐった。
ゆっくりと上体を起こすと、すでに白透の姿は見えなかった。
(せっかくのチャンスじゃったのに……)
はぁ、とため息をついてコートの土をはたく。膝がひりひりして、手の平も擦りむいて血が滲んでいる。気落ちしてそれを見ていると、後ろからカラカラと音がした。
聞き慣れない音に振り返る。
そこには蛇がとぐろを巻いて琴を見ていた。
褐色の銭形斑紋が左右非対称に並ぶ胴で、すぐにマムシと分かった。猫のように縦型の瞳孔が琴を見据えている。
琴は思わず叫んだ。こんな季節に冬眠せずにいる理由や、踏んづけてしまったのか、などいう理論的な事は一切飛んだ。
琴の声に反応したのか、マムシの攻撃準備が整ったせいなのか、琴が近くにいたせいなのか、首を伸ばして素早く噛み付いてきた。琴はさらに叫んだ。咄嗟に手を顔の前に出すと、右腕を噛まれた。噛み付いた状態のマムシを何とか離そうともがいていると、
「じっとして!」
と鋭く言われた。
白透が木の棒を持ちマムシをつつくと、サッと口を離した。何故かマムシはしばらく白透を見ると、草むらの陰に消えていった。
姿が見えなくなりホッと安堵したのもつかの間。
「噛まれた?!」
白透は慌てた様子で琴の隣にしゃがみ込んできた。
「腕、見せて」
鋭く言うと、琴の返事を待たずコートと袖をめくった。腕には極小さな出血があった。思ったよりも深くない。冬で厚着をしていた事が功を成したようだ。
しかし白透は
「救急車呼ばんと!電話ある?!」
と琴に聞いた。
「でも、凄く小さい傷だよ?」
そうと「ばか!」と怒鳴られた。
「間に合わんかったら命がないぞ!電話!」
その威勢に琴は驚き、スマホを差し出した。しかし白透は使い方が分からないようで、
「君がかけて」
と言うと、琴の腕を出来るだけ低く保つため腕を抑えた。そして傷口を絞るようにして、血を外に流している。
琴は生まれてこの方、救急車を呼んだことがなかったので慌てた。
何とか119番である事を思い出し電話して、マムシに噛まれた事を伝える。
電話を終えると、白透にそれを伝え、
「すぐに来るって」
と声を掛けた。
「君はこのままじっと動かんで。救急車が来たら俺がここまで案内するから。あと、水持ってたら出来だけ飲んで」
白透は変わらず傷を絞り続けながらそう言った。琴はカバンにペットボトルの水があっことを思い出し、何とか片手で蓋を開けて飲み干した。
ずっと傷を絞ってくれる白透に「ありがと」と声を掛けた。
「痛みとか気分悪いとか、ない?目眩はする?」
「平気。ちょっとピリピリするくらい」
まだ救急車の音は聞こえず、辺りはさわさわと風の音と木々の擦れる音しか耳に入って来ない。
「君、何でこんな所に?神社くらいしかない山なのに。そんな普段着で入って来る所じゃないよ」
「稲田琴だよ。山本白透くん」
そう言われ、白透ははじめて琴の目を見た。
「俺を知ってるん?」
琴は頷いた。
「さっき大声で言ったんじゃけど。聞こえんかった?」
白透は
「遠くて、なんか喋っとるのしか分からんかった」
と言った。
「同じ中学で、同級生だよ。今日はお婆さんにお話を聞きに来てた。大学の勉強の一環で、道通神社について調べてて。その帰りだったんよ」
白透は「……そう」と小さく言うと、顔を歪めた。
「なら、もうここにはこんほうがええよ。ばあ様からは話聞けたんじゃろ?マムシもおるし、近づかん方が……」
言い差した所で「また来るよ」と素早く返した。
「助けてもらったお礼がしたいし。山本くんからも神社の話を聞きたい。お婆さんからはほとんど何にも聞けれんかったから」
白透は困惑した顔で琴を見た。
「俺から話すことは何もない。お礼もいいよ。元々は俺が逃げたせいじゃし」
「駄目。それじゃぁ、あたしが納得出来ん」
「俺は出来る。来ても会わないよ。どうせばあ様に追い返されるじゃろうし」
「それでも行くよ。神社について知りたいだけじゃないから」
神隠しや時間が飛んだことを何か聞けるかもしれないと思い、琴はそう言った。
しかし白透は先ほどと打って変わって、顔色をサッと変えた。
「何を聞きたいん?」
怯えているような表情だった。
それに違和感を持って、琴は少し驚いた。何か隠し事がありそうだという直感と、怯える程の事なのかという疑問が交錯した。
