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第8話:〔獣の惑星〕

ハヤトは地下で白い海軍服を身につけたシュヴァリエ隊員たちを襲う青年に遭遇。はげしい戦いの末に彼は輸送艦を奪い、宇宙に逃げた。彼をとり逃したことで恐怖に駆られた市民のヘイト感情はシュヴァリエに向いた。そんな状況下で、移民を目的とした1万人の開拓民を居住層ごと惑星降下させるという第2次メルタ降下作戦がスタートする。

 〔星々の言い伝え〕


 惑星メルタに降下した地球の艦隊は獣人たちが住む街をすぐに見つけることができた。雲の晴れ間に新緑の大平原と石積みの城壁に囲まれた星型の城塞都市が点々と5つほどある。これがこの地に住む彼らの生活圏であり、縄張りである。全長180メートルほどの白い1隻のガルム級駆逐艦は高度を下げて都市に近づいていく。


「威圧感を与えないように都市の外に着陸させてください」


 純白の軍服を身に着けた若き栗毛の少女は艦橋の高台に立ちながら乗組員に指示していた。5つある都市のうち、外縁部の都市に目をつけ、左腕に取り付けたガントレット型端末を使って詳細な座標を操舵員のコンソールに送った。


「中央のほうが首都っぽいけど……」と同乗した黒巻副長がとなりで水を差す。


 それに対してシェオルは「偉い人の上を飛んだら失礼ですからっ!」と元気に言い切ってみせた。


 というのも中心部にある首都と思しき大きな都市は、ほかの砦のような城塞都市に守られるようになっていて、それらの中間地点には都市間を結ぶ街道も見受けられた。そのため、彼らの領地と思しき真上を無断で飛ぶことは無礼にあたると考えたからだった。


 彼女の指示に従って駆逐艦は高度を下げた。城壁に囲まれた正門の外に降りていく。空を仰いでいた芝が艦を中心に地面に伏せた。重力制御式の推進装置を採用しているため、獣道のようにできあがった街道のそばに音もなく着陸する。



 白い葉巻型の船体に目に見える武器は見当たらない。元々装備していた砲塔や発射管などの目につく武装は獣人の文明においても武器と理解し得るだろうという判断により、あらかじめ取り外してあった。残されたのは艦首のハッチに隠された上下2門の同軸レーザー主砲と船体各所に格納してある防御レーザーなどの最小限の装備だけだった。


「さて、降りて話し合いでもしますかな?」


 黒巻副長はそれまで正面しか投影していなかった外部カメラの設定を全天に切り替えた。それまで灰色の壁しかなかった艦橋が眩しいほどに明るくなった。周囲360度の様子が見渡せるようになり、足元には草原、遠くには山頂に雪をまぶした山々、空には雲が流れる青空が世界を彩っていた。


「こんな綺麗な空、久々に見ましたね〜!」


 シェオルは手すりから身をのりだして眼下を見つめる。城塞都市の門では、慌てふためく獣人の衛兵がいた。二足歩行する動物のような姿をした彼らは革鎧に鉄槍という古風な格好をしている。尻尾の毛を逆立てた彼らは、なにかを話し合った末に1人だけ残して門の小さな出入り口から城内に戻っていった。


「偵察機を出してみては?」

「いえ、このまま落ち着くのを待ちましょう。知らない物が動けば、きっと怖いはずですから」


 シェオルは黒巻副長の提案を断って、艦長席に腰を下ろした。とくに何をするでもなくゆったりと外の状況を見守っている。城門からはアリの巣をつついたように獣人たちが出てきて艦の周りを囲みはじめた。全身の毛を逆立てて耳を伏せている様子から警戒しているのが見てとれる。


「たしかに。一理ありますな」

「しばらく時間がかかるでしょうから、ゆっくり待つとしましょう!」

「では、そうさせてもらいますかな」


 黒巻副長はとなりの席にどっかりと腰掛けた。棒状のゲームカセットをコンソールのスロットに差し込む。それまで厳格にレーダーを映していたしていたモニターがゲーム画面を表示させた。


 そして「お茶でも入れましょうか?」と気遣う肩幅の広い黒服の護衛に「これから飲む機会があるでしょうから」とそれを遠慮した。


 しばらく根比べのような状況が続いた。時を追うごとに都市の外に現れた摩訶不思議な存在を見物するために、入れ替わり立ち替わり子供から大人まで、さまざまな市民階級の獣人たちが集まってくる。そうして彼らが行動を起こすまでのあいだ、艦長席に浅く座ったシェオルは外に広がる緑の大地を拡大しては辺りを見渡して遊んでいた。


「ようやく来たみたいですね」


 数時間ぶりに城塞都市に動きがあった。城壁の木板が外れ、そこに分厚く鍛造された古めかしい大砲の砲口が出てきた。しばらくすると、小さな銀の王冠を片耳にかぶせた位の高そうな者が従者を連れて正門の敷居を跨いで外にでてくる。


 黒巻副長は興味本位でコンソールの計算機で要塞砲の弾道をシミュレートした。その結果、砲弾が船体に直撃した場合、80パーセントの確率で艦が真っ二つになることがわかった。


「やつら、武器を用意しているようですな……」

「きっとこれが宇宙共通の挨拶なのかもしれませんね!」


 シェオルはそのことを知ってか知らずか、恐れることはなかった。


「では、こちらから撃ってみますかな?」

「まさか! ただの冗談ですよ!」


 副長が真面目な声色で聞く。シェオルは慌てつつ、口角をあげて微笑んだ。そのやりとりに張り詰めていた乗組員の空気もささやかに和んだ。


「これは失礼を……。しかし、あなたが言うとどうにも冗談に見えんのですよ」


 副長はぎこちなく頭を下げる。そして外の様子に注視した。獣人たちの集まりは予想を超えるもので、当初衛兵数人しかいなかった平原が今では数千規模の群衆と、それを留める兵士たちで溢れかえっていた。


