第12節 廃船の大乱戦
リアンが駆けつけたとき、シファはボロボロの姿で、船から海に突き落とされようとしていた。
さんざん殴られたのだろう。服は破れ、痣だらけで、あちこちから血を流している。
「うおおお――ッ!!」
リアンは雄叫びをあげ、フリーデを抱えた盗賊に背後から近づく。目つきの鋭い盗賊が振り向く直前に、両手で握った剣の柄で頭を殴りつける。その一撃はうまい具合に当たったらしく、男はよろよろとタタラを踏んで昏倒する。宙に投げ出されたフリーデをリアンは滑り込みながら受け止めて、即座に盗賊たちのほうへと向き直った。
「なんだコイツは!?」
「はん! ガキがガキどもを助けに来たのか!? 構わねぇ、叩きのめしてやれ!」
リアンは甲板を走って賊たちから逃げながら、投げ捨てられていた刀を拾い上げると、
「シファ!」
少女の近く目掛けて、思い切り投げた。
ひゅんと風を切って飛んでいき、刀身が甲板へと突き刺さる。
傷だらけの体と、足につけられた重りを引きずりながらシファはそこまで近づくと、突き刺さった刃を使って腕と足の縄を切った。
「シファ、無事か?」
折れたマストの上に登ったリアンは、そこからジャンプしてシファのそばに着地する。それを冷めた瞳で見ながら、シファは疑問を呈した。
「……なぜ来たのですか」
「なぜって」剣を構えて迫り来る賊たちに備えながら、リアンは答える。「きみのことは放っておけない」
するとシファは少しだけ瞳と表情を動かした。そこから感情は読み取れない。
「私のことなんて、助ける価値はないはずです」
頑なな言葉。リアンは呆れたように笑みを浮かべながら、それに答える。
「盗んだお金、まだ返してもらってないだろう?」
「…………」
シファはふらつきながらやっとの思いで起き上がり、甲板に刺さった刀を引き抜くと、リアンに背中を合わせるようにして構えをとった。
リアンもフリーデを甲板に下ろして剣を握る。
「フリーデ、俺から離れないで」
「う、うん……」
それを見た一番偉そうな男が、大きな体躯を揺らして笑う。あれがクラグの手のボスであるグレガルだろう。
「は! 油断したのは確かだが、一人は手負いで、もう一人はただのガキだ。テメェら、やっちまえ!」
グレガルの号令に応じて、賊たちが二人を包囲する。
油断のない動きだ。彼らはシファの実力は理解しているし、いきなりやってきて団員の一人を気絶させたリアンを警戒しているのだろう。ガキだからと本当に侮ってくれたら逃げることもできただろうが、これでは脱出することは難しい。
「さあ、この状況……テメェらはどう切り抜けるつもりだ?」
背後でシファの舌打ちが聞こえた。
「残念ながら、私はまともに戦えません。あんたはこの包囲を突破する策を考えてあるのですか?」
「俺一人じゃ厳しいね。きっと無理だ」
「はぁ……」
ため息をつきながら、シファは腰を落とし、刀を強く握り込んだ。
「じゃあフリーデさんを連れて海にでも飛び込んでください。なんとか包囲を崩すので、その隙に――」
「その必要はなさそうだよ」
リアンがそう宣言して不敵に笑ったとき。
銀鈴を鳴らすような声が、響き渡った。
「警備団のみなさん、こちらです!」
場違いなほど綺麗でよく通る声が聞こえ、賊たちが声のほうへと振り向くと、直後にネイビーブルーの制服と革鎧をまとい、ロングソードやレイピアで武装した一団が、廃船の中へと雪崩れ込んできた。
警備団だ。港町ターバパンを守護するためにある組織。それを見た盗賊たちが疑問の声をあげる。
「なぜ警備団が……!? あいつら、俺たちには手は出せないはずだろ」
たしかに、スラムで情報を集めたときも、皆が口を揃えて「クラグの手は警備団でも手に負えない」と言っていた。一部の港町労働者や裏商人と繋がっているだけでなく、警備団内部にもコネがあるという噂もあった。
だから誰もが「クラグの手」に対して正面から悪口を言わなかった。「あんまり名前を出さないほうがいいよ……聞かれているかも」と。
