動揺
その夜。
親しい女友達がいない琴はネットに頼り調べまくった。身近な恋愛経験がある女性は母だけという友好関係の狭さを呪い、積極的に友人作りをしなかった事を初めて深く後悔した。恋愛なんて自身の人生には無関係だと思い込んでいた。
(まさかこんな事態になるなんて……)
恋愛漫画もドラマもあまり観てこなかった。高校時代の友人ともそんな話はしてこなかった。自身の知識はかなり浅い。
となれば、必然頼れるのはネットだった。
『恋愛経験が少ない人が告白されたら』で検索すると、
“相手への興味の有無や自分の気持ちを冷静に整理し、「とりあえず付き合ってみる」ことも選択肢に入れる”
“特別好きでなくても、「嫌いじゃない」「一緒にいて落ち着く」「意外と相性が良いかも」と感じるなら、「とりあえず付き合ってみる」という選択肢は有効”
などの文面が見えた。
「『取りあえず付き合ってみる』って……そんな簡単に付き合えるか……!」
布団の中でバタバタした。
さらにスクロールしていくと、
“デートを重ねて、一緒にいて楽しいか、素の自分でいられるかなどを確認しましょう”
「デート……」
呟くと、白透の姿が思い浮かんだ。
元旦に一緒に初詣に行った。あれはデートだと、白透自身も認めている。しかし今日は界人の背中を押すと言っていた。
「――なんでじゃろ」
もう琴への気持ちはない、という事だろうか。
あの時、商店街で祖母に出会ったのが良くなかったのだろうか?
それとも、デートをしてやっぱり違うと思ったのか?
単純に友人と初詣に行きたかったのだろうか?
「いや、変に板挟みにならんでよかったけど……」
一気に2人もの男子から好意を向けられても、対応しきれない。
「……とりあえずは界人だ」
早速、明日大学で顔を合わせるのだ。
――界人とは向き合ってあげてよ。間違っても無視とか、距離とったりしないであげて。
白透はそう言ったが、本当に界人が自分を思っているのか、琴には確信がなかった。そもそも、なんで白透はそんな事を言ったのか。
「2人きりになった時、なんか話したんかな……」
界人が積極的に恋愛相談をする姿は思い浮かばなかった。それとも、琴が知らぬ間に2人でそんな話しをしていたのだろうか……。
考えても埒が明かず、とりあえす明日は界人との接触を極力しないことを望んだ。そもそも、敷地がある大学構内で顔を合わせる方が稀なのだ。今までは待ち合わせしていたから頻回に顔を見ていただけで。
「普段ならなかなか会わないし……。講義が被ってなれけば平気なはず……」
もはや願望のようにそう独り言を呟いて、その日は無理やり眠った。
翌日は服選びにかなりの時間を要した。いつも通りの組み合わせを掴んだが、何かが琴を止めた。
――似合ってる。そう言うカッコも合ってる
――可愛い
2人から言われた台詞が思い起こされた。
チラリとチェック柄スカートとプリーツスカートが目入る。
「いやいや!これを着ていくのはムリっ!」
何度かスカートを掴んでは離し、掴んでは離した。そんな事をしていると時間ばかりが過ぎてしまい、いよいよ出発しないと間に合わない時刻になってしまった。
「くそっ!もう……いいや!」
妥協してほわほわのハイネックのセーターとロングスカートにした。
こんな自分らしくない行動に戸惑ったが、大学ではさらに困った事になった。
やたらと大学構内で界人を見かけるのだ。探しているわけではないのに、自然と視線を抜けた先に界人がいる。しかも目が合う。距離があるし声を掛けた訳でもないのに。
その度に顔中から一面に湯気が湧き出すような気がして、さっと鞄で顔を隠した。
――間違っても無視とか、距離とったりしないであげて。
白透が言ってたことはほとんど守れていなかった。
なんとか昼休憩の時間に突入すると、いつも行く学食には足が向かず、売電で購入したおにぎりとインスタントスープを持って中庭に出た。
寒風の中、わざわざ外を選んでランチをしている人は一握りもおらず、それが琴の心を酷く落ち着かせた。お気に入りの動画をイヤホンで見ながら昼食を済ませる頃には、だいぶ平常心を取り戻していた。
