第1話:〔ターミナルポイント〕
ピュイィィィーー……。
キュイィィィーー!!
眩しいほどの光線が白い大型宇宙船をかすめる。たえず飛び交う光線のなかを艦隊はまっすぐにすすんでいた。
その宇宙船の名はヴァンドラ。
全長7000メートルもある巨大な移民船だった。縦にながい箱型の船体をねらって、光線が幾度となくむかってくる。艦首にせまった光の束は、吹かれた糸のように四散して船体は無傷を保っていた。
『方位20度。高角40度、距離3000』
巨大な船の舷側には身長ほどの大きなライフルを構えた少年少女たちがいた。溶接した金属パイプとモーターだけで作り上げた簡素な機甲服。通称「ゴートハンター」を身につけた彼らは、無線の音声をたよりに上空を狙って対空砲火を放っていた――。
ダンッ!ダンッ!ダンッ!
大口径ライフルの大砲のような銃声が幾重にもかさなって甲板のあちこちで響いている。赤や緑に光った弾幕が空を覆っている。数秒の時間差で宇宙に浮かんだ白い光点が音もなく花火のように散った。
『新たな目標。高角30度、距離20光秒。バフォメットの大群が突っ込んでくる! かなり速い!』
無線の音声はかなり逼迫したようすで宇宙の果てから新しい光が近づいてくる。
彼らは光速に近い速度をだせる。しかし、そのまま体当たりして地球の戦闘艦と運命を共にするほど賢くなかった。彼らは艦隊に近づくと急激に速度を落とした。甲板に立ったひとりの少年は砲火を抜けてきたそれに狙いをつけた。機甲服に一体化した大きな一眼式のレンズが頭を覆って倍率をあげていく。光が拡大されてその姿が見えてくる。
それは手足を毛にうずめたヒツジの姿だった。
シープの中でも宇宙に特化したバフォメットという種類だ。戦艦を貫通するほどの照射光線を吐くことができる。あまりの速さで近づいてくるそれは、いくらスコープを調整してみてもはっきり見ることができなかった。
「いくらやったって無駄だよ。もっと大きなレンズがいる。ハヤトは知らなかったのか?」
「そうなのか、悪いけど宇宙戦闘はこれが初めてなんだ」
となりの金髪の少年に言われてハヤトは頷いた。彼も同じように体に金属製のフレームを身につけており、腰部から生えた細い両腕部には薄い金属板の盾と円柱形の弾倉がついた20ミリ口径の機関砲が握られている。
空から恒星のスポットライトのような光を受けて甲板に上方にいる戦艦の砲身やアンテナの影がのびてくる。ハヤトはその影に隠れるように入った。
「そう心配すんな! ここにいる全員が初心者だ!どうせ当たりゃしない。とにかく撃てばいいだけさ」
それを聞いたハヤトは、いくらか安心した表情をみせた。補助アームのトリガーグリップを握りこむ。スタビライザーに繋がった20ミリ対シープライフルを上空にむけて、きれいな星空を狙った。
「よーし。みんなやるぞー! 準備はいいかー?」
宇宙を見上げた隊長が呑気に笑って銃を構え、宇宙を飛び回る光にむけて赤外線レーザーを照射した。赤い線がとびまわる光を追っている。
「一斉撃ち方! はじめ!」
隊長の号令に合わせて数列に並んだ隊員たちは一斉に射撃を開始した。後列の端にいたハヤトも弾幕を抜けてくる敵に合わせて撃ちつづけた。
「ウオオォォ――ッ!!」
髪のないスキンヘッドの隊長が威勢よく叫び声をあげる。だが、相手の戦意……。いや、殺意はそれよりも凄まじかった。それを見た瞬間に勝ち目はないと直感したほどだ。スコープ越しに見えたヒツジがツノを振り上げて口をあけた。星のまたたきのように喉をまぶしく点滅させる。さらに見渡す限りの宇宙でそれが起こった。どこを向いても宇宙が瞬いている。