「本当にひとりで話し合いに向かう気で?」


 シェオルのそばについていた大柄な黒服の男が声をかける。「万が一特務長官の身になにかあれば……」と乗り気ではない様子だった。


「そのときは私が思っていたよりも、ずっと愚かだったということです。和平交渉が失敗したところで、どちらも共倒れになるだけですから」

「宇宙に出られない文明に負けると?」


信じられない。という表情で副長が聞き返す。


「そういう傲慢さがシープを呼び寄せたのかもしれませんね。勝ち負けだけの話じゃないんです」


 そう言ってシェオルは左腕に取り付けた端末の画面を開いた。横長の画面を反転させ、正面の空間にホログラムを投影させる。階層状に並んだ宇宙とそれを挟むように亜空間が交互に存在している。


「メルタは太陽系とこのバース1深度の宇宙とを繋ぐ亜空間への入り口。通称ターミナルポイントを抑える要衝として重要な位置にあるんです。だからここで食い止めなければ、早くて半年後、太陽系から追ってくるシープによってこの宇宙も地球の二の舞になるんです」


 シェオルは珍しく真剣な表情を浮かべていた。白い制帽を手にしてしなやかに揺れるアホ毛の上からかぶせた。


「だからアドバイザーとして、私の役目はこのためにあるんです。人間と他種族が争わないようにするために」


 黒巻副長に向き合ってシェオルは微笑んだ。すっかり普段の気の抜けた雰囲気にもどって艦の正面にやってきた貴族と思しき集団に眼差しをむけた。姿は他の獣人とは違って人間に近い姿をしている。


「さて、まずは言葉の壁をなくしましょう! パーティクルフォース散布!」


 命令にしたがって女性オペレーターがコンソールのとあるボタンを押す。すると駆逐艦の船体表面から七色に光り輝く粒子が蒸気のように噴出した。粒子が空中に馴染み、飛散していく。空がキラキラと輝きを放つ様子は神の祝福を思わせた。


「周囲のパーティクル・フォース濃度安定。有害物質除去を確認。外気の組成は安全です」


 オペレーターがコンソールを操作して報告した。


「それじゃ、いってきますね!」


 席を立ったシェオルは長さ20センチほどの空色の鞘に収まった装飾短剣を腰に吊り下げた。それはティルフィングダガーと呼ばれるもので、シェオルがヴァンドラに乗艦することになった際に義父であるウエノ・ハルテイル博士から渡されたものだった。


 言い伝えによると3回まで願いを叶えるものの、最後には死をもたらすという呪具のような短剣で、パーティクル・フォースの力を使って作り出されたこの剣はそのレプリカだった。普段は儀礼用として身につけているため、鞘から抜くことはあれど、気持ち幸運になったような気がする程度で、粒子アンプルを柄に入れない限り、特別なにかが起きたりする心配はなかった。


 艦橋から船体中央の格納庫に移動したシェオルは、頃合いを見計らって船体下部のスロープを開いた。その駆動音にそれまで騒いでいた獣人たちが静かになり、耳を伏せて体勢を低くした。地球を発って以来、数ヶ月ぶりに外界の光と風が船内にふきこむ。はじめて聞く音、光景。ついに両者を隔てるものがなくなった。向かいあったどちらにとっても何が起きるかわからない。未知の出来事だった。


 白い制服にロングスカート姿のシェオルは、大きく息を吸った。副長や護衛に見守られながら、明るさのある赤茶色の髪をなびかせてスロープを降りていく。正面には艦橋で見た貴族のような赤いマントを身につけた灰色の髪の獣人と赤いドレスにツノがある女性が佇んでいる。すぐ背後には剣を携えた屈強な見た目の獅子獣人が付き添っている。彼もまた服を着て人間のように振る舞っている。獣人にも様々な種族や見た目があるようで、平民と思しき身なりの獣人になるほど獣としての特徴がより濃く出ているようだった。


 彼らの地に足をつけたシェオルは芝を歩いて彼らに近づく。制帽をとり、頭を下げた。


「私はシェオル・エル・パルライトと申します。ヴァンドラという船に乗ってこの地へ参りました」


 思いもしなかった出来事に集まった民衆は顔を見合わせて硬直する。その中で灰色の髪に碧眼の片耳の先が折れた美形の領主が堂々たる歩みで前にでた。人間との相違点は頭頂部にある動物由来の耳と尻尾くらいのもので、見慣れてしまえばそれほど困ることはない。感情が表れやすい耳も尻尾も他の者たちのように体に巻いたり伏せたりもしていない。彼だけの特別さがそこにあった。


「おれはこの西砦の領主。ロイ・オルトアークだ。貴様は何をしにここへ来た」


 背の高いロイは鋭い目線で威圧的にシェオルを見下ろした。


「私たちは友好関係を結びたいのです。必要とするなら、私たちの技術や知識を分けることもできます」


 シェオルは優しい笑顔を見せ、手短に要件を伝えた。


「ほう? それは我らの富となる提案だ。だが、そちらに利益がない。真意はなんだ?」

「私の立場では憶測でしか話せませんが、貴国と同盟を結ぶことが狙いだと考えています。まだ国の名さえ知りませんが、たとえば今日のように予期せぬ来訪者が現れたとして、それが敵対的だった場合。我々ヴァンドラは貴国を守るでしょう。その逆もまた然りです」

