第15節 船旅、そして新たな出会い
曇り空の下に広がる水平線。進めば進むほど視界は暗くなっていくが、伝説の帆船ジークフリートは勇敢に帆を広げて航海を続ける。
日暮れが近いが、辺りが薄暗いのはそれだけが原因ではない。
波はどんどん高くなってきていて、甲板の手すりまで飛沫が届く。
「また時化そうだね」
望遠鏡を覗き込みながら、眼鏡をかけた赤髪の学者キードが言った。
「波も荒れてきた。魔の海域が近いということか」
それを聞いて、リアンは気を引き締める。
「魔物も出るかもしれないんだっけ?」
剣を背に持って、いつでも戦える準備をした。
隣では、黒髪をポニーテールに結った少女が、どこからか持ってきたデッキチェアに寝そべりながら、ココナッツの果汁を飲んでいる。
「雨が降るのですか。では私は部屋に戻ります」
「シファ、きみが一番くつろいでいるね……」
船に不法侵入した本人だというのに。呆れるが、シファの唯我独尊ぶりは今に始まったことではない。
それでも、港町で出会ったころと比べると、トゲトゲした感じは抜けてきている。少しだけ心を開いてくれているようで、それはうれしかった。
荒れ始めた海を眺めて、セーラが不安そうに声を漏らす。
「これから渦潮が発生する海域を越えるのよね……大丈夫なのでしょうか」
するとキードはセーラを安心させるように、穏やかな声音で答える。
「ジークフリートなら大丈夫さ。どんな荒れた海でも進むことができる」
「そうだ。嬢ちゃんは安心して、大船に乗ったつもりでいればいい。言葉通りな!」
龍の頭を模した船首像が、ガハハと豪快に笑った。
目的地は、リアンの父親であるガイルにもらった地図に記された場所。リアンはもちろん、セーラやキード、シファにとっても未知の海域である。
まもなく雨が振ってきたため、四人は船の中へと戻った。もうすぐ嵐になるかもしれない。雨音が鳴り、波でぐらぐらと揺れる船の中。食堂のテーブルを囲んで、リアンたちはキードの持っていたカードゲームで遊んでいる。
「キード、外はだいぶ荒れてるけど、こんなことしていていいのか?」
リアンの疑問に、キードは手札のカードを選びながら答える。
「ああ。さっきも言ったけど、この程度の嵐なら問題ない。本当にやばいときは、すぐにジークが知らせてくれる」
「本当にジークはすごいね」
「だけど、念の為に操舵できる私は寝ずに起きていないといけない。だから、こうして暇つぶしのカードゲームに付き合ってもらっているわけだ」
「うん……」
それでも、こうも海が荒れているとなんだか心細くなってくる。なんせ、ここは大海のど真ん中。どこにも逃げ場はないのだ。とくに白いワンピースを着た金髪の少女セーラは不安そうで、さっきから口数が少ない。
「あの……」
そのセーラが、カードゲームが一区切りついたときを見計らって、声を漏らす。
「どうしたんだ、セーラ?」
リアンが気遣いながら先を促す。するとセーラは小さくかわいらしく笑いかけてくれた。
「こう天気が悪いと、心も参ってしまいますね。よければ一曲、唄いましょうか?」
こんなふうにセーラが提案してくれるのは、貴重なことだ。吟遊詩人としての彼女の技能は、そう他人に安売りするものではないとリアンも思っている。だから、旅の途中も歌ってほしいと頼んだことはない。練習のためとかで彼女が自分から歌ってくれたときは、喜んで聞いているが。
寝そべってそっぽを向いていたシファがぴくりと反応し、キードも嬉しそうに声をあげる。
「いいのかい、セーラちゃん」
「はい。わたしも詩を唄って気を紛らわせたいから。何かリクエストはありますか?」