近くにいた灰色の戦闘艦が全力でスラスターを吹いた。艦艇が一斉に回頭を始め、艦首を敵に向けて被弾面積を減らそうとしている。
「これが……。全部敵なのか……?」
ハヤトは呆気にとられて撃つことさえ忘れた。敵はまともに姿も見せず、ただ宇宙を埋め尽くす勢いの数で俺たちを圧倒してみせた。
「なんだぁ? あの光!」
「集中砲火か!?」
「くるぞ! すごいのが来る! 伏せろーッ!」
「うわーッ!!」
仲間たちの動揺した声にハヤトは慌ててしゃがんだ。できる限り身を縮めた。
数本の光の柱が見えたかと思えば、閉じたまぶたをすり抜けるほどの閃光と肌を焼かれるようなヒリヒリとした熱さを感じた。それからしばらくは何も見えなかった、やがて光にさえぎられた視界が元にもどる。そこは地獄絵図だった。
「うぅ……あ……」
「…………」
「あ……あ……」
「ぐぐぐ……」
燃え盛る甲板に何十人もの仲間たちが甲板に倒れてうめいていた。青ざめた表情で失った手足や撃ち抜かれた体を見て諦めたような表情を浮かべている。
「レミー! 無事――……か!?」
ハヤトは隣に立っていた紺色の軍服を着た金髪の青年に声をかける。が、反応はなかった。焼けた肉のいやな匂いがして、体にくり抜かれたような穴があいていた。
あたりを見渡せば、先ほどまでうめいていた者たちの声ももうしない。甲板は溶けた穴だらけだ。すっかり静かになって、生きている者はほかに誰ひとりいないようだった。
なぜ俺だけが無事だったのだろうか? とハヤトは不思議に思って空を見上げた。頭上には回頭が間に合わなかった護衛戦艦が火に包まれていた。あの戦艦の影にいたおかげで俺は助かったらしい。
タタタタ……。
ガガガガ……。
聞こえる銃声は敗北を感じさせるほど疎らになっている。ハヤトは壊れて動かなくなった機甲服を脱ぎ捨てて、アームからライフルをもぎ取った。20発しか撃てないのに、ずっしりとした重みが肩を痛めつけた。
「おーい!! ハヤトー! 無事かぁーッ?」
ハヤトが声に気づく。少し離れたところにある補給所の物陰から角刈りの太った少年カズキと、髪を左にまとめたサイドテールの少女レイナが慌てた様子で歩いてくる。その姿にハヤトは笑顔をみせた。
「ふたりは生きてたのか!」
「弾薬取りに行ってたおかげでな! ほかは全滅か?」
「そうみたいだ。誰の声もしない……」
「酷くやられたね……。そろそろ退却したほうがよくない?」
レイナの提案にハヤトはうなずいた。
「そうだね。ふたりは先に艦内に戻るといい。俺はまだやることがあるんだ」
「そういうとこキッチリしてるよね……。ムリしちゃダメだよ?」
レイナは怪訝な表情で心配そうにしていた。ハヤトの背後には生きている人間の姿はなく、あちこちから光線が降り注いでいる。
「……。俺は大丈夫だ。こんな負け戦に付き合う必要はない。せっかくの物資が駄目になる前に、持てるだけ持って艦内に戻ってくれ! しばらくは武器弾薬の費用を気にしないで暮らせる!」
ハヤトは大げさに元気なフリをして笑ってみせた。
「でも、隊長に怒られるんじゃないか?」
カズキが言うと、ハヤトのポケットから陽気な電子音が鳴った。ハヤトが本のようなアビリティ端末をひらくと、そこには仲間たちのデフォルメキャラが映っていた。ほとんどのキャラがうつぶせに倒れている。一緒に表示されているバイタルサインは横線を示すだけだった。そして、天崎ハヤトと書かれた名前とミニキャラの横にリーダーの星マークが新しく点滅している。
