第17節 夜の秘密
昼食の間、リアンたちはティアに、今までの旅の話を語りながら過ごした。
ティアは驚いたり笑ったり、たくさん感動しながらその話を聞いてくれた。
こういう語りの専門はセーラなのだから、彼女にお願いしようとしたら「いいえ。リアンの言葉で語ってあげて」と断られてしまい、けっきょくリアンがほとんどを説明していた。ときどきキードが補足をしてくれながら。
そういうわけで、リアンはティアとかなり仲良くなれたと思う。一週間後には別れることになるのが、残念に思うくらいには。
昼食が終わって談笑も一区切りついたら、リアンたちは村の中を散策することにした。ちなみに自由なシファは単独行動をしているから、どこにいるかはわからない。
「もうすぐ、お祭りがあるのかしら?」
セーラが周囲を見回しながら言った。
たしかに、村人たちは何やら懸命に飾り付けのようなものをしている。
「山のほうに続いているみたいだね」とキード。
最初に来たときに確認したが、島の中央には山があった。この村からも見える。飾り付けは道に沿って、山のほうへと続いていた。
「島の形状的に、あれは火山かな? 近いうちに、何かの儀式が行われるのかもしれない」
みんな真剣な表情で忙しなく飾り付けをしていて、声をかけられる雰囲気ではない。
「まあ、それよりもリアンくん、セーラちゃん、そろそろ村長に挨拶に行こうか」
「そっか。そうだな」
こういう小さい村に滞在するときは、まず村の長に声をかけるもの。そうしておけば、いらぬすれ違いを防げるとリアンもこれまでの旅の中で学んでいた。
「でも、村長の家ってどこにあるんだ?」
「……そこにお店があるみたいだから、店員さんに聞いてみようか」
屋外にいる村人は忙しそうにしているため、リアンたちは店の中に入った。
「あら、いらっしゃい」
整った顔だちの若い女性が出迎える。どうやら、雑貨屋のようだ。藍玉亭にあった果物を入れていたバスケットも売っている。セーラはこの店の品物に興味津々だった。
「あなたたち……ティアの連れてきた旅の人ね。イサラの宿に泊まっている」
さすがに村は情報が伝わるのが速くて、リアンたちのことも知っていたようだ。
「わたしはオリヴィエ。いちおうこの店の主人よ。よろしくね」
オリヴィエに続いて各々が自己紹介をしてから、代表してキードが尋ねる。
「この村の長の家はどちらだろうか?」
「村の長……ああ、村長のエルマンさんか。あっちの方向に歩けば茶色い屋根の家があるから、そこがエルマンさんの家よ」
「ありがとう。……それと、ついでに尋ねたいのだが、この村ではもうすぐお祭りか何かが行われるのかい?」
すると、オリヴィエは少し暗い顔をした。
「あ〜……まあ、お祭り、みたいなものかな」
「ほう」
おそらくキードもその話には興味があっただろうが、それ以上は聞かないことにしたようだ。
「ありがとう。それじゃあ、村長の家に挨拶に行ってくるよ」
「うん。また寄ってね。ティアの友達なら、安くするから」
「まあ! それじゃあ、この木彫りのお魚をくださいな」
「セーラちゃんだっけ。それはわたしの自信作なんだ。目をつけてくれてうれしいよ」
しっかり値引きしてもらった魚のオブジェをセーラは購入して、リアンたち三人は村長の家に向かった。
日が傾いたころ、茶色の屋根の家をリアンたちは訪れた。
大陸のマナーが通じるかわからないが、とりあえず扉を三度ノックして待つ。
すると、歳は四十代くらいの、ぴしっとした背筋の男性がリアンたちを出迎えた。やさしそうな表情をした、白髪の人物だった。
「いらっしゃい。あなたたちのうわさは聞いているよ」
男性はリアンたちを家の中に招き入れた。外は少し肌寒かったけど、建物内は暖炉があって温かい。おしゃれな模様の描かれた絨毯の上、男性はリアンたちにテーブルに並んだ椅子に座るよう勧めてきた。
「あらためて、私はエルマン。この村の長だ」
「リアンです」
「セーラと申します」
「キードです、よろしく」