「同盟……か……」


 ロイは悪い話ではないと受け取ったようで、少しの間考え込むようなそぶりをみせた。


「それはとてもありがたい話だと思う。ところで、ひとつ問いたい、なぜあなたには耳と尾がない。これほどの美人だというのに、さては罪人……か?」


 ロイは心なしか残念そうな表情を浮かべた。


「私たちは人間といって、生まれ持ってこういう種族なんですよ?」


 それを聞いたシェオルは思わず口元に手を当てて笑った。


「それは失礼なことを聞いた。すまなかった」


 ロイの背後から裾の広がった赤いドレスを身につけた女性が前にでてくる。雪のように白い髪に光が反射するほど美しく磨かれた鹿のようなツノが生えている。


「こんにちは。異邦の方、わたくしはレイディア・ルア・レイエムと申しますわ」


 白い肌に赤い唇を際立たせている。上品にドレスの裾をあげて頭を下げた。シェオルも丁寧に挨拶を返して頭をさげた。


「彼女は北の砦。レイディア領に住むレイエム嬢だ。俺の婚約者でもある。君たちの力になれるだろう」

「立ち話もなんですし、私たちの城へ参りませんか?」


「いいんですか! ぜひ、そうさせていただきます!」


 自分たちよりも若く、礼儀正しくも溌剌としたシェオルの雰囲気にロイとレイディアはすっかり打ち解けてクスリと笑った。城に招かれたシェオルは専属の護衛官だけを連れて、彼らと共に城門をくぐった。


 城下町の路面はろくに舗装されておらず、堆積した土がそのままの状態になっていた。ゴミが道端に散乱し、お世辞にも綺麗とは言いづらい。汚れたバスタオルにしかみえない衣服がスタンダードですれ違うたびに、濡れたモップのような体臭が風にのって漂ってくる。


「この国を見てどう思うか?」


 ロイは歩きながらシェオルに問いかけた。


「幸せな国だと私は思います。技術があれば得るものがあり、同時に失ってしまうものもありますから」


 シェオルは木材と石組みで作られたアーチ状の街並みに目を向けた。道端では椅子に座ってなにをするでもなく外でくつろぐ半裸の獣人族の姿、地面であぐらをかいて皿を手に犬食いする獣人の姿がよくあった。決して豊かとは言い切れないはずなのに、見送る彼らの顔には笑顔がある。活気に溢れた街だとシェオルは思っていた。


ロイとレイエム嬢は空飛ぶ艦船に関心があるようで、乗ってきた駆逐艦の原理や技術について知りたがっていた。シェオルは疎かったため、同行した護衛官の知識を借りながらそれに答えた。


 城下町を抜け、水田の坂道をあがると足元が石畳になり、街並みはほんの少しだけ近代的になった。カラフルな巨鳥が荷車を引いて道路を行き交っている。十字路の先に、堀に囲まれた赤いとんがり屋根の城がこじんまりとそびえている。


「あれがこの西砦のシンボル。山を削り出して作ったオルトアーク城だ」


 こうしてオルトアーク城に招かれたシェオルは、継ぎ目のない曲線的な城の構造に驚かされ、天井の高い芸術的な貴賓室の内装に感激した。


「わぁー!」


 広い部屋の壁に大きな絵画が飾られている。シェオルの目に3体の巨人の絵が目に留まる。それぞれの手の中で銅色の球体がまばゆく発光するように描写されている。


「この絵は?」


「古い絵画だ。物心ついたときからここにある」


ロイの言葉にシェオルは絵画を見返した。


「言い伝えをもとに描いたとされている。星々を巡る者がこれを手にしたとき、厄災を呼び寄せると聞いた」

「あら、わたくしの領地では富をもたらしたと叔父様から聞きましたわ」

「どうやら諸説あるようだ」


 ロイは神妙な面持ちで答えた。そうしてお茶を飲みながら交わした2時間ほどの会談はほとんど雑談のようなもので、行き詰まることもなく友好的に進んでいた。


「つまり、君たちはスフィアを探しているのか?」


 窓辺の机でロイが顔を上げる。


「はい! 心当たりとか……。ないですか?」

「丸いものっていうと平野にいるアシッドホグウィードくらいかしらね……。あれ増えるし……」


 獣人の平均的な知能を持ったレイエム嬢がティーカップを置いて思いつくかぎりの答えを絞り出す。それを聞いて「な、なるほど……」と困り気味に返すシェオル。その様子にロイは手元に集中しながら苦笑いする。


「あれはただの多肉食草だ。特別な力は持っていない。シェオルが言うような力を持つ球の話を幼い頃に聞いた覚えがある。もしかすると王都に文献が残っているかもしれない」

「そうなんですか!?」

「ある一節にこんな話があったのはたしかだ。球は災いをもたらすが、それは均衡のためだと――」


 ロイは喋りながら羽ペンを羊皮紙の上にすべらせる。慣れた手つきで署名を終え。巻き上げて紐で結える。


「この件も含めてオーストに書状を送る。気難しい王だから結果は保証できない。返答だけは約束しよう」


 ロイは蝋で爪の紋章を印して書状を仕上げた。


「ありがとうございます! では、約束の時期にまた訪れますね!」


 シェオルが席を立って真っ白なスカートを整える。正面に座っていたレイエム嬢も合わせて立ち上がる。


「それにしても素敵なお召し物ですこと」


 レイエム嬢の言葉にシェオルは口元に手を当てて笑顔をみせる。


「これはただの軍服ですよ! レイエムさんこそ、朱色のドレスが髪色にとても似合ってます! それに指輪だってロイさんとお揃いじゃないですか」


「まぁ! ありがとう。またお会いできる日が待ち遠しいですわ。今度はレイディア領にいらしてくださいな。美味しい料理を振る舞ってさしあげますわ」

「そのときは、私もレイエムさんの口に合うような手土産を持っていきますね!」

「明日いらしても結構ですのよ?」

「ははは、明日来てもレイエムがいないじゃないか」


 ロイが尻尾を振りながら茶化す。初対面のはずがすっかり親睦を深めていた。


「ふふ。そうでしたわね」


 シェオルは再訪の日時を伝え、白い手袋をしたまま調印書を納めた筒を手渡した。それを見たロイとレイエムは優しい表情を浮かべ、最後に握手を交わした。


 会談を終え、シェオルは城の前に用意された鳥がひく馬車のような乗り物に乗りこんだ。見送るロイとレイエムに手を振る。


 こうして、それぞれの領主と互いに別れを惜しみながら帰途につく。オースト王国とヴァンドラの同盟締結の可否に3ヶ月間の猶予期間が設けられ、次に再訪するその日まで、そしてこれから先もこの平穏が保たれることを彼女は願った。