「俺が隊長になったみたいだ……。心配いらない。使えそうな物は俺が集めて持っていくから、気にすしなくていい」
「そうかぁ? んじゃ、帰ったらみんなでバーガーでも食いに行こうぜ!」
「そうね……」
毎日恒例の昼食にレイナはうんざりした様子だった。ハヤトは「じゃあ、またあとで!」と苦笑いしながら手を振った。
ふたりの背中を見送ってハヤトは降り注ぐスプリンクラーの雨の中を歩いた。水の流れが傾斜した甲板をつたって、広がった血も薬莢も洗い流している。仲間たちの元にむかって、ずぶ濡れになりながら光線の隙間を駆け抜けた。残骸を飛びこえ、そこらじゅうに転がっている仲間たちの体から銃や弾薬を拾い集めて駆け戻る。そして艦内に積み上げていったーー。
「使えそうな物はほとんどないか……」
前髪をぬぐって宇宙をみあげた。この全てが敵に違いない。ここで倒れた仲間たちは、数ヶ月とはいえ、命を預け合った仲だった。やっと名前を覚えてくれたばかりの者もいた。
「隊長……」
ハヤトはライフルを置いて隊長の元に寄った。仰向けに倒れた筋肉質な体からは焼け焦げた肉と骨の独特な匂いがしている。
目を見開いたままの彼は生気を欠いた瞳でハヤトのことを見上げていた。生前は気さくで戦いを知らなかった俺にいろんな知識を教えてくれた。
ハヤトは彼の首からドッグタグを外すと、それを自分の首のチェーンに足した。かなりの枚数がジャラジャラと音を立てている。その場から立ちあがろうとすると、誰かが足を掴んだ。
「え……?」
思わず声が出てしまった。色とりどりの光線が飛び交う戦場の中で時が止まったような感覚だった。見下ろした先にはいくつもの穴があいた軍服、見知った顔の戦友がいたからだ。それは生きていることが信じられないほどだった。当たりどころが悪く、全身を撃ち焼かれながら死にきれていない。
ハヤトはだんだん鼓動が早くなっていくのを感じた。彼女を医務室に連れて行けば助かるだろうか?可能性はある。いや、助かってもこの傷ではもう戦えないだろう。それでは島流しになるだけだ。そうなって生きた先に何がある?一瞬の間にさまざまな考えが脳裏に浮かんだ。そうしている間にも彼女は、舌を出して苦しそうに口を開け閉めしている。
まるで陸に打ち上げられた魚のように、酸素があるのに吸うことができないようだった。
ハヤトが潤んだ目で小さく頷くと、彼女もわずかに頷いたようにみえた。肺を焼かれているようで、ゼーゼーと苦しそうな呼吸音だけが聞こえる。何を望んでいるのかまるで分からない。ただ、今すぐに酸素を吸わせたとしても、助かる見込みがないことだけはすぐに分かった。ハヤトは腰に下げたホルスターから拳銃を手にして胸元にむけた。
「――ごめん……」
ハヤトは目を瞑った。1発の銃声の後、水流に混ざり合って彼女の血が甲板に溶けていった。ハヤトはため息をついた。ありえた可能性を俺は消した。これ以上生きていても苦痛が和らぐことはない。これが正しい判断なのだと自分に言い聞かせて、震える手でホルスターに拳銃をおさめた。
その後、そこらじゅうから集めた弾薬箱から20ミリの弾薬ベルトを繋ぎ合わせてライフルに装填した。両足を銃身にかけ、両手で背筋に力を込めてコッキングレバーを引き上げた。
ガチンッ!ガシャッ……!!
