60話:消耗
「──シェイラ師!」
{転移}したシェイラのもとへ、ターニャが駆け寄ってきた。取り憑かれたような顔のセレリウスも、っくりとシェイラのところへ来る。
視界が、すでに明滅していた。シェイラの頭が朦朧とする。
「さきほど、すごい地震がありましたが、大丈夫でしたか?」
ターニャ師から尋ねられて、シェイラはゆっくりと肯く。なにに肯いたのか、シェイラはよくわからなかった。
「精霊が、もう大丈夫だって言っている」
シェイラの意を継いだのは、セレリウスだった。
ふらっとする視界で虹色を見ると、取り憑かれながらも憑き物が落ちたような奇妙なセレリウスの目があった。
精霊、という言葉に意識が反応する。
「……見えたのですか」
絞り出すように問えば、セレリウスが首肯した。
「見えもしますし、聞こえもします。今も僕の周りを踊っている」
「それは……」
よかった、とシェイラは、なんとか笑みを浮かべた。
イディオンの発案で作った振り子がきちんと精霊とセレリウスを媒介する役目を果たしたのだろう。
成功だ、とシェイラはうれしさを感じつつも、体中の痛みに苛まれて、それどころではなかった。
「ターニャ先生も、がんばりましたね」
セレリウスのどこか上から目線な物言いが聞こえてくる。
「がんばりましたってなに?!」
「がんばりましたよ。やっぱり、やればできるじゃないですか」
「君って、私の先生だっけ?」
「まあ、僕たちはいい結果を出せたということですよ」
「それはそうね。たしかにシェイラ師の教えの甲斐はあったね。ちなみに、君たちの班は今回も零点だけどね」
「……まだ、第四回があるので」
シェイラは、どこか遠い場所でセレリウスとターニャの会話を聞いているような気分になった。
「──たしかに、君も、私も、どこか一歩、踏み出せた気がするね」
ターニャの笑顔が眩しく感じる。
「……そうですね」
セレリウスの笑みも、眩しい。
「──よかったです」
シェイラは、ふたりのあいだに起きた変化に笑みを浮かべつつ、体の限界を感じる。
「わたしは、今日は先に戻ります。少し、消耗しましたので」
では、とシェイラは{転移}を使った。
うまく繕えただろうか。
余裕は、見せられていただろうか。
これ以上の行使は体の負担でしかなかったけれど、はやく戻るほうが優先された。{転移}した先に倒れ込む。
王都ガルバーンの仮住まい。寝台に倒れ込むと、体中が悲鳴をあげた。
「……っぐ」
胸が痛い。体が、皮膚の下が、千本万本の針に突き刺されている。
これほどの消耗は、魔法を得て以来、はじめてだった。
呪いが、ユベーヌの線上文字が皮膚全体に浮かび上がる。引っかき傷のような文字が針となって、シェイラの内部を引っ掻き回す。
({修復}が……)
追いつかない。
内部に構築されている回復の術式よりも、代償の差分量が大きい。
そのまま痛みに呑まれるようにして、シェイラの意識は沈んでいった。
意識が浮揚するように、たゆたった。
いくつか日をまたいだ気がする。あっという間のできごとで、いくつまたいだのかシェイラは夢現でわからなかった。
わからなくても、何度か越えるうちにシェイラのなかで焦りが募った。
(イディさんとの約束の日……)
誕生日に話すと約束した。
それは次の福音ノ日だ。大地ノ日に倒れ込んで、どれほど経ったのだろう。
はたから見たら、ただの熱病だ。時折フェノアが水や麦粥、薬などを差し入れてくれているのを意識の外で感じる。
ただの熱病で、イディオンとの約束は破れない。あの真っ直ぐな瞳を裏切ることはできない。
(イディさん……)
──でも、だめだ。
シェイラの体は言うことを利かない。
あの、フラウ麦の藁人形。どれほどの威力だ。これだから魔女ノザリアンナの呪術は困る。力が凄まじい。それだけ術者の力も試されるが、髪の毛などを使われていたら、シェイラは一撃目でやられていたかもしれない。
これによる消耗で、{修復}に、時間がかかっている。
「──いいか、シェイラータ。お前にかけてやった{修復}の回復速度以上の怪我や、負担のかかりすぎる魔導は使うなよ」
そう言ったのは、ヴェッセンダリアの十二老師のうち一人。医療魔術の権威。解析の魔導師と呼ばれる男だった。見た目は三十ほどの優男。生い茂った草みたいな、蓬髪の色。桃色の双眼が劣等感を苛むらしく、常に黒眼鏡をかけている変人。
{解析}という魔導を編み出してからのもっぱらの興味は、人の心が読めるようになることなので、リヨンの{感応}が知られないように、ガザンに言付けてある。変態なのだ。
その男は、シェイラがはじめてガザンに連れられて塔ノ都の城門をくぐった時、シェイラを治療して言ったのだ。