リクエスト。ずっとセーラの詩として聴いてみたかった題目があったので、リアンはおずおずと手を上げた。
「あのさ……ラスベル冒険記の詩を唄うことはできる?」
「ラスベルの……?」
セーラは顎に人差し指を当てて少し考えてから、合点がいったように手を打ち鳴らした。
「リアンはフィリオスルピアに会うために、旅をしているのだもの。ね?」
「そうだったのか。伝説の霊鳥を探す旅とは、おもしろいね」
「ガキですね」
肩をすくめるシファを、リアンは横目でにらんだ。
「ふふ。では、一曲唄わせていただきますね。――ラスベル冒険記」
竪琴を用意したセーラが、綺麗な指で弦を弾く。
太古の時代に活躍した勇者の演目。
その音と声だけで、世界の色が変わっていく――。
ラスベルは小さな村に生まれた、一人の青年。広い世界に憧れ、夢を求めて旅する冒険家になった。
剣の腕に優れて正義の心に熱いラスベルは、人助けをしながら各地を転々としているうちに、やがて勇者と呼ばれるようになる。
その旅の途中。ラスベルはエレナという美しくも心優しい少女と出会う。二人はすぐに恋仲となった。
だが、しあわせな旅は長くは続かなかった。
ラスベルの前に現れたのは、常闇の賢者。
望むのは世界の破滅。
夜の星々の間に存在し、世界を焼き尽くすという災厄の黒龍イリュードフレアを現世に呼び出すのが、彼の者の目的だった。
「あと少し……あと少しで、黒龍は顕現する。そのためには、巫女の命が必要だ!」
霊石の巫女と呼ばれる一族の末裔であったエレナは、常闇の賢者に命を狙われることになる。
賢者の追跡を避けながら、ラスベルとエレナがたどり着いたのは霊峰フィレニス。そこでラスベルは、霊鳥フィリオスルピアを見つけ出す。
出会った者の願いを叶えるという霊鳥に、青年は願う。この一時だけでも、世界を、そして大切な人を救うだけの力を、と。
霊鳥の力を得たラスベルは、常闇の賢者に挑む。
追い詰められた常闇の賢者は、自らのすべての魔力と命を捧げることで、黒龍の召喚を試みる。
現世に出現した黒龍イリュードフレア。その人智を超えた存在を封印し、ふたたび闇の世界へと返すには、霊石の巫女の命と引き換えに儀式を行う必要があった。
だが、ラスベルは諦めなかった。
霊鳥フィリオスルピアの力を信じたラスベルは、強大なる黒龍に挑む。
世界を焼き尽くし、あまつさえ世界を呑み込もうとする黒龍。その絶望に、彼は勇気を持って戦い続けた。
七日間にも渡る激戦の果て。
ついにラスベルは黒龍イリュードフレアを封印することに成功した。
世界を救った青年を人々は大いにたたえた。
その後も、ラスベルの冒険は続いていく。生涯に渡り旅を続けた勇者は、数々の偉業を残していくのだった。
「物語はこれでお終い。……ラスベル冒険記、いかがだったでしょうか」
ぽろん、と最後の1フレーズを鳴らして、セーラは深くお辞儀をした。
「素晴らしい演奏と詩だったよ。セーラちゃん」
いつの間にか木のジョッキでお酒を飲んでいたキードが、大きく拍手をする。
あまりの感動に、リアンは言葉が出なかった。
「最高だったぜ。嬢ちゃん」
ジークフリートの声が、船室の外から声が響いた。
「くだらないです。世界が黒龍に呑まれてしまえばよかったのに」
そう言いながらも最後まで聴いていたシファは、見るからに瞳が潤んでいた。
「ふふ。ご清聴ありがとうございました」
セーラは満面の笑顔で言った。いつも控えめな彼女だけど、詩と演奏には絶対の自信があるのだろう。そういうところ、すごく素敵だとリアンは思ったから。
「……かっこいいな」
そうつぶやくと、セーラが首をかしげる。
「ラスベルのこと?」