 一方その頃、城塞都市の外でも小さな外交が行われていた。海軍服姿の駆逐艦乗組員は着陸脚に手をつきながらレイディア嬢の家臣でもあるミノタウロスのように勇ましいシルヴィスという獅子獣人に故郷の写真を見せていた。自前の鋭い爪はもちろん、腰には鉄の剣を携えている。血統のつながった原生種である彼は手足はもちろん、顔はたてがみ状の体毛に覆われて左右の口の脇から牙まで生えている。


「これが俺たちの母星だ。地球といって昔はここみたいに綺麗だったらしい」


 その話を聞いたシルヴィスの顔はこわばった。その写真は地球で撮られたもの。黒く厚い雲にタール質の海。背景には大砲と思しき残骸の山が連なっている。華やかに彩るものは彼らが着ている衣服くらいのもので、この時代に生まれた地球人には当たり前の風景だが、これまで外界を知らなかった彼にとってはいささか刺激が強すぎた。


「良き隣人になれるといいな! はっはっはっ!!」

「じつに素晴らしい星だ。この王国もこのようになるだろうか……」


 笑って気安く肩当てに手を触れる乗組員にシルヴィスは目を細める。低い鼻に皺を寄せた。そこにシェオルが戻ってくる。乗組員は姿勢を正して敬礼した。


「話は済んだのですかな?」


タラップの近くにいた黒巻副長がシェオルに声をかけた。


「えぇ。3ヶ月後にまた来ると伝えてあります」

「もうじき日が暮れる。帰りますかな」

「そうですね。この星の夜は危険だと聞きましたから」


 シェオルは集まった獣の耳をもつ民衆に笑顔で手を振り、タラップをのぼった。最後に同じような立場にいるシルヴィスと黒服の大男が互いに目を合わせてタラップを閉じた。駆逐艦は獣人たちに見守られながら垂直に上昇し、ゆっくりと前進する。


 多くの市民が目を輝かせて見送るなか、城門の裏に隠れたシルヴィスは恐怖に狼狽えながら、表情を歪め、今しがた人間に触れられたところを唾をつけて何度も払った。


「神話は本当だったのだな……」


 オルトアーク城のテラスでは、空に遠ざかる白い艦影をレイエム嬢とロイが尻尾を絡め、肩を寄せて見送っていた。寝室に入ったところで、今しがた城下町から帰ってきたシルヴィスが外での出来事を報告する。


「人間はウソをつきます。言い伝えは本当でした……」

「あなたが見た人間はそうかもしれないわ。でもあの子は嘘を言っていない。匂いでわかるもの」

「真実がどうであれ、国王陛下は要求をのむだろう。領地の人口は増えすぎた。新しい都市を作るには時間が足りない」


「我々は暗黒の時代に逆戻りするかも」


 シルヴィスはゆっくりと両手を首に当てる仕草をする。それを目にしてロイとレイエム嬢は顔色を濁らせた。この仕草というのは古来から伝わる屈辱的な意味合いをもつものであり、目にしただけでも本能から拒否感を覚えるような不快なものだった。


「それ以上おやめなさい。もしこれが神話の再来なら、希望をもたらしてくれるはずだわ」

「失礼しました。お嬢様」


 聞く耳をもたないロイとレイエム嬢にシルヴィスは納得いかない様子で耳をうしろに伏せ、しぶしぶその場を離れざるを得なかった。




 〔友好の証〕


 惑星メルタについた占領部隊は乗ってきた輸送艦から戦車や資機材を運び出していた。今回の作戦では3人だけのアルバ小隊のほか、シュヴァリエのエルピス小隊と、オーフェン小隊。陸戦隊のバックラー小隊が行動を共にすることになった。4隊あわせて総勢66名の合同部隊だった。


「またキミか。よく会うね」

「よろしく頼む」


 すっかり懐かれたようで、寄ってきたミシロにハヤトは会釈する。遠くでオーフェン小隊のライル隊長がこっちを向いて手を振った。その足元で小柄な少年隊員がじっとりとした目つきで隊長の背後から狙いを定めるように睨んでいる。


「あの子はバーンズ君。見ての通り、すっかり嫌われてるねぇ……」

「俺は仇だろうからな」

「ボクは気にしてないよ? それどころか好いているかもしれない」


 浅葱色の髪をゆらめかせてミシロは不敵に微笑んだ。


「好かれるようなことをした覚えはないが?」

「まぁまぁ、そう言わずに。どういうわけかキミなら信頼できそうな気がするんだ」

「似たもの同士だからかもしれないな……」

「身内の不幸は朝飯前。死地を渡り歩いたボクの格言だよ?」


 自虐的な彼女にハヤトは哀れんだ目を向けた。


「そうそう、最近流行りのアルカナ教団って知ってるかい? 隊長が最近熱心で活動費のほとんどを注ぎ込んでいてねぇ。できればだけど食べ物を恵んで欲しいんだ……」


 ミシロと話していると、遠くにいたレイナが寄ってきた。


「知り合いなの……?」

「彼女はオーフェン小隊の副隊長だ。レイナと似てるから仲良くなれるんじゃないか?」

「私、こんな変人じゃない……」

「なはは……。よしなに頼むよ?」


 そっと距離をおくレイナに、ミシロは笑ってすませた。


「支給品の胃石アメならあるけど。あとはカンパンと栄養ゼリーくらいだ」


 ハヤトは腰のベルトにとりつけた縦長のポーチをあけて中身をみせた。縦長の四角い水筒も疲れた仲間に分けるために予備もふくめて左右に身につけている。対してミシロは丈の長い紺色ジャケットにスカートという軽装だった。腰のベルトには水筒のほか、14.5ミリの弾薬を数発差してあるだけで、彼女のものと思しき銃は草むらに投げ捨ててあった。木製のストックに反動抑制機構もない前時代的な古臭い銃だ。ろくに手入れもしていないようで、あちこちサビが浮いている。彼女に似合うおどろおどろしい雰囲気だ。


