俺が
数日降り続いた雨は、1月の気温をさらに下げた。
霜は毎日のように植物を凍えさせ、界人の心をも凍てつかせた。
琴への想いを封印してからというもの、界人の世界は色が失われたようだった。大学で琴とはよく会って話をしたが、今までお通りに笑えているのか心配になるほどだった。
「白透に電話してさ、カメラどんなのが良いか聞いておいたよ。やっぱり簡単な操作で撮れるやつがいいってさ。そうなるとさ……」
楽しげに話す琴の笑顔は眩しく、界人はずっとその顔を見ていた。
彼の異変に気がついたのは遠矢で、男2人の学食での昼食時、
「お前、最近酷い顔してるぞ」
と言われてしまった。
何も相談していなかった界人はぎくりとして
「えっ」
と箸を止めた。
「元気ないし。どうした?」
何かと人の変化に気がくつ遠矢は、よく相談事をされている。困った時の遠矢、と友人内から言われるのは伊達ではないと、界人は痛感した。
「いや、ちょっと自分の心の整理がつけられてないだけ……」
そうこぼすと「詳しく話せって」とデザートを奢ってくれた。
友人の甘やかしにポツポツとクリスマスからの出来事を伝える。
遠矢はただ聞いてくれ、言葉を挟まなかった。それが話しやすくて、ついつい最後まで話してしまった。
「だから、俺は失恋したの。もうしばらくは整理つけたいから、そっとしておいて」
と締めくくった。
すると、遠矢は「界人は結構奥手なんじゃな」と感想を言った。
「行動は大胆で豪快なのに、恋愛に対してはなんでそんなにも消極的なんよ」
塩を塗られたようで、界人はうっと顔をしかめた。
「ほっとけ。俺は慎重なの。友達の恋路は邪魔したくないやろ?」
「それはそうじゃけど……。まだ2人は付き合ってもないんじゃろ?なら、界人が引く必要はなくない?」
「いや、琴はあんなにも一喜一憂しとるのに。絶対、白透に想いがあるじゃろ?」
「あの稲田さんじゃからな……。一筋縄ではいかんと思うけど。友達から拒否られたら、多少は一喜一憂するじゃろ。恋とは関係ないかもよ?稲田さんって恋愛に対しては経験浅そうじゃし。あっ、これは俺の勝手な偏見よ。実際は知らんけどな」
「いや、でも……。白透は絶対に琴を好きじゃし……」
「でも、選ぶのは稲田さんじゃろ?」
「……板挟みにして琴を困らせたくない……」
「界人がこれ以上、稲田さんへの想いを引きずらず、さっさと次の恋を見つけられるならええよ?でも、そんな簡単にはいかんじゃろ?ならいっそ、行動してきっぱりとフラレたほうがスッキリすると思うで。界人も見切りつけやすいじゃろ」
「それは……そうかも…」
やたらと光明を見せてくる遠矢に、界人の心は揺れた。しっかりと閉めたはずの蓋が開き始めるのを感じる。
「いっそ、白透くんに告白する気があるのか聞いてみれば?」
「それは……どうなんじゃろ……。俺も琴に想いがあるって白透に伝えるんじゃろ?今後やり辛くない?」
「確かにな。でも正々堂々と話して、どっちかが付き合えた場合、心から祝福できるんじゃん?その方がわだかまりなく過ごせると思う」
遠矢の言葉にも一理ある、と思えた。むしろ、そっちの方が界人好みの考え方である気がした。
「まぁ、週末3人で出掛けるならチャンスを伺ってみたら?」
「……考えとく。ありがとな、遠矢」
「どういたしまして。謝礼に明日の学食奢ってくれれば満足する」
それに豪快に笑って「分かった」と返事した。
「遠矢って面倒みいいし、いい奴なのになんで彼女おらんの?」
「ほっとけ」
週末。3人は琴の豆腐屋の前で集まった。興味津々なのは琴の母で、わざわざ店番を父一人に任せて覗きに来た。
「こんにちは!琴の母です。今日は娘をよろしくね。これ、途中で食べて」
おからクッキーを手渡らされ、男子2人はお礼を言った。
「それで?どっちが琴の彼氏?」
「お母さんっ!」
琴はグイグイと店に戻そうと腕を引っ張った。
「もう店に戻って!お父さんがあたふたしてる!」
「放っておけばいいの。たまにはやれっつーの!」
「あれ以上の腰痛めたら、豆腐屋潰れるでしょ!」
娘に引っ張られ続け、ズルズルと戻される光景を見守った。