順番に名乗った三人に、エルマンはゆっくりとうなずいた。
「この村も、普段であれば旅人はもてなす風習なのだが……今は少し時期が悪い。せっかくなのに、申し訳ないね……」
リアンが尋ねる。
「何かあるのですか?」
「それは……」
言いかけて、村長のエルマンは逆に質問で返してくる。
「あなたたちは、島にはどれくらいの期間いる予定なのかな?」
それにはキードが答える。
「問題なければ、七日ほど滞在させていただきたい」
「そうか……」
エルマンはうなずいた。似たような質問を、宿の主人であるイサラにもされたような気がする。
「ともかく、おかしなことをしなければ、この村にはどれだけ滞在しても構わない。どうか、旅の疲れを癒していってくれ」
「……はい」
何かはぐらかされている気がするが、リアンはおとなしく村長の言葉に従うことにした。
その後、少し旅の経緯などを話して、リアンたちは宿へと戻った。
夕飯の時間。宿の食堂の椅子に座ったリアンたちに、今回もティアが食事を運んでくる。
魚や果実を使った、素朴な料理。でもおいしくて、その量は豪勢だった。
「みんな、たくさん食べてね」
食事が終わってからもしばらく食堂でティアやイサラを含めて談笑しながら、その夜は過ごした。
そして賑やかな時間は終わり、二階にある各々の部屋に戻って就寝することになった。
しかしリアンは、新たな土地に来た興奮がまだ冷めないからか、寝付けずに窓の外を眺めていた。
村の灯火は消え、闇に包まれている。星がきれいだ。月も。
そんなふうに空を眺めていると、ふと、宿から出て行く人影が見えた。青い髪が月明かりに照らされて、うっすらと橙色の光を映している。ティアだ。
(……どうしたんだろう)
どうせ眠くないし、リアンはティアを追って少し外に出てみることにした。
「ティア」
宿を出て声をかけると、ティアは少し驚いた様子で振り返る。
「リアン……」
「どうしたんだ、こんな時間に?」
外はやはり少し寒くて、ティアの吐く息が白い。その胸元には、昼の空のような薄青色の宝石がはめられたペンダントが、かすかに煌めいている。
「うん。なんだか、眠れなくて……」
「そっか。俺もだよ。こんなこと、あんまりないんだけど」
するとティアは少し逡巡したあと――。
彼女の小さな両手が、リアンの手を包み込んだ。
「ねぇ、リアン」
突然のことにリアンは驚いた。照れて顔が熱くなったけど、なんとなく彼女の手を離しちゃいけない気がしたから、そのままでいた。
「いっしょに外を散歩しない? 眠くなるまででいいから」
「うん。いいよ」
面食らいながらも、リアンはなんとか返事をした。するとティアは、星空のようなきれいな笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、行こう」
「ああ」
「……ほんとに、眠くなったら無理して付き合わなくていいからね?」
「大丈夫だよ」
リアンはティアと、夜の村をいっしょに歩いた。しんと静まり返った夜のにおいも、聞こえてくる虫の音も、リアンの故郷であるコルツ村と少し違う。しばらく二人とも無言だったけど、不思議と気まずい感じにはならなかった。
「静かだね」
静寂の中で、ティアがそう切り出した。
「そうだな」
「……。さっきの話の続き、してもいい?」
「旅の話?」
「そう。……ねぇ、きみは、どうして旅に出ようと思ったの?」
「旅に出た理由……そういえば、まだ話してなかったっけ」
「うん。教えて、ほしいな」
「わかった。……変な理由だから、おかしかったら笑ってもいいよ」
「笑わないよ。……笑わない」
ティアがそう言ってくれるから、リアンは素直に自分の夢を語ることにした。
「俺……フィリオスルピアに会いたいんだ」
「フィリオスルピア……」
「知ってる?」
「うん。願いを叶える霊鳥。ラスベルの伝承に登場するものだよね」
「こっちでも伝わってるんだ。すごいなラスベルは」
「……そうだね」