「あ、うん。やっぱり俺はラスベルに憧れているからさ」リアンはつい、ごまかしてしまった。
「……そうですね」
そのときのセーラは、なぜか少しだけ悲しそうだった。
それからリアンたちを乗せたジークフリートは魔の海を進んでいった。
途中で何度か船が魔物に襲われたけど、そのたびにリアンたちは外に出て、時に雨に濡れながら戦った。戦いになったら、なんだかんだシファも協力してくれて頼もしかった。
そして、ついに、地図に描かれた印の場所までたどり着いた。正確な位置はわからないが、このあたりの海域であるはずだ。
そこには、ひとつの島があった。
全体としては港町ターバパンくらいの大きさだろうか。孤島だ。遠く中央には山が見える。火山島なのかもしれない。
望遠鏡を眺めながら、キードが言う。
「上陸してみよう」
リアンとセーラはうなずいた。シファはどっちでもよさそうにくつろいでいる。
やがて、きらきらと美しくきらめく砂浜が見えてきた。キードはジークフリートに指示を出し、岸から少し離れた沖合に錨を下ろして、帆を畳んだ。
それから海面に小舟を出して、四人で乗り込む。
「まさか、こんなところに島があるとは……その地図は本当に宝の地図なのかもしれないね」とキード。
「未知の孤島……素敵ね。でも、何があるかわからないから……気をつけて上陸しましょう」とセーラ。
「宝ですか。まあ、金はないよりあったほうがいいですからね」さほど興味なさそうなシファ。
緩やかな波に揺られながら、小舟を漕いで砂浜へと乗り上げた。潮騒が心地いい。砂の中にきらめいていたのは、珊瑚や貝のかけらのほかにも、なんと極小の鉱石までが含まれていた。
キードが砂を集めながら、ルーペで成分を調べている。
「これは……近くに鉱脈がありそうだ。中には宝石も混ざっている」
「キード、砂浜から宝石が採れるのって、やっぱ珍しいのか?」
「私が知る限りは初めてだよ。鉱石や宝石がたくさんあるのなら、それだけで宝島と呼べるかもしれないね」
海風に揺れる金髪を押さえながら、セーラがシファに話しかける。
「綺麗な砂浜ね、シファ」
「はあ。まあ……」
「もし時間があったら、いっしょに泳がない? きっと楽しいわ」
「……考えておきます」
シファはセーラに対してはそっけない感じだが、なんだか二人は意外と仲がよさそうに感じる。シファは前に「同年代の友達はいない」と言っていたから、接し方がわからないか、照れているだけかもしれない。
未知の島に興味津々といった様子で手帳にペンを走らせながら、キードが言う。
「では、島の奥に進んでみようか。この砂浜を拠点にしながら、少しずつね」
歩いて砂浜を抜けると、背の低い木がまばらに生えている、なだらかな緑の丘があった。
陸地に上がってからずっと、揺れているような感覚に襲われている。船旅のあとは、必ずこうなるらしい。不思議な感じだった。
先頭を歩くキードは旅慣れていて、一番年上ということもあり、自然と皆のリーダーになった。いわく、「私はフィールドワークをモットーにしている」らしい。
緑の丘を越えると、突然、景色が大きく開ける。
まばゆい日差しとともに視界に飛び込んできたのは、一面に広がる鮮やかな色彩だった。
花畑だ。リアンは思わず息をのんだ。
緑のキャンパスに広がる、赤、白、黄――紫、それにオレンジやピンク。そこは色とりどりの花が咲き誇る、花畑がどこまでも広がっていた。
「すごいわ!」
セーラが感動して声をあげた。白のワンピースをなびかせて、花畑の中を駆け出す。
「……本当に、素晴らしい」キードが感嘆する。「苦労したけど、ここまで来た甲斐があったよ。リアンくんの地図のおかげだ。ありがとう」
