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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第6章:できそこないの王子──中編──

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86話:城下の賑わい

 残紅(ざんこう)が丘陵の端に沈み、秋の夜長が訪れる。空鏡が、王都を錦の七色に輝かせていた。


 王都ガルバーンは、三階や四階の街並みが連なる。建築のいとまを、いくつもの迫持(アーチ)や、ネコが渡れるほどの一本橋が渡る。目抜き通りこそ上部は開放的であったけれど、その通りも溢れ返った人で、シェイラの視界はちらちらとするようだった。


 世のなかは、女王在位の祝賀と此度(こたび)の表敬訪問で、活気に満ちている。

 夜風の涼しさだけが救いだった。



「こっちに行こう」



 シェイラが人酔いのようなものを感じているのを察してか、イディオンはラケロス(大サイ)の幌車が通れる中央通りから、小路のほうに入っていく。

 シェイラはその後ろをちょこちょこと付いていった。


 気づけば、いつだったかイディオンと出会った、魔法雑貨店近くの市場に来ていた。ラケロスも馬も入ることができないので、人だけが通る。目抜き通りほど人がいなくても、いつもの倍はいた。

 よけるようにして、路地に入り込む。そこから、ぼうっと、迫持(アーチ)にかかった垂直旗(すいちょくき)を眺めた。風に、揺らぐ。


 元素魔術の色に月ヤナギの杖を模した影法師が色抜きされている。ガルバディアの旗だ。

 横には、二色の旗。紅と白で縦に分割され、中央には聖剣。重なるようにして赤実ヒイラギと白ヤドリギ、さらには召喚陣。オルリアの旗だ。


 どこか、現実感がない。

 夢のなかに立っている気がしてならなかった。



「──はい」



 ふいに差し出されたのは、柿アカシアの杯だった。

 イディオンが笑顔で、シェイラに渡す。とぷんと、音がする。なかを橙の液が揺れていた。



「南瓜のとろみ汁(ポタージュ)」



 いつの間に、買ってきたのだろう。シェイラが、ぼうっとしているあいだだろうか。

 受け取って、シェイラはじいっと杯を覗く。睨む。



「フェノア師が、」



 そんな様子のシェイラに、イディオンがにやっと笑った。



「ぼくが差し出せば、シェイラはたぶんなんでも食べたり飲んだりするって言っていた」



(なに余計なことを言ってるんですか)


 フェノアが楽しそうに話す姿が想像つく。



「シェイラ、あんまり野菜とか食べないんだって?」


「……必要ではないもので」


「その顔色の悪さだと説得力ないよ」


「今日はちょっとうっかり食事を抜いてしまったせいです」


「汁だから腹にやさしいし、旬の野菜はおいしいと思う」



 たしかに、そこら中に樽のうえに乗った南瓜や、くり抜かれた南瓜が宵燈(ランプ)代わりに置かれている。



「諸説あると思います」


「ぼくが持ってきたもの、飲めないの?」


「うっ」



 シェイラは、鳩尾(みぞおち)に拳を食らったような気分になる。

 上目にシェイラを見るイディオン少年は、いつも散々子ども扱いするなと言っているのに、この時ばかりはいたいけな七、八歳の皮をかぶっていた。純真な縹色の目に乞われれば、シェイラはぐっとたえるしかない。



「……今日だけですよ」


「うん、それでいいよ」



 にこにこと笑顔を向けられて、シェイラは溜息をついた。

 それから、ぐっと息を止めて、柿アカシアの杯を呷る。


 ほくほくにしてすりつぶされた南瓜の甘み、ほんの少しの塩気、それから乳のまろやかさが加わって、口のなかでふんわりと広がった。

 沁み渡るように、おいしかった。


 シェイラは、目をぱちぱちとさせて、杯を覗き込む。野菜のいやな感じがまったくなくて、びっくりした。これなら飲めそうな気がする。



「おいしい?」



 イディオンが尋ねる。



「はい。驚きです。すごいですね、これ」


「ここの店のは、うまいんだよ」



 王都に詳しい王子さまは得意げに語った。



「女店主の子どもがシェイラと同じで野菜ぎらいだったみたいで、食べやすいように飲みやすいように工夫されているんだ」


「べつにわたしは野菜ぎらいじゃないです」


「ええ?」



 シェイラがきっぱりと否定すると、イディオンが目を丸くした。



「ただ、精神的に受け付けないだけです」


「それって……きらいとちがいがあるの?」


「ありますとも」


「どんな?」


「わたしは一応食べれますので」


「さっきすごい顔だったよね」


「……イディさんってけっこう、いい性格してますよね」



 最近やさしい側面ばかり見ていたけれど、この王子さまは意外と言うところは言うし、強気なところがある。

 シェイラが言うと、イディオンは急にはっと青ざめた。それから今度は顔を紅潮させ、俯いた。左の利き手で目元を覆う。



「どうかしましたか?」



 突然の百面相にびっくりだ。



「……あの、シェイラ」


「はい」


「ここで会った時のことって覚えている?」


「あ、はい、もちろん」



 忘れるわけがない。



『──……おまえ』


『におう。霧と同じ……腐臭がする。……くさい』



 くさいと言われて、忘れられる人間がどこにいるだろうか。



「あ、もしかして、またにおいます?」


「え、いや」


「すみません、最近うっかり香料を忘れていたかもしれません」


「いや、あの」


「ちょっと油断してました」


「……シェイラ」



 ものすごく気落ちした声がする。



「ごめん」


「はい」


「もう忘れてほしい」


「わかりました」


「忘れられる……?」


「まあ、がんばります」


「……あの、ちがうから」



 なにがちがうんだ。



「くさく……ないから。その、霧と似たあまいにおいがするのは、ほんとうだけど」


「そうなんですか」



 自分のにおいというのは、やはりよくわからない。



「なんていうか……嗅いだことのないにおいで不思議で」


「なるほどです」


「だから、その、あの時は……なんて言えばいいのかわからず……」


「はあ」


「その、だから、あなたを……」



 イディオンの左手は気づいたら右手と一緒にもじもじと動いている。

 シェイラは、ふっと息が漏れ出た。つい笑みが浮かんだ。



「え、シェイラ? 今笑った?」


「いえいえ、笑いませんとも」



 ふふっ、と言いながら声が出る。イディオンがまた顔を紅くして、シェイラを見上げながら抗議する。

 一生懸命、過去のことを謝ろうとしている少年に、南瓜と同じやわらかなあまみが、じんわりとシェイラの胸のなかに広がるようだった。


 それはどこまでも現実で、この先も、忘れられない思い出となる気がした。

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