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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第4章:空気の読めない孤児──後編──

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52話:仲直りの味

「…………」



 ちらっとシェイラを認めると、途端にきまりが悪そうにする。足が逃げ出そうとしたのか、幾分動いたけれど、意志でその場に押し留まったように身じろぎした。



「あの……」



 謝ろうと思っていたのに、意図していなかった場所だったので、シェイラもまた戸惑って言葉にならなかった。

 気まずい空気になる。



「──あ、俺、喉が乾いたので果汁(ジュース)を買ってきますんで。三人分」



 ちょっと待っててくださいや、と男がなんの空気を読んだのか、小走りで去っていく。

 ますます気まずい空気が、暗幕のように落ちるようだった。手の平に汗が浮かんでくる。


 なんて言おう。第一声。どうしよう。


 シェイラが思い悩んでいるうちに、先に行動をしたのは、イディオンのほうだった。

 白い長外套(ローブ)の懐から、ずいっと紙袋を出して、シェイラに突きつける。



「……これ」



 シェイラの目を見ないように、紙袋だけ出されて、シェイラは条件反射で受け取った。

 少しだけあたたかい紙袋。近くに来ると、フラウ麦と、香ばしさの混ざった油のにおいが食欲を刺激する。


 シェイラの好きな、揚げ麦粉焼(パン)、だった。


 思わず、イディオンを見る。

 恥ずかしそうに、ぷいっと反対のほうを向いている。それでも、たしかめずにはいられなかったのだろう。少しだけ上ずったような高い音で、イディオンはシェイラに問う。



「怪我……しなかったか?」


「えっ?」


「本……投げたから」



 こちらをもう一度、ちらっと見て落ち込んだように俯く。

 そのさまに、シェイラは無性にイディオンの頭を抱えて、胸に引き寄せてやりたくなった。先日とはちがった意味で、目頭が痛くなる。



「……怪我、してないです」



 急にそんなことをしたら、嫌われてしまう。

 シェイラは問われたことだけを答えた。


 怪我なんか、するわけがない。むしろ……


(イディさんのほうが怪我したみたいな顔をしています)


 あの、お守りをさがしていた時みたいに。



「そっか……」



 よかった、とイディはほんとうに胸を撫で下ろしているようだった。

 本なんかで怪我をするわけないのに。そんなことよりも、ずっと、イディオンのほうが傷ついて、いやな気持ちをしたであろうに。


(心配せずにはいられないのですね)


 イディオンの人柄がわかってしまうと、あの部屋を思い出してしまって、シェイラは胸が痛かった。

 壁際に寄ると、シェイラはずりずりと背中をやって座り込む。長外套が後ろにもつれあって、気持ち悪かった。



「これ……」



 シェイラは紙袋を持ち上げながら言う。



「ありがとうございます。──一緒に……食べませんか?」



 座り込んだシェイラを、イディオンは少しだけ見下ろす位置になる。視線が変わったことで恥ずかしい気持ちが下がったのか、シェイラのほうをじいっと見る。



「はんぶんこ、しましょう?」



 提案をすれば、イディオンは無言でシェイラと同じように座った。

 座ると、大人でも子どもでも、そんなに目線の高さは変わらなくなる。一緒のような気分になる。



「……はい、どうぞ」



 取り出して、半分にすれば、砂糖の粒が指にいっぱいついた。

 そのまま渡したら、イディオンにも粒がついてしまうなと思って、袋のなかを見てみたけれど、余分な紙は入っていない。一枚だけ入っていたもので包んで渡してやる。


 イディオンは無言で受け取ると、半分になった揚げ麦粉焼をしげしげと見る。



「おいしいですよ」


「……うん」



 言えば、イディオンは小さくかぶりついた。

 そうすると、目を丸くする。

 もしかしたら、はじめて食べたのかもしれない。



「おいしいと思いませんか?」


「……たしかに、これはうまい」


「でしょう?」


「……うん」



 イディオンが二口目を食べるのを見て、シェイラも口にする。

 いつも揚げたてを欲するシェイラだったけれど、少し時間が経って生地に染み込んでいた油と砂糖がなじんで、べとっとじゃらっとした感じは、いやではなかった。


 一口かぶりつくと、たまらなかった。


 揚げたてじゃないのに、いつも以上にあまく感じる。麦の香りと砂糖と油が、知らず伝っていた塩分と混ざって、あまく口のなかで広がった。広がったものが、つっかえていたものまで届いて、香り伝いにのぼってくる。



「……ごめんなさい」



 言うのが遅くなってしまった。

 シェイラは、揚げ麦粉焼を頬張るイディオンをしっかりと見て、もう一度言う。



「ごめんなさい、イディさん」



 イディオンが顔を上げる。食べるのをやめて、シェイラを見返す。



「勝手に部屋に入ってごめんなさい」


「…………」


「覗いて申しわけなかった、です」


「……もう、いい」



 イディオンはシェイラの謝罪を受け止めると、俯いた。

 一口、麦粉焼を咀嚼してからつづけられる。



「ぼくも、ごめん。……怒りすぎた」


「……怒って当然です」


「……本まで投げた」


「全然、痛くなかったです」


「……暴力はいけないんだ」


「そもそも、わたしがいけなかったんです。あれは、たまたま投げた方向にわたしがいただけです」


「でも、ちょっと当たった」


「当たることもあります」


「なんだそれ」


「投げたら、たまたま当たることもありますから」


「じゃあ、暴力じゃないか」


「たまたま当たったら謝ればいいんです。謝罪はもう、もらってます。これと一緒に」



 シェイラが揚げ麦粉焼の袋を見せれば、イディオンは少しだけ笑った。

 笑ってから、最後の一口をひょいっと放り込む。満足げな顔だった。

 シェイラもほっとして、食べ進めた。一口一口がおいしくて、今まで食べたなかで一番、おなかに溜まっていくようだった。


 食べ終えると、イディオンはシェイラの砂糖だらけの指に気がついたようだった。



「ごめん」



 言うと、今度は懐から手巾(ハンカチ)を出す。それで無造作にシェイラの指をつかむと、拭いはじめた。高そうな手巾だった。

 シェイラはされるがままになりつつ、苦笑する。水の魔術を用いれば汚れなんてすぐに落ちるけれど、それはしたくなかった。


(砂糖と油まみれにしちゃいました)


 洗濯を担当するであろう下働きに申しわけなかったが、{洗濯}のかけ方をちょっと工夫すれば、どうにかなるかと思考が魔術の仕組みに移ろった。

 ぶつぶつとつぶやきそうになったところで、イディオンの顔が上がった。



「……訊かないのか」


「はい?」


「あの部屋のこと」



 拭い終えたのに、イディオンはシェイラの指をつかんだままだった。かすかに、震えのようなものが伝わってくる。



「……訊いて、ほしいですか?」


「…………」



 震えが、びくっと一度大きくなった。

 収まって、それからぎゅっとシェイラの指ごと力を入れられる。



「今は、まだ……」



 訊かれたくない、とイディオンは言う。



「じゃあ、訊かないです」


「……うん」


「もし、話してもいいってなったら、話してください」


「……うん」



 イディオンが肯けば、ふたりのあいだに、気まずい空気はもう流れていなかった。

 

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