これで最初の1発が薬室に入った。甲板に残ったハヤトはたったひとりでそれを手にすると、宇宙を見上げた。あれほど黒かった宇宙はいつしか羊色に変わっていた。
うす汚れたクリーム色が次第に宇宙を染めている。全部コイツらのせいだ。コイツらさえいなければ、みんなはまだ生きていた。ハヤトは死んでいった仲間たちのことを思い返して、宇宙を睨んで恨んだ。
「このヒツジどもめぇーっ!! 全員ぶっ殺してやる!!」
ひとりきりになったハヤトは抑えていた感情をさらけだした。分泌されたアドレナリンのせいか恐怖をまったく感じなかった。ライフルを腰に大きくかまえて足をひらいて宇宙を撃った。大砲のような銃声と強い反動を受け、体を振り回されながら乱射した。誰かのためじゃない。ここからは自分自身のための戦いだった。
弾薬ベルトがジャラジャラと流れ、空薬莢が地面にあふれていく。この一筋の赤い弾幕が敵を引きつけた。当たりもしない弾幕を張るハヤトをよそに、でっぷりとした体型のヒツジが体毛の中から白い足をのばして平然と甲板におりてきた。
そのまま体当たりしていたらヴァンドラに被害を与えられただろうに、恐ろしい生き物だ。
今までの研究で彼らの頭には脳がないことがわかっている。つまり本能で行動している。なのに、気にも止めないようなその行為がハヤトを苛立たせた。
「――……つ!!」
ハヤトとヒツジはしばらく睨み合った。その不気味な生き物は口のわきから舌をたらして、蜘蛛のようにならんだ4つの丸い眼球でこちらを見つめている。ゆっくりと首をかしげた。かと思えば、毛のない白い足をわちゃわちゃと動かして突進してきた。
「くっ…………!」
ハヤトは両手に力を込めて大剣のように銃を旋回させた。が、間に合わない。ハヤトはそのまま数発撃った。反動を利用して数歩後ろに下がって突進をかわしてみせる。そのまま目の前をノコノコ過ぎていく背中に振り上げた銃身を思いっきりぶつけた。
バキンッ……!
「ゲエッ!!」
背骨が砕ける音がしてシープは奇妙な鳴き声をあげた。横になったところを、さらに原形がなくなるまで撃って仕留めた。
「はぁはぁ……!」
ハヤトは肩で息をしていた。ライフルを甲板に落としてしまい、抱えるようにして持ち上げようと奮闘した。血と油で滑ってうまくいかなかった。もう、体重ほどもある銃を持ち上げる体力は残っていなかった。
赤く染まった甲板に座り込んだハヤトは、ふと光るものを飛び散った臓物のなかにみつけた。それは琥珀色の結晶だった。Sクォーツ。これが彼らの真の心臓であり力の源だ。これが体内にある限り、光線を吐き、何度でも蘇ってくる。ハヤトはそれを拾って上着のポケットにしまった。
『総員ワープに備えよ。艦隊は長距離ワープに入る!』
突然の全艦放送にハヤトは顔をあげた。艦隊はいつのまにか密集隊形をとっていて、護衛艦隊はヴァンドラを中心に斜線状に陣形を構えている。宇宙空間を魚群のように飛び回るシープに向けて、砲弾やレーザーをばら撒きながら盾となり、その身を犠牲にしながらとんできた光線をどうにか受け止めていた。
まだ味方がいる。その事実に勇気づけられたハヤトは血に濡れた甲板に仰向けになって、体の上にライフルを抱えた。足で銃身を支えて正面から向かってくる群れと撃ち合った。
ダンッ!ダンッ!ダンッ!
甲板に機関砲の銃声がふたたび鳴り響いた。炸裂した至近弾が白い毛におおわれた敵の体をふわりと押し上げた。
ピチュチュチュ!! ピチュチュチュ!!