それなのに、セーラはどうやって彼ら警備団を説得したのだろう。
「皆、勇気を出せ! 少女を救え!」
「かの少年に続くんだ――! 乗り込めぇ!」
警備団たちが抜刀し、盗賊たちと戦いを始めた。
「ちぃ……返り討ちにしてやれ!」
グレガルの号令に応え、盗賊たちがわめき散らしながら応戦する。
大乱戦が始まった。船は揺れに揺れ、甲板はきしみ、刃物と刃物がぶつかり合う音が海原へと響き渡る。
「今のうちに逃げよう、シファ、フリーデ」
「――逃がさねぇよ!」
この状況でもリアンたちを逃すまいと立ち塞がる盗賊たち。隣でシファが刀を構え、即座に踏み込んでならず者を一刀のもとに斬り捨てた。
そこへもう一人の賊が、横からシファへと襲いかかる。
ためらっている場合ではない。シミターを振りかぶった賊へと、リアンは剣の側面の平らな部分で殴りつけた。
「ぐぁッ!」強烈な一撃に、床に倒れて悶絶している。
間髪入れずに襲いかかってくる二人の盗賊たち。うち一人の頭をリアンは剣の側面で殴って昏倒させ、もう一人の振り下ろしたシミターを刃で受け、即座に柄を腹に叩き込んで悶絶させる。
「へぇ」
シファが流し目でこちらを見ながら、素直に感心したような声を漏らした。
「多少は腕に覚えがあるようですね。意外です」
「そうだな。俺も驚いてるよ。父さんは本当にすごかったんだな……って!」
リアンは次の相手の剣を受けながら答えた。この剣術は、父であるガイルに教わったもの。村にいるとき、ガイルは何も言ってくれなかったから、自分がこんなに強くなっていたとは思わなかった。
(俺の剣は、こういうときのためにあるんだ)
隣でシファが肩で息をしている。必死に応戦しているが、怪我のせいで苦戦しているようだ。ときおり咳き込んでは、血を吐き捨てている。両手で握った刀が、ひどく重そうだ。
「シファ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃありません。死にそうです。肋はバキバキで内臓もぐちゃぐちゃですから」
口元を拭いながら、シファは冗談だか本気だかわからないことを言った。
いずれにしても余裕がないことは間違いないだろう。リアンはシファのカバーをするように立ち回ることにした。とにかく彼女に負担をかけないように。
「お兄ちゃん、シファお姉ちゃん……」
不安そうに瞳を揺らしながらフリーデが声を漏らした。
「大丈夫。俺がきみを守るから」
シファが呆れたように肩をすくめる。
「守るなんて言うわりに、ずいぶんと甘いですね。さっきから相手を殺さないように手加減して戦っているじゃないですか。こんな状況でも、覚悟を決められないんですかァ?」
「……そうだよ」
賊が振るう棍棒を後ろに飛んで避けながら、リアンは答えた。
「この状況で、迷って何もしないでいるよりマシだ。俺はできるだけ人を殺さないし、きみたちのことは絶対に死なせない」
「理想主義の甘ちゃんですね」
「言っとけよ。どんな状況でも、夢を見てこそ俺だ」
「…………」
それ以上シファは軽口を叩かなかった。
包囲を突破したリアンたちは、先行してきた警備団の一人と合流する。
「やあ。きみが少女を助けるために『クラグの手』に乗り込んだ勇者くんか」
「え、勇者……?」
「我々はきみの英雄的勇気に感化されて、この突入作戦を立てたんだ。会えて光栄だよ。少年!」
セーラはいったい、どんな説明をしたのだろうか。もしかすると、リアンやフリーデのことを詩にして唄ったのかもしれない。それも、かなり誇張しながら。なんだか少し恥ずかしい。
リアンが赤面したその直後、グレガルが声をあげながら突進してきた。
「ええい! ガキは俺がやる! テメェら、どけ!」
その手には、大きな錨のようなものが握られていた。あれが「クラグの手」の頭領であるグレガルの武器。
「ぐわああッ!」
錨を振り回しながらの突進する巨体に巻き込まれ、さっきまでリアンと話していた警備団が突き飛ばされて壁に激突した。
