第11節 悪と暴力、クラグの手
もう一度、シファに会おう。相変わらず何が正解かはわからないし、また衝突するかもしれないけど。もしかしたら、何か正しい方法で協力できるかもしれないとセーラも言っていた。
少し遅めの朝食を食べると、リアンは準備をして宿の外に出た。
「わたしも行きます」
「セーラも? 危険だよ」
スラムが危ないところだというのは、なんとなくわかる。そこに行くのに、セーラは目立ちすぎる。
「でも、話を聞いてしまった以上は、わたしも何かしたいの。いっしょに行かせて」
「……そっか。わかった。俺から離れないでね」
もし何かあっても、自分がセーラを守ろう。リアンはそう決意をして、フリーデたちの家を目指した。
スラムの狭い路地を通り、リアンとセーラは古びた家屋にたどり着いた。フリーデとその母の家だ。リアンは扉をノックする。
「ごめんください」
「……はい」フリーデの母が、泣き腫らした顔で扉から出てくる。
「えっと、あなたはフリーデの――」
「母のイルメラよ。……ごめんなさい、こんな顔で」
「何かあったのですか?」
イルメラは静かにうなずいた。リアンの後ろにいるセーラが尋ねる。
「お話、聞かせていただけますか?」
便乗して、リアンが言う。
「俺たち、何か協力できることがあるなら、したいんです」
「……見ず知らずの方なのに、ありがとう。どうぞ中へ。散らかっているけど」
イルメラが家の中へと招き入れる。たしかに散らかっていた。というより荒れている。家具も倒れていて、まるで誰かが暴れ回ったみたいだ。
「これは……」
ベッドを見るが、フリーデはいない。
「フリーデに何かあったのか?」
「ええ。じつは……」
ボロボロのテーブルについたリアンとセーラに、イルメラは昨日の出来事を語り始めた。
昨夜、「クラグの手」という盗賊団の一員が家に押し入ってきて、フリーデをさらっていったこと。そして今朝、シファがフリーデを連れ戻しにどこかへ向かったことを。
盗賊団が残した書き置きも見せてもらった。
「シファが……一人で盗賊団のところに?」
イルメラはうなずいた。
「クラグの手は、この辺りを支配している一団で、すごく危険なの……きっとシファちゃんは、今頃……」
リアンがシファの剣技を見たのは一太刀だけだが、かなりの腕前であることはわかる。とにかく速かった。おそらく、盗賊にも遅れを取ることはないと思う。
でも、イルメラの話では盗賊団は少なく見積もっても三十人はいるらしい。多勢に無勢だ。警戒している彼らに対して、たった一人で乗り込んでどうにかなるわけがない。
「どうして、そんなこと……」
シファと彼らでどんな因縁があるかはわからないが、これが彼女を陥れる罠であることは明白だ。あまりにも無謀すぎる。
「なんだよ……他人には厳しいこと言ってたくせに。自分が一番、甘いじゃないか」
「この町の警備団には相談したのですか?」セーラが尋ねる。
「助けを求めてはみたのだけど……『クラグの手』には警備団でも手出しできないのが現状だから、いつ動いてくれるか……」
クラグの手は狡猾で、警備団や町の役人にとってはリスクが高い存在だと思われているらしい。だからこそ、スラムに住む人々にとって、彼らは法よりも近しい存在なのだ。
セーラは言う。
「……法律が機能しない地域では、暴力こそが秩序となることもあります」
それがスラムの現状。この町の裏側、貧しい人々を支配する力。それがクラグの手という連中なのだろう。
おそらくシファには助けを求められる人などいなかった。その発想すらなかったかもしれない。だから一人で行ったんだ。
決意を固めたリアンは、ぐっと拳を握り込んだ。
「シファを、助けに行く」
イルメラは驚きに目を見開いたが、対するセーラは冷静に言う。
「危険よ。リアン」
「わかってる。だから、俺一人で行く」
「……決心は、揺るがないのですか?」
「うん。ごめん、心配かけてしまうかもしれないけど」
リアンとセーラは、そのまま見つめ合った。真剣な瞳。互いの心を確かめ合うように。
「わかりました。わたしは、わたしにできることをやるから……リアン、どうか気をつけて」
「わかった」
「イルメラさん、クラグの手のアジトがある場所はわかりますか?」
「……わからない。港町の外だという噂もあるわ」
「それなら、まずは情報収集しないといけないわ。それはわたしも手伝います」
「助かるよ、セーラ。さっそく聞き込みを始めよう。イルメラさん、フリーデはきっと連れ戻してみせるから。シファも」
「あなたたちが……でも……?」
「大丈夫です。リアンはこう見えて剣の腕は確かなので、盗賊たちにも遅れは取らないはずです」
「こう見えて、は余計だよ。……行こう、セーラ」
リアンとセーラはうなずき合うと、イルメラと別れて、スラム街のほうへと聞き込みに向かった。
曇り空の下。寂れた波の音が、岸辺に打ち寄せてくる。
町外れの海に打ち捨てられた廃船をシファは眺める。これがクラグの手のアジトだ。
彼らはスラム上がりのごろつきの寄せ合わせで、自前の領地や本拠を持つほどの財力も信用もない。だからこんな船を根城としている。
