7 航海
どのくらい経っただろうか?
そもそもこの魚のような生き物の中の、どこら辺に自分がいるのかあまりわかっていなかったが、ふにゃふにゃと弾力のある床に寝転んで天井を眺めていた。
スナイェルは船酔いとはまた異なる気分の悪さに、頭を抱えていた。
他の三人も横になっている。パールに関しては持っていたクッションに顔を埋めて、「魚臭い」だの「気持ち悪い最悪」だのと悪態をついては呻き声をあげていた。
アウルはレインコートを着たまま横になって固まっていたため、置物のようだった。
オルンは一人、静かに地図を眺めている。
ふわっ
「!?」
それまである程度穏やかな航海が続いていたが、突然四人は宙に浮いた。
さっきまで床だったものが壁となった。
魚の身に何かあったのだろうか?なにせ外が見えないため、何が起こっているのかわからない。
「見てくる」
オルンは即座に立ち上がると短剣を魚の身体に刺しながら口の方へと身軽に登って行った。刺した後に血が滴り、生々しく血生臭い跡が残る。いくら身軽と言えどもオルンの重みがかかり、刺し後が少し広がっている。
なんとも見ていられない光景だ。
「魚、大丈夫なの?」
「訓練されてるから大丈夫だよ」
先程の卑屈な様子とは打って変わって、戦闘体制に入ったパールが言った。だが匂いには慣れていないようで、眉間と顎にシワが寄っている。
それを言うなら、そもそも魚の中に入って運んでもらおうという発想自体おかしな話であるなとスナイェルは思い返した。
だが訓練をされる魚も可哀想だなと思った。おそらく訓練をしたのはエマだろう。あの穏やかな顔の裏側が読めない以上、怖いなと思っていたが……魚が気の毒である。一体どんな訓練なのやら。
アウルはレインコートに身をくるんだまま上を睨んでいる。
初対面の時を思い出す獣が狙いを定めている時の様だった。
「釣られた、港で直接。凍らされる前に一旦出るぞ」
オルンが上の方から降るように戻って来るとそう告げた。
「どこの奴に?」
「見たことない種族だ。あれは人じゃない。まずい予感がする」
獣の勘だろうか?
もしかして……
「それってどんな感じの生き物!?」
スナイェルは食い付くように聞いた。
「頭が鏡になってる気味の悪いやつらだ。しかも普通に会話してやがる」
「頭が鏡?生きている?」
アウルの言葉にオルンは頷いた。
スナイェルを除いた三人は素早く荷物をまとめると、魚の背の方を剣やら素手やら捌き始めた。硬そうな骨も易々と割り砕いていく。
「あのさ!その人達と話してみない?」
三人は手を止め振り返った。
「正気か?頭が鏡だぞ」
「得体の知れないものと無理な接触はしないほうがいいと思う」
「急にどうしたの?いったん様子を見た方がいいよ」
「俺一人でも残るよ。どのみちここから逃げても生き残れるかわからないんだし。それにこの魚を出た後の計画はあるの?海なんでしょ?港に上がって潜伏でもするの?その方が怪しまれる」
「でも魚を爆発させればこの辺一帯は壊滅できる。その間は海に入っておいて、終わったらこの島からの脱出方法を探せばいいよ」
頭脳派に見えて割と脳筋なパールである。
「いやいや、魚爆発は俺が嫌だし。そんな大々的に爆発させたら間違いなく目を付けられるよ、他の島にも組織にも」
「じゃあノコノコとついて行くのか?脳から情報だけ抜かれて終わるぞ」
スナイェルの額を指で指して、もの言いたげである。オルンの言いたい事はまあ分かる。
だが一度あの異形と話したことが、間違いなく後押しになっている。
話は通じる。
地雷さえ踏まなければ。
「スナイェルにも作戦があるんだね」
アウルの言葉に頷いた。
「じゃあ教えてくれる?僕たちは従うよ」
納得のいかない顔をしたオルンとパールを引き寄せるとアウルは言った。
「……じゃあ、魚に食われてました作戦で行こう!」
◇
四人は魚の身体を短剣で登っていった。魚の内側はもだえるように脈を打っていたので、スナイェルは上だけを見てひたすら上がって行った。他の三人はずっと早く身軽に登るので、上から魚の血が滴ってくる。
ようやく口元にスナイェルがたどり着くと、三人は葉の隙間に隠れた。
スナイェルは一人、魚の口の隙間から身体をねじらせて出た。
「助けて!誰か!」