 他のメンバーの装備も数着の機甲服を着た隊長のお気に入りが何人かいるだけで、所持している装備はあまりにも貧相だった。1丁の対シープライフルと紺色のケブラージャケットに白シャツという軽装が大半を占めている。


「胃石アメかぁ……。飲むとなかなか溶けないからカンパンをもらおうか」

「こっちも見かけより貧乏でね。そっちも生きて帰れるといいな」

「どうかなぁ? あの大尉の元にいたらみんな死ぬよ?」

「実を言うと、この作戦が終わったらどんな手を使っても脱退しようと思っているんだ」


 小声で言うとミシロは歓迎するように笑った。


「奇遇だねぇ。じつはボクたちもそうする気なんだ」

「それじゃ、メルタシティに着いたらお別れ会でも開かないといけないな!」


「全員聞け。出発だ。ついてこい!」


 紺色の制服にベレー帽のファル大尉が35ミリ機関砲を装備したAST-1のハッチから顔を出して命令する。オーフェン小隊、アルバ小隊、そして虎の子エルピス小隊を彼がまとめている。彼が戦場で指揮する姿を見るのは今日がはじめてだ。


 ハヤトは草むらに放置していた白と朱色のツートンカラーで塗装されたダミアンを着込んだ。腰回りにはいくらか余裕があって装具を身につけたままでも干渉することがない。数ミリほどの薄いチタン装甲にゴム製のインナースーツが組み合わさって重い装備も軽々扱える。ハヤトは同じく機甲服を着たレイナとカズキに向き直った。


「俺たちも行くとしよう。これが最後の戦いになる。勝っても負けても生きて帰れたらそれでいい」


「そうね……」

「あいよ!!」


 レイナとカズキが小さく笑って返事をする。ヘルメットをおろして念じた。バイザーに現在位置と目的地までの距離が表示される。メルタに降着した居住層までの距離はおよそ15キロ。シュヴァリエが車両や機甲服を使わずに歩いた場合。実力を存分に発揮できる行動半径はたった5キロだ。生身で対物ライフルのような重い銃を持ち歩けるはずもなく、大半の隊員は12席しかないAST-1の乗員スペースに乗り込むか、銃だけ預けて疲労を避けていた。


 進軍を始めた隊列は戦車中隊の車列を先導するようにシュヴァリエ隊が先をいく。見渡す限りの大平原には何もない。しばらく歩いていると隊列の先で悲鳴が上がる。


「わああっ!!」


 集団の先頭を走っていた小柄な隊員。バーンズが丘の上で、ぶかぶかのジャケットを翻した。悲鳴をあげて姿を消す。さらにすぐ後ろにいた女性隊員も巻き込まれるように見えなくなった。


「なんだ?」


 ハヤトは武器を手にして身構えた。音響センサーが音紋を振動させ、正面で転げ落ちるような物音を拾う。


『方位45度。異常あり! 隊員2人がレーダーから消えた』


 ライル隊長が後続のAST-1に報告する声がヘルメットに共有される。


「シュヴァリエ隊。前進せよ」


 部隊を統括する小太りのクッカー大尉が戦車の上から無線機を握りしめて前進を指示した。口元にはちょび髭があり、グリーンの制服に勲章をいくつかつけた見るからに偉そうな大尉だ。


「全員聞いたか? 前進しろ!」


 となりに止まった戦車から顔を出してファル大尉が復唱する。珍しく現場に出てきたファル大尉はクッカー大尉のオウムみたいな存在だった。彼が言った言葉を復唱するだけでそれ以上のことをしない。戦車を見上げていたハヤトとライルは命令にしたがって、それぞれの部隊を率いて対応した。


「とんだ貧乏くじを引いたな。どっちの大尉も役立たずだ」


 バイザーを上げてライル隊長が慣れた様子で笑った。ハヤトも笑って頷く。


「俺たちも行こうか」

「おうよ!」


 カズキが張り付いたような笑顔をみせる。ハヤトは先頭に立って丘を登った。バイザーに映した背後の様子はレイナはカズキと距離をとって一言も発さない。白い一角のついた装甲騎士が無言であとを着いてくるだけだ。アルバ小隊という名が似合わないほどにくすんだ雰囲気がそこにある。


「歩きすぎだろ。バッテリーがなくなっちまうじゃねぇか」


 カズキが不平をもらしながら着いてくる。機甲服を着ているおかげで装備の重さは半分程度にしか感じない。内部には空調もついているため、ヘルメットで密閉した状態でも涼しいくらい快適だ。


 バイザーに映る地図に部隊の進行状況が表示されている。戦車隊、陸戦隊は後方に止まったまま。シュヴァリエ各隊は横隊をとりながら丘の頂上を目指している。


 ハヤトたち本隊が先頭に追いつくとそこに火口のようなすり鉢状の穴が存在していた。底で小さく動くものを見つけてそれを拡大する。バーンズと先行していた女の子が横たわってうめいている。深さにして50メートルほど、急斜面を転がり落ちたときに怪我をしたんだろう。