主に貧民たちから定期的に金銭を巻き上げ、それを蓄えとして暮らしている、はぐれ者の集団。イルメラとフリーデも、生かさず殺さずで財産を奪われながら暮らしていた。
彼らは強いのではない。弱い人間しか相手にしないだけだ。
シファはひとつ肩をすくめて、堂々と廃船へと乗り込んだ。
「おはようございます。掃き溜めのゴミカスども」
「来て早々、ずいぶんとご挨拶じゃねぇか」
船の上、甲板に立ったシファを、盗賊たちが取り囲む。彼らの手には片刃の刀剣や棍棒が握られていて、それを見せびらかすように掲げたり弄んだりしている。
「そちらこそ、ずいぶんな出迎えですね」
面倒だ。とりあえず彼らは斬り捨てよう。
シファが刀の柄に手を添えた、そのとき。
「おっと、そこまでだ」
船尾のほうにあるプープデッキと呼ばれる高台に、巨漢ともいえる大柄の男が姿を現す。彼は他の団員とは一線を画す体躯と威圧感を放っており、クラグの手の中でも明らかに格上であることがわかった。
「……あんたが頭領ですか」
「いかにも、俺がこの『クラグの手』のボス、グレガルだ」
そしてもう一人。高台へと上がっていく鋭い目つきの男がいた。おそらく幹部、あるいは副頭領だろうか。彼の手には、幼い女の子が抱えられている。
「フリーデさん……」
「このガキを返してほしくば、剣を捨てるんだ」
シファは肩をすくめて「これは刀です」とつぶやきながら、要求に従う。腰から刀を鞘ごと取り払うと、脇へと投げ捨てた。
「ほう……狂犬みてぇだったお前が、ずいぶんと素直じゃねぇか。おい、ふん縛っちまえ!」
グレガルの部下の男が近寄ってきて華奢な体に手を伸ばした。
瞬間――シファは隠し持っていたナイフで男の顔を斬り裂いた。
「ぎゃあッ! お、俺の顔が……!!」
「てめぇ!」仲間をやられていきり立つ盗賊たち。
次の一手を仕掛けようとシファがかがみ込んだとき、グレガルの声が廃船に響き渡った。
「動くなよ」
目つきの鋭い盗賊が、片刃の刀剣をフリーデに突きつける。
「手が滑って、ガキを傷つけちまうかもしれねぇ」
「シファお姉ちゃん……」
「ちっ」
シファは舌打ちしながら、構えを解いた。悔しさでナイフを一瞬だけ強く握ってから、投げ捨てる。
その行動に、シファ自身が混乱していた。彼らの要求に従うメリットなど自分にはない。ただ、このごろつきどものメンツを潰せればそれでいいはずなのに。
「よくも仲間をやってくれたな!」
自分の行動に自分で理解できていないシファに、怒り狂う盗賊たちが襲いかかった。
潮騒響く夕暮れ。
廃船の折れたマストに、少女が縄で縛り付けられていた。
シファは両手を頭上で固定されて、かわるがわる盗賊たちによって殴られている。中には、ビールを飲みながら野次を飛ばしている者もいた。
「おら! やっちまえ!」
可憐な顔を容赦なく叩かれる。かと思えば、誰が最初に嘔吐させられるかを競って華奢な腹部を何度も殴打された。
「……かはっ!」
血を吐くと、歓声が上がった。痛めつけられてボロボロになりながら、それでもシファは盗賊たちを睨みつけた。
「……笑い声が耳障りなんですよォ……豚どもが」
「ああ!?」
「こいつ、生意気な……!!」
シファの態度に逆上した盗賊たちが、さらにひどく乱暴し始めた。
ビール瓶で頭を殴られて、流血する。もろに浴びたアルコールのにおいに、くらくらとした。さらには金槌や棍棒をお腹に叩き込まれたときは、息が止まって目の前が真っ赤になった。背中でマストがミシミシと音を立てた。
フリーデはあまりのことに泣き続けている。シファは霞む視界でそれをちらりと見て、なんとか言葉を絞り出す。
「げほっ。はぁ、はぁ……約束は、守ったので……そろそろ、彼女を、解放して、くれませんかねぇ?」
すると高台で座って酒を飲んでいるグレガルを始め、盗賊たちは大笑いをした。
「このガキはみすぼらしいが、着飾れば高く売れそうじゃねぇかァ。なァ?」
どうやらフリーデを解放する気はないらしい。
「下衆ですね……」
頭と口から血を流しながら、シファは吐き捨てた。
「はっ! テメェはこのままじっくり拷問して、海に沈めて魚の餌にしてやる」
それを聞いたシファは「くくっ」と喉で小さく笑った。
「拷問って……こうして縛って殴るだけでしょう? ちゃちな拷問ですね」
するとグレガルが立ち上がり、シファのいるマストへと近づいてきた。そして拘束していた縄を解くと、その怪力によって、片手でシファの細い首を絞めながら持ち上げる。
「……かはっ!」
「口の減らねぇガキだ。もういい、テメェら、重しを用意しろ!」
シファはグレガルの手で甲板の一番端まで運ばれ、投げ捨てられた。倒れ伏したシファの両足に、鉄の重しのついた縄がくくりつけられる。
そこに手すりはなく、下を覗き込むと、船体に波が叩きつけられているのが見えた。
深い。鉄の塊をつけてここから落とされたら、おそらく上がってはこれないだろう。
(まあ、私らしい最期ですね)
どこか他人事のように、シファは海を眺めた、そのとき。
視界の端っこに、岩場のほうから船をよじ登ってくる少年の姿が映った。
「……は?」
思わずシファは、素っ頓狂な声を漏らした。