午後の講義は一つだけ。これを乗り切れば今日はおしまい。
そう思っていると、スマホがメッセージを受信した。
界人からで、
『同好会って今日ある?』
その一文を見てテーブルの上に突っ伏した。
完全に忘れていた。
今日は月に2回の同好会の日だ。
(今まで忘れるなんて一度も無かったのに……)
やはり、今の琴は平常ではなかったようだ。
まだ同好会に一度しか参加したことがない界人は、部室が分からない、と連絡してきた。そこで必然、琴が案内する事になる。他のメンバーにお願いしたが、「誘ったのは稲田だろう」ともっともな内容で返された。
講義終了後、売店の前で待ち合わせする事になった。
界人は自身の講義が終わってすぐに来てくれた。どうにも落ち着かず、喉が渇いているわけでもないのにドリンクを2本も飲み干してしまった琴は、お腹がタプタプだった。
空のドリンク容器を見て、
「悪い。結構待った?」
来るなりそう言われた。
「いや……別に」
やはり界人の顔は見られない。
「同好会って16時からだっけ?少し時間あるな」
すぐ隣の椅子に腰掛けるので、琴はなぜ真正面の席にいかないのかと体を硬くする。手が触れそうな位置に置かれ、思わず膝の上まで引っ込めてしまう。
「今日は部長来るかな?前は結局会えなかったんよな」
「部長は実家の手伝いあって急にドタキャンする事多いから……」
「それで部長なん?おかしくない?」
「いや、老舗和菓子屋の息子じゃから。肩書としとは申し分ないでしょ?あんこ作りも上手いし」
「メンバーが納得しとるならいいけど……」
琴は自分の肩に妙に力が入っている気がした。隣に居ると思うだけで緊張した。
「そう言えば、連休の事。黒羽神社にアポとったよ。宮司さんと土曜日に話せる事になった。また質問をノートにまとめとくけど、琴もインタビューする?」
「ああ、えっと……」
「道通神社とは直接関係ないけど、そことの関連を調べてるって説明してある。神隠しのことまで踏み込んでええと思う?白透が言ってた“連れてかれる”ってやつ。あんまり資料が無さそうでさ」
「前にあたしが調べた中にそんな記述があったから、ノート持っていくわ」
「えっ、やった。良かった。調べる時間ないなと思っとったんよ」
会話が普通に出来ることに少し安堵した。界人の顔は見れなかったが。
「あっ、あと当日インタビュー終わったあとの事なんじゃけど。白透の家に行こう。大事な話があるんよ」
それにピクリとした。
「大事な話って?」
「白透が、色々と詳しい事情を話してくれる」
それに思わず顔を上げた。
界人と目が合う。
「……事情」
「俺と琴に話したいって。聞いて欲しいんだってさ。静かな所でゆっくり話したいから、白透の家になった」
「そう……。昨日、白透から言われたん?」
「うん。琴が着替えてる間に」
「そっか……」
これにはやや複雑な心境になった。事情を知りたいと考えていたが、いざその時がくると緊張してしまう。
「どんな話なんやろ……。あたしらが知ってもええ事なんかな?」
「白透本人が知って欲しいって言うんよ。友達として聞いてあげんと」
「それはそうよな……。うん……」
友人として心を打ち明けてくれるのは嬉しい。
出会った時の事を考えると、白透は随分と明るく喋るようになった。
今の白透が本来の性格なのだろう。
それを思うと、背景にある事情がどれだけ大きく影を落としていたのかが分かった。きっと重要な話になる。
「白透はだいぶ明るくなったよな。お茶会した時の事を思えば、沢山お喋りするようになったし、表情も変わるようになった」
「いい変化よな。白透の方から聞いてほしいって言われたのは嬉しかった」
「うん――。でもちょっと緊張する……少しだけ怖い」
琴は人様の事情にそこまで深く関わったことが無い。友人は居ても親友と呼べるほどの人間はこれまでにいなかった。白透に信用されるのはもちろん嬉しかったが、その信用に似合うだけの人間性が自分にあるのかと不安になる。
「大丈夫やって」
界人は琴の手を握った。それにドキリとする。
