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レイラは真面目に授業に取り組んでいるうちに、魔法薬作成が得意になった。これは大きな自信に繋がる。
薬草に加えるのは純粋な魔力でも可能で、精霊力を宿さないけれど高魔力持ちのレイラは非常に相性が良かったのだ。
期待して習っても魔素魔法は使えなかった。魔法使いの教師が不思議がるくらいだった。
「精霊国の素地が邪魔するのかねえ。魔法も属性があるから」
そう仮説を立てるのがせいぜいである。
失望はしたが、せっかくの魔力が力の持ち腐れだったレイラは、属性のない魔力を薬草に添加するだけで魔法薬になる事に満足した。より研磨して更に高い品質の物を目指す。この技術を得ただけで入学の価値があった。
「レイラちゃん、ちょっといいかな」
珍しく真面目な顔で、リギルが何やら古そうな本を片手に話しかけてきた。授業も終わり、寮に帰ろうとするタイミングだった。
「何? 改まって」
「じゃあ、先に帰るわね」
「リギル、またねー」
一緒に帰る予定だったマーサとコルサマロンは、リギルの纏う空気を察してレイラをひとり残した。
「国立図書館で面白そうな本、見つけてさ」
「へえ、どんな?」
わざわざ呼び止めたのだから、何かレイラに関係あるのだろう。国立図書館の本は国民しか借りられない。さすが地元民。
「レイラちゃんが魔法を使えないのは勿体無いよね」
「うっ……、もう才能が無いって諦めてるわ」
「それはさ、属性魔法だろ」
リギルは本をレイラの机に置いた。
「これは魔法体系全集の初期本の写しだ。本物は厳重に保管されてる」
「そんな秘本があるの。ルミエナの歴史は浅いのに稀覯本の収集率が高いのね」
「歴史が無い、だからこそと言うべきかな」
「ふうん」
「それでさ」
リギルは栞を挟んでいた最後の方のページを開けた。
「ここ……」
「えっと、古語なのね……。何? ぞ、属性の無い魔法を使う者、の存、在?」
レイラは辿々しく読み上げる。
「そう、属性の無い魔法ならレイラちゃんも使えるんじゃないかと思って」
「待って。でも呪文は無いって書いてない?」
「うん、結局使える人たちが少なすぎて“呪文”に昇華できなかったみたいだ」
「どうすんのよ……。お手上げじゃない」
「間違うな。呪文は後付けだ。炎の攻撃ならこの魔法陣で、これをすぐ発動するにはこの呪文。そんな具合に効率よくしたのが今の魔法だ」
「つまり……呪文詠唱がなくても、無属性魔法は使える……?」
「そうだと思う。訓練してみる価値はある」
「……興味はあるわ」
「次の懇親会にさ、魔法学の権威のローレイン卿が招待されている。色々質問してみれば? あっちも精霊学という新部門の研究を始めたみたいだから丁度いい」
「すごい機会ね。ぜひお話ししたいわ」
目を輝かせたレイラだが、「あ、でも」と勢いが消える。
「懇親会への参加は国から義務付けられてるの。ネッカル様も出るのに、私たちがパートナーじゃないのは不自然だわ」
「ほんっと、何でもかんでもパートナー同伴ってのも考えもんだよな。擬似社交界の縮図だかの学園方針か知らねえけど」
「コミュニケーション能力があれば、学園内の友人を連れてこれるだろ?って悪意を感じるわ。じゃあせめて参加費を無料にしなさいよって話よね」
「まあ、パートナーは心配いらないぜ」
自信満々にリギルが笑った。
気持ちのいい時期なので、今回の懇親会はガーデンパーティとなった。
ネッカル・フェーンジム・マルラートは去年からロージリン・フェイロルを同伴して参加している。
華やかな彼女が隣にいるだけで、ネッカルの評価も上がると思っている。
招待客は有識者たちだけあって、下卑た視線でロージリンを見ないのもいい。
「博識で美しいお嬢さんですね」
ロージリンの話術も相俟って、概ね高評価で鼻が高い。
今年はレイラがいるが誰と来るのだろう。国から費用が出るのだから、病気とかじゃないと不参加は認められない。
すぐに、レイラが連んでいる男の顔が浮かぶ。スファイヤ商会の従業員だ。見てくれは悪くないが、平凡な茶色の髪と瞳の男で、冴えない黒髪黒目のレイラに丁度いい相手だと思う。
きっとあの平民の男と出るのだろう。それに比べて自分の相手は由緒正しい侯爵令嬢だ。
(差が出てしまうな。惨めに思うのだろうか)
ネッカル自身も厳密に言えば平民だ。エインは貴族社会ではないのだから。しかしそんな事は思いつかず、彼は無自覚に優越感に浸っていた。
招待客より先に生徒が会場に入っているのが通常である。ネッカルがロージリンに加え、三人の男子生徒と談笑をしていれば、入り口あたりがざわついた。
「なんて美しい二人だ」
「まるで絵画みたい……」
「あの見事な黒髪はエイン独立国の……」
聞き捨てならない言葉が聞こえ、ネッカルは生徒たちの視線の元を辿る。そして息を飲んだ。
レイラをエスコートしているのは、長い金髪を一括りで後ろに垂らした、コバルトブルーの瞳の美しい少年だった。
(だ、誰だ、あの男は!?)