「バーンズ、アビー!!」


 ライル隊長が呼びかける。うめくばかりで返事がない。


 見かねて「持ってろ」と嵩張るSFR-14対シープライフルを副隊長のミシロに押し付けた。


「おっも……」


 すでに引きずってきた自前の銃にくわえ、28キロほどの長く重いライフルを持たされて、機甲服をもらえなかったミシロはふらりとよろめく。


「嫌な予感がするから、やめたほうがいいと思うけどなぁ〜?」


 ミシロが笑って、引き止めるように言うと――。


「ふざけたこと言ってんじゃねぇ!! 最後の仲間だろうが! こっから援護しろ!」


 ライルはいまにも殴りかかりそうな勢いでミシロを叱責した。強くバイザーを閉じた。両手を広げて不安定な急勾配を滑り降りていく――。


「おい! 大丈夫か!?」


 底にたどり着いた彼は真っ先にバーンズを抱き起こした。


「うわ。くせえ……」


 ライルはヘルメットのフィルターを突き抜ける排泄物のような匂いに身悶える。


「うぇ……! ゲホッ! 足の骨が折れちまった。立てないよぉ!」


 悪臭にえずきながら足を痛めたバーンズが目に涙を浮かべている。


「骨なら牛乳でも飲めば治るって」

「牛乳ってなんだよ! しらねぇよ!」

「おまえ飲んだことない世代か。生まれた時に飲んだだろ!」

「ミルクのことかよ!」


 口の悪いバーンズは近くに積み上がった茶色い棒を掴む。棍棒のような形をしたそれこそが、悪臭の発生源だった。


「ぅオェッ……。くせぇッ!!」


 堪らずそれを投げ捨てる。手にしてしまった茶色いバットのようなもの。それは糞を固めて乾燥させたウンコだった。発酵した草と獣臭が混ざり合った目に染みるような独特の臭気を発している。


「そのウンコ棒。この匂い……! シープがいるなっ!?」


 陽が照り込む穴の底で、ライルはヘルメットライトを点灯させた。壁を照らすと影のなかに横穴が隠れていた。そこから真っ白なウールに体を覆ったシープが二足歩行で歩いてくる。ライルたち人間の存在に気づくと、なにごともなかったかのように四足歩行に切り替えて歩き出した。


「あのシープ。いま歩いたよな……」

「ぼくも見た……」


 距離をあけて立ち止まったヒツジはカエルのような細い瞳孔でライルたちを見つめる。その姿に敵意は感じられない。


「こいつはシープじゃない。メリノだ」


 ライルの冷静な声に穴の淵に集まった隊員たちは安堵した。


「あれがメリノか。遠目にはシープと見分けつかないな……」


 上から見下ろしていたハヤトはつぶやいた。アビリティ端末を使ってメリノのすがたを撮影すると情報が表示された。正式にはフォーン型とも呼ぶようで、シープのなかにも温厚な種類が稀にいる。そういった種類は体毛が比較的清潔で体内のSクォーツも無傷で手に入れやすいため、高品質なヒツジという意味を込めてメリノという愛称がついたようだ。


「これはこれは、運がいいねぇ〜」


 同じようにとなりで見物していたミシロが気怠げな表情で微笑んだ。


「襲わないシープがいるなんて知らなかったぜ!」

「そうね……!」


 カズキとレイナも不思議な邂逅に興味をみせた。ヤジを飛ばす隊員たちにまざってハヤトも無線の音量を上げてメリノと人間の交流の瞬間を見届けることにした。


「な、なんだ。近くで見ると案外かわいいヒツジくんじゃないか」


 縦穴の底で恐怖と安堵が入り混じった複雑な笑みを浮かべるライル隊長。彼が人差し指のばすとメリノは顔の左右にならんだ4つの目玉を視神経からカタツムリのようにのばして這うように指に絡みつかせた。その行動に敵意は見られない。


「「おおぉーー!!」」

「すげー!!」


 歓声と拍手が巻き起こる。一際大きなカズキの声が騒がしく反響する。このひとときの光景は、シープと共存できるかもしれない。そういった希望を感じさせるものだった。ムードは盛り上がりをみせる。ハヤトは意識を周囲にむけたまま警戒を怠らなかった。


「立てるか?」

「手足の感覚がないの……」


 交流を終えたライルは2人の状態を気にかけていた。バーンズとアビーは機甲服を着ていなかったために重傷らしく、防弾性のあるジャケットも落下の衝撃までは防ぐことはできなかったようだ。


「誰か医療品持ってる奴いないか?」

「俺、持ってます!」


 見上げるライルにハヤトが手を上げた。


「それはプライマリーロッドじゃないか。使っていいのか?」

「はい!」


 ハヤトは機甲服のパワーを生かして、背負っていたプライマリーロッドを槍のように投擲した。きめの細かい砂のなかに銀色の片手杖が突き刺さる。ライル隊長はそれを手にしてもの珍しそうに眺めた。


 すっかり相手にされなくなったメリノは、ライルから興味を失って、重傷を負ったアビーの元にやってきた。


 ペロッ。


 ながい舌で傷口を撫でる。切り傷にあふれていた血液が口の中に運ばれた。粘膜を通して血液中にながれていく――。


「ありがとう。気にしてくれるんだね」


 アビーが小刻みに震えるメリノを撫でる。


「ヴェェェーー……!!」


 可愛げのない雄叫びをあげてアビーの左腕に噛みつく。抵抗しても離さない。さらに目が血走っていく――。


「イヤァァァーー!!」


「様子がおかしい。離れろ!」


 異変に気づいたライルがバーンズの襟首を掴んで下がらせた。


「武器をくれ!」


 上から見ていたミシロが両手でライフルを穴の中に投げ込む。斜面を滑り落ちてきたそれを拾いあげる。アビーの腕に食らいついたメリノの眉間に銃口を押し当てて頭を飛ばした。乾いた銃声が洞窟に反響する。銃声に釣られたのか、暗がりからたくさんのヒツジたちが現れた。


