「捨てられるのならいつだって捨てたかった」と言った貴方
「君のような薄汚い悪意の滲んだ人間と共に歩むつもりはない!今日この場をもって婚約は破棄させてもらう!」
……我が国の王太子と、その妻となる女性のお披露目という晴れ舞台にふさわしくない叫び声が会場中に響き渡った。そう、本来であれば私と彼の晴れ舞台である筈の場所で。
生まれついてからずっと自分の伴侶だと言われていた男からの怒号に思わず頭を抱えてしまう。
まったく、何度も小説で使い古されたシチュエーションを現実に持ち出してくる馬鹿が存在し得るだなんて……。ついさっきまで婚約者だったものとしても、彼を王太子に擁立した国の貴族としても恥ずかしい限りだ。
彼が言うところによれば、私は身分を笠に着て他者を虐げる悪女なのだという。ある子爵を脅迫して政敵の印象操作に利用しただの、ある男爵を脅迫して横領を手引きさせただの…………使用人に対する虐待、などというものもあったか。
馬鹿馬鹿しい。
そう、馬鹿馬鹿しいのである。
そんなことを主張する人間は、この星の下で彼一人しかいない程に………
「貴方はもう少し利口な方だと思っていました……私を好いていないとしても、ご自分の立場を自覚するぐらいはできているだろうと。それがまあ、こんな大舞台で堂々と馬鹿なことを」
「馬鹿なことを言っているのはそちらの方じゃないか?証拠は私の手の中にあるのだ。悪女でもせめて最期は潔く「…………もう、結構です」
「っ!?なんだ、何をするお前たちはっ!」
私が彼の言葉を遮ると同時に現れた衛兵達が彼を取り押さえる。
自分で言うことではないかもしれないが、私は何より筋を通すことを重んじている。清濁併せ呑む覚悟はあるが、道理の通らないことはすまいと常に自分を律してきた。だからこそ、彼の主張を信じるものはほとんどいなかった。ゆえに彼のしでかそうとしていた馬鹿な茶番劇は、彼の周辺から事前に私の元に伝えられていたのである。
お粗末な計画とはいえ、自分を失墜させようとしている相手を前に無策で現れるような真似はしない。
「流石に国王陛下は聡明ですね。貴方と違って。私達が用意した証拠を元に、しっかり動いてくださいました……ほら、会場の皆様もこちらをご覧になってください。王太子による横領や脅迫に関する証言や物的証拠についての詳細……全てこちらの書類にまとめてあります」
手元に出した書類を弾きながら、衛兵達に同じ書類を配らせる。
「そういえば……貴方が主張する私の罪状と似ていますね。こちらの記述は」
「そんなもの…お前がでっち上げたに……!」
「残念だが、これらの証拠は全て、余の指揮の元で集められたものだ。貴族達の訴えを受けての物だが…捜査に彼女は一切関わっていない」
衛兵の大群が海を割るかのように分かれ、我が国の国王陛下が現れる。
最初にこの茶番が計画されていることを報告した時には流石に疑いの目を向けていた陛下も、正式な調査を経ると協力を約束してくださった。彼の計画を利用してその名誉を徹底的に潰すことにも、最終的には了解を得られた。
「貴方……少なくとも初めからこう愚かだったわけではなかった筈です。かつては本当に尊敬していた…それがどうしてこんなことをしでかしたのですか」
「こんなもの、捨てられるのならいつだって捨てたかった…………それだけだ」
「…………もういい、この愚かな息子を連れていけ」
こうして王太子による婚約破棄騒動は、私達の一方的な勝利により幕を閉じた。王室の膿は出され、私の名誉は守られる……これ以上ない結末だ。
…ただ、彼の最後の言葉が妙に心に引っ掛かるのは、長く婚約者だった者としての情なのか、別の何かなのか…………それだけは、この時は知ることができなかった。
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元婚約者との騒動から三ヶ月が経った。あの男は無事廃嫡となり、さらに私達が調べ上げた罪に加え私に冤罪を掛けようとした罪も問われて牢屋の中だ。もう二度と外に出ることはないだろうと言われている。
今回の騒動で国王陛下にはかなり真っ当な措置をしていただいた。あの男があんな育ち方をしたことに思うところがあるものは多いが、成すべきことをなさったというのが、貴族の中での共通認識だった。
………とはいえ、王室の権威の低下は避けられなかった。国王の側近たる貴族達が発言権を強めていき、それをただ受け入れる……そんな姿を、近頃はよく見るようになった。
そういう私はというと、第二王子……いや、現王太子と婚約した。正直言って、協力していただいたとはいえ王室に対する不信が無いではなかったが、
「貴女の毅然とした態度と聡明さに惚れた」
と面と向かって言われてしまったことで婚約を決めた。あの男との件もあったのでかなりこちらに決定権のある話ではあったし、その時の莫大な慰謝料のことも考えると受ける必要性はなかったのだが、この貴族社会で惚れたと言ってくれる相手もそうはいない。結局その話を受け入れた。