「今はまだ言えない。もう少し、山本くんが心を開いてくれたらでいい」
その言葉に、白透は渋面を作った。
「……そんな関係値になるわけ無いやん――」
呟くと視線を地面に落とす。
「俺が話すことも、話せる事も何もないよ。俺には近寄らん方がええ」
自ら距離を取ろうとする言い方に、琴は無遠慮に聞いた。
「だから、学校にも来なかったん?人と繋がりを作らなんために」
白透はさらに眉間にシワを寄せ、何かに耐えるような苦しそうな顔をした。
「どうでもええやろ。そんな昔のこと」
「そんな事ないよ。昔とか関係ない。今は学校に行っとるん?」
「稲田さんには関係ない」
「連絡先教えてよ。同窓会とかもあるじゃろうし、今後も神社の事教えて欲しいから」
「行かないし、話す事ないから、いい」
「首のそれ、綺麗じゃね?タトゥーなん?」
言われて、白透はサッと首に触れた。隠そうとしたらしいが、いかせん片手は傷を絞るために使っているので、上手くいかなかった。
「隠さんくてもいいのに。綺麗よ?」
苦痛そうな顔を見ると、照れ隠しなどではないと分かる。
白透は全く琴を見てくれなかった。取りつく島もない所はお婆さんと似ている。
やはり、2人して何か隠している気がした。
「何でそんなにも1人になろうとするん?」
「……五月蝿い」
「そんなにも辛そうな顔するなら、話してよ」
「五月蝿い」
「ずっと1人でおるつもり?お婆さんと2人っきりで、あんなに広い家で、誰とも会わずに?」
琴はあえてズカズカ踏み込んだ。
「何も知らんくせに、遠慮なく言うなよ!」
急に大声を出して白透は怒った。それでも琴は引き下がらなかった。
「知ろうとしても、山本くんが壁を作るから知る由もないじゃん」
「―っ!」
白透は言い返す言葉を失ったようだった。
「我慢し続けたら、それが普通になるよな。我慢してない事が怖くなる。でもそれっておかしい状態よ。普通は我慢を続けなきゃいけないことなんて、何もない」
遠くから救急車の音が聞こえてくる。もう時間がなかった。
「あたしは明日、15時にここへ来る。山本くんも来て」
「……何のために?」
「あたしの生存確認して」
「……は?」
「マムシの毒で死ぬかも知れんやん。生きとったら、明日必ずここへ来るから。来なかったら…死んだと思って」
白透はじっと琴を見た。
「明日会えたら、少し話しをしよう。沢山話してくれなくていいから。神社の事も、学校に来なかった理由も話さなくてもいい」
「なんで?それを知りたいんじゃないん?」
琴は頷いた。救急車がすぐそこまで来ている。
「知りたいよ。でも今日かなり強引に山本くんを問いただして、無遠慮に踏み込んだから。当分は何も質問しない」
白透は不思議な生き物を見る目で琴を凝視した。
「ごめんな、初対面で沢山失礼な事言って。追いかけた事も謝る。助けてくれたのは、ホンマにありがとう」
救急車の赤いランプが見える距離まで来ていた。白透は誘導のため立ち上がったが、まだ琴の事を見ていた。
「明日、15時。生きてたら、会おうな」
救急車隊がやってくると、琴は搬送された。白透と話している時、ずっと我慢していた痛みで顔を歪める。
病院で応急処置がなされ、点滴を受ける頃には肘関節から下が少し腫れた。
連絡を受け飛んできた両親に医者は、
「軽傷なので、今日は帰宅してかません。厚地のコートを着ていたのと、その場での応急処置が良かったのでしょう。体内に殆ど毒が回りませんでした。念のため、明日の午前中にもう一度見せてください」
と説明した。
出来るだけ安静にするよう言われ、帰宅した。
その日はさっさと寝るようにキツく叱られた。
ベッドに入ると、一日バタバタだったと思った。
それでも収穫はあった。何とか白透と会えたし、会う約束も出来た。……多分。
まだ少し疼く右腕をさすり、そっと目を閉じる。
界人に出会ってから、どうやら自分は大分遠慮がなくなったらしい。少し前なら、あんなにもズカズカ色々聞かなかっただろう。
(あたしってこんなにも影響受けやすい性格だっけ?)
きっと時間飛ばしにあったせいだ。あの時、もとの引きこもりで無口な自分を置いてきたに違いない。
そして、特にそれを後悔することも無かった。




