50話:シェイラの過ち
(そろそろ、向こうから来てくださりませんかね)
シェイラは少し期待をしながら、石段をのぼる。
さすがに、毎日のように登り下りをしていれば、体のほうが慣れてくる。二週間で山の上のほうにある王子宮に着いても、息切れはしなくなっていた。
道中で、侍女や近衛、下働きのものたちとすれちがう。シェイラの肩留めを見ると、路を譲られた。
魔導師というのは、そこそこ高い身分として扱われていた。
宮廷には、魔術師はいるが、魔導師はめったにいない。ガルバディアであれば、女王グシェアネスしかいないかもしれない。
基本的に魔導師はヴェッセンダリアに属していて、研究を生きがいとするような変わり者の集団だ。王侯貴族とは独立しているから、身分を並列に語れるものではない。
母国であるオルリア聖王国でも同じだ。聖王国では、王侯貴族に加えて、聖教会の存在もあるので、身分関係はややこしい。そのなかでも、魔導師たちは独立を保っている。
ガルバディアであれ、オルリアであれ、魔導師が頭を下げられるのは、その力や知識に敬意を払われているからだろう。
魔導師が、周囲から、そういう振る舞いを求められているのだ。
ラムル師が現在、いらだちをあらわにするのは、頭を下げられる以上の成果を出すことができていないから、というのも大きいだろう。
ラムルの補佐、という役割のシェイラもまた、同じ成果を求められている。
(成果、といえるのでしょうか)
イディオンに押し付けたりはしない。勝手にシェイラが期待しているだけだ。
(でも、ほんの少し……)
希望はある気がする。
イディオンの表情や仕草、そういったものから、シェイラへの信頼が重なりつつあるのを感じる。
シェイラは好きにぺらぺら喋っているわけではない。いろんな話題を口にしながら、イディオンの反応をたしかめている。
たしかめるなかでわかってきたのは、彼が素直で心根がやさしいこと、さらに探究心もあることだった。
今までイディオンは、シェイラになにかを問おうとすることはほとんどない。授業をしないのか、と最初に訊かれただけだ。
けれど、イディオンは気になることがあると、シェイラをじっと見る。時折、顎に手を当てて考えるようにもする。尋ねてはこないが、気になるのだろうなと思って、シェイラがつづきを話すと、肯くこともある。
たとえば、農作魔術における{草除け}と{虫除け}について話した時だ。
「あれは、やりすぎ注意ということで、ほどほどにされている魔法ですが、そもそもわたしは、フラウ麦だけを植えすぎることのほうがよくないと思っています」
シェイラがそう言った時、ぱっとイディオンは隣のシェイラを見た。
どういうことだ、と縹色の目が言っていた。
シェイラは気づかないふりをして、話しつづける。
「フラウ麦だけを植えつづければ、フラウ麦しか育たない土壌になってしまい、他の作物が育たなくなる。{草除け}と{虫除け}をして、さらに徹底的に外敵を除いていく。そうすると、フラウ麦は弱くなります。弱くなった結果、なにか大きな気候の変化や、天災などがあったら、あっという間に全滅していまいます。全滅してしまうと、食べる側のわたしたちも生き残れません」
「……そうだな」
「他の作物を植えていれば、そうならないと思いますけど、一作しか育てないというのはそれに賭けてしまうということです。他の作物や草花と一緒に育てながら土壌を豊かにしておくこと、そのなかで生き残る強さをフラウ麦は持つべきです」
「…………」
「多様であることのほうが大事です。{草除け}と{虫除け}を撒きすぎて、〈飛蝗〉を呼び寄せることになったから、それら魔術はほどほどにとなりましたが、撒かなくてもいいように、多様ななかで育つことのほうが大事だと思います」
シェイラが持論を述べれば、イディオンは顎に手を当てながら下を向いて考えるようにしていた。
なにか思うことがあるらしい。
なるべく問わないようにしていたが、その真剣さは聞いてみたかった。
「イディさんは、どう思いますか?」
シェイラの問いに、イディオンは少し低めの柳弦の音を鳴らした。
「……国を富ませるためには、その方法は取りづらい。多く育て多く収穫できたほうが……、民も喜ぶ」
一度、音を切る。
「だが……、言っているとおり、でもあると思う……」
そのまま、イディオンは長く黙してしまった。
その日は、東屋の丸屋根のうえで喋っていたのだが、イディオンの沈黙は長かった。
西陽を眩しく感じる頃合いになってきたので、シェイラは口を開く。心の揺れであればもちろん待ったけれど、これは切ってもいい沈黙だと判断した。
「たしかにイディさんが言うように、多く収穫できたほうがいいな、とわたしも思いました」
シェイラの正反対の意見に、イディオンは眉間にしわを寄せる。
「だって、揚げ麦粉焼はいっぱい食べたいですもん」
言えば、隣から、くっとなにかをたえるような声が聞こえた。
イディオンが小さく笑っている。
「あ、笑いましたね」
「…………」
「なんで、笑うんですか」
「……いや、食べていたなと思って」
はじめて会った時のことだ。