案外私もチョロかったのかもしれない。
……そんな私の元にある噂が流れてきた。前王太子の糾弾に手を貸してくれた人々のうち、何名かにあの男から使途不明の献金があったと。
本当に噂レベルの……証拠もなにもない話だった。何より、そこで名前が上げられたもの達はどう考えてもあの男に何か利をもたらすような人間ではなかった。
多くの者が根も葉もない与太話と切り捨てた……けれど、私にはそうは思えなかった。
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「…………それで未来の王妃がわざわざこんな場所に来たというわけか。まったく、よく父上が許可を出したものだ」
「ええ。気になったのです。貴方が本当は何がしたかったのか……」
目の前にいる獄中の男は、かつての姿とは見違える程に冷静だった。それは幼き日の、頼もしかった彼の姿を彷彿とさせた。
「貴方は言っていましたね。『捨てられるのならいつだって捨てたかった』と。私はそこまで嫌な伴侶だったでしょうか?」
「……そんなことはないさ。ただ、人生を共に歩みたい相手は別にいた…それだけだ」
「否定していただいても嬉しくありませんね。その言い方では…浮気相手がいた、そのようにとれますが」
「別に浮気ではないさ。私の恋慕があの子に届くことはほんの少しもなかったわけだから…」
「…………?」
「お互い生まれる前から婚約者がいるとは物心ついた時から教えられていた筈だが、対面したのは8歳の時だったね。自慢じゃないが、確かにあの時の私なら君に慕われることもあっただろう」
「思い出話をしに来たつもりはありませんが」
「それよりも前、一度だけ城を抜け出して王都のスラム街に出たことがあった…若気の至りという奴だが、幼い子供一人で行くにはあまりに危険な土地だった。身綺麗だった分余計にね。そうして襲われそうになった私を助けてくれたのは………………私とそこまで背丈の変わらなそうな、年上の女の子だった」
「その方が………?」
「まぁ、そういうことだね。知らないうちに結婚が決まっていて、機械的に婚約者だと教えられていた相手よりも余程愛おしく思えた……。君は悪い相手ではないかもしれないが、彼女には負ける」
負ける、と断言されたことに何故か胸が痛む。既に目の前の男は婚約者でも何でもないというのに。
「その彼女のその後はご存知なのですか?」
「詳しいことは知らない。ただあのスラム街は再開発の時にホームレスの子供の多くが保護されたと聞いている。きっとどこかの孤児院で暮らしているさ。そうでなくても強く生きられる……そんな子な気はするが」
「……まさかその彼女と結ばれるために私を貶めようとした、などと言う気はありませんよね」
「それはさすがに間違いだね。かえって自由を失う結果になることは察していた。実際今は牢屋の中な訳だし。けれどこの10年間それが叶うならと常に思ってはいた。ある時父上に全て話してみたんだよ。そうしたら本気で怒られたさ。王太子の身にありながらそんな無責任な考えを持つな、と」
「陛下に全面的に同意しますね。貴方が背負っていた責任は国そのものであったというのに」
「そんな責任、背負いたくて背負った荷物では絶対にない」
「責任を負うがゆえの特権を享受していた自覚はあるさ。けれど望みもしないものはいくらだって手に入るのに、唯一望んだものはどう足掻いても手に入らないし、手に入れる努力すらも許されない。酷い話だよ」
「貴方が唯一望んだものがその女性だったと?」
「周りから見た幼少期の私は、かなり無欲な少年に写っていたのではないかな。実際何かを切望する経験はあれが最初で最後だった」
………そこまで聞いて、全てが腑に落ちた。
「貴方のその末路まで含めて復讐だった、そういうことですか?」
「………まぁ、そういう解釈もできるのだろうな。自分の手で切り開けない未来なんかに興味はないし、せめて荷物を下ろしたかった。勘違いしないでもらいたいが、私は別に個人に対して特別恨みを持っていたわけではないよ。これは復讐なんて高尚なものじゃなく……ただの八つ当たりだ」
「八つ当たり……ですか」
「君たちには随分と迷惑をかけたな。それは本当に申し訳ないと思っている。段取りの通り私が断罪される流れにできてよかったよ」
「貴方はそれで良かったんですか?この先の自由を奪われ、結局貴方の望みが叶うこともない……本当にこれで満足なんですか?」
「…………………さあね。満足したのかしていないのか、私にもわからない。君も覚えておくと良いよ。責任を負わせてくる者が自分を幸せにしてくれることは決してないんだと。
…………私はいったい、どうすれば良かったんだろうね?」
シリアス展開の練習に書いたやつです。