「俺も傍におるから。一緒に話聞こう」
界人の大きな手がすっぽりと琴の手を包んでしまう。異性に手を握られたことなどないので、すべての体温が手に集中してしまったかのような熱さを感じた。
「いやっ、あの……手…が……」
きっと真っ赤になったであろう琴の顔みを見て、界人も慌てて「ごめん」手を引っ込めた。
また界人の顔を見られなくなった琴は、テーブルをじっと見つめ続けた。
界人は何も言わない。
おかしな沈黙に耐えられずにいると、急激に頭が働き始めた。それもおかしな方向に。
琴はなぜか頭の中であんこの配合を調べまくった一夜の事を思い出していた。
小豆の産地と産地別の組み合わせを何通りもして書き起こし、水の量と湿度のグラフを作った……。豆腐作りの工場を半分占拠してベストな数値を叩き出せた時の高揚感は、過去イチにスッキリして楽しかった。
そんな現実逃避をしているといつの間にか表情が崩れていたらしく、
「琴、変な顔になっとるよ?どしたん?」
界人に顔を覗き込まれていた。
目がバチッと合ってしまい、思わずガタッと椅子を引いた。
「ちょっとあんこの配合と湿度と水分量の事を考えてた!」
知らぬ間に大声で宣言していた。おもわず周囲の人が足を止める声量だったので、視線を一身に浴びてしまう。
仰天した界人は「……あ、そう」目を点にして琴を見つめた。
「でも何でこの、タイミング?」
「―――自分でも分からん……」
先程とはまた違った居心地の悪さになり、耐えかねた琴は、
「同好会の場所に行こう」
と鞄を両腕に抱えて立ち上がった。
売店前の廊下をずんずんと歩く琴を、大股歩きになった界人が後ろからついていく。
「琴っ!速いって」
競歩の速度かというスピードで学内を歩く琴は、自分でもおかしいと自覚していた。しかしどうにも制御できず、無心に歩みを続けた。
大半の学生が講義を終え、談笑しつつ帰路についたりサークルに向かったりと、思い思いに過ごしている。
決して少なくない人通りの中をグイグイ進むので、多くの学生が琴に轢かれまいと、すんでのところで避けている。琴はまるで忍者の如く、人の隙間を縫うようにささっと抜けていった。
「もうちょっとゆっくり行こうや」
「急いではないけど、早く行きたいのっ」
「なんで?」
「なんでもっ」
後ろを振り返らずに返事だけ返す。
とにかく、界人と二人きりにならない場所に行きたかった。
「琴っ!ちょっと止まって」
「ムリ」
もし界人の友人が居て声をかけてくれれば御の字だと思った。しかしこういう時に限って、誰にも会わない。
「待ってったら!」
もはや同好会の部屋に案内するような歩き方ではない。これでは次の部会でまた、界人を案内する羽目になるだろう。
そんな事を考えていると、
「琴、靴ひも!解けとるから転ぶよ!」
言われて足元を見た時には遅く、スニーカーの紐を踏んづけて躓いていた。あいにくと鞄を抱えていたので両手は塞がっており、しかも前方には太い石の支柱が待ち構えている。
間違いなく頭から突っ込む―。
痛みを覚悟する暇もなく呆然と支柱を見ていると、グイッと強い力で引っ張られた。
反動で思わず目を閉じると、体が温かいものに抱きしめられた。
そして予想していた痛みはこなかった。
そっと目を開ける。
腕が背中に回り、がしっと抱きとめられていると気が付いた時には硬直して、ぐわっと全身が熱くなった。真上から界人の声がした。
「琴、平気?だから止まってって言ったのに」
界人の広い胸と力強い腕を感じた。琴の頬に彼の体温が伝わる。
「頭から突っ込むとこだったよ?危なっかしいなぁ」
そっと言われると、また顔が熱くなった。
「うん……。ありがと……」
いつもなら反撃して「どうせおっちょこちょいです!」くらいの事は言いそうなものだが、素直に感謝の言葉が出た。
「ほら、ちゃんと紐結んで」
体が引き離されると、界人は変わりに鞄を持ってくれた。
琴は黙って靴紐を結ぶ。
まだ界人の体温が体に残っていた。
「おっ、ちょうど部室に着いたじゃん。部屋に入ろ。ここ寒いし」
気がつけば同好会の部室まで来ていた。