小鳥がさえずるような音をともなって短い光線が体の左右をかすめた。目の前の甲板にも当たって白い煙があがる。ハヤトはかまわず連射した。スコープ越しにヒツジの姿を見据えて、とにかく撃ち合った。
甲板での小さな激戦の末に、ヴァンドラは白く尖った艦首にバチバチと稲妻を散らした。突然、宇宙に白い霧がたちこめる。その中心部から黒い空間が広がって艦隊はその中に吸い込まれていった。やがて霧が晴れたとき、艦隊は姿を消していた。
〔となりの世界〕
別の宇宙のとある宙域に竜巻のような霧が突如としてたちこめた。まず最初に霧の中の黒い空間から白い艦首があらわれて、次に紺色のラインが横一本ある大きな船腹が現れた。そして最後に青い光を噴射する艦尾というように、なにもなかったはずの空間に巨大な都市型移民船ヴァンドラが姿をあらわした。それに続いて護衛の艦隊が霧の中から弾き出されるように湧いて出てくる。
「全艦ターミナルポイントを通過。バース1に転移しました」
雛壇式の広い艦橋の最上段に坂本艦長と黒い背広姿で参謀のように姿勢をよくした黒巻副長がいた。階下では椅子に座ったオペレーターたちが依然としてあわただしく動き回っている。艦橋の正面の窓の外には穏やかな宇宙を背景に、大きな緑の惑星と月だけが艦橋からの眺めを彩っていた。小型艦が早くもヴァンドラの左右を追い抜いて陣形を組み直そうとしている。それを追って側面に砲を並べた灰色の戦艦がゆっくりと姿を現してきた。その船体は下半分が完全に抉り取られてすっかり無惨な姿になっている。
「どうにかターミナルポイントを突破できましたな。まさか本当に上手くいくとは」
「思ってもみなかっただろう?」
坂本艦長はそう言って、ガラスに反射した彼の姿に顔をむけながら「被害状況は?」と問いかけた。
「現在の報告では、本艦の被害は極めて軽微。艦隊司令船を含め空母や輸送艦もすべて無事です。ですが艦長――」
「なんだね?」
「先ほどの攻撃で主力の護衛戦艦は壊滅。残りはこれを含めて9隻のみ。180メートル級の2等量産艦も残り6割の1080隻程度。時間稼ぎにだしたシュヴァリエにもかなり被害がでたようですな」
「問題ない。本艦が無事なのだからな」
坂本艦長は振りかえりもせずに冷徹に答えた。
この大船団を旗艦として率いることになったヴァンドラは、地球を発ってすぐに坂本艦長の独断によって火星の近くで敵の大集団と会敵した。本来あるべき目的は地球の代わりになる星を見つけて人類を再興させること。それが本来の目的だった。ところが、坂本艦長の真の目的はそれではない。
「地球統合政府GAIAからの指令は移民先となる惑星の開拓だ。だが――」
坂本艦長はそこで言葉を区切った。間をためて話をつづける。
「移民計画はあくまで余力としつつ、我々は敵の本拠地に向かい、この戦いにケリを付ける。どのみちヒツジどもを倒さなければ我々に未来はない」
「艦長。やはり無謀というものですよ。敵は無限に近い数がいるのです。それにこちらの艦隊戦力はたったの10万人。しかも必要最低限の人員ですが?民間人を含めた総力戦にしても、人口たったの50万人ではどうにも……」
「力のぶつけ合いでは勝てないだろう。我々はまだ……。種族の尊厳をもって勝つ事が可能だ」
「それは……。片道の作戦というですかな?」
「安心しろ。そのつもりはない。敵のために命を落とすほど私は勇敢ではない」
「では、どのようなお考えを?」
「私の作戦には先行した5番艦のガルダルス艦隊が手を貸してくれる。上手くいっていれば、となりのアサルシア星系に半年前から入植しているはずだ。そこで我々も合流し、太陽系に繋がるターミナルポイントを守るための防衛線を構築する」
2人のあいだにしばらくの沈黙が流れた。