「ヒツジが1匹、ヒツジが2匹――」


 顔面蒼白、青紫色の唇をしたアビーが横たわりながら横穴から出てくるシープを数えて歌いだす。その腕はかじり尽くされて関節から先は白い骨が剥き出しになっている。


「大丈夫だ。治してやっから!」


 プライマリーロッドを手にしたライルが念じる。失った腕に光の粒子が流れ、再生していく。ところが視界の端で走り回るメリノに気を取られた瞬間、腕がめちゃくちゃな肉塊のように形成されてしまった。本来指があるべき場所がヒヅメになり、腕の途中からは指が生えている。


「私の腕が……」

「すまん、雑念が入った。アンプルはあと1本ある。切り落としてやり直す!」

「ま、まって!」

「痛みはない。熱いだけだ」


 止血帯を使って肩の上でしっかりと縛ると、スマートナイフを手にしてアビーの腕を切り落とした。そこにシープが立ち上がって向かっていく。


「ライル隊長に近づけさせるな! 援護するんだ!」


 穴の淵から覗いていたハヤトはその場に片膝をついてシープの足の付け根を撃った。足の骨が砕け、前のめりに伏せる。斜面の底はまるで罠のようだ。底は壺のように窪んでいて側面には穴がある。そこからシープがとめどなく湧きでてくる。


「バーンズ。おまえも衛生隊員の資格持ってたよな治療はまかせた」

「ぼくがやるの!?」


 ライルはプライマリーロッドをバーンズに預けてバイザーを下げた。薄暗い闘技場のような空間で獲物を囲うように無数のシープが輪になって外周を走っている。穴の淵に並んだハヤトたちは増え続けるシープを撃って彼らを援護する。それでもこの有様だ。底にいるライルたちはすでに包囲されてしまっている。彼らは生きて帰れない。ハヤトはそう直感した。


「ヒツジが38匹。ヒツジが――……」


 すっかり放心したアビーの歌声に誘われて洞窟の暗がりからヒツジたちが姿をみせる。


「縁起でもない歌を歌うな! こいつらどんだけいやがるッ!」


 ライルは14.5ミリ対シープライフルを腰に構えた。重さと反動で肩をのけぞらせながら単発でシープを撃ち倒していく。30発のベルトリンクがすぐになくなった。


「この化け物ども! 道をあけろッ!」


 長い銃身を軽々振り回し打撃を加える。すぐに数匹が叩き潰されて血祭りに上がった。機甲服で強化された相手にもヒツジたちは首を傾げて迫ってくる。


「クソッ!! どうにかなりそうもない」


 バーンズは杖を手に最後のチャンスに集中していた。


 アビーが歌って数えるたびに彼らのまわりを走るシープの数は増していく。さながら馬群のような足音を鳴らして走り続けている。群れの中から飛んできた子羊がライルの腕に噛みついた。手甲が噛み砕かれ、絶叫があがる。


「ぐあぁッ! 指を食いちぎりやがった! なにすんだ!このやろうっ!」


 シープの顔面を片手で殴りつけた。


 ボガッ!!


「ヴエェーーッ!!」


 母親と思しき乳のあるシープが首を左右に振って立ち上がる。落ちていたウンコ棒を掴んでライルを殴り返した。もう1匹のシープが背後から彼を押さえつけ、ほかの数匹が棍棒を手に次々立ち上がる。


「ヒツジども! 何する気だ!?」


 身動きがとれなくなったライルを集団で取り囲み、硬質化したウンコの棍棒で殴りつけた。子羊たちも手足に食らいつく。ヘルメットが変形し、装甲がゆがむ。


「や、やめろー! ぐがっ……!!」


 別の場所では前足をもたげたシープの群れがバーンズの頭を踏み抜いた。頭蓋骨が割れ、中身が流れ出た。血の匂いに誘われて濁流のような勢いでその上を走る。地響きの中、バーンズの体は巨体に何度も踏みつけられて手足がもげ、すり潰された。


 穴の底をついに羊たちが満たした。白いモコモコが蠢いている。群れが通り過ぎた後、アビーがいた場所はちぎれた衣服と指や皮などの残骸が散らばっているだけだった……。


「息が……た、たすけてくれ! があぁぁ……ッ」


 絶え間ない銃声の中で棍棒を手にしたヒツジたちの猛攻に耐えていたライル隊長も密度を増したシープの群れに体を押されて装甲が完全に潰れた。ヘルメットが弾け飛んで口から血を吐く。白かった羊毛を赤く染めた。シープたちはおかまいなしに体を押し合った。穴の底を埋め尽くしたシープは斜面にまで溢れようとしている。


「めんどいなぁ。また私が隊長になったね。帰るかぁ〜……」


 ライルたちの最期を見届けたミシロはライフルのベルトリンクを撃ちきった。普段と変わらない様子でひとりごとのように言った。いなくなった仲間たちの武器をビニールシートに包んでさっさと撤収していく。その背中はどこか寂しげにみえた。


「まずい! 穴から出てくる気だ!」

「どんどん撃て! 敵はいくらでもいるぞーッ!」


 隊員たちが興奮状態で声を上げる。


 穴の周りにならんだハヤトたちも依然として対シープライフルを向けて一斉攻撃を仕掛けていた。銃身からは湯気があがり、赤く熱している。すでに片道分として用意していた1200発を打ち切ってしまった。ハヤトは弾倉の赤いレバーを下げて供給ラインを切り替えた。残りの弾は対空用榴弾1200発。これでおしまいだ。


 助けるべき対象がいなくなったことで、皮肉なことにかなり戦いやすくなった。銃弾の雨を群れの先頭に集中させる。ヒツジたちの体をめちゃめちゃに破壊した。だが、それは蜂の巣を叩くようなことだった。どんなに撃っても死骸の上に積み重なって溢れる勢いがとまらない。