「俺、ラスベルに憧れているんだ。だから冒険家になった」
「そう……なんだ」
ティアは思い詰めるように夜空を見上げて、白い息を吐いた。
「……ラスベルが……ほんとにすべてを救ってくれればよかったのにね……」
「ティア?」
なんでもない、とティアはかぶりを振った。
「きみの夢、叶うといいね」
「ティアには夢はないのか? 将来、宿屋を継ぎたいとか」
「あたしは――」
話しているうちに、いくつもの石が等間隔に並べられている場所に来た。
墓石だろうか。石の大きさは頑張れば両手で抱えられそうなくらいで、それぞれ花が添えられていた。
「ここは?」
リアンの問いに、ティアが申し訳なさそうに答えた。
「お墓……お母さんと、お父さんもここにいるんだ。ごめんね、なんか、いつもの癖でここに来ちゃってた……」
「いつもここへ来てるのか?」
「こういう、眠れない夜はね……お母さんに、話しに来るんだ。今日あった、楽しかった出来事……これからの不安……そんなことを」
「そっか」
なんだか、それはリアンもわかる気がした。
旅の途中、不安になったときなどは、剣を眺めて両親のことを思い出している。みんな、そういうものなのかもしれない。
「はぁ……まさか、あたしより先にいなくなっちゃうなんて……」
「ん?」
「あ……うぅん。気にしないで」
それからティアは、両手を組み合わせて墓前に祈りを捧げた。
祈る姿は、大陸のものとそう変わらないようだ。リアンもそれに倣って祈った。
「お母さん……今日は島の外から来た旅人さんたちと出会ったんだよ」
ティアは小さな声で、お墓に向かってささやきかける。
「旅のお話とかたくさんしてもらって、すっごく楽しかったんだ。楽しくて、うれしくて、眠れなくなるくらいに……」
かすかに、声が震える。
「なのに……ね……」
そこから先は何も言わずに、ティアは立ち上がった。
「リアン、ありがとう。いっしょに付き合ってくれて」
「いいよ。俺も、ここに来れてよかった」
「……きみは、やさしいね」
「そうでもないよ」
「そうだよ」
ティアは墓石に向けていた視線をリアンのほうへと移した。不思議な青色の光をたたえたオレンジ色の瞳。
「見た目より、ずっとおっきな背中で……たぶん、あたしには永遠に追いつけない」
焦がれるような声だった。
「なぁ、ティア。さっきの話だけど」
「……あたしの夢?」
「うん」
ティアは、かすかに笑みを浮かべた。それは自嘲するような、諦めのような。
「もう……あたしには、夢なんてないよ」
「もう、ってことは、昔はあったのか?」
「…………うん」
答えるまで、少しだけ間があった。ティアは立ち上がり、背を向けてまた歩き出す。
「あたし、……夢だったの。島の外に出て、広い世界を旅するのが」
「旅……冒険家になりたいのか?」
「うん。ずっと……夢だった。だからね、リアン――」
ティアは振り向いて、今度は晴れやかな笑顔を見せる。
「あたしにとって、きみは憧れなんだよ。会えてよかった。本当によかった」
暗闇の中、月明かりがティアの姿をほんのりと浮かび上がらせて。
満面の笑みなのに、なぜか消えてしまいそうな儚さがあった。
だからだろうか。リアンは、どうしてもこのままではいけない気がした。
「ティア。いっしょに行こう」
「え……?」
「旅に出て、いっしょに冒険に行こう!」
「あたし……が……きみと、旅に……?」
思い至ったら、それが一番いいことな気がして、リアンはつい前のめりになった。
「ああ。イサラさんや村長も、説明したらわかってくれる。キードもセーラも、賛成してくれるよ」
「それは……」ティアはうつむいた。暗くて表情はよく見えない。「できない……」
「……なぜ?」
「いいんだよ。あたしは、このままで。……宿屋で働くことができて……こうして、きみたちと出会えたし」
そう言って、ティアはまた顔を上げ、微笑んでくれた。
彼女がどんな想いを抱いているのかはリアンには推し量れなかったが、無理して笑っていることだけは、わかった。