坂本艦長がコンソールを操作すると、それまで解放されていた最上段の区画に天井から隔壁が降りてきた。下層との階段が仕切られる。それからいくつかのアクセス権限を開示した。中央の床に埋め込まれた大型モニターに船体図といくつかのパラメータが表示された。その図を見る限り、移民船であるはずのヴァンドラにはまるで戦闘艦のような武装が張り巡らされていることが分かる。艦首には昔ながらの2門の巨大な砲塔、両舷には焦点距離が長い大口径レンズが多数。さらに艦首から動力炉に繋がる巨大な発射口のようなものまである。
その場にいた白服のオペレーターたちは動揺もしなかった。コンソールに目を凝らして淡々と職務をこなしている。ここにいる白服の彼らは地球での攻防戦から坂本艦長とともに長年にわたって戦った仲間であり、信頼のおける者たちであった。悲しくも知り合ったばかりの副長にだけは、この真実を知らされていなかった。
「艦長! これは一体……。この艦には武装があるのですな?」
「そうだ。ヴァンドラは実際には非武装船ではない」
「でも、武器はどこにも見当たりませんよ?」
それまで艦橋の最上段の一角に座っていた少女シェオルが、コンソールに囲まれた見晴らしのいい席から立ちあがった。白服の艦橋要員たちが座る横を、貴族のような真っ白な服にロングスカート姿で優雅に階段を降りてくる。彼女はこの大人しかいない空間で唯一10代の子供だった。艦長たちがいる窓辺まで寄ると、琥珀色の優しい瞳で窓の外をみつめた。体を左右に揺らして両サイドに跳ねた明るいブラウンの髪をなびかせながら、内側に傾斜した天窓からどうにか甲板を見下ろそうと奮闘している。
「こっちの方が見やすいはずだ」
「あ、ありがとうございます!」
艦長は正面の窓をさした。そこは最上段で一番前方に張り出した窓になっていて、真下に階下のオペレーションルームが見下ろせるようになっている。シェオルはその窓から甲板を見下ろした。席に座ったオペレーターたちの後頭部が並んだ下層フロアの先に、ヴァンドラの艦首が見えた。高層ビルから見下ろすような遠い景色が広がっていた。巨大な流線型にのびた艦首のほかに長い通信アンテナが左右に、ガラス張りの温室のような展望エリアと張り出した大きな台形の丘がピラミッドのように中央にあるだけで、武器らしいものはどこにも見当たらなかった。
「その甲板の丘が砲塔だ」
「これがですか!?」
「うむ……。その通りだ」
キョトンとしたシェオルに坂本艦長がうなずいた。よく見ると台形の丘には継ぎ目があって、たしかに2連と3連の主砲が互いに向き合って噛み合うように引き込まれている。あまりに大きすぎるうえに、鋭角なフォルムの砲身も相まって、少し見ただけでは分からないほど甲板構造物そっくりに擬態している。
「これが主砲なら、星さえ壊せてしまいますね……」
「むろんだ。対惑星用の切り札らしい。これから出会う異星人との外交でもきっと役に立つだろう」
坂本艦長は少年のような目つきでとても張り切っていた。シェオルはそれとは対照的に不安そうに宇宙をながめた。
「艦長、これほどの武装があって、なぜ先ほどの戦闘で使わなかったのです?損害を抑えられたのでは?」
ふと思いついたように黒巻副長が問いかけた。
「この艦は戦闘艦ではない。移民船だ。武装は最終手段であり、ほかの文明種族を刺激しないために外観では分からないようカモフラージュしている。必要になるその時まで手の内は誰にも隠しておきたい」
「なるほど、おっしゃるとおりですな」
窓に反射した坂本艦長の顔はすこし考えたような表情をみせた。一瞬のためらいをみせて艦内にふりむいた。
「私もバカではないが夢をみる。話すべきか迷ったが、ここにいる皆には話そう。君たちは、これがなんだか分かるか?」
坂本艦長は懐から革表紙でまとめられた羊皮紙の手記をとりだした。それを皆に見えるように左右にむけて小さく掲げた。
「ふむ。値打ちのあるアンティーク品でしょうな?」
「黒巻さん、違います! これは歴史書ですよ!」
艦長は、黒巻副長が答えると目を細め、シェオルの答えには首を縦にふった。
「そうだ。アンティークなどというふざけた物ではない。これは現在から未来までを書き留めた歴史書だ。これを読んだからこそ、私はこの決断に希望を見出したのだ」