「数が多すぎる! このままじゃ……。押し切られるっ!」


 渦巻きのように斜面を駆け上がってくる群れの威圧感に、ついに武器を捨てて逃げ出す隊員まで出てきた。


「このままでは勝てんか……」

「アレを使いましょう。これが巣穴だったようです」


 見かねたファル大尉が腰のホルダーから黒い缶のような形状をした物体を手にした。クッカー大尉も同じものを取り出す。事態に収集がつかなくなったときに使う小型戦略爆弾だ。数個を組み合わせることで威力を増幅させることもできる。ファル大尉は上部の信管を取り外して上下に繋ぎ合わせて遅延ダイヤルを回す。


「酷な話だが無駄死にではない。許せ!」


 セットした爆弾を後方から走ってきたファル大尉が振りかぶって大穴の中央に投擲する。


「爆発する。伏せろ!」


 隊員たちは逃げるかその場に伏せた。何も起こらず、シープが走る足音だけが地面を揺らす。突然轟音が鳴って体を揺らす。炸裂した熱風が体を撫でた。遅れて降ってきた土煙の中から隊員たちが這い出てくる。すっかり地鳴りもおさまって、キノコ雲が空にたちのぼる。


 隊員たちが歓声をあげた。それも束の間、穴の淵を囲んだ少女の足元で土がもりあがった。


「なにこれ。ごばッ……」


 股下から頭まで触手が貫いて絶命させた。


「気をつけろ! 下にいる!」


 隊員たちが足元を乱射しても触手は真下から突き上げるように正確に貫いて早贄にしていくーー。串差しになった隊員たちは逆さまに吊るされて燃え盛る穴の中に引き摺り込まれた。ガリボリとなにかが骨を噛み砕く音がしてくる。


「何が起きてんだ!?」


 カズキさえ、わけもわからず持ってきた爆弾をぜんぶ穴に向かって投げ込み、ところ構わず撃ちまくっている。


「にげよ……」


 怯えたレイナが手を引いた。


「そうだな。一旦引こう! カズキも来るんだ」


 状況は分からないが、恐ろしく強い奴が穴にいる。ハヤトたちは後方の戦車隊のところまで退避することにした。


「臆病者めが! これだから民兵もどきは役に立たん」


 それを見たクッカー大尉が悪態をつく。拳銃を向けられても気にせず横を走り抜けた。


「ここまで来れば大丈夫だろう」

「あの触手はなんなんだ!?」

「わからない」


 カズキの問いにハヤトはたちのぼる煙を見返した。穴のふもとにいた隊員たちが逃げるようにこちらに走ってくる。長い触手が左右に動き回って人を払いのけた。中でなにかが振動している――。巨大な4つの眼球がついた白い顔面が煙の中からあらわれた。さらに白い指のような長い足が地面に深く刺さる。


「ラミアだ……」

「あれが? デカすぎんだろ!」


 あまりの大きさにカズキでさえ怖気づいている。見上げるほどの大きさに成長したそれは、腹に吸収したヒツジたちの手足を根のようにぶら下げている。その数が以前よりも多く、より巨大化している。前に戦ったのは3匹の融合体。今回は少なく見積もって80匹以上が練り合ったもの。これはボスのような相手だ。


 銃撃の破裂音に混じって一際重い音が鳴り出した。AST-1の35ミリ機関砲の音だ。逃げ戻ってきたファル大尉の指示で5両の軽戦車がラミアを集中攻撃している。その攻撃も油膜のような分厚いシールドが砲弾を弾いてしまっている。


 巨大なラミアが無数の触手をくねらせた。先端を花びらのように開かせて破壊光線を振り回した。戦車が真っ二つに熱せられ、あまりのエネルギーに地面さえ爆発する。


「触手が12本もある。あれはタコを真似たんだね」

「いや、どうみてもヒツジでしょ……」


 遠巻きに見物していたミシロの推察にレイナがつぶやいた。


「近接攻撃ならシールドも効果はない! 突撃ぃー!」


 最新のSFR-12対シープライフルにスマートナイフを着剣した女性隊長が総勢20名ほどの隊員を鼓舞する。エルピス小隊のチラ隊長だ。一度は引いたものの、体勢を立て直して果敢に再突撃する。シールドを添加した銃撃は厚みのあるラミアの体さえ容易く貫通している。


「さすがファル大尉の本命部隊だ」

「あれなら勝てるんじゃねぇか? やっちまえー!!」


 遠くから様子を見守るハヤトたち。カズキが勇士たちに声援を送る。


「いや、Sクォーツを破壊しないかぎり、何度でも再生する。貫通しても意味はない」


 ハヤトはそう答えて、ラミアのSクォーツの位置を探った。ラミアに肉薄したエルピス小隊は銃撃を与えながら巨大な手先のように5本あるラミアの主脚にナイフで切り掛かっている。攻撃は通用するものの、1本の足が人間より太いラミアが相手では、切ったそばから再生してしまうため切り落とすことさえ叶わない。


 ラミアがサソリのような尻尾を振り上げた。唾液を垂らしながら足元に集った隊員を叩き潰していく。尻尾の先にも顔が付いているため、狙われたら逃れることはできなかった。


 ドダン!! ドダン!!


 巨体の割に俊敏だ。隊員たちは機甲服のブースターを使って、あるいは前転や前飛びで跳ねながら同じ場所にはとどまらず、俊敏に回避しながら攻撃している。ラミアはその場で左右を振り向いて逃げ回る隊員を叩き潰した。地面が揺れるほどの衝撃で地面に尻尾がめり込む。逃げ遅れた隊員は形さえ留めていない。ラミアはふと空を見上げ、なにかに気づいたように触手を空に向け、光線を振り回した――。

次回、第9話:〔獣と人と羊たち〕

貴重な車両を失い、居住層に向かっていた合同部隊は徒歩で行動せざるを得なくなった。陽が傾くにつれ、優しかった大地がもう一つの側面をみせる……。

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