そして隣のレイラも対照的でとても目立っている。穏やかな陽の光を浴びた黒髪は艶々と輝いていた。柔らかいブルーグレイ色のワンピースドレスの胸元には赤い石が眩く光っている。
あれはセシル・ユリダール元首から、ドレスとセットで贈られた炎の精霊石のペンダントと服だ。あの炎の石が映えるドレスの配色だと気がつく。見る者が見れば、彼女の背後にはエインの元首がいるのだとすぐに分かるだろう。
ネッカルは思わずレイラの左手薬指を確認する。そこには、入学日には着けていたネッカルの婚約者である証の、風の精霊石は無かった。
少なからずショックを受けるも、そもそも『婚約者の振る舞いはするな』と告げたのは自分である。レイラは正しい。
「ハリ帝国のロジュ皇子だ」
「ああ、ウォーダ殿下の弟の」
「素敵ねえ……」
ロジュより年上の女性陣も、煌びやかな皇子にうっとりしている。
(あのウォーダ皇子の弟だと!? ちっとも似てないじゃないか!)
素敵だとちやほやされ、風の精霊王子などと女生徒から熱い視線を送られて、いい気になっているネッカルとは違う。本物の皇族だ。立ち居振る舞いが洗練されていて、なにより存在感がすごい。
「ロジュ皇子殿下!」
足早に彼らに近づいたオルテンシア王女がロジュの名を呼んだ。
「これはオルテンシア王女殿下、ご機嫌麗しゅう」
ロジュの挨拶に対して、とてもご機嫌がよろしくない王女は、あからさまに“信じられない”という表情でレイラを見た。
「わたくしのエスコートを断ってその女生徒の相手を?」
「ええ、以前から頼んでいたのですよ。私も同伴者がいなくて弱っていたので」
グレシェル王国の王女の誘いを断って? 周囲にそんな空気が漂う。
オルテンシア王女のパートナーに選ばれるのは栄誉。去年は大国の王子もいた。美しい王女と親しくなる機会を断る選択肢などない。だからネッカルも、ロージリンの機嫌を損ねてでも王女の相手を務めたのに。
「エイン独立国の“加護なし”さんね」
「レイラ・アルジャナと申します」
レイラは微笑を湛え、片足を後ろに引き膝を曲げて淑女の礼をとった。大陸マナーも心得て堂々としている。嘲りを受け流されたオルテンシア王女の方が分が悪い。ただの意地悪な女に見える。
(それにしても見違えたな)
ネッカルがうっかりレイラに見惚れていると、彼女はロジュ皇子にエスコートされ彼の目の前に来た。目が合うとレイラは微笑んだ。ネッカルが向けられた事のないその笑顔は、社交上のものだった。
「マルラート様、お久しぶりです。今日はお互い有意義な時間を過ごしましょう」
「あ、ああ……」
ネッカルはそう答えるのが精一杯だった。
「神秘的で綺麗だな、彼女」
「あんなに輝く漆黒の髪、見た事がない」
「親しいのなら紹介してくれよ」
ネッカルの友人たちはレイラの美しさに湧き立つ。それに対して苦笑で無言を貫くネッカルを、ロージリンが不快そうに見ていたのに彼は気が付かなかった。
ネッカルたちから離れたロジュとレイラのところに、一組の男女が寄ってきた。
「レイラもロジュもバッチリ決まって、すごく目立ってるよー!」
「<金の王子様と精霊姫>とか言われてるぞ」
コルサマロンと、パートナーのリギルである。
「やれやれ、公式皇子様モード発動の貸しは高くつくよ?」
「オルテンシア王女の誘いを躱わせたんだから、貸し借りなしだろうが」
とてもにこやかな顔のロジュに、リギルはこれまた爽やかな笑顔で応じた。
「やめて。上辺だけの笑顔の応酬」
二人の胡散臭いやり取りに慣れてきたコルサマロンが突っ込む。
リギルが懇親会のレイラのパートナーをロジュに頼んだのだ。
『懇親会は出なくちゃならないのに、あの高慢王女が取り巻きを使って、それとなくエスコートを打診してきて憂鬱だ。正式に申し込まれても断りたい』
そう愚痴をこぼしていたロジュは、有り難くその提案を受け『相手は決まっているので』と辞退できた。
この選定はレイラの価値を高めるものである。ネッカル・マルラートはいつものように、ロージリン・フェイロルを同伴するだろう。
『美貌には、美貌を。最上級の皇子サマを見せてくれ』
ポンと肩を叩いて発破をかけられ、ロジュもリギルの作為に気がつく。
ネッカルに当てつけるにはロジュは最適だった。ハリ帝国皇子がオルテンシア王女の誘いを断って、エスコートしたエイン独立国の女性。それだけで話題性がある。
『婚約者に遠慮するな。負目があるのはあっちなんだから』
リギルの後押しによって、レイラも懇親会を楽しむ決心をした。
レイラとロジュはリギルたちを連れてローレイン卿に挨拶をした。恰幅のいい五十代の男性で、温和そうな風貌なのに鋭い眼光が印象的だ。
「ああ、君がエイン精霊国の令嬢かね。ん? 風の次期宗主と一緒じゃないのかな」
二人しかいない同郷。国費留学と知られているので尋ねられたのだろう。
「マルラート様は流通関係の知人と一緒です。今回はどうしても私がお話ししたくて、お声を掛けさせていただきました。こちらの三人は私と同じく魔法応用科に在籍しております」
「ほう、つまり魔法関係の専門的な話かな。あちらで聞こう」
ローレインが興味を示してくれた。庭の端には五人掛けのテーブルがあり、卿は給仕に飲み物を頼むと、四人を促して移動した。