「ごめん……お母さんゴシップ好きで……」
もうすでに疲れている琴を見て、界人は笑った。
「娘の交際相手を気にするのは普通じゃね?」
「うん。ゴシップとは違うかな」
2人は冷静に言ったが、琴はぐったりとして、
「帰ったら言い聞かせておくから。変な親でごめん……」
と低い声で言った。
カメラ購入には中心街まで足を運ぶ必要があった。
電車に揺られ少しバスに乗り、中心街まで来た。
白透はほぼ初めての中心街に目移りし、終始キョロキョロしていた。ウインドウにあるもの、大きな電子掲示板、地下街の店と気になる物が多岐にわたり、腕を掴んでいないと迷子になりそうだった。
「ここ、まだ田舎なほうだよ?」
琴が言ったが、
「テレビで見たものばっかり」
とめずらしく興奮している。
「東京に出てきた時のセリフみたい」
「俺らも、東京行ったらこんな感じになるかな」
大都会を想像して、琴と界人はそう結論づけた。
界人が白透の腕を引き、方向音痴でない琴が先頭を歩いた。
家電量販店に着くと、売り場を確認してエレベーターに乗った。カメラに詳しい界人が店員の話を聞き、候補を幾つか絞ってくれた。
白透は2つで散々悩み、やっと決めて購入した。軽くなった財布を満足気に仕舞い、
「高額商品、初めて買った」
とそわそわしていた。
「あたしの気持ち、分かった?」
琴が初対面の事を思い出して尋ねた。白透は頷いて、
「よく分かった。嬉しい……」
と高揚ある顔で答えていた。
それから、琴と界人もそれぞれショッピングを楽しんだ。友達と行くゲームセンター、レストラン、本屋。どれもこれも楽しく、会話は尽きなかった。
その中で界人は、白透がしきりに琴を優先して動く姿を見た。
例えば歩道。すっと車側に立ってかばう様子。人混みの中では前を歩き、他の人とぶつからないように道をあけている。レストランで席に座るものメニュー表を見るのも、全て琴が先。時折、手を繋ぎたそうに彷徨わせる動きもしていた。しかしどれも控えめで、遠慮していると言うよりは、自制しているようだった。
見ている方がもどかしさを感じる程で、界人は白透と2人きりになったタイミングに、
「白透は琴に告白せんの?」
思わず声をかけてしまった。
いきなりの発言に、不意打ちを食らった白透は唖然としていた。あんぐりと開けた口のままギクシャクと界人を見ると、
「なんで気がついたん?」
とたじろいだ。
「いや、すぐに分かるって。クリスマスにプレゼント渡して、デートに誘っとるし……。今日も琴を優先して動いとるしさ」
動く事が出来ないほど固まったのち、顔を赤くして俯くと、
「――琴にも気づかれたかな……?」
と呟いた。
「デートに誘っとる時点で、薄々は気がついとると思うけど」
そう言うと、耳まで赤くなった。肌が白いのでよく目立つ。
「そっか……。そうかもな……」
白透は俯くいたまましばらく何も言わなかった。ただ赤くした耳だけが界人から見える。
「琴が気がついてたしても――俺は気持ちを伝える気はないよ」
小さな声でそう言った。
一瞬、言われた意味を図りかねて、界人は固まってしまった。
「……告白しないってこと?」
僅かに首を動かして、白透は肯定した。
「俺はこれ以上、琴には近づけんから」
意味が分からず、界人は首を傾げる。
「どういう意味?」
尋ねたが、それ以上は何も教えてくれなかった。
重苦しい空気の中、界人はさらに尋ねた。
「もし、琴から告白されてもそう言うの?」
それには肩を震わせた。
「琴はまんざらでもなさそうに見えるよ」
はっと息を呑むのが分かった。
白透ほどの美形から想われれば、大概の女子は浮かれてしまうだろう。きっと琴も、心弾ませるはずだ。
しかし白透は言った。
「多分、断ると思う……」
相変わらず俯いたままで、その表情はうかがい知れない。しかし声はかなり沈んでいた。
界人は白透の言葉に驚いた。
「デートに誘って、いざ告白されたら断るの?なんで?」
「――それはいずれ話したい、と思っとる。……琴と界人には聞いて欲しいから」
大分重い声に、余程の事情がありそうだと思った。
しかし今は違うことで頭が一杯だった。
白透は琴の告白を断る。
