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シーとアフガンの光

作者: ユッキー



《序章》


 国土を省みぬ無責任な主張

 華やかな消費生活への憧れ

 終わりのない内戦

 襲いかかる温暖化による干ばつ

 終末的な世相の中で

 アフガニスタンは何を啓示するのか

 見捨てられた小世界で

 心温まる絆を見いだす意味を問い

 近代化のさらに彼方を見つめる

 (N医師、ある日本の新聞への寄稿文)



 ある日本人医師が愚かな銃弾を受けて亡くなられたことをテレビのニュースで知り、あらためて彼の人生をかけた尊いおこないに思いを()せた。

 当然、オレはアフガニスタンの大地、空、風、太陽の光もまったく知らない。しかし乏しい想像力の限りを尽くし、ひとつの物語を描きたいと願った。

 ここに描かれていることはすべてフィクションであり、拙い描写と文章のなんでもない物語だ。もし少しでも、アフガニスタンの光を感じてもらえたら幸いだ。


 愛犬シーズーのシーは、ベージュの柔らかな毛布から丸い顔を出して、一定のリズムで小さな寝息をたてている。あたたかなぬくもりを感じながら……

 シーがそのくもりのないまなこで、アフガニスタンの太陽の光の下に立ったのならば、何を感じるだろう。オレの物語は、そこからはじまる。





《第1章》


 彼方(かなた)に残雪をのこすヒンズークシ山脈が(おごそ)かに連なり、アフガニスタンの太陽の光を浴びた鮮やかな黄色の菜の花畑で、10歳ほどのひとりのの少女が微笑んだ。

 この地方は、温暖化のための干ばつにより緑や畑が失われ、荒涼とした大地に姿をかえてしまっていた。少女は、生まれてはじめて見る菜の花の鮮やかさに驚いた。


 こんなにきれいな色の花もあるんだわ、少女は花びらのひとつひとつが太陽の光にまばゆく微笑む様子をじっと見つめた。


 ──太陽の光を浴びて、花たちは幸せそうに笑っている……


 すると少女を呼ぶ声が聞こえた。妹が姉のあとを追いかけて来たのだ。ふたりは、菜の花畑を追いかけっこするように走り回り、菜の花畑は、少女たちの清純な笑い声に包まれた。


 ──おや?


 菜の花畑に、大きな黒い鳥のような影がさーと流れた。見上げると、激しい轟音(ごうおん)とともに黒い機体が薄青い空を飛んでいる。アメリカの軍事用アパッチヘリコプターだ。この菜の花畑の上空は、アメリカ軍のヘリコプターの飛行経路であった。

 少女たちは黙ったまま、黒光りする機体を見送る。なんのためにどこへ行くのかも知らずに……





《第2章》


 早朝、石造りの建物の小さな窓からなだれこむ朝の豊饒な光を頬に感じ、少女は目を覚ました。隣の妹は、小動物のようにやや縮こまったままでわずかな寝息をたてている。

 隣室から父と母の話し声が漏れ聞こえる。少女は目をこすりながら身体を起こし、妹の小さな肩を揺すり、もう朝よ、と伝えた。


 チャドルをかぶった母はいつものように、数人の若者とともにタリバン兵となるため村を出ていった兄のことを嘆いている。もはや生きているのか、死んでいるのかもわからない。

 父はすでに質素な朝食を終え、今日も摂氏50度にも達する用水路の建設現場の仕事に(おもむ)く。笑顔の父は、長い髭をさすりながら誇らしげに娘に話し出した。


 ──今日はようやく用水路の最初の2キロが完成して、初めて水を流すのだよ。俺らがつくった用水路に水が流れるのだ。こんなに嬉しいことはない。日本人のN先生と握手を交わすつもりさ!