「うん……」
父さんが地図を託してくれたからだ。リアンは遠く離れた父に感謝をした。
見渡すと、遠く丘の上まで花畑は続いていて。そこに、かすかに人影が見えた。
「誰かいる」
引き寄せられるように、リアンはなだらかな丘の上へと、花々の中を歩いて行く。
淡くさわやかな花の香りに包まれながら。頬をなぞる風を感じながら。
人影は、近づくにつれて、その輪郭をはっきりとさせていった。少女だ。細い腕で、風になびく髪を押さえている。髪色は青だが、光を浴びるとオレンジ色にも見える、不思議な色合いだった。
身につけているのは、この辺りの民族衣装だろうか。色鮮やかな花に囲まれた少女は、自身もまた花のように色彩豊かな服とスカート、それにアクセサリーをまとっていた。
「だれ?」
儚げな声。びゅうと強い風が吹いて、花びらが舞う。少女がこちらを振り向く。
奥底に青色の光をたたえた橙色の瞳と、視線が合った。
「きみは……」
そう言いかけたまま、リアンは少女と見つめ合った。互いに息をのむ気配がする。
風が止まったころ、少女がまた口を開いた。今にも消え入りそうなほど儚げで、だけど綺麗で澄んだ声で。ささやくように。
「見ない顔……それに、その服装……もしかして、島の外から来たの?」
年齢は同じくらいだろうか。なんだかドキドキとした。初めて会った気がしなくて。
少女は、頬を少し朱に染めて、リアンの返事を待っているようだった。
「うん。俺の名前はリアン、旅人なんだ。……きみは、この島に住んでいるのか?」
「旅人……そっか。旅人……」
噛み締めるようにささやいてから、胸に手を当てて、少女は自己紹介をした。
「……あたしの名前はティア。もしかして、魔の海を越えてきたの?」
「ああ。嵐の中でも走れる船があるんだ」
青と橙色の瞳のきらめきが揺れて、ティアがゆっくりとこちらへ歩いてくる。リアンも、彼女のほうへと足を踏み出した。
「すごい……あの海を越えて、島の外からここまで来る人がいるなんて」
「ティアは、ここで何を?」
「あたしは……」
ティアはかがみ込んで、一つの花を手でそっと包むようにして示した。まだ蕾だ。
花弁の色からすると、きっと空のように綺麗な青色の花を咲かせるのだろう。
リアンも彼女の後ろから花を覗き込む。
「これは星蓮華……他の花より、ちょっと開花の時期が遅いから、まだ咲いてはいないけど。あたしの好きな花なんだ」
「……そうなんだ」
「……満開になった星蓮華を、今年も見たいなぁ……」ティアは吐息混じりの小声で言った。
そのまま無言で星蓮華の蕾を眺める二人。
ティアが少し体を動かしたとき、隣で覗き込んでいたリアンの腕に彼女の肩が当たった。
なんだか恥ずかしくなって、リアンが腕を離すと、ティアもまた先ほどよりも頬を染めながら、体を離した。
そのとき、背後からキードの声がする。
「おーい、リアンくん! 突然一人でずんずんと進んでしまうから、みんなびっくりしたよ」
どうやら、他の三人も追いついてきたようだ。
セーラが笑顔で手を振っていて、シファは不機嫌そうに目を細めている。
「で、誰ですかそれ?」
「シファ、『それ』はないだろう。ティアだよ。この島の子なんだ」
ティアは、やはり驚いた様子でリアン含める四人を見回す。
「リアン、もしかして……」
「ああ。この三人は、いっしょに海を渡ってきた……俺の仲間だよ」
「すごい……!」
ティアは微笑んで見せた。それが驚くほど可憐で、不思議と見る者の胸を打った。
「島の外からこんなに人がやってくるなんて。……旅人さん、船旅で疲れたでしょ。あたしの住んでる村に案内するね」