艦長はそう言ってパラパラと茶色く薄汚れたページをめくっていく。
「地球を発つまえ、私はある1人の博士からこの手記を預かった。彼の名はウエノ・ハルテイル博士。地球の終わりを言い当てたあの博士だ」
「あぁ、未来から来たっていう胡散臭いやつ。ほかにもそんなのいたでしょ? イルカが人類を滅ぼすとか言って海を汚して絶滅させたヤツ。アレと同じじゃないですかね?」
「副長、話の邪魔をするな……。それとウエノ博士はシェオル特務長官の叔父にあたる。口には気をつけなさい」
「まさか!これは失礼いたしましたな」
黒巻副長は両手をそのままに、ぎこちなく頭を下げてみせた。シェオルは「気にしないで大丈夫です!」と元気に微笑んだ。
「まったくだ」
嫌味ったらしく水を差した副長に負けじと、坂本艦長はムッとした表情でページをめくった。そこには地球のような星と月のような衛星が描かれている。それは窓の外に広がる光景にそっくりだった。
「見たまえ! この連星、あの星のことだ!」
艦長の野心に満ちた鋭い眼光の先には緑と海に覆われたひとつの惑星があった。海と大地の比率は手記と見比べても瓜ふたつで恒星の光をうけて濃密な大気が青みがかった光をおびている。すこしはなれたところには無数のクレーターにまみれた赤茶けた衛星もある。色こそ違えど、この光景を見たならば、誰もが地球と月に似た関係を思い浮かべることだろう。
「人も住めそうな美しい星ですね!」
そう言ってシェオルは笑顔をみせた。
「そうだろう! だが、それだけではない。我々が通ってきたターミナルポイントは別の宇宙に繋がる一種のワームホールのようなものだ。それがなぜこの星に繋がっていたのか? この本によればあの星に無限のエネルギーを蓄えたなんらかの遺物があると記述されている。その存在が真実であるならば、我々は、すべてを救うことが出来るかもしれない」
艦長はさらにページをめくって銅色の3つの球体と空のように透き通った剣の絵を見せた。それらと一緒に壊れたものが元通りになるような過程と球から現れたものが消えていくような様子が描かれている。
「その剣……。博士から預かったこの短剣のことですね……!」
シェオルは腰のベルトからさげていた短剣に手をかざした。それは淡い空色の水晶と金の装飾がなされた鞘に収まっている。宝飾品といって差し支えないほど美しく輝いている。それはシェオルの楽観的ながら時折みせる凛とした雰囲気を生き写したかのような、みごとな出来栄えの剣だった。
「そうだ。我々はすでにパーティクルフォースという願うだけで発現する物質を発見している。これら遺物のルーツを辿れば、その短剣のように無から生み出すことも、消し去ることもできるだろう」
坂本艦長はさらに懐から細長いガラスアンプルを取り出した。それは金の枠で厳重に補強されている。中では幻想的に輝く虹色の粒子が宇宙のように巡っている。
「それがパーティクルフォースですな?」
「そうだ。まるで神話のような話だが、どんなに馬鹿馬鹿しいものであっても可能性がある限り、いまの我々にとっては希望だ」
「こんな物質は見たことがない。これが本当ならば勝機がありますな」
「だろう? 私はこの可能性に全てを賭けた。これだけの理由があって存在しないこともないだろう。現にありえないことばかり起きているのだからな」
坂本艦長は決意をあらわに目を輝かせた。そこにシワだらけの紺色のジャケットを着たシュヴァリエのファル大尉が艦橋後方のドアから入ってくる。片目が長い前髪で隠れており、目の下にはクマがある。かなりやつれた風貌の男だった。
「ファル大尉、来てくれたか。君のシュヴァリエは用意できているか? 今日の昼に、あの星に降下させて揚陸訓練をしてみたい」
窓辺にいた艦長は床のモニターに投影された星々を平然と踏みつけながら待ち侘びていたかのように近寄った。
「部隊の再編を急げばなんとか。用意します」