 日本のある医療支援を目的としたNGOは、N医師を現地代表として、アフガニスタンの標高の高い山岳に点在する村々を巡り、ハンセン病患者を中心に医療活動を行なって来た。しかし2000年、アフガニスタンは大干ばつに襲われる。

 国民の9割以上が農業による自給自足の生活を営んでいため、水が枯れることはたいへん深刻な死活問題だった。栄養失調の多くの子どもたちは、渇きに耐えられず水たまりなどの汚い水を飲み、下痢をしただけで死んで行った。


 医療活動以前に、水と食料の確保が急務となり、乾いた1600個の井戸を再生したが、食料源の畑や緑はどんどん荒涼とした大地へと砂漠化して行った。

 N医師たちは、水源の確保がなにより必要だと悟り、大河川のクナール川から水をひく全長24キロの用水路建設を、すぐに地元の村民の協力のもと始めていたのだ。





《第3章》


 深夜、隣のキッチンから得体の知れない物音が聞こえて、少女はビクッと目を覚ました。隣の妹はぐっすりと深い眠りに沈み、(あか)りのないぼんやりとした暗闇が広がっていた。


 ──泥棒?


 少女は気配を消すように静かに起きあがり、手探りのままおそるおそる隣のキッチンの暗闇を覗いた。


 動く人影がある。どうやら晩ご飯の残りを、スプーンが皿に触れる音も気にもせず、夢中で食べている。四角い小さな窓からの(ほの)かな月明かりに、一瞬、うっすらと見覚えのある精悍(せいかん)な顔が浮かんだ。


 ──お兄ちゃん!


 少女は驚いて、小さな声で呼んだ。すると暗闇の人影は、獣のようにいっさいの動きを停止させ、じっと少女を睨んだ。

 次の瞬間、人影は狙われた小動物のように壊れかけた扉から逃げるように飛び出して行った。

 彼方に白い頂きの山脈がつらなる乾燥した大地に、(くら)い土埃が舞いあがった。





《第4章》


 明け方近く、大きな爆発音が村にまで届いた。東の空から大きな燃える太陽が姿をあらわし、乾燥した大地に葡萄色の光がなだれこむ。

 多くの村の男たちが、ようやく2キロまで完成した用水路に集まり始めた。蛇籠(じゃかご)を組んだ堤防の一部が崩れ、流れ始めたばかりの清涼な水底へ、組んだ大小の石ころが転がり水の流れを遮っていた。

 村の男たちは興奮して、用水路を爆破した犯人を捕まえろ、決して許すなと、次々に怒りの言葉をまくしたてた。

 昨日の深夜、タリバン兵となるため村を出たはずの1人の青年を目撃した、という有力な情報がもたされた。帰還兵を中心に選ばれた村の男たちが機関銃を(たずさ)えて、そのタリバン兵の青年の行方を探すことになった。


 昼食に戻った父が、すっかり狼狽した様子で妻に話す。


 ──タリバン兵になった1人の村の青年が、朝方、用水路を爆破したようだ。あるいは俺たちの息子かもしれない。捕まれば殺されるだろう。


 驚いた母は、かぶったチャドルを乱し床に顔を押しつけて泣き始めた。床に座って食事をしていた少女のスプーンを持った手も止まり、身体中が震え始めた。





《第5章》


 灼熱の太陽が容赦なく乾燥した大地を熱する中、少女は噴き出す汗も気にせず、日本のNGOが、このダラエヌール渓谷で始めた試験農場を目指して、石ころの多い山道を登っていた。布に包んだひと切れのパンを(かか)えて……


 試験農場の建物の裏に、目立たない石造りの小さな物置小屋があった。少女は人目を気にしながら、素早く物置小屋に入ると、小さな窓から(あふ)れる光のほかは薄暗い部屋に、片目を失った青年が石壁に背中をもたれて眠ったように座っていた。


 ──お兄ちゃん、パンだよ!


 少女が大切に抱えていたパンを渡すと、片目の青年は、神に感謝いたします、と小さく頷いて受け取った。すぐに少女をじっと見つめたまま頬張り始め、少女もしばらく黙ったまま、傷だらけの兄の顔や身体を見つめた。やがて少女が口を開いた。


 ──お兄ちゃん、この農場にとてもきれいな菜の花畑があるのよ。今朝、用水路が爆破されて農場の人もみんなそっちに行ったようだから、これから行ってみよう。とってもきれいよ!