まだ息はあるが、意識は失っているようで、警備団の彼はぐったりして動かない。
「ガキが、調子に乗ってくれたな。……次はテメェだ」
「俺はガキじゃない。冒険家のリアンだ」
リアンは剣を構えてグレガルの前に立った。ならず者たちのボスだけあって、すごい威圧感だ。だが、手負いでボロボロのシファに無茶をさせるわけにはいかない。リアンは戦う覚悟を決めた。
「フリーデはここで隠れてて。危なくなったら、すぐに呼ぶんだ」
「うん……お兄ちゃん、気をつけてね」
樽の陰にフリーデを隠れさせてから、リアンはグレガルの前に出る。
「お前がグレガルだな」
「そうだ! リアン。その名は、このグレガルが覚えたぞ!!」
言うや否や、大きな錨による大振りな一撃がリアンを襲う。一見すると隙だらけに見えるが、そのパワーからくる突進力はかなりのもので、見た目以上に手を出しづらい。
「うわッ!」
錨の一撃を剣で受けると、リアンはそのまま弾き飛ばされた。すごい衝撃で手が痺れる。
「あれをまともに剣で受けるなんて、バカですか?」
隣に来たシファが呆れたように言う。
たしかに、正面から受けるのはよくない。いくら父さんからもらった魔力を帯びた剣であっても、とっさに後方に飛んで衝撃を逃してなかったら折れてしまっていただろう。
「逃がさねぇッ!」
グレガルの追撃をリアンは横に跳躍して躱した。甲板が爆ぜて木片が飛び散る。すごい力だ。まるで大砲のような威力の一撃。
「うらぁッ!」
横なぎに払われた錨。それをリアンは滑り込んで避けて、グレガルの足元に潜り込み、脚部へと目掛けて剣を振るう。だがその切っ先が届くよりも速く、リアンはグレガルに蹴られて甲板を転がった。
「ぐっ」
リアンは痛みにうめきながら、なんとか剣を支えに起き上がった。
それと同時に、追い討ちをかけようとしたグレガルに向かって、シファがガラス片を拾い上げて「――しッ」と息を吐きながら投げつける。目を狙った投擲。しかし、グレガルは片腕でそれを弾いてしまう。
怪力だけでなく、勝負勘や反応速度も優れているようだ。その力で、盗賊団「クラグの手」をまとめていたのだろう。
「おら! おら! おらぁッ!!」
グレガルは錨をぶんぶんと振り回して、船の上を暴れ回る。警備団も、手下の盗賊すらも巻き込みながら、リアンへと迫った。
「負けるものか……!」
その勢いに怯みながらも、リアンは退かずに立ち向かう。
剣を構えてタイミングをうかがっていると、その横をシファが音もなく通り抜けた。
「隙を作ってください」
グレガルに気づかれないように、シファは船の反対側へと回り込んでいく。刀を引きずるように持ち、お腹を庇いながら、危うい足取りで。彼女の体も、もう限界が近いのだろう。
やってみるしかない。リアンは気合いを入れ直した。
「来い、グレガル!」
「――おう! 潰してやる!」
斜めに振り下ろされた錨をリアンはやり過ごし、すぐに反撃に移った。
両手で持った剣の切っ先を、顔に向けて突き出す。リスクのある攻撃だが、グレガルの気を引くためには勇気を出すしかない。
グレガルは首を捻り、その突きを避けた。
「甘ぇよっ!!」
「甘いのはあんたです」
その背後から――。
シファが腰に構えた刀を振り上げた。抜刀と同時に斬る、居合斬りと呼ばれる剣技に似た一刀だった。
斬撃はグレガルの背中を捉えて、大きな傷を作った。だが、
「……っ。浅い」シファが悔しげに声を漏らした。
怪我のせいだろうか、前にリアンに見せたときのような一刀のキレがなかった。
怒りに任せてグレガルが振り向いた、そのとき。
「はああッ!」
リアンは高く跳躍し、飛び込みざまにグレガルへと剣を振り下ろした。
「ちぃぃッ!」
とっさにグレガルは後ろへ下がるが、間に合わない。リアンの剣が、その平らな部分でグレガルの頭を思い切り叩いた。
「がはっ!!」
がつん、というすごい手応えで脳天を打ち、グレガルがついに倒れる。――かと、思ったが。