一斉に鏡を頭に持つ生き物がこちらを向く。
反射の関係もあって、まばらに海も映るが、急にたくさんの自分自身に見つめられているような奇妙な感覚に陥った。
ふと、スナイェルは幼いころに読んだ絵本を思い出した。
◇◇◇
遠い昔の話。
海を旅する一人の男が嵐に飲まれ、とある島に漂流した。
その島には人影は見えないが、食料も寝床も何もかもが揃っていた。男はしばらく嵐が収まるまで、その島に滞在することにした。
人に会った時に礼をしよう。そう思ったのである。
どれほど時間が経ったのだろうか?すっかり馴染んだかのようにみえる彼は、誰もいない島にある家を転々としていた。男は誰もいないことにも、疑問は持たず自由に過ごしていた。
しばらくしたころ食事時、彼の顎に髭が伸びていたことに気が付いた。椅子から立ち上がり、髭を剃ってしまおうと思った彼は、机にあった銀製の剃刀を手にした。
さて、用意が出来たのであるが、鏡がないではないか。
ふと男は、長い間自分の顔を見ていなかったことに気が付いた。男は水面を探しに行こうと家から出ようとした。
扉の前に人が立っている。
男は悲鳴を上げて後ろに飛び退いた。男は腰が抜け、その人を見上げた。
よく見ると自分ではないか。少し汚れ、髭の生えた自分自身である。
「こんにちは」
「誰だ?」
「どこから来た?」
「名前は?」
「知らない」
「何を?」
「久しぶりの人」
「誰が?」
「お前は誰だ?」
「お前は誰だ」
こうして男は自分とそっくりな人間と対話をしたのである。
男は恐怖を感じたようで、自分を押しのけて扉の外へ飛び出した。
男は島中駆けまわる。
「誰か!誰かいないか!」
男は市場の所で屈む人を見つけた。
「すみません!さっき変な人が!」
振り返ったのも自分。
男はまた駆けだした。島に人影はあるのに、どれも自分である。
行き場を失いその男。しゃがみ込んでは頭を抱えた。手にはまだ剃刀を持っている。
男の周りを囲むように、島の者がやってくる。
男が見上げて見てみても、自分以外の誰もいない。
囲む自分は絶え間なく、次から次へと彼に問う。
「お前は誰だ?」
「名はなんだ?」
男はそれが鏡であると、気がつくことはなかったそうな。
まるで自分に自分が問うように、男は我を忘れていった。
男は手にある剃刀で、自ら顔に傷をつけて、痛みも忘れてしまったとさ。
◇◇◇
ようは、我を忘れなければ良いのである!
そもそも絵本の世界の話であるので、同じ異形かどうかもまだ分からないじゃないか!
スナイェルは一人で合点し、なるべく鏡の顔を見ないようにしながら助けを求めるように手を振った。
鏡頭の何人かが話し合った後こちらを向くと、魚をゆっくり下ろし始めた。
クレーンのようなもので釣られていた巨大な魚の頭だけが水面に浮かび、口の部分から港に上がりやすいように移動させてくれた。
今のところ親切そうである。
そう、クロウ達もはじめはそうだった。だから油断は禁物である。
鏡頭の一人。漁師の服装をしたものがこちらを見ている中を通り、軍服を着た人物が歩いて来た。
「ようこそ、島へ。自ら食われて魚の中だなんて窮屈なところにずっと……長旅ご苦労様。潜水艇とかは使わなかったんだね」
「あぁ……ありがとうございます。魚の中が一番安全かと思いまして」
魚に食われてました作戦は一瞬で消えた。そんなに嘘っぽい演技だったか?
「まあ立ち話もあれだし、中においで」
スナイェルは戸惑っていると、その人は笑って言った。
「安心しな。取って食ったりなんかしないからさ。そっちの坊や三人もおいで」
気さくで大らかな喋り口調である。
スナイェルの後ろに三人は隠れながら様子を伺っている。
パールは「鏡だ、気味悪い……自分と話してるみたいだ、最悪」と悪態をつきながらも興味津々である。オルンとアウルは獲物か何か狙うように見ている。
スナイェルはゆっくりと、その人の後について行った。
「ゆっくり休んできな!」
「飯も美味いで!遠慮せんと食べや!」
ついて行く途中、漁師だろう人々に声を掛けられる。
だいぶ歓迎されているように見える。
ただその漁師達の顔もまた自分が映っているところに違和感を感じる。
四人は警戒しながらも、その人について行った。