その返事に坂本艦長は「活躍を期待しているぞ」と静かに言った。それに対してファル大尉はメガネのレンズ越しに視線を落としてから「はい。よい結果を得られるよう尽力します」と、まるでセリフのように事務的に肯定した。
「ちょっと待ってください! シュヴァリエは先ほどの戦いで半数を失ったはずです。このまま連戦はいくらなんでも酷じゃありませんか?」
それまで静観していたシェオルが話に割って入った。黒巻副長と坂本艦長は驚いたように、ファル大尉はおもむろにシェオルに顔をむけた。
「シュヴァリエは兵士でも市民でもありません。ただの難民です。彼らは戦うことを条件に乗船を許されている。つまり、戦わなければ生きることさえ許されないのです」
ファル大尉は俯き加減に答えた。その諦めたような目つきにシェオルは落ち着きを取り戻した。その様子から、一見すると冷酷に見える彼もまた、好きこのんでこの作戦に参加しているのではないのだと悟った。
「あなたはシュヴァリエの特務長官でありますが、あくまで形式上のものにほかなりません。実権はありませんので、どうかご理解を……。」
ファル大尉は鋭い視線をシェオルにむけた。
「そう、ですよね……。ですが、不満はいずれ反乱に繋がると思います」
「では俺にどうしろと?」
「技術部で開発した最新のライフルがありましたよね?せめてあれをシュヴァリエのみんなに支給したいんです」
ファル大尉は鷹のような上目遣いで、どこか威圧したような目線をおくった。
「SFR-12。通称スターナイトですな? たしかにシープと互角以上に渡り合う性能がありますがーー」
黒巻副長の言葉にファル大尉も同意して難色をしめした。
「1丁で家が建つようなライフルだ。光学照準器にスラスターまで付けるなら倍はかかる。失礼ながら、予算が足りないのでは?」
「そうですね……。なので、納入費用は予算編成中の突撃艦の研究開発費から回します! 全員には無理でも前線部隊だけならこれで行き渡ります。どんなに腕が良くても、使う道具が粗悪では実力を発揮できないですから!」
シェオルが希望に満ちた笑顔をみせた。その明るい雰囲気に、ファル大尉は鋭い目つきのまま、うなずいた。
「そういうことなら、予算の心配をしなくていい。私からもシルヴィス長官に話を通そう」
坂本艦長が軽く言った。ヴァンドラは移民船であり、敵に即座に対応するために艦長の命令は軍艦などと同等だった。ターミナルポイントを越えたことによって、地球本部からの通信が遮断された。それによって外部から入る情報はないため、艦長の意向次第でどんなことでも独裁的に決断を下すことができた。
「ありがとうございます! 装備の更新で現場は混乱するかもしれませんけど、銃だけで24キロありますし、負担を減らせると思います!」
「そうだな。多少の混乱はあるかもしれないが、隊員たちもきっと喜ぶだろう。元より新兵器を試すための訓練だ。問題はない」
ファル大尉は小さく笑って好意的に受け止めた。
「搬出作業がある。俺はこれで失礼する」
「では、私もそろそろ失礼しますね! 技術部のセリアさんから譲渡許可をもらわなきゃいけないので!」
シュヴァリエの2人は艦長副長に向きなおった。ファル大尉は姿勢を正して敬礼し、シェオルもゆったりと浅くお辞儀をして艦橋を後にした。
「周囲に敵影なし。予定通りいけそうですな」
その場に残った副長は艦長の一歩後ろで独り言のようにつぶやいた。
「あぁ。念のため、第2警戒態勢のまま惑星メルタの軌道にはいれ」
坂本艦長は広々とした艦橋の真ん中で、目の前に広がる大きな緑の惑星を鋭い眼差しで見上げていた。この壮大な謀反を企てた以上、もはや地球に帰ることも、まともな支援を受けることもできない。
それでもなお、この1隻の移民船を新しい国として、彼は勝てるはずのない戦いに挑むことを決断した。
どれだけの血を流そうと、ヴァンドラの旅はまだ始まったばかり。行く末もわからないまま、ただひとつの希望のために彼らは進みつづけることになる。