「{修復}という医療魔術は万能ではない。聖女の使う聖魔法{治癒}であれば数秒程度で治るかもしれないが、あのインチキな魔法とちがって、{修復}は細胞から修復するすげえ魔法だ。{解析}あってこその魔導。俺さまを讃え奉れ」
「……なにをしてはいけないのですか」
「下手にその呪法を行使するな。一日の限界値を突破すると、{修復}ができん」
「…………」
「{転移}とかばんばん使うなよ。あれは便利なだけに力を消耗しまくるからな。お前はきちんと陣を使え。よかったな、魔導師で。陣は使いたい放題だ」
「自分で使わなければいけない時もあると思います」
「だから、使い時をまちがえるなってことだ。いざという時に消耗するようにならないように、常に力は温存しておけ。臨界値を知っておけ。わかったか?」
「……わかりました」
シェイラはそんなやり取りをしたことを、夢のなかで思い出していた。
(今回は仕方なかったですよ)
魔女の騎士が現れることなど想定していないし、その影響で鉱脈水が噴出するなんて、だれが想像できるだろうか。
護符を持ち歩いていなかったことは反省でしかないが、今回ばかりは対策しようのない事態だった。
(師匠に……怒られます)
自分の運命を星詠みで知ることのできないシェイラには、あらゆる想定が求められる。対策しようがなかったにしても、きっとガザンは甘いと怒るだろう。
「……っ」
浮かび上がった意識で身動ぎする。つらいが動かねば、褥瘡ができてしまう。
そうやって動いただけで体力を持っていかれて、シェイラはまた意識が沈んだ。
ヴィクトルの顔が、額の裏に浮かぶ。
(トール……)
痛い。
つらい。
苦しい。
体中の〈脈〉が、痛む。
──助けて。
手を、伸ばす。
シェイラが体調を崩して、いつもそうすると、シェイラの手を少し大きな手で握ってくれた。時間がないのに、必ずシェイラのいる屋敷に足を運んで、手を握り返してくれる。
心のあたたかい人だった。
だれよりも、彼を想っていた。
彼の道を案じていた。シェイラは、彼とともにずっとありたかった。その隣にいたかった。
だから、わたしは──……
「──シェイラ?」
月光が射す窓辺。格子窓の鍵をどうやって開けたのだろう。
窓際に、月の光を受けてきれいな銀色が、絹の光沢を輝かせて初秋の風を孕んでいた。少し長い髪が揺れて、縹色が浮いて見える。
「……ぃ、…さ……」
シェイラは声に、ならなかった。
夢なのだろうか。
光景に痛む体を忘れる。伸ばしていた手で、月にふれようとして、逆に掴まれた。シェイラより小さな手が、両の手でシェイラの伸ばした手を包む。
「……大丈夫か?」
やさしい、小さな手の平。
この少年の人柄は、手の皮膚にも現れているのだろうか。
それが、なんだか無性にかなしい。つうっと月明かりに反射するものが一雫、流れ落ちた。
「どこか、痛いのか? 具合が悪くて今日は来れないと人づてに──」
「──ご……め、なさ……い」
ああ、イディオンとの約束を破ってしまった。
こんなにやさしい人なのに。
傷つけてしまうのは、いやだった。
「おはな……し、を」
「気にしなくていい。話ならいつでもできる」
「で、も……」
「一週間寝込んでいるって聞いたから、今日は心配して来た。あなたが約束を破るような人ではないとわかっている。やむを得ない、というやつだよ」
「……け、ど……」
「治ったら、どこかで話そう」
今度の約束、と高い柳弦の声で言われてしまうと、シェイラはこぼれてしまうものがあった。
隠したくて、枕に顔を埋める。
年上の自負で見られたくなかった。
「……お、誕生、日」
なんとか、それを口にする。
体の内側の痛みを忘れたまま、せめてそれだけは、と思う。
「おめで、とう……ござ……います」
あらぬ方向を見て言う言葉ではなかったが、後背のイディオンが月夜に身じろぎしたのがわかった。
「……ありがとう」
中低音で返される。
その音に安心を覚える。手の平に感じるあたたかさにも安心してしまって、シェイラはずぶっと沼に落ちたように眠りに沈んでいった。
──セレリウス・ヴァックスは、大学府を卒業したのちにヴァックス家の籍を抜けた。魔導師に叙されたのち、そのまま放浪する研究者となったが、百年後、精霊女王国で起きた革命に参加し、女王国開国に助力することになった。
異邦の探求者セレリウスの名は、そうしてサージェシアの歴史に名を刻まれている。
(第四章:空気の読めない孤児──後編・了──)
【4章登場人物】
ラムル師
第一王子の教育を担当する魔導師のひとり。修辞の魔導師。
ゼイド
第一王子の近衛。赤髪茶目。
テニア
第一王子の侍女のひとり。青髪青目。