たしかに、あの時シェイラはみっともなくかぶりついていた気がする。
ちょっと、恥ずかしくなってきた。
「あの、笑わないでください」
「っ……」
「やめてください、恥ずかしいです」
シェイラが少し頬を染めて言えば、イディオンはくつくつと笑いをこらえていた。
子どものような、十五歳っぽいような、そんな笑みに、シェイラはイディオンを少し知れたように思う。
恥ずかしてくてたまらなかったけれど、そうやって一歩一歩、シェイラはイディオンを知っていきながら、関係を作っていった。
(だから、少し期待したんですが……)
王子宮に着いてみれば、やっぱり部屋はもぬけの殻だ。
とほほ、といつぶりかの気持ちが湧いてくる。
(いけないですいけないです、シェイラータ)
勝手に期待していたのは自分のほうなのだ。思った反応が得られなくても、がっくりと来てはいけない。
いつも通り、やろう。
いつも通り、やればいい。
けれど、少しだけ残念な気持ちもあって、シェイラは気分転換を兼ねて長椅子に腰かける。溜息をついて、肘かけに寄りかかった。そのまま横たわる。視線を動かして、頭をどんどん後ろに傾ければ、逆さまの世界に扉が目に入った。
欄間の彫刻は大理石だろうか。象牙色の扉との相性がいい。
──あんな扉、あっただろうか。
王子宮にいることがほとんどなかったので、気づかなかったのだろう。
シェイラは起き上がると、その扉に近づく。
応接間の奥には、もうひとつ扉があって、寝室につながっていることを会話のなかで聞き知っていた。
なら、この扉はなんだろう。
シェイラのなかで、好奇心が出てくる。覗いてみたい、と欲が出てくる。
──もっと、イディオンを知りたい。
銀の把手に手をかける。手の平に装飾のぼこぼこが伝わってきた。回転して押すと、扉は内側に開く。
埃のにおい。少し湿気も感じる。長らく使われていないのだろう。
薄闇にあるものが見えなくて、シェイラは{灯火}を描いた。いくつか、小さな火がシェイラの横に浮かぶ。そうすると、部屋の様子が薄ぼんやりと浮かんで見えた。
壁沿いの上から下までの本棚に、本という本が押し込まれていた。歴史書や哲学書から魔導書まで、入らなかった分はいたるところに積み上がっている。あいだに挟まる、ルペドの植物紙、羊皮紙、仔羊皮紙、竹簡、木簡。粘土板も所在なさげに積まれていた。
書き物机には、大きめの羊皮紙が広げられ、計算尺や円規が転がって、途中まで陣が記してあった。
他にも、緑柱石や水晶などの貴石、夢結輪などの魔除け、木製立てにささる試験管には乾燥花が無造作に入っている。
机の背後には、できあがったと思われる魔法陣が壁に貼られ、円に三角、四角、古代帝国文字や、ガルバディアの音声文字がびっしりと書き込まれていた。
──元素魔術の魔術式。
シェイラにはわかる。
そういう、魔法に関わるあらゆるものが、貼られたり転がったりしていた。
一方で、隅には割れた薬水瓶の欠片や、くしゃくしゃになったパムの植物紙、壁紙には、切り裂いたようなあとがあった。使用した小刀も、抜身のまま放置されている。
(これは……)
胸を突き上げてくる気持ちに、シェイラは痛切を感じて、時を止めた。この空間に押し込められているものが、埃の厚みとともにシェイラを圧倒する。
足が、動かなかった。
「──なにしている」
束の間、シェイラは心の臓が停止した。
いつもならすぐに反応できるのに、空間に呑まれすぎてしまって、背後に感じた気配を感知しても反応できなかった。
振り向けば、爛々と怒りをたたえた縹色の瞳が目に入った。
「イディさん……」
「なにしてるんだ、ここで」
「わたしは──」
「勝手になにしてるんだ!」
小柄なシェイラより、もっと小さいのに、イディオンはまるでシャドゥーラの森に棲まう怒る獅子だった。
動かなかった足が、一歩後ろに下がる。
「ごめんなさ……っ」
「いい加減にしろよ!」
「イディさ──」
「おまえは、なんだ! 城下で近づいてきたかと思ったら、ずかずかと城までやって来て! 命じられて親しくなるふりをしてきただけだろ! 研究対象だと思って! わかっていないと思ってたのか! おれがなにも言わなければ、なにをしてもいいと思ってるのか!」
「ちがいます!」
「じゃあ、なんだ! 人の部屋に勝手に入って、おれをなんだと思ってる!!」
「なにも、なにも……ただ、わたしは──」
あなたを、という言葉をシェイラは継げなかった。
青白い猛炎となったイディオンに、書を投げつけられる。床に転がって、ぱっと開かれた先は、ユベーヌの呪いを記した線上文字が記されていた。
シェイラはそれを見て、目頭が痛くなる。
「出ていけ! もう来るな……っ!」
狂ったようにイディオンは叫んだ。
シェイラは滲むものを、唇を噛んでたえる。
「……ごめんなさい」
横を通り過ぎて、ただそれだけを言う。
他に言いたいことをすべて呑み込んで、それだけを言った。
{転移}を使う。視界が、薄紫の光る粒子でいっぱいになる。
最後にイディオンの、項垂れたような銀の髪が目に入ると、たえていたものがこぼれ落ちて、{転移}の光とともに一緒に消えるようだった。