プレゼントをしてデートにも誘って、あんなにも一喜一憂させておいて。
それが無性に腹立たしかった。
「話をしてくれるなら、俺も琴も聞くよ。でも、その前に確認したい事がある。白透は本当に琴から気持ちを伝えられたとしても、その想いに応えるつもりはないん?」
「……ない。出来ない」
界人はグッと拳を握った。
混乱と怒りと疑問。ゴチャゴチャとした感情が急激に湧き上がった。
初めて人を殴りたいと思った。
「…なら、なんでデートに誘ったん?」
自分でも怒りを鎮めて声を出すのが難しいかった。きっと白透にも怒りが伝わったはずだ。
「琴がはしゃぐのを、ただ見たかった?」
絶対に白透は人の心をもて遊ぶような事をしないと分かっているのに、言葉が出てしまった。まるで白透を殴る理由が欲しいみたいに。
「まさか、そんなわけない!」
これには速攻で返事が返ってきた。
界人はやっぱり、と思った。白透がただの嫌な奴なら、こんなにも心をざわつかせずにすんだのにと思った。
「なら、なんで?」
友人の固い声に怯えるように、白透は口を開いた。
「……それは――一時の俺の満足のため」
それを聞いて、一瞬怒りの火が燃え盛った。しかしきっと理由があるはずと思い、口を閉じて沈黙を保った。
白透は言葉を続ける。
「初めて好きになった人と一緒に、二人だけの時間を過ごしたかった。一瞬の自分の幸福のためだった」
彼の言葉には深い憂いが感じられた。
初詣の事を思い出しているのか、白透は遠い過去に思いを馳せた顔をした。しかしそれもすぐに消え去り、クシャッと暗く沈んだ目に変わる。
「……琴には悪い事したと思っとる。少しでもその気にさせたのなら、本当に申し訳ないことした……」
手で顔を覆って、指の間から声を引き絞るように言った。その姿は痛々しさを感じるほどで、限りなく絶望に近い声音だった。
想いがあるのにそれを言わない。
相手が思ってくれたとしても、断る。
その根底にある理由とはなんなのか―――。
友人の姿に、界人は怒りが波のように引いていくのを感じた。
「そこまでの理由があるん?」
もう界人の声に怒気はなかった。
白透はか細く消え入りそうな声で話した。
「俺が琴に願うのは、俺への恋慕じゃない。琴が幸せになること。俺が好きになった人が、幸せになること――。ただそれだけ……」
界人は何も言えなかった。
そこまで白透に言わせる事情とはなんなのか。
初恋を諦めて、ただその人の幸せを願うだけの悲しい決意するほどの理由とは。
消え去った怒りはもう、界人の心の欠片も残っていなかった。事情を何も知らないのに、白透に哀れみさえ感じた。
好きになった人の幸せを願う。
ごくごく一般的な『普通』の生活をしてきた界人には、白透のような結論は思いつきもしせず、辿りつけないとだろうと思えた。
ただ分かったのは一つだけ。
――そこまで琴の幸せを願うのなら、傍で見ていて欲しい。
「なら、俺が琴を幸せにしてもいい?」
静かな声で界人は尋ねた。
白透はやっと顔を上げて界人を見た。
その目には心の憂いが一瞬見て取れたが、すぐに消え去った。彼はじっと友人の顔を見る。
界人の顔には僅かないやらしさも、好きな人に想いを告げられるという歓喜もなかった。男として、好きな人を守りたいという強い感情だけがそこにあった。
「俺が琴に想いを伝えて、もしそれに琴が応えくれたら……白透は見守ってくれる?」
もし琴と界人が付き合ったら……。
初めての友人同士が笑い合い、恋人同士になったとしたら――。
相手が他ならぬ界人なら、微笑んでいられる。
嫉妬心なく見守れる。
そう思った。
白透ははっきりと頷いた。
「好きな人が大事な友人と一緒におるなら、喜んで」
決して真似できない迷いのない回答だった。
琴への切実な想いに苦しささえ覚え、界人は胸を痛めた。
「ありがとな。まだ琴に告白もしてないけど。……取りあえず、琴の想い人になれるよう頑張るわ」
「うん。界人には頑張って欲しい。界人以外の男だったら嫌だ」
そこまで言われると照れくささよりもプレッシャーがわずかに勝り、
「――まぁ、頑張るわ」
薄笑いを返した。