 片目の青年は、すべてを受け入れたかのようにわずかに微笑むと、小さく頷いた。


 アフガニスタンの烈しい光を浴びた黄色い菜の花は、荒涼とした山岳地の唯一の希望のように鮮やかに咲き誇っていた。片目の青年は、少女の小さな手を取り抱きしめた。


 ──俺は神学校でジハードを学んだ。ジハードのためにタリバン兵となり闘った。多くのアメリカ兵を地獄に送った。しかしたくさんの仲間も死んでいった。片目も失った。アメリカは絶対に許せない。ヤツらは悪の根源だ!

 俺もジハード戦士として死んでいく。びっくりしたよ。こんなにきれいな花もあるんだな。天国にしかこんなきれいな花はないと思っていた。


 その時、黄色い菜の花畑に大きな黒い鳥のような影がさーと流れ、激しい轟音とともにアメリカの軍事用アパッチヘリコプターが薄青い空を飛んで行った。片目の青年は、黒光りする機体が見えなくなるまで見上げていた。

 少女は、兄の汚れて(ほころ)んでいる上着の(すそ)を引っ張った。


 ──お兄ちゃん、神様がいるのなら、なぜあんな黒いものが飛んで来るの? あれは神様が呼んだものなの? わたしには(けが)らわしいものにしか見えないわ!





《第6章》


 その頃、灼熱の太陽の下で、少女の妹が息を弾ませ石ころの多い山道を登っていた。おそらくお姉ちゃんは、また農場の菜の花畑にいるのだろうと思いながら……

 選ばれた村の男のうちの1人が、この家族の長男がタリバン兵になっていたため、狙いを定めこの幼い少女の後をつけていた。


 幼い少女が、農場の菜の花畑へと小走りに向かって行く。黄色い菜の花畑は、(まぶ)しいくらい太陽の光を浴びて風にゆっくりと揺れていた。

 選ばれた村の男は、一瞬、目が(くら)むようだったが、幼い少女が向かった先の菜の花畑の真ん中あたりに、1人の青年と姉らしい少女がいることを認めた。間違いなくあの青年は、あの少女たちの兄であり、タリバン兵となった若者であろう。


 選ばれた村の男は、携えていた機関銃を構え銃口を向けた。黄色に(なび)く菜の花畑の真ん中で、ちょうど片目の青年が少女の妹を抱き上げた。

 黒光りする銃口に、アフガニスタンの烈しい光が反射する。選ばれた男は、片目の青年が少女の妹を地面に下ろした瞬間に狙いを定めた。


 片目の青年と、抱き上げられた少女の妹、そしてそばに立つ少女は、アフガニスタンの太陽の光に(きら)めく黄色い菜の花畑の真ん中で、ひとときのしあわせをかみしめ笑い合った。

 少女は、全身があたたかさに包まれ、身体中に生命のエネルギーが(みなぎ)るのを感じた。見上げた太陽の光に、すべてが存在していることを悟った。すべてのまことのひかりを……


 ──わたしは、お兄ちゃんの失われた片目の光になってあげるわ!


 と少女が心に誓った瞬間、笑顔の片目の青年が、少女の妹をゆっくりと地面に下ろした。

 小さな希望の煌めく黄色い菜の花畑に、1発の銃声が(とどろ)いた……





《終章》


 アフガニスタン東部のダラエヌール渓谷の村民およそ1000人が、日本のN医師を現地代表とするNGOのスタッフとして働いていた1人の青年の葬儀に集った。青年は朝方、現場に車で向かっていた途中、武装グループに拉致され殺害された。


 ──彼は兄弟のように尽くしてくれた!


 集まった村人たちは、彼の死を(いた)んだ。



 あの少女は、ダラエヌール渓谷にあるNGOの試験農場に広がる、大好きな黄色の菜の花畑へ向かった。その日も、アフガニスタンの灼熱の太陽が、焼き尽くすかのように黄色の菜の花畑を鮮やかに煌めかせていた。

 この菜の花畑は、この殺害された日本人の青年が、菜の花はやがて肥料となり肥えた土壌つくりに適しているはず、貧しい村民でも負担なく肥料が得られる、と試験的に植えたものだった。


 少女は、ひとりで眩く光を浴びた鮮やかな黄色の菜の花畑を走り回り、やがて歌をうたいながら菜の花を摘んで行った。

 彼の墓へたむける花を……






挿絵